498:空へ2
前回のざっくりあらすじ:出発の準備を終えたニースたちの元へ、メグがやって来た。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます、ご注意下さい*
*次話の投稿は、4月7日(火)となります。
ジョルジュの呟きで、メグが来た事に気付いたラチェットは、船内を駆け下りながら、どう説明しようかと考えを巡らせた。
――何を話しても絶対にメグは納得しないだろうな。ひたすら謝るしかないか……。
ラチェットは胃が痛くなるのを感じたが、足を止めるわけにはいかない。気持ちを奮い立たせて必死に走り、ラチェットはメグの元へ向かう。
怒りを全て受け入れようと、覚悟を決めたラチェットだったが、メグの顔を見た瞬間、それまでの考えは全て霧散していった。
――メグが、泣いてる?
壁に手を付き、古代船を睨み付けるメグの目には、薄らと涙が滲んでいた。
そんなメグの呼吸はあまりに荒く、足も小さく震えている。怒っているというよりは恐怖を堪えているような姿に、ラチェットは、はっとした。
――そうだ。ここはメグにとって、トラウマなんだ。それなのに……。
ビオスタクトの遺跡は、モレンドにあった蛇穴の遺跡と造りが似ている。古代船のある巨大な広間へ繋がる部屋は、かつてラチェットが銃撃を受けた場所と酷似しており、メグにとって忌まわしい記憶を呼び起こさせるものだ。
駆け寄ったラチェットを見て、メグの顔が苦しげに歪む。過呼吸を起こしているメグの肩を、ラチェットは支えた。
「メグ、大丈夫かい? どうしてここに……」
ラチェットは言いながら、メグの華奢な背中をさすった。
メグは呼吸が落ち着いてくると、心配するラチェットを咎めるように、肩に置かれたラチェットの手を強く掴んだ。
「……たのよ」
「え?」
「ニコルが寝たから、桜を見に行こうって誘おうと思ったのに。コートを取りに行ったら、あなたの服がなかったのよ」
まるで旅に出たかのように、ラチェットの荷物がなくなっているのに気付いたメグは、眠ったニコルをビアンカに頼み、遺跡へ降りてきていた。
メグは涙を堪えるように、ラチェットをキッと睨み上げる。ラチェットは、問いたかった事はそれじゃないと頭を振った。
「それでも、ここに来るのは辛かったろう?」
「仕方ないじゃない。ニースたちもいないのに、軍の車は残ってるんだもの。ずっと遺跡には入れなかったし、絶対にここに何かあると思ったのよ」
屋敷の庭から遺跡に降りれば、古代船のある広間までは一本道だ。元々は複雑な造りの遺跡だが、皆が道に迷わないようにと、バードが通路を調整したままだった。
ラチェットは、メグが地下で迷子にならずに済んだ事を喜ぶべきか、ここへたどり着いてしまった事を悔やむべきか、複雑な思いで項垂れた。
「ごめん……」
「何が? 私とニコルを置いてくこと? 黙ってたこと? それとも、ここに来させたこと?」
「……全部だよ」
目を合わせず、気まずそうに言ったラチェットに、メグは眉を吊り上げた。
「何で謝るのよ! 謝るぐらいなら、行かないでよ!」
「メグ……」
「ずっとそばにいてくれるって約束したのに! ニースたちと帝国に行く気なんでしょう⁉︎ 黙って動くぐらいだもの、私に分からないとでも思った⁉︎」
メグは金切り声を上げながら、ラチェットの胸を思い切り叩く。ラチェットはメグを見つめ、肩を掴む手に力を込めた。
「ごめん。でも、僕が行かないといけないんだ」
「何でよ! あなたが行ったって、戦えないじゃない!」
「あの船を動かせるのは、僕だけなんだよ」
「船?」
「あの大きな鳥みたいな建造物は、古代の船なんだ」
ラチェットは、背後にある古代船に目を向けた。
巨大な鳥の船の前では、ニースとバード、ココが心配そうに二人を見つめている。その向こう側から、セラとルポル、ベンもやって来るのが、メグの目に映った。
メグはラチェットを叩く手を止め、訝しげに眉根を寄せた。
「これが船だなんて……。帝都に行くのに、川下りでもするっていうの?」
「それは……」
メグの問いかけに、ラチェットは話していいのかと悩み、言い淀む。ラチェットの迷いを見て取り、ニースは一歩踏み出した。
「メグ、違うんだ。この船は、空を飛ぶんだよ」
「空を、飛ぶ? そんな……嘘でしょ?」
「本当だよ。バードやココみたいに、これで飛ぶんだ。そうしないと帝都に行けなくて」
「そんな、だってそれじゃ……」
空を飛ぶと聞いて、メグの顔から一気に血の気が引いた。ニースは、メグが高所恐怖症なのを思い出し、慌てて言葉を継いだ。
「落ちたりはしないから。バードたちが一緒だし、ラチェットさんに危険はないよ」
「でも、だって……」
「この船を使わないと、レイチェルが殺されちゃうんだ」
ニースの言葉に、メグは息を呑む。唇を震わせたメグを、ラチェットは抱き寄せた。
「メグ。黙って行こうとしたことは、本当にごめん。でも僕は、レイチェル君を見捨てることは出来ない。それは君も同じだろう?」
「でも、もしそれで、あなたに何かあったら……」
「僕は、必ず帰ってくるよ」
ラチェットはメグの目を見つめ、言い聞かせるように言った。ニースたちは静かに話の成り行きを見守るが、ニースの肩に乗ったバードが、食い入るように二人を見つめる。
ラチェットは、目に涙を溜めたメグの頬を撫で、穏やかに言葉を継いだ。
「僕は死んだりしない。ニコルと待ってて」
「ラチェット……」
「君がここにいてくれなきゃ、僕はただいまって言えないだろう?」
メグの瞳から、ぽろりと涙が一筋溢れた。するとバードが不意に、あっと声を上げた。
『ダメ! ダメだよ!』
「バード⁉︎」
突然肩の上で喚き出したバードを、ニースは慌てて掴んだ。しかしニースが嘴を抑えても、バードの声は止まらない。
バードは暴れるように翼をばたつかせ、喚き続けた。
『何で俺っちを止めるの! 止めるならあっちでしょ!』
「バード、静かにして!」
『これじゃダメだよ! このままじゃまた……』
『バード、しっかりしなさい!』
叫ぶバードの頭を、ココが、ぺしりと翼で叩いた。
『……ココ?』
『バード、よく見て。あそこにいるのは、ラチェットとメグよ』
ココに窘められ、バードは瞳を瞬かせた。大人しくなったバードがこれ以上何かを叫ばないようにと、ニースは二羽を懐へ押し込める。
その様を唖然として見ていたラチェットは、小さく咳払いをして、メグに向き直った。
「メグ、とにかく約束するから。泣かないで」
「ラチェット……」
「帰ったら、君のお味噌汁飲ませてくれる?」
ラチェットは請うように、メグの顔を覗き込む。ラチェットに涙を拭われ、メグは苦しさを堪えるように微笑んだ。
「私ので良ければ、いくらでも作るわ」
「君が作ったのがいいんだよ。たくさん食べるから、鍋いっぱいに作れるように準備して待ってて」
「絶対よ。約束、破ったら承知しないから」
「何があっても帰ってくるよ。大事な君を、一人きりで残したりしない」
ラチェットは想いの全てを込めるように、メグと深い口付けを交わす。
ニースは胸元でゴソゴソと動く二羽に気を取られていたが、ルポルが顔を赤くして目を逸らし、ベンが苦笑して俯いた。
そんな中でセラは一人、メグの心中を察し、苦しげに顔を歪めた。
二人の熱い口付けが終わる頃には、ニースの懐で動いていた二羽も落ち着きを取り戻した。
ニースは、ほっと安堵しながら、頬を上気させて見つめ合うラチェットとメグに語りかけた。
「メグ。ラチェットさんのことは、必ず帰すから。心配しないで」
「ニース……」
メグは照れくさそうに微笑むと、ラチェットの手を握り、ニースに向き直った。
「あなたとセラのことだって、私は待ってるから。無茶しちゃダメよ」
「うん。ありがとう」
「そう、ですね。私たちも危ないんですよね……」
優しいメグの声に、ニースは微笑んで応えたが、セラは、はっとして視線を落とした。ベンとルポルが口々に、自分が守るから大丈夫だと話す。
そこへイルモが、慌てた様子で駆け寄って来た。
「マーガレット先生。これは、その……」
中央制御室から走ってきたイルモは、ラチェットとメグの話がついた事を知らない。どうにかして取りなそうと話すイルモに、メグは微笑んだ。
「イルモ先生はお留守番なんですね」
「あ、ああ。そうだが……」
「私も見送らせてもらいます。どこからなら、安全に見送れますか」
メグの声音は吹っ切れたように聞こえるが、その瞳には拒否を許さない力強い光がこもっている。イルモは頬を引きつらせ、来た道を指し示した。
「私と一緒に、見送るかい……?」
「ええ。そうさせてもらいます」
メグは、にっこり笑うと、ラチェットの頬に口付けた。
「あなたが帰るまで、ずっと待ってるわ。いってらっしゃい」
「ありがとう。行ってくるよ」
メグは手を振って、イルモと共に歩き出す。ラチェットは拳を固く握ると、ニースたちに笑いかけた。
「お待たせしてごめんね。行こうか」
「はい。行きましょう」
ニースたちは、飛空船へと再び乗り込む。船橋からも一部始終が見えていたようで、エルネストたちがラチェットを茶化すように迎えた。
「ずいぶん手厚い見送りだったみたいだな」
「ええ、まあ。おかげで元気が出ましたよ」
「そうかよ。ならさっさと行くぞ。お前らが遊んでる間に、こっちの準備はもう終わってる」
エルネストの指示で、マルコやエリック、レミスたち護衛隊の面々は、各自の持ち場となる船内に散っている。操舵室に残るシーラたちは椅子に腰を下ろしており、後はニースたちの着席を待つばかりだ。
ラチェットが中央の椅子に。その隣にある席に、ニースとセラも座る。エルネストとルポル、ベンの三人は、シーラたちと同じ並びの壁際の席に腰を下ろした。
皆が席に着くと、ニースの胸元からココが出てきて、ラチェットの肩に飛び乗った。
『じゃあ、教えた通りに動かしていくわよ。私とバードでサポートするから。肩の力は抜いてね』
「ああ。よろしく頼むよ」
ニースの肩にバードも出てきて、紐のようなものを肘掛の先にあるガラスのような板に繋ぐ。二羽の指示に従い、シーラたちもそれぞれ手元の操作板に手を伸ばした。
すると、外の景色が映る操舵室の壁に、イルモの顔が浮かび上がり、その横からメグがひょっこりと顔を出した。
『これ、すごいですね。ラチェットたちが見えるなんて』
『マーガレット先生、近すぎだ。向こうからもこっちが見えてるんだよ』
『え⁉︎ そうなんですか⁉︎』
間の抜けたやり取りに、緊張していた操舵室の空気が緩む。ニースは、ふっと笑みをこぼした。
「メグ、そっちからはどう見えてるの?」
『どうって、窓から眺めてるみたいよ。でも、あなたたちの姿だけじゃなくて、その鳥の船全体も見えるの。まるで色んな所から同時に覗いてるみたいよ。……それにしても、そっちの声まで聞こえるのね。本当に不思議だわ』
ぶつぶつと呟くメグに苦笑し、イルモが口を開いた。
『念のため、庭から繋がる通路は封鎖した。これ以上、誰かが侵入することはないはずだ』
力強く言ったイルモに、ラチェットは笑みを返した。
「ありがとうございます。出口はどうですか」
『湖にも人の反応はない。扉もすでに開けてあるよ』
「分かりました。では、出発します」
『幸運を祈るよ。吉報を待ってる』
ラチェットに続き、ニースたちも口々に行ってきますと声を上げる。景色の中に映り込んでいたイルモとメグの姿が消えると、ラチェットは、肘掛の先に付いている水晶球のような物に手をかざした。
「まずは浮上。それから方向転換して、前進……」
ラチェットが意図するのに合わせて、飛空船は床から離れて浮かび上がる。船内には、エレベーターに乗っているかのような不思議な揺れが微かに走った。
飛空船は、そのまま広間の奥に続く巨大な通路へと進んでいく。突き当たりで一度止まると、船の周りには水が満たされていき、操舵室の壁には水泡が映し出された。
「これから空を飛ぶのに、水の中にいるなんて。何か、変な感じだね」
思わずといった風に呟いたセラに、ニースは深い頷きを返した。
「うん。水槽が映ってるみたいに見えるけど、実際は僕たちの方が中にいるんだもんね」
「ここから本当に飛ぶのかな」
「飛ぶはずだよ。……たぶん」
鳥のように空を飛ぶなど、これまで誰一人として経験した事はない。ニースたちの瞳に、期待と不安が入り混じる。
水中をゆっくりと浮上していった船は、やがて真っ暗な空の下へと姿を現した。
『さあ、飛ぶわよ』
ココの掛け声と共に、そのまま飛空船は宙に浮かび上がる。ほとんど振動がないため、空を飛んでいるという実感は全く湧かないが、薄暗い湖の周りに立つ木々が下になり、町の明かりが見え始める。
星のように光るその明かりに、ニースたちは感嘆の声を漏らした。
「これ、今飛んでるってことだよね?」
『そうだよー。もっと高度を上げて、雲の上まで行くんだよー』
胸を張ったバードを横目に見ながら、ココはラチェットに語りかけた。
『バードの言う通りなんだけど、今のうちから操作に慣れましょう。水平は保っておくから、針路通りに前進させて』
「ああ」
ラチェットは緊張を滲ませ、壁に映る空を見つめる。その様を見て、セラは首を傾げた。
「針路ってココちゃんは言ったけど、どうやって方角が分かるんだろう?」
「……そう言われればそうだね。羅針盤みたいのもないけど、星を見てるのかな?」
ニースとセラの会話に、バードが得意げに頭を振った。
『それはねー。メガネっちには違う景色が見えてるんだよー』
「違う景色?」
『ニースっちたちには、ただの外の景色にしか見えないだろうけど、メガネっちの目には、矢印みたいに道を示す印が見えてるんだー』
意外な話を聞いて、ニースは目を瞬かせた。
「なんでそんなのが見えてるの?」
『メガネっちが管理者だからだよー。管理者は船と一部で繋がってるから。他にも、管理者にしか分からないものがいっぱいあるんだよー』
「だからラチェットさんにしか動かせないんだね」
『そういうことー』
ニースたちが話してるうちに、町の明かりは眼下をどんどん流れていく。最初はガタガタと不可思議な揺れが起きたが、ラチェットがコツを掴んだのか、やがて揺れはほとんどなくなっていった。
夜の空に浮かび上がった飛空船は、そのまま北の大地を目指して飛んで行く。人知れず飛ぶ鳥の船は、一陣の風と桜吹雪をビオスタクトの町に残して、月明かりに消えていった。




