59:皇国の歌姫
前回のざっくりあらすじ:ラチェットが初めて一人で作詞をした。
街道を進む一行の前に、ようやく皇都の市壁が見えた。皇都は見晴らしのいい広い平原にあったが、遠目に見ても全貌が見渡せないほど、長い石壁で囲われていた。その大きさに、最初は気がつかなかったニースだが、町へ近づくにつれて圧倒された。
「長いし、高い……!」
ニースはセラやメグたちと共に、グスタフの馬車にいた。ジーナが船旅の後すっかり大人しくなっていたので、危険はないと判断したのだ。セラと二人で、突き出し窓からぽかんと見上げるニースの姿に、ジーナとメグは微笑んだ。
市門での検問は、これまでの町より厳重だった。険しい顔をした門兵たちが、細かなところまで確認をしており、市門の前には検問を待つ長い列が出来ていた。しかし一座の番になり、ニースが姿を見せると、門兵たちは姿勢を正した。貴人を相手にするような対応にニースは驚いたが、身分証と一緒にフェローシャス伯からの証明書も見せると、普通の対応に戻った。
「ほんと、ああいう人たちって嫌よね」
見え見えの変わり身に、メグは、ため息を吐いた。しかしニースは、皆と同じ対応を受けられる事にほっとした。
皇都の中は、今までニースが見た事のない、立派な町並みが続いていた。貧民街も皇都には見られない。通りには細い裏道にも街灯が立ち並び、悪事を働く者たちが潜む闇を、ことごとく消してしまいそうな勢いだった。グスタフは、皇都に入ると馬車を真っ直ぐ中心部へ向けて走らせた。皇都の中心部には、帝の御殿である皇宮がある。皇宮は、水をたたえた堀に囲まれており、堀と木々の向こうに大きな館が建っているのが見えた。しかしその館は華美なものではなく、洗練され美しい佇まいではあるが、どこか厳かな雰囲気が漂っていた。
御者台に繋がる小窓から覗いていたニースは、不思議に感じてグスタフに話しかけた。
「皇宮って、帝がいる宮殿ですよね。陛下が住む場所なのに、お城っぽくないんですね」
「ん? ああ、そうだな。帝は政治より祭祀をするのが主なんだ。皇宮には祭祀を行うための社があるから、城というより、祭壇がある神殿みたいなものでな。神殿と皇族の御殿があるのが皇宮なんだよ。水がある堀も、神聖な空間を隔てるためにある。ニースが知ってるような豪華な城は、議事堂として別にあるぞ。ここからは見えないが、皇宮を挟んだ向こう側にあるんだ」
議事堂は皇国の有力貴族たちが集まる議場がある場所だ。摂政のような役割を持つ議長を、大貴族たちが持ち回りで務め、貴族による議会を通じて、皇国は治められている。帝は年に一度、議長や大臣の任命のために議事堂へ訪れる程度だった。グスタフの話を聞いて、皇国と王国は違う国なのだという事を、ニースは改めて感じた。
堀を渡る橋の前で、グスタフは馬車を止めた。門兵に用件を伝えると、伝令が皇宮へ走っていった。そのまましばらく待っていると、一台の小さな馬車が、皇宮から橋を渡ってきた。グスタフは馬車の中に乗る人物へ挨拶をすると、御者台へ戻り手綱を握る。グスタフの馬車は、小さな馬車の後を追って、町へと走り出した。
まさか町へ戻ると思わなかったニースは、グスタフに問いかけた。
「皇宮じゃない所に行っちゃうんですか?」
「ああ。皇宮は帝の住む場所で、社がある場所だ。神聖な所だから、よほど特別な事がない限りは入れないんだ。私たちは連絡手段がないから、直接到着を告げに来ただけだよ。これから、迎賓館のそばの宿まで案内してくれるそうだ」
「迎賓館?」
首を傾げたニースに、ジーナが笑いかけた。
「迎賓館って言うのはねー。色んな国のお客様をおもてなしするためのお屋敷なのよー。今回のお姫さまの成人パーティも、そこでやるってことだと思うわー」
「そうなんですね」
ニースは、メグの成人パーティを思い出し、どきりとしたが、顔には出さないように気をつけた。
前を行く小さな馬車が大きな宿の門を潜る。一行もその後ろをゆっくりついて行った。入り口の前では、宿屋の支配人や従業員たちが一列に並び、出迎えていた。宿の正面にある乗降場で、ニースは皆と一緒に馬車から降りた。すると、一座を迎えに出ていたと思っていた支配人たちは、ニースたちを向くことなく、小さな馬車に向かって礼をしていた。
ニースが首を傾げていると、馬車の中からニースと同じ、黒目、黒髪、黒い肌の女性が、金糸で刺繍の施された艶やかな黒いドレスを身に纏い、降りてきた。ジーナと同じぐらいの年齢に見える美しいその女性は、支配人たちに手を挙げて、楽にするように伝えた。ニースたちが呆然とする中で、女性がグスタフに話しかけた。
「こちらが、皆さまにお泊り頂く宿ですわ。皇国で一番の宿ですの。きっとお気に召しましてよ」
長い黒髪をふわりと風になびかせて、笑顔で話す女性に、ジーナが近づき笑顔を見せた。
「ルイサ、お久しぶりね。元気だった?」
「ジーナ! ずいぶん幸せ太りしたのね! 誰だかわからなかったわ!」
二人がにこやかに挨拶を交わすので、ニースたちが、ぽかんとしていると、じっと見ていたマルコムが囁いた。
「あの方はな、皇国の歌姫として知られる、ルイサ様だ。ルイサ様は、今の帝の妹君で歌い手……天の導きなのさ。俺たちがニースを見ても驚かなかったのは、昔ルイサと会ってたからってのが、大きいな」
ニースに微笑んだマルコムの腕を、メグが突いた。
「そんなお姫様と、お母さんはずいぶん親しげよね。ルイサ様とお友達ってこと?」
「ああ、そうだ。俺とグスタフも、もちろん知り合いさ」
「皆さん、公主さまとお友達なんて、すごいです!」
「そうだね、セラちゃん。僕もビックリだよ」
「ぼくも、びっくり……」
メグとラチェットも知らなかったようで、ニース、セラと共に驚いた。久々の再会で、楽しく話をしていたルイサとジーナだったが、メグたちの声に気がつき、笑顔を向けた。
「あら、ごめんなさい。私ったら、こんな所で皆さまをお待たせしてしまって。さあ、お部屋へ参りましょう」
ルイサの言葉を合図に、宿屋の従業員たちが動き出し、グスタフとマルコムの指示で、荷物を宿へと運んで行く。ニースたちは、マルコム、ラチェットに荷物を任せ、ジーナと共にルイサについていった。
入り口の大きな両開きの扉をくぐると、中には室内とは思えないほど、広々とした空間が開けていた。天井はガラス張りの屋根まで吹き抜けになっており、日の光が中まで差し込んでいた。
「すごい……。ペリフローニシの公園みたい……」
日の光に照らされた空間は、美しい庭のようになっており、色とりどりの花だけでなく、木も植えられていた。広間の中央には、小さな噴水まであるのだから、ニースだけでなくメグたちも、公園のようだと思った。
吹き抜けの広間を囲むように、客室は三階まであった。客室のある棟は、左右に分かれて二つあり、中央の奥に受付や食堂が入る棟がある。階段は、噴水の奥から作られており、二階部分から左右に分かれて弧を描くように各客室棟の三階中央部まで伸びていた。壁や天井、柱に至るまで、細やかで上品な細工が施され、廊下に置かれている調度品の数々は一級品だ。
ニースたちは、ドキドキしながら、ふわふわの赤い絨毯の上を歩き、階段を上がる。ニースたちの宿泊場所だという、右手の三階へと上がると、ルイサを案内していた支配人が、恭しくお辞儀をした。
「こちらの階層、すべてのお部屋を、皆様方でお使い頂ければと思います」
「え! ここを全部!?」
思わずメグが声を上げ、はっとして口に手を当てた。恥ずかしそうに耳まで真っ赤になったメグを見て、ルイサが微笑んだ。
「ええ。ここを全部よ。好きな部屋を選んで使ってね。私もジーナたちに会いに来たいから、警備のためにも一階層全てが必要なの。驚かせてごめんなさいね、メグさん」
「い、いえ! 滅相もないです!」
メグがひたすら顔を赤くして、ルイサにお辞儀をするのを見て、メグもお姫様には敵わないんだと、ニースは思った。
グスタフとジーナは、ルイサと共に宿の正面側の部屋へ行ってしまった。残されたニースたちは、一部屋ずつ扉を開けて見て回った。中の調度品はほとんど変わらず、どれも豪華なもので、浴槽のある浴室まで各部屋にあったので、三人は大喜びだった。セラは、窓から厩が見える部屋に。メグは公園のような中庭をすぐに見たいということで、階段そばの部屋に決めた。ニースは、ラチェットが馬車置き場に最も近い部屋を選ぶだろうと考え、その隣の部屋に決めた。ニースたちが部屋を決めると、従業員がロビーから荷物を運び込んだ。ニースは、メグたちの荷物運びから解放されて、幸せそうに笑った。
ニースは、久しぶりに一人で部屋で過ごしていたが、落ち着かなかった。旅の間、ずっとラチェットやグスタフたちと、一緒の部屋で過ごしてきたからだ。テーブルの上に荷物を広げて、手入れや整理をしていたが、それもほぼ終わってしまった。
「まだ夕食まで時間があるし、どうしようかな。ラチェットさんの所に遊びに行くか、お風呂に入るか……」
部屋にはニースしかいないのに、つい呟きながらニースが考えていると、扉をノックする音が響いた。
「ニースくーん。ちょっといいかなー?」
「はい。ジーナさん」
扉を開けると、ジーナの後ろにルイサがいたので、ニースは固まった。
「え、えっと……」
「ごめんなさいね、ニースくん。あなたとお話したくて、ジーナに頼んだの。いいかしら?」
「は、はい!」
ニースは緊張した面持ちで、ぺこりとお辞儀をすると、急いでテーブルの上の荷物を避けた。大慌てでテーブルを布で拭き、椅子を勧めると、ルイサはにっこり微笑んで座った。
「ありがとう。ニースくん」
「い、いえ! とんでもないです、公主様!」
ジーナが手際良く紅茶を入れ、カップを三つ置く。ルイサは柔らかな手つきでカップを持ち上げると、優雅に一口飲み、微笑んだ。
「ルイサでいいわ。同じ黒の持ち主同士、仲良くしましょう?」
ニースは、カップに伸ばしかけた手を止めて、しゅんと肩を落とした。
「あの、ルイサさま。ぼくは、ルイサさまの黒とは、違うんです……」
「……?」
ルイサは意味がわからないといった風に、困ったような顔をジーナに向けた。ジーナは手にしていたカップを置き、切なげに微笑んだ。
「ルイサ。ニースくんはね、“調子外れ”なのよ」
ジーナは、いつもの明るい口調ではなく、気遣うような優しい声音でルイサに告げた。ルイサは、はっと口に手を当てた。ニースは立ち上がり、鞄の中からフェローシャス伯にもらった証明書を取り出すと、ルイサに見せた。
「これを……」
ルイサは黙って受け取ると、中身を確認し、ニースに返した。ニースが俯いたまま座ったので、ルイサは小型の鞄から丸い小さな紙包みをひとつ取り出し、ニースの前に置いた。
「これ、よかったら食べてくださるかしら。私が作った飴なのよ」
ニースが驚き顔を上げると、ルイサは微笑み頷いた。ニースは、緊張した手つきで、そっと包みを開いた。中には丸く黒い飴が入っていた。
「これはね、黒糖って呼ばれるお砂糖を使って作った飴なの。とっても喉にいいのよ。感想を教えてくださる?」
ニースは緊張した面持ちで、口に飴玉を入れた。いつも食べる砂糖とは違う、濃厚な甘みが口の中に広がり、ニースの頬が緩んだ。ルイサは、美味しそうに食べるニースを見て安堵の笑みを浮かべ、ジーナにも飴を渡した。ジーナは戸惑うことなく口に入れた。
「まー! 本当に美味しいわー! ルイサ、腕を上げたわねー」
「ふふ。良かったわ」
ルイサはジーナに微笑むと、ニースに語りかけた。
「ねえ、ニースくん。フェローシャス伯が証明書を書いたのも、きっとニースくんが、たくさん苦労をしてきたからなのでしょう?」
ニースは小さく頷いた。ルイサは切なげに言葉を継いだ。
「普通の歌い手でも“調子外れ”だと、立場が悪くなるのに、天の導きのあなたが、どれほど辛い目にあってきたのか、私には想像も出来ないわ」
ルイサの言葉に、ニースはきゅっと唇を結んだ。
「でもね、ジーナから話を聞いて私、驚いたのよ。歌が音楽になるなんて、今まで考えたこともなかったもの」
ルイサは、何も言わないニースに、柔らかな笑みを向けていた。
「私、楽しみなの。あなたの歌を聞くのを。音楽として、楽しむものとして歌を歌えるのは、きっとあなたが“調子外れ”だったおかげね。だから、ニースくん。きっと素敵な歌を聴かせてね?」
ニースは、ゆっくり頷いた。口の中で、硬い飴がほろりと形を崩した。ニースは紅茶と一緒に、小さくなった飴を飲み込んだ。




