33:ラメンタの町1
前回のざっくりあらすじ:アクリ村で、商人のパトリックにニースの姿を見られた。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
緑生い茂る森の中を、一座の馬車が走る。アクリ村を出た一行は、ラース山脈に別れを告げて、街道を進んでいった。
標高が下がるにつれて広くなった道には、からりとした風が吹く。木々の合間から射し込む日差しは強いものの、馬たちは気持ち良さそうだった。
前を行くのは、グスタフが手綱を握るハリカと書かれた箱馬車だ。客車に揺られながら、突き出し窓を軽く開けたメグは、入り込む風に嬉しげに声を上げた。
「んー、気持ちいい! ようやくニースとお喋りしながら旅が出来るし。最高ね!」
「そうだね……」
箱馬車には、オルガンの見張り役から解放されたニースが、メグ、ジーナと共に乗っていた。キラキラと瞳を輝かせるメグに、ニースはこくりと頷くも、どこか浮かない顔をしていた。
ジーナが、のんびりした声でニースに問いかけた。
「ニースくん、どうかしたのー?」
「はい……。実はちょっと、相談したい事があって……」
ニースはジーナとメグに、アクリ村で自分の色が目立ってしまった事を話した。話を聞いたメグは、なるほどと頷いた。
「大きな町に着いたら、確かにもっと目立ちそうね」
「そういうことなら、ちょっと張り切っちゃおうかしらー。うふふふ……」
メグの隣で、ジーナは怪しげな笑みを浮かべ、長椅子の下から衣装箱を取り出した。ジーナが箱の中身を物色するのを、メグは頬を小さく引きつらせて見つめた。
「ニース。覚悟しておいた方がいいかも……」
「……覚悟?」
メグの囁きをニースは理解出来なかったが、最初にジーナに相談してしまったことを、すぐに悔いる事になった。
ガタゴトと揺れるグスタフの馬車の中。困惑した顔色を浮かべ、恥ずかしそうに立ったニースを見て、ジーナが喜び、声を上げた。
「あらー、似合うー!」
「……確かに、思ったより悪くないわね」
満足気に微笑むジーナの隣で、メグは少し納得いかない顔をしていた。
ニースはジーナに、小さな頃のメグの衣装を着せられていた。
レースの刺繍が施された長袖ブラウスに、ひらひらしたフリルの着いたスカート。スカートの下からは、白いタイツとドロワーズが覗く。
胸元にはリボンを結び、頭には金髪のカツラと可愛らしい、つば広帽子。足には丈の長いレースアップブーツ、手には白い絹手袋という出で立ちだ。
さらに首回りには、口元を隠すように薄手のストールをふんわりと巻き、顔に大きめのサングラスをかけるという、変装に一切の手抜きのない、職人技が鋭く光る装いだった。
しかしニースは、二人に褒められても全く嬉しくなかった。
「あの、確かにこれなら全然わからないと思いますけど、なんで女の子の格好になるんですか?」
ニースは言い辛そうに、しかしはっきりとジーナに意見を述べた。ジーナは、しっかりとニースの顔を見て真剣に頷いた。
「そーんなの、決まってるじゃなーい。可愛いからよー」
にっこりと笑顔を浮かべたジーナの目は、笑っているが有無を言わせない強い意思が宿っていた。その隣で、メグは顎に手を当てて俯き、ぶつぶつ呟いていた。
「私が着ていた時より、可愛いのは何でなの? ニースの顔も体も、ちっとも見えていないのに、可愛く見えるなんておかしいわ……」
二人の顔をニースは交互に見たが、どうにも助けてもらえないと悟った。ニースは助けを求めるべく、御者台と繋がる小窓を開いた。
「グスタフさん、ぼくどうしたら……」
「ん? 何かあったのか?」
一瞬だけ、ちらりとニースに目を向けたグスタフは、二度見して大きく噴き出し、大声で笑い出した。あまりに笑うので、手綱の操作を誤らないか、ニースが心配になるほどだった。
ニースは、グスタフにも助けてもらえないと悟り、肩を落として椅子に座った。ジーナはニコニコと笑顔を崩さず、メグはまだぶつぶつ言っていた。その後、ラチェットに助けられるまで、ニースは着替える事を許されなかった。
街道沿いに広がる湖に、キラキラと陽光が煌めく。ニースを乗せた一座の馬車は、数日かけて森を抜けた。
爽やかな風がふわりと吹いて、湖面を揺らす。オルガン馬車の御者台に座るラチェットは、頬を撫でる風に笑みを浮かべ、小窓から荷台へと声をかけた。
「ニース。町が見えてきたよ」
ニースは、女装から助け出してくれたラチェットのそばから、離れないようにしていた。マルコムとラチェットが座る御者台には、ニースの座る隙間はない。今のニースは、自ら率先して荷台に乗り込んでいた。
オルガン馬車の中は、御者台と繋ぐ小窓しかない閉じられた空間だ。しかし不思議と、夏の暑さを感じる事はない。ジーナやメグに決して手出しされない、安心快適な馬車の旅を、ニースは手に入れていた。
ニースは小窓から顔を出し、わぁと歓声を上げた。
「本当だ! すごく立派な町ですね!」
湖の対岸には小高い丘があり、丘の上には頑丈そうな石造りの壁に四方を囲まれた、大きな町があった。町の中心には高い物見塔があり、町のそばの湖には、数艘の手漕ぎ船と小型の帆船が浮かんでいた。
手綱を握るマルコムが、ふっと笑った。
「ああ。この辺り一帯で、一番大きい町だからな」
「なんていう町なんですか?」
「ラメンタだよ。トウモロコシが有名なんだ」
丘の上にある町は、ラメンタという町だった。ラメンタは、スピリトーゾ皇国の北西部にある大きな町であり、アクリ村から最も近い町だ。
湖の畔を沿うように、道はラメンタへと続く。丘の斜面には広大なトウモロコシ畑があり、一座の馬車は揺れる緑の間を進んでいった。
町が徐々に近づいてくると、ラチェットはニースに振り向いた。
「ニース、もうすぐ市門だから。準備しておいてね」
ニースは、こくりと頷き、鞄から身分証入れを取り出した。
この星の多くの国では、町に入る時は荷物を改められる。皇国は比較的治安のいい国だが、街道には山賊や盗賊も時に現れる。不届き者を町へ入れないために、荷物に盗品が紛れていないか確かめ、身分証を改められるのだ。
身分証は、手のひら大の長方形の羊皮紙で出来ている。持ち歩く際は、身分証を丸めて紐で縛る者もいるが、多くの旅人は「身分証入れ」と呼ばれる、木製の小さな入れ物を使っていた。
身分証入れは、身分証を薄い木枠に入れ、滑らかな薄い木板で本のように挟み、固定してあるものだ。検問の際は、本のページを開くように、見せればいい。羊皮紙単体でも耐久性はあるが、片手ですぐ見せる事ができ、紛失防止にもなるため、身分証入れは旅人たちに人気の品だった。
ニースは身分証入れをめくり、うーんと唸った。
「ぼく、どっちを出せばいいんでしょう?」
ニースの身分証入れには、二種類の身分証が挟まっていた。一つは、伯爵領を出る際に伯爵が発行した、リンドの養子としての出生証。もう一つは、クフロトラブラを出る際に、王国の名前で町長が発行した出身国証だ。
首を傾げるニースに、ラチェットは微笑んだ。
「ニースは、出身国証だけ出せば大丈夫だよ」
「分かりました」
出生証と出身国証は、どちらも身分を明らかにするに足る証明書だが、出身国証の方が各国での信頼性は高かった。
ニースは頷き、出身国証を表に出すと、ローブを着込んでフードを下ろした。首にはストールを巻いて、白い手袋もはめると、ニースは丸っぽい木製の品に手を伸ばした。
市門の前に、ゆっくり馬車が止まる。荷物を改めるために、ラチェットがオルガン馬車を開くと、門兵たちが驚きの声を上げた。
「うわ、びっくりした!」
「ひっ! 子ども⁉︎」
オルガン馬車の開き方に驚いたのはもちろんだが、屈強な門兵たちが思わず声を上げてしまったのは、ニースが中にいたからだった。
夏だというのに厚着をしたニースの顔には、仮面がつけられていた。髪も目も肌も、ニースの黒は見事に覆い隠されていた。
仮面は、マルコム渾身の作だ。中から外が見えつつも、外からは瞳の色を見れないように、目元の作りにこだわって作られている。
美しい滑らかな肌のような木目に、妙に手の込んだ細やかな彫りが施され、まるで本物の人の顔のような模様が、仮面の怪しさを引き立てていた。
ニースは仮面をかぶった顔を門兵に向けると、身分証を見せた。
「ぼく、怪しい者じゃありません。ただちょっと、顔を見せちゃうとびっくりされちゃうから……」
「……あ、ああ、わかった。出身国証はちゃんとしてるし、仮面は取らなくていいよ」
治安の比較的良いスピリトーゾ皇国だが、南にある隣国はつい最近まで戦時下にあった。戦争で顔に傷を負い、見るに堪えない姿となる者もいるため、顔を隠す者も珍しくなかった。
ニースは、自分の黒い容姿に気づかれることなくやり過ごせた事に、心からホッとした。
積荷の確認が終わると、マルコムが数枚の銀貨を兵士に渡した。
「俺とあっちの二人は納税証を持ってる。これは若い奴ら三人分だ。確認してくれ」
「確かに、三人分だな。変なものはないし、入町税もよしと」
大きな町では、旅人相手に入町税を支払う義務を課している。旅人は決まった住居を持たないため、行政が税金の支払いを求める事が難しい。そのため、宿屋では宿代の他に滞在税を。町へ入る際には入町税を徴収するのが一般的だった。
滞在税は、滞在日数に応じて支払い、宿屋が宿泊台帳と共に行政へ納める。しかし入町税は門をくぐる際に一度きりだ。一度訪れた事のある町なら、納税証を検問で見せれば、入町税を支払う必要はなくなる。
旅人へのこういった徴税方法は、金額は違えど各国でほぼ同じ形で行われていた。
兵士は何やら帳面に書き付けると、三枚の紙をマルコムに渡した。
「これが納税証だ。後は通っていいぞ」
「ありがとう」
マルコムは納税証を受け取ると、そのうちの二枚をラチェットに渡した。
「ラチェット。ニースに渡してやってくれ。俺はお嬢に渡してくる」
「分かりました」
ラチェットは、ニースに納税証を手渡した。
「身分証入れに、忘れずに挟んでおいてね」
「ありがとうございます」
ニースは納税証を受け取ると、身分証入れに挟んだ。これで、次にまたラメンタへ来ることがあっても、身分証を見せると同時に納税証を見せればいいのだ。
ようやく検問が終わり、ニースが再びオルガン馬車の中に乗り込むと、ラチェットが丁寧に開口部を閉めた。一行の馬車は門をくぐり、ラメンタの町へと入った。
ガタゴトと石畳の道を馬車は進む。石造りと煉瓦造りの建屋が入り混じって並ぶ通りは、大型のオルガン馬車が楽にすれ違えるほど広かった。
ラメンタの町は、かつて砦として使われていたようで、道はジグザグと曲がりくねる。道の端には何本も街灯が立っており、ニースは仮面を付けたまま歓声を上げた。
「すごい! 街灯があんなにいっぱい!」
街灯は、雷石を使って光る明かりであり、古代文明の発掘品だ。発掘されるのは大抵、照明部分のみで、歌石に込める力の大きさで、光の輝度や色合いが変えられる代物だった。
照明部分は楕円形の大きなガラスで出来ており、底部に歌石と雷石を入れる金属のようなものがついている。大きなガラスの中心部に、小さなガラス玉が何個も並んでおり、そのガラス玉が発光する仕組みだ。
この照明部分に、人々は装飾や台座を新たにつけて使用していた。
ラメンタの町の街灯は、一本一本の間隔は広いものの、動く馬車の視界から消える事がないほど、大量に並んでいた。まだ日が高いため、どんな色合いの光が灯るのかは見て取れないが、細長い青銅の柱に乗る街灯の装飾は、可愛らしいものだった。
ニースは仮面越しに目を凝らし、飽きずに見続けた。
「綺麗だなぁ。ぼく、こんなにたくさん見るの、初めてです」
ニースのはしゃぎ声に、マルコムが朗らかに笑った。
「王国だと、王都ぐらいにしかないからな。遺跡自体、王国は少ないが、皇国には結構ある。だから発掘品の数も多いんだよ。あと、昔戦争で他所から持ってきたってのも大きいかもな。皇国の大きな町は、どこもこんなもんだ」
アマービレ王国では、王都にはラメンタと同じ街灯が設置されていたが、ほかの町では滅多に見ることが出来なかった。
ニースが生まれた伯爵家の敷地には、小さな街灯が僅かにあった。しかし、町の中に街灯はなく、人々はロウソクやランタンなどの灯りを手に持って、夜の町を行き来していた。
ニースが伯爵領を出た旅の最中には、王都を避けて旅をしていたため、たくさんの街灯を見るのはこれが初めてだった。
マルコムの話に、ラチェットが呟いた。
「でもこれだけ数が多いと、歌い手の確保が大変ですよね。どこの国でも苦労してるとは思いますが」
「ああ。苦労してるんじゃないかな。皇国には、歌い手の学校はなかったはずだ。俺が昔来た時には、歌い手確保の方法なんかも、まだ法整備されてなかったと思ったなぁ」
マルコムの話を聞き、ラチェットはニースに、言い聞かせるように話した。
「それなら、ニースはなおのこと気をつけた方が良さそうだね。ニースの色の意味を知る人は、皇国には多いはずだ。歌い手だと誤解されると、色々面倒になると思う。仮面を付けててよかったかも」
ニースは、ラチェットが何を心配しているのか理解し、頷いた。
――また昔みたいになるのは、ぼくも嫌だし、何よりみんなに迷惑かけちゃう……。
ニースは気を引き締めて、仮面のズレを直した。
「ぼく、気をつけます」
二台の馬車は、ゆっくり道を進み、いくつも宿屋を通り過ぎていく。前を行くグスタフには、何やらお目当ての宿があるようで、曲がりくねった大通りをどんどん進んで行った。
ようやく馬車が止まる頃には、太陽は傾き、街灯は少しずつ影の長さを伸ばし始めていた。




