32:花の村アクリ2
前回のざっくりあらすじ:スピリトーゾ皇国のアクリ村で、ニースたちは村長宅に泊まった。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
晴れ渡る青空に、白い雲が浮かぶ。グスタフたちが準備に勤しむ中。ニースは村内を、のんびり散歩した。
ニースに出来ることは歌うことだ。ニースは、山脈越えの旅の中で、ラチェットに新しい歌をもう一曲作ってもらっていた。馬車に揺られながら練習をしていたので、あとはラチェットたちと合わせるだけだった。
ニースは発声練習の代わりに鼻歌を歌いながら、村の景色を眺めた。
――のどかで気持ちいいな。違う国って感じは、あんまりしないなぁ。
ラース山脈を背にしたアクリ村に、ニースはクフロトラブラと同じような心地良さを感じた。規模の小さい村だが、農作が盛んなため畑は広く、一軒一軒は離れて建っている。坂の多い小さな道は、歩きがいのあるものだった。
緑溢れる村の道を、影のように黒いニースが跳ねて歩く。柔らかな風は暖かく、ローブを脱いだニースの足取りは軽やかだ。
楽しげなニースの姿に、アクリ村の人々が興味深げに声をかけた。
「おはよう。昨日の馬車の子かい?」
「おはようございます。そうですよ。旅芸人なんです」
「へえ。芸をやるのかい」
「はい。今日この後、広場で公演をやるので、ぜひ観に来てください」
「それは楽しみだ。必ず行くよ」
村人たちは誰もが穏やかだった。しかしニースに声をかけた村人たちは、一様に同じ質問を口にした。
「あんたは、どこの国の生まれなんだい?」
「山脈の向こうの、アマービレ王国ですよ」
「そうなのかい。王国人は、綺麗な黒い色をしてるんだねぇ」
村人たちの言葉は、二心のない純粋なものだ。村以外の事を知らない人々の言葉に、ニースは、にこやかに応じた。
「違いますよ。僕はちょっとだけ、珍しいんです」
「そうなのかい? そういや、たまに来るアントニーたちは黒くないね」
「はい。王国の人たちも、皆さんと変わりないですよ」
「そうかい。あんたは珍しいから、旅芸人になったのかい?」
「そうです」
「なるほどねぇ。どんな芸をするのか楽しみだ」
ニースは、にこにこと笑う村人たちと会話を楽しみながら歩いた。しかし、あまりに同じ質問をされるので、ニースは徐々に不安を感じ始めた。
――ぼく、そんなに目立つのかなぁ……。
クフロトラブラでは、ニースはマーサたちにずっと守られていた。そのため、ニースの黒い容姿を気にかける人間はいなかった。
三年前にマシューと旅した際の変装は、アレクサンドロフ家の三男の生存を隠すためというのが理由だった。ニースはこれまで、自分の黒い容姿が目立つということを、あまり意識していなかった。
――すっかり忘れてたけど。そういえば黒って、歌い手だけなんだよね。
アクリ村の人々は、幸い歌い手とは無縁なため、ニースの黒の意味を知らない。だが、大きな町へ行けばそうもいかないだろうと、ニースは気付いた。
――大きい町に行ったら、ぼくが天の導きだって思う人もいるよね……。
アマービレ王国だけでなく、スピリトーゾ皇国でも、肌の色での偏見や差別はない。しかし、天の導きだけは別だというのは、王国も皇国も同じだ。ニースの姿に気付けば、貴族や商人は必ず声をかけるだろう。
ニースは、天の導きの希少性と、かけられる期待の大きさを思い出し、胸の痛みを感じた。
――みんなぼくに、歌の力があるって思うはずだ。……父さまのように。
歌の力を求められれば、“調子外れ”であることを明かさねばならない。そうなれば、実父ゲオルグのように態度を豹変させる者が現れるかもしれないと、ニースは不安を感じていた。
――この村の人は何も知らないから良いけど。ここから先は、昔みたいに変装した方がいいのかなぁ……。あとでみんなに相談してみよう。
ニースは考えながら、開演まで散歩を続けた。穏やかな日差しが、ニースを励ますように、優しく照らしていた。
太陽が燦々と輝き、爽やかな風が吹く。村人全員が集まった広場で、一座の公演が始まった。
「アクリ村のみなさま。お待たせいたしました。旅の一座ハリカの公演の始まりです! どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
グスタフの口上に続き、ラチェットのオルガンとグスタフのバイオリン演奏が始まった。村に咲き乱れる花々のような美しい音色に、村人たちは顔をほころばせる。
ニースにとって、知らない土地での初めての舞台だ。緊張を感じていたニースは、人々の笑顔を見て胸が熱くなるのを感じた。
――みんなすごく楽しそう。ラチェットさんの新しい曲も、きっと喜んでもらえる。ぼくもがんばらなきゃ。
二人の演奏が終わると、ニースは新しい歌を、ラチェットのオカリナと合わせて歌った。
澄んだニースの歌声が、広場に響く。村を見守る雄大な山々のような、胸に迫る印象的な旋律は、心の奥底から勇気が湧いてくるようだった。
村人たちは、感動に浸りながら、大きな拍手を送った。
――良かった。楽しんでもらえた……!
ニースは、やりきった充足感を感じ、笑顔でお辞儀をした。
続いて始まるオルガンとバイオリン演奏に、マルコムが太鼓で加わると、リズムに合わせてメグが踊りだした。
軽快な旋律に乗るメグの踊りは、これから訪れる夏の輝かしい太陽のようで、村人たちは自然と体を揺らした。
最後はクフロトラブラでのお別れパーティのように、一座全員の演奏で村の若者たちが踊った。さすがにジーナも懲りたようで、今回は踊らないよう気をつけた。
村人たちは、初めての体験となった公演を心から楽しんだ。熱気と興奮が最高潮となる中で、一座の公演は幕を下ろした。
楽しげに笑いながら、村人たちが家や仕事へ戻っていく。昼前には村を出ようと、片付けを始めた一行に、村長が声をかけた。
「みなさん、本当にありがとうございました。おかげさまで、村が活気付きました」
「お役に立てて何よりですよ、村長」
村長夫人が嬉しげな笑みを浮かべ、昼食の包みを渡した。
「良ければ、これをお持ちくださいな」
「これはこれは。何から何まで有難い」
「皆さんの演奏の素晴らしさに比べたら、これでは足りませんよ」
朗らかな村長夫妻に、ニースたちは感謝の言葉と別れの言葉を述べ、出発の準備へ戻った。
グスタフは、出発準備をマルコムたちに任せ、広場の片隅で村長と最後の話を続けた。そこへ、初老の男が近づいてきた。
村人とは思えない豪奢な服を着たふくよかな老人は、グスタフに近づくと、声を……かけなかった。代わりに、老人の後ろから簡素な服を着た青年が現れ、グスタフに声をかけた。
「すみません。こちらの一座の代表の方でいらっしゃいますか?」
グスタフは、声に気がつき振り返った。
「ええ。私が座長のグスタフですが、あなたは?」
グスタフが答えると、青年は老人に軽く目を合わせ、老人の頷きを確認してから、話を続けた。
「私は、こちらのパトリック商会会長パトリック様にお仕えしております、ロビンと申します」
ロビンと名乗った青年の後ろにいる老人、パトリックを、グスタフはまじまじと見つめた。
――商会の会長か。ずいぶん趣味が悪いな。
大きなお腹をすっぽりと覆う、質の良さが窺えるジャケットに、折り目のついたズボン。シャツは白く滑らかで、太い首回りの襟元にはループタイを巻いている。一見するとパトリックの服は、商人らしい清潔感の漂うものだ。
しかし袖口からは、金の腕輪が覗き、むっちりとした薄橙色の指にはいくつも太い指輪があった。白髪頭には山高帽を被り、握っている杖は細やかな鷲の装飾があるものだ。
やり過ぎなほど華美なその姿から、パトリックがただの商人ではない事は、一目瞭然だった。
憮然とした顔つきのパトリックの代わりに、ロビンは淡々と言葉を継いだ。
「我が主人が、貴方様とお話ししたいと仰せです。少しよろしいでしょうか」
「え……ええ」
ロビンの話に、グスタフは引きつった笑みを浮かべた。
――貴族の真似事をするぐらい、儲けているわけか。
旅芸人は、貴族に呼ばれて余興を演じる事もあるが、その地位は低いものだ。鼻持ちならない貴族どもは、下賎の者と直接話すのを嫌がり、小間使いを通す事も珍しくない。こういった扱いを受ける事も、グスタフは何度も経験しており、慣れていた。
しかしロビンの話では、パトリックは貴族ではなく、ただの商人だ。どれだけ大手の商会主なのか、グスタフにはわからなかったが、商人にそのような扱いをされる謂れは、グスタフにはなかった。
――こいつは少し、分からせてやらないといけないか。
グスタフは不快感を滲ませ、口を開こうとした。だが村長が声を挟み、グスタフは言葉を継げなかった。
「これはこれは、パトリック様。お迎えにあがらず申し訳ありません」
面識があるような村長の話しぶりに、グスタフは成り行きを見守る事にした。パトリックは、やけに甲高いダミ声で、嫌味たっぷりに答えた。
「やあ、村長。ずいぶん大きな催しをしたようだな。村人が家にも畑にも一人もいないとは」
「申し訳ありません。村の者たちに少しでも楽しみを与えたかったものでして……」
「ふん、そうかね。まあ、我輩が先触れもなく急に来たから、仕方ないのであろうがな」
「お許しいただき感謝いたします」
グスタフは、村長のあまりの腰の低さに疑問を感じた。
――村とどういう関係なんだ? ずいぶん下手に出るな……。
首を傾げたグスタフは、駆け寄ってくるニースの姿に気付いた。
馬車に目を向けると、マルコムとラチェットがオルガン馬車の御者台にいた。ジーナとメグが、箱馬車の突き出し窓から手を振る。
グスタフは、ニースが出発を知らせに来たのだと察し、目線で待つように合図した。
――面倒事に巻き込まれる前に、とっとと行った方が良さそうだな。
どうやって話を終わらせようかと考えるグスタフに、村長が囁いた。
「グスタフさん。パトリック様は、この村の蕎麦や菜種を扱ってくださってる大商人なんですよ」
「そうですか」
村長の言葉に、グスタフは何とも言えないやりきれなさを感じた。
――村のために、こいつに逆らえないわけか。村長も大変だな。だが、私たちには関係ない。
グスタフにとって大事なのは、商人パトリックではない。公演を楽しんでくれる観客たちだ。
グスタフは努めて冷静に、しかし決して下手に出ることなく、対等な立場として声をかけた。
「それで、パトリック殿。私たち一座に何のご用ですかな?」
パトリックは一瞬顔をしかめたが、近くにいたニースをちらりと見ると、ニィと笑みを浮かべ、ロビンに耳打ちした。
「グフタフ様。我が主人は、そちらの天の導き様についてお話がしたいと仰せです」
グスタフは、ロビンの言葉にパチンと何かが頭で弾けた気がした。にっこりと満面の笑みを浮かべると、グスタフはロビンに向けて、ゆっくりと口を開いた。
「そちらのパトリック殿にお伝えいただけますかな?」
ロビンへ向けた穏やかな笑顔から一転して、グスタフは鋭い視線をパトリックに向け、有無を言わせぬ低くドスの効いた声で、静かに言葉を告げた。
「おととい来やがれと」
思いがけない言葉に、パトリックもロビンも、村長までもが固まった。
グスタフは村長へ会釈をすると、くるりと振り返り、さっさと馬車へ向かった。
「ニース、待たせたな。行くぞ」
「あ、はい!」
ニースもぺこりと村長へ頭を下げ、箱馬車へ乗り込む。グスタフが手綱を握り、一座の馬車が動き出した。
呆けていたパトリックが、はっとしてダミ声を張り上げた。
「貴様! 待たんか!」
広場に響く大きな怒声を無視して、一行はアクリ村を後にした。御者台に座るグスタフは、心の中で村長に謝りつつも、すっきりした面持ちで笑った。




