35:ラメンタの町3
前回のざっくりあらすじ:車馬係見習いの子どもが、ニースの仮面に驚いた。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
山の端にかかり始めた夕日が、空を赤く染めていく。ニースとラチェットが、お喋りをしながら部屋で休んでいると、扉をノックする音が響いた。
「ニース、ラチェット、いる? そろそろご飯を食べに行かない?」
「ああ。今行くよ」
メグの声に、ラチェットは微笑みを浮かべた。部屋を出ると、待っていたのはメグだけだった。ラチェットが鍵を閉めるのを横目に、ニースは問いかけた。
「グスタフさんたちは一緒じゃないの?」
「お父さんたちなら、先に食堂に行ってるわ」
「そうなんだ。メグだけ呼びに来てくれたんだね。ありがとう」
微笑んだニースに、メグは嬉しげに笑った。
「いいのよ。可愛いニースのためなんだから」
笑い合う二人の間に、ラチェットが身を滑り込ませた。
「お待たせ。食堂に行こう」
「ええ」
メグは驚きながらも、軽やかな足取りで歩き出した。階段は、渡り廊下の手前にあった。「浴場はこちら」と書かれた看板を見て、メグは思い出したように笑みを浮かべた。
「お父さんたちが言ってたんだけどね。ここのお風呂って、すごく素敵らしいわよ」
キラキラと瞳を輝かせるメグの言葉に、ニースは首を傾げた。
「素敵なお風呂? お風呂って、お湯を浴びるだけじゃないの?」
この星の多くの国では、湯に浸かる習慣はない。天然の温泉や川があれば沐浴を行うが、普段は、お湯を絞った布で身体を拭き清める。洗髪も週に一度、庭で行う程度だ。
湯を浴びると聞いて、ラチェットが不思議そうに声を挟んだ。
「ニースの家には、シャワーがあったのかい?」
「シャワーって何ですか?」
「あー。そうか。やっぱりないよね。大雨とか滝みたいにお湯が流れてくる発掘品なんだけど」
ラチェットの言葉に、ニースは、はっとして苦笑いを浮かべた。
「えっと……。それなら、昔の家では使ってました。おじいちゃんの家にはありませんけど」
貴族や裕福な商人の屋敷では、古代文明の発掘品を使い、温かな湯を流しながら身体を洗うこともある。ニースも伯爵家にいた頃は、そうして風呂に入っていた。
ラチェットは、ばつが悪そうに頬をかき、話を変えた。
「ごめんね。そういえば、王国には風呂屋があったよね。そこには行ったことはあるのかい?」
「いえ、ぼくはありません」
川のある王国の町には、川沿いに庶民向けの風呂屋がある。板張りの小さな小屋で、沸かした湯を浴びて身を清めるのだ。
浴びる程の湯を用意するには、水を用意するのも沸かすのも一苦労だ。その上、流した湯の行き場にも困る。水道のあるクフロトラブラでも、風呂屋は川のそばに建てられていた。
メグが顔を赤くして、ラチェットの脇腹を小突いた。
「ラチェット、何言ってるのよ! ニースにそんなこと聞かないの!」
「そんなことって……」
ラチェットは困惑した後に、はっとして頬を染めた。
「メグ。僕は、そっちのことを聞いてるんじゃないよ」
「え? 違うの?」
「違うよ。僕が聞いたのは、川にある方」
川のない町でも大きな町の酒場では、沸かした湯で身体を洗えるサービスを行う店もある。しかしそこは男性が足繁く通う場であり、身寄りのない若い女性たちが生活の糧を得るための場所だった。
ラチェットの言葉に、メグは耳まで真っ赤になりながら、咳払いをした。
「そ、そうよね。そんなこと、聞かないわよね!」
微妙な距離感を保つ二人に、ニースは首を傾げた。
「ねえ、メグ。メグは何の話をしてるの? 聞いちゃいけないお風呂って何?」
「な、何でもないわよ! それより、ここのお風呂よ!」
メグは強引に話を変えて、皇国の風呂について話し出した。
「皇国ではね、浴槽っていうお湯の池に入って、身体を温めるらしいのよ」
世界八ヶ国の中で、異色の風呂文化を持つのがスピリトーゾ皇国だ。皇国では、アクリ村のような小さな村にはないものの、ほぼ全ての町や村に、大衆浴場と言われる風呂屋があった。
男女別に分けられた浴室には、大きな浴槽があり、火石を使って温められたお湯がふんだんに張られている。人々は身を清めると、湯に浸かって身体を温めるのだ。
「皇国人は、みんなこのお風呂が大好きらしいわ。町の浴場には、最低でも週に一回は必ず行くんですって」
「そんなに⁉︎」
メグの話に、ニースは信じられない思いで、ぽかんと口を開けた。メグは、自信たっぷりに頷いた。
「ええ、そうらしいわ。貴族の屋敷には、専用の浴室もあるんですって。だから宿屋にも、必ずお風呂があるそうよ。ここのお風呂は、その中でもすごく立派だって、お父さんたちが話してたのよ」
ラチェットが、興味深げに眼鏡をくいとあげた。
「へぇ。皇国人が湯に浸かるっていうのは、聞いたことがあったけど、そこまで人気なんだね。ニース、後で一緒に行ってみる?」
「はい。ぼくも入ってみたいです! ラチェットさん、よろしくお願いします」
三人は風呂を楽しみにしながら、食堂への専用扉を開き外へ出た。扉はちょうど渡り廊下の真下にあり、確かに雨に濡れずに通れると、ニースは感心した。
夕暮れ色に染まった町には、街灯がほんのりと淡い橙色を放っていた。
天井から吊り下がるシャンデリアが、店内を明るく照らす。食堂へ入ったニースたちに、グスタフが声をかけた。
「メグ、こっちだ」
グスタフたちは、壁際の大きなテーブル席に座っていた。ニースのために確保された席は、店の角に当たるため、仮面を外しても顔を見られずに食事が出来そうだった。
食堂は、夜は酒場に変わる。ニースは初めて見る大人の店に、興味津々で見回した。
「なんていうか、すごくオシャレな感じがしますね」
食堂の天井は少し高めで、通り沿いの壁にはガラス張りの大な窓があった。酒瓶の並ぶ壁際には、カウンター席もある。大通りから窓越しによく見える、奥の壁の前にはステージとピアノが置かれていた。
ニースの声に、ラチェットが微笑んだ。
「そうだね。この店はなかなか雰囲気が良いと思うよ」
三人が席に着くと、早速給仕が注文を取りに来た。ラメンタの町の周りがトウモロコシ畑になっていただけあり、食堂のメニューにはトウモロコシを使った料理が多かった。
ニースが聞いたことのない料理の数々を、グスタフたちは注文していく。しばらく経つと、大きな皿にさまざまな料理が乗せられ運ばれてきた。
「うわぁ、すごいですね! こんなに綺麗なんだ!」
皿に盛られた料理は、様々な食材が使われており、彩溢れるものだった。
歓声を上げたニースに、ジーナが笑った。
「綺麗なだけじゃないのよー。味だっていいんだからー」
皿を並べる給仕が、嬉しげに微笑んだ。
「ラメンタの周りには、村がたくさんあるんです。そこから、色んな野菜や肉、魚も来るんですよ。ですから、どれも素材は新鮮なんです。いい香りでしょう?」
「はい。すごく良い匂いがします」
「どれも店長の自信作ですから。楽しんでいってください」
「はい! ありがとうございます!」
ニースは、期待に胸を膨らませる。全ての皿が並び、給仕が下がったところで、一座は一斉に食前の挨拶をした。
仮面を外したニースは、テーブルいっぱいに並ぶ美味しそうな料理に、目移りしながら手を伸ばした。
「これ、トウモロコシは入ってないですけど、辛くて美味しいですね」
ニースが口にしたのは、様々な具材を挟んだ薄いパンのような料理だ。ラチェットがちらりと見て、微笑んだ。
「ああ。タコスだね。そのパンが、トウモロコシで出来てるんだよ」
「え! このパンがトウモロコシなんですか⁉︎」
「そうだよ。トルティーヤっていうパンなんだ。中に挟んである具が色々違うから、他のも食べてみるといいよ」
ニースは瞳を輝かせて、次々と手を伸ばした。色とりどりの夏野菜と鶏肉、辛味のあるソース、茹でた豆や卵を包んだものなど、どれを食べても違った味わいで、どれもが美味しかった。
幸せそうに食べるニースに、マルコムが焼いたトウモロコシを差し出した。
「こっちも食ってみろ。うまいぞ」
「すごく香ばしい匂いがしますけど、何の匂いですか?」
「こいつは、醤油っていうタレだ。ラチェットが生まれた国の方で作ってるタレなんだよ」
「ラチェットさんの……。食べてみます!」
ニースは、タレを付けて焼いたトウモロコシに、がぶりとかぶりついた。えも言われぬ芳醇な旨味が口の中に広がり、ニースは頬を緩めた。
「すごく美味しいです! ショーユって、どうやって作ってるんだろう?」
首を傾げたニースに、ラチェットが嬉しげに答えた。
「醤油は豆から出来てるんだよ。まさかここで食べれるなんて、思わなかった」
メグが、焼きトウモロコシの粒をナイフで切り落としながら、ふふふと笑った。
「ラチェットの国は、南のバトス大陸にあるのよ。よくここまでタレを運んできたわよね」
「醤油は保存が効くからね。値は張ると思うけど、皇都では売られてるんじゃないかな。ここの店長さんは、料理の研究に余念がないんだろうね」
楽しげなメグとラチェットの会話に、ニースは耳を傾けながら食事を続けた。
トウモロコシの粒をまとめて揚げたものや、潰してスープにしたもの、若いトウモロコシのサラダなど、一行は心ゆくまで食事を楽しんだ。
お腹も心も幸せで満たされた一座は、氷で冷やしたトウモロコシ茶でお腹を休ませつつ、今後の滞在について話し合った。
「この町には、一週間ぐらいいようと思う。長い山脈越えで、私たちも馬も疲れたからな。本当はもう少し長くいたい所だが、先を急ぐ理由もある。少し休んだら、先へ進もう」
グスタフの言葉に一同が頷いた。続いてマルコムが口を開いた。
「この町には、この宿屋のように大きな酒場や食堂がいくつもあるんだ。滞在中は、そこで興行しようと思う」
「じゃあ、オルガンは使わなくて良さそうですね」
ラチェットの言葉に、ジーナが頷いた。
「そうねー。ピアノが置いてあるところが多いし、ピアノがないところはメグちゃんが踊るだけで精一杯の広さかもー」
メグはグラスの水滴を、指でなぞった。
「私が踊るだけで精一杯なら、マルコムの手品も大掛かりなものは出来ないわね」
「そうだな。今回の手品は、鳥やコイン、トランプを使ったものをメインにするしかないか。あとは、ニースの歌が目玉になるな」
マルコムは、ニヤリとした笑みをニースに向けた。
「ニースの歌は、舞台の広さは関係ない。目新しさもあるからな。こんなにいい演目はない」
「でも、ニースくんの顔が見られたらマズイからー。メグちゃんの服を着るのはどーお?」
ジーナがここぞとばかりにニースに迫るので、マルコムは慌てて言葉を続けた。
「いや、ジーナ、それよりもっといい案があるんだ」
ニースは、ジーナの手でかけられたマジックを思い出し、ぷるりと震えた。
「ぼく、何をさせられるんですか……?」
マルコムは、はははと笑った。
「そんなに心配しなくて大丈夫だ。仮面を被って歌うだけだから」
「仮面をかぶったままですか?」
全く想像もしていなかったマルコムの言葉に、ニースは安堵すると同時に首を傾げた。ニースの代わりに、メグが疑問の声をあげた。
「でもそれじゃ、声がこもるんじゃないの? お客様に聞こえなかったら、意味がないと思うわ」
「いや。実はちゃんと、歌える仮面を用意してあるんだ」
マルコムは胸を張り自信満々に言うと、懐から新しい仮面を取り出した。
新しい仮面は、先ほどまでニースがかぶっていた仮面の上半分のみのような形をしており、美しい彩色が施されていた。
夜空の濃い藍色のように塗られた仮面には、キラキラと星の瞬きのように銀箔が散りばめられ、細やかな彫りと合わさり美しかった。
「すごく綺麗ね」
「いつの間に作ってたんだ」
感嘆の声を漏らしたメグたちに、マルコムは嬉しげに話を続けた。
「これは鼻の上に被せるようにつけて、瞳の色と目元を隠す面だ。これなら、舞台で着けても遜色ないだろう。口元は、今付けているそのストールで隠せばいい」
「こんな感じですか?」
ニースは、首に巻いているストールを、鼻の頭あたりまでふわりと巻き直した。
「そう。そんな感じだ。服は、新しい舞台用のローブを用意しよう。手には今みたいに手袋をはめたまま歌えばいいだろう」
「なるほどね。この前お母さんがニースに着せたのも、そんな感じだったものね。何も私の服を着せなきゃならない理由なんてなかったんだわ」
メグがマルコムの言葉に賛同すると、ジーナは納得いかないと眉を吊り上げ、マルコムの肩を掴んだ。
「でもマルコムー。頭はどうするのー? 髪はー?」
「そ、それは帽子とフードでいいだろう。神秘的な感じになって、かえって人気も出ると思う」
マルコムは、ガタガタとジーナに肩を揺すられたが、ニースを売り渡すことはなかった。その様子に、グスタフが愉快げに笑った。
「ジーナ、残念だったな。だがジーナなら、ニースに似合う神秘的なローブを、きっと素晴らしく仕上げられると私は思うよ」
「まー! グスタフったらー! 私、がんばっちゃうわー!」
頼れる一座の座長として、フォローに入ったグスタフは、照れるジーナに背中を叩かれ沈没した。
解放されたマルコムは、さっそく公演場所の確保へ出かけた。意欲を燃やすジーナは、ローブ作成のため張り切って部屋へ戻った。
倒れ伏したグスタフをメグに任せて、ニースとラチェットは先に部屋へ戻ることにした。町には夜の帳がすっかり下りて、涼やかな夜風が吹いていた。




