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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第4章 はじめてのユニゾン】
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36:セラとの出会い1

前回のざっくりあらすじ:ニースは、皇国風呂の話を聞いた。


*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*

 食事を終えたニースとラチェットは、メグが話していた風呂について詳しく聞こうと、部屋へ戻る前に受付を訪ねた。受付には女将がおり、微笑みを浮かべ丁寧に答えた。


「そうですね。ちょうど今の時間なら、ほとんどお客さまが入られることはありません。みなさん、お食事やお酒を楽しまれますから。もう少し後の夜の時間や、朝は混みますね。昼は掃除のため使えません」

「わかりました。ありがとうございます」


 風呂に人の少ない時間帯を確認したニースとラチェットは、着替えを取りに部屋へ戻った。ニースの色が見られないように、人のいない時間に入ってしまおうという魂胆だ。

 布と石鹸、着替えを用意すると、二人は急いで風呂へ向かった。


「初めてだなあ。話には聞いてたけど、本当に入れるなんて思わなかった」


 ラチェットが珍しく目を輝かせて廊下を歩く。ニースも初めての風呂に、胸を高鳴らせた。


「どんな場所なのか、ぼくには想像もつきません。池が部屋にあるって、どんな感じなんでしょう? それに、池の水がお湯なんですよね」

「ニースは、温泉も入ったことがないんだね」

「温泉って山にあるお湯の泉ですよね」

「そう。それだよ」

「それなら、話には聞いたことあります。熊とか猿が好きだって聞きました」

「はは。なるほどね」


 風呂のある別棟二階には、「男」「女」とそれぞれ書かれた札のかかる扉が、二枚並んでいた。

 二人は「男」と書かれた扉をそっと開け、中の様子を窺った。中に人の気配はなく、まだ誰も風呂には入っていないようだった。


「こんばんは。……よし、大丈夫そうだな」


 ラチェットは声をかけて人がいないことを再度確認すると、ニースを連れて部屋へ入った。

 入り口の床は土間のようになっており、そこからさらに一段上がった場所に鍵のついた小さな扉が付いた棚が並んでいた。


「ここで靴を脱ぐんですか?」

「そうみたいだね。たぶんこれが靴箱なんだろう。聞いたことがあるよ」


 二人は靴を脱ぎ棚へ置くと、靴箱の鍵をかける。鍵の紐を手首に引っ掛け、並んだ靴箱の奥にある入り口から、そのまま奥の部屋へ向かった。

 奥の部屋には、横に長い棚がいくつも並んでいた。


「すごい……!」

「ここで服を脱ぐはずだ。籠とかはないみたいだね。脱いだ服は畳んで置いておこう」

「盗まれたりしないんですか?」

「たぶん大丈夫じゃないかな。男の服なんて、欲しがる人は滅多にいないだろうし。僕たちの服は、それほど高価なものでもないからね。まあ、もし盗まれても靴さえあれば部屋に戻れるから」


 ラチェットは、手首にかけている靴箱の鍵を、顔の横で小さく揺らした。ニースは納得して、服を脱いだ。

 二人は裸になると、石鹸と布を持ち、さらに部屋の奥にあるガラスの引き戸を開けた。


「おお、これは……!」

「広い……!」


 引き戸の向こう側には、タイル張りの部屋が広がっていた。大人が十人以上寝ながら入れそうな大きな浴槽に、温かな湯がなみなみと張られ、浴室内にはもうもうと湯気が漂う。二人は逸る気持ちを抑えながら、浴槽の片隅に置かれていた木桶を手に取った。


 浴槽から湯を汲み、ニースとラチェットは体の汚れを念入りに洗う。すっかり身を清めると、二人は緊張した面持ちでそっと湯に足をつけた。湯は少し熱いが入れないほどではなかった。


「ふわぁぁぁ……」

「なんだ……これは……!」


 浴槽へ肩まで浸かった二人は、感嘆の声をあげた。ニースは気の抜けた声を出し、顔をふにゃりと、とろけさせた。ラチェットは、曇ったメガネを度々手で拭きつつも、肌に触れる湯を楽しんだ。


「これは、毎日でも入りたいな」

「そうですねぇ……」


 時間も忘れて湯に浸かっていた二人だが、ラチェットの薄橙色の肌がだんだんと赤く染まっていった。


「ちょっと浸かり過ぎたかな。ニース、そろそろ行こう」


 ラチェットは、風呂を出ようと立ち上がる。しかしニースは、くたりとしたまま湯から出てこなかった。


「ニース。気に入ったのは分かるけど、あんまり入ってると、のぼせるよ。……ニース?」


 呼びかけに反応しないニースを見て、ラチェットは慌ててニースを抱き上げた。黒い肌で全く色が変わらなかったため、ラチェットは気づかなかったが、ニースはすっかりのぼせて目を回していた。


 ラチェットは、ぐったりしたニースを床に寝かせ、水がないか辺りを見回した。しかし、近くに水がありそうな場所は見当たらなかった。

 ラチェットは急いで着替えを済ませ、軽く拭いたニースの体に服を覆い被せると、そのままニースを抱きかかえて靴を履き、慌てて部屋へ運んだ。幸い、廊下で人とすれ違うことはなかった。



 ラチェットは部屋へ戻ると、ニースを自分のベッドへ寝かせた。ランタンに火を灯し、ラチェットは楽譜でニースの顔を扇いだ。


 ――早く水で冷やさないと。でも、このままニースを置いていって何かあったら……。裏の水場まで運ぶべきか?


 ラチェットがどうしたらいいかと悩んでいると、窓の外にロウソクの光が揺れ動いた。ラチェットは慌てて窓を開け、馬車置き場にいる人影に声をかけた。


「そこの君! すまないが、水を持ってきてくれないか! 連れが風呂で、のぼせてしまったんだ!」

「は、はい! すぐにお持ちします!」


 ラチェットの慌てた声に、人影は事情を察してくれたようで、すぐに宿の裏口へ消えた。ラチェットは今か今かと待ちながら、ニースに風を送り続けた。


 しばらくすると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「入ってくれ」

「し、失礼します!」


 裏返った声を出しながら扉を開けたのは、昼間ニースに驚いた車馬係の見習いだった。相変わらず、帽子の下から伸びる赤い前髪が長く、目は見えない。

 赤髪の子は部屋へ入ると、テーブルの上に水差しとコップ、木桶を置いた。ラチェットは礼を言いながら、楽譜を差し出した。


「すまないが、この子に風を送ってやってくれないか」

「かしこまりました!」


 子どもは快く引き受け、ニースに風を送り始めた。ラチェットはコップに水を入れ、ニースの上体を起こしてそっと口に含ませる。水を飲み込んだのを確認すると、再びニースを寝かせ、今度は布を水で濡らして腕や足へと被せた。


「んん……」

「ニース、気づいたか!」


 意識を取り戻したニースに、ラチェットは胸をなでおろした。赤髪の子は扇ぐのをやめ、ラチェットに楽譜を返した。


「良かったですね。たまにいるんです。お風呂で倒れて、そのまま亡くなっちゃうお客さま。……あ、すみません」


 漏れ聞こえた失言に、ラチェットがピクリと眉を動かすと、赤髪の子は慌てて頭を下げた。その様に、ラチェットは気まずさを感じて頬をかいた。


「いや、まあそうだろうから。助けてもらったのに、ごめんね」

「いえ! 本当にすみません。では、失礼します」


 部屋を去ろうとする子どもに、ラチェットは、はっとして声を上げた。


「ちょっと待って!」

「はい? まだ何か?」


 ラチェットは財布を取り出し、数枚の銀貨を子どもに握らせた。


「本当に助かった。君がいなかったら、危なかったかもしれない」


 赤髪の子は、握らされたのが銅貨ではなく銀貨である事に気が付き、慌てた様子でラチェットに返そうとした。


「いえ、お客さま! こ、こんなに頂けません!」

「いや、受け取ってくれ。これは、その……口止めの意味もあるんだ」

「こんなに頂かなくても、お風呂で倒れたことぐらい誰にも言いませんから!」


 ラチェットの言葉を聞いても、赤髪の子は頑なに銀貨を返そうとする。ラチェットは苦笑いを浮かべ、まだぼんやりしているニースをちらりと見て、口を開いた。


「君さ、この子を見て何か気づかない?」

「……へ? 何かって、何をですか?」


 ラチェットが何を言おうとしているのか全くわからない様子で、赤髪の子は首を傾げながら、ニースへ顔を向けた。

 徐々に意識がはっきりとしてきたニースは、ゆっくり起き上がった。


「すみません、ラチェットさん。ぼく、すっかりのぼせちゃって……。あれ?」


 ニースは、自分が裸のままで寝かせられていたことに気づいた。すると赤髪の子の頬が、髪の毛以上に、みるみる真っ赤に染まった。子どもは手で顔を覆い、後ろを向いた。


「お、お、お、お客さま! み、見えて……見えてますぅぅぅ!」


 ニースが起き上がった拍子に、体の上にかけていた服が外れ、下半身が露わになっていた。ニースは慌てて、毛布を掴んで潜り込んだ。


「ご、ごめんなさい……!」

「そんなに驚かなくても。男同士なんだから」


 ラチェットが呆れたように笑うと、赤髪の子はくるりと振り向き、声を上げた。


「私は、女の子ですっ!」

「え……」

「ですから! 私は女の子ですっ!」


 ぷぅと頬を膨らませた赤髪の少女に、ラチェットは固まった。ニースはあまりの恥ずかしさに、一気に身体が熱くなるのを感じ、再び目を回した。



 開け放たれた窓から、そよそよと涼しい夜風が入り込む。水を飲んで落ち着いたニースは、赤髪の少女に一度部屋の外へ出てもらい、服を着た。ニースがベッドへ座り直すと、ラチェットは扉の外へ声をかけた。


「もう入って大丈夫だよ」

「……失礼します」


 少女は扉を開けると、ぷぅと頬を膨らませたまま部屋へと入った。

 パタリと扉を閉め、そのまま立っている少女に、ラチェットは椅子を勧めた。少女は躊躇うように長い前髪をいじったが、ふぅと息を吐くと、再び頬を膨らませながら椅子へ腰掛けた。

 ニースは、少女の顔色を窺いながら口を開いた。


「あの、さっきはごめんなさい。それから、ありがとう」

「い、いえ、いいんです。私が怒ってるのは、その……」

「ああ、僕も悪かったよ。まさか女の子だとは思わなくて。すまなかった」

「……はい」


 ニースとラチェットが少女へ謝ると、少女は膨らませていた頬から空気を抜き、長い前髪をいじりながら、こくりと頷いた。ラチェットは、ほっと胸を撫で下ろし、少女に問いかけた。


「ええと、それで……。君、名前を教えてもらえる?」


 少女は、不思議そうに首を傾げながら答えた。


「私ですか? 私は、セラと言います」

「セラちゃんね、よろしく。僕はラチェットだ」

「ぼくはニースだよ」


 ラチェットとニースが笑いかけると、セラはそばかすのついた頬をほんのり赤く染めた。ラチェットは、穏やかに話を続けた。


「セラちゃんは、見たところニースと同じ……七歳ぐらいかな」

「そうです。今年の秋で、八歳になりますけど……」


 セラの返事に、ニースは微笑んだ。


「それなら、ぼくと同い年だね。ぼくももうすぐ誕生日が来れば、八歳になるんだ」

「ニースさまと同い年ですか」


 同い年と知ったニースとセラは、二人揃って嬉しそうに頬をゆるめた。ニースは、気恥ずかしく感じながらも、セラに尋ねた。


「ぼくのことは、ニースでいいよ。良かったら、友達になってほしいから……。ぼくもセラって呼んでいい?」


 問いかけられたセラは、許可を求めるようにラチェットに顔を向けた。ラチェットがにっこり微笑んで頷くと、セラは頬を染めてニースに頷いた。


「はい……違った。うん、わかった。よろしくね、ニース」


 ニースにとって、初めての異国の友人だ。先ほどの恥ずかしさはどこかへ吹き飛び、ニースの胸は、嬉しさでいっぱいになった。

 二人の笑顔を見ながら、ラチェットは、コホンと小さく咳払いをした。


「それでセラちゃん。君にお願いしたいことがあるんだ」

「さっきの……お風呂で倒れたことを内緒にって話ですよね」

「いや。僕のお願いしたいことは、セラちゃんが思っていることじゃないんだ」

「……と、言いますと?」


 不思議そうなセラに、ラチェットは眼鏡をくいと上げて、落ち着いた声で話した。


「セラちゃんは、ニースと友達になってくれたから、わざわざこんな事を頼まなくてもいい気もするけど……」


 ラチェットはニースをちらりと見て、再びセラへと視線を戻した。


「ニースのね、色のことなんだ」

「色ですか? 色って……あっ」

「そう。ニースは、()()()なんだ」


 ラチェットが何を言いたかったのかをようやく理解した……ように見えたセラだったが、再び首を傾げた。


「真っ黒だと、何か問題あるんですか?」

「……そうきたか」


 ラチェットは、がっくりと肩を落とし、丁寧にセラに説明を始めた。ニースは、ラチェットがセラに話すのを聞いて、小さく微笑んだ。


 ――セラは歌い手のことを知らないんだ。ぼくが“調子外れ”でも、きっと気にせず友達でいてくれる。


 ニースにとって、自分の珍しい黒が運ぶ問題よりも、新しい友達が出来た喜びの方が大きかった。頬を撫でるそよ風に、ニースは心地良さを感じて窓の外へ目を向けた。

 開け放たれた窓からは、優しい月明かりが光を落としていた。星の瞬く夜空には、二つの月が肩を並べて、ぽっかりと浮かんでいた。

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