120:蛇巫女3
*物語の進行上、一部に痛ましい表現が含まれます。ご注意下さい*
前回のざっくりあらすじ:ニースに追手が迫っていた事がわかった。
灼熱の太陽に照らされた砂漠の空気は暑く、風も熱風だ。しかしオアシスの周りは泉の水で空気が冷やされており、幾分涼しさがある。
ジーナは水を皆に配ると、扉を開けて馬車に風を通したまま、エドガーに尋ねた。
「さーて、エドガー。ダナちゃんのこと、教えてくれるって言ったわよねー。ダナちゃんがラチェットを好きだと、何か問題があるのー?」
エドガーたちは、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。
「問題っていうか……なあ?」
「ああ。ダナに幸せになってもらいたい気持ちは、あたいらにもあるんだ。でもね……」
「なかなか難しいものがありますね」
グスタフたちは、不安げに顔を見合わせた。
「何があるんだ?」
「ニースと真逆の見た目だから、何か特別なことでもあるのか?」
「教えてほしいわー」
エドガーは、はぁとため息を吐くと、気まずそうに笑った。
「ダナの血は特殊なんだ。毒物に抵抗がある血で、解毒薬の元にもなるんだが、俺たちにはそのままだと毒になる」
エドガーの言葉を聞いて、ぽかんと口を開けた三人に、ジェラルドが、ふふふと怪しい笑みを浮かべた。
「つまり粘膜で接触すると、死ぬってことです」
カサンドラが真剣な表情で、言葉を継いだ。
「だから、ダナの血を見ても、触らないように気をつけてほしい。そうならないように、あたいらは動くけどね」
マルコムとジーナは驚きで固まり、グスタフは青ざめた。
「それは……毒蛇みたいな人間ってことか!?」
「まあ、そういうことになるね」
カサンドラの言葉に絶句したグスタフの隣で、マルコムが問いかけた。
「なんだって、そんな物騒な血なんだ? それじゃあ、化け物みたいなものじゃないか」
エドガーが苦笑いを浮かべ、答えた。
「ダナは、蛇の御使いと呼ばれる一族の出なんだ。この国には様々な動物信仰が昔からあるんだが、その祠の巫女だったのがダナだ。ガラナは御神体だったんだよ」
「あの大蛇が神様!?」
驚くマルコムとグスタフに、エドガーは頷きを返した。
「そう。地域ごとに信仰対象となる動物は異なるが、聖皇国との国境のあたりは、白蛇信仰だったんだ。ダナの家系は代々様々な毒を体に入れて耐性を付け、白蛇に仕えてた一族でな」
「神に仕える巫女か。それでダナちゃんは、あんな廃墟となった町でも生き残ったんだな」
マルコムの言葉に、エドガーは首を横に振った。
「いや、その逆だ。巫女だから、ダナは殺されかけた」
ジーナが顔をしかめ、真剣な声音で尋ねた。
「なぜ神に仕える巫女が殺されかけるの?」
エドガーは、悲しそうに目を伏せた。
「ダナが生まれ育った町の連中は、蛇の御使いの血には神の力が授けられていると信じていた。ダナの家族はすでに亡くなっていて、ダナが最期の巫女だったが……神の力である蛇巫女の血で、町を守ろうとしたのさ」
「ダナちゃんの血で、敵を殺そうとしたってことなのね……」
悲しそうなジーナに、ジェラルドが頷いた。
「あの町では、私たちもかなり苦戦しました。皇国の歌姫の登場で、ようやく町に突入出来た。私たちが祠で見つけたダナは、酷いものでしたよ。縛られて管に繋がれて、血を抜かれてましたから」
「……!?」
目に涙を浮かべたジーナの肩を、グスタフが抱きしめた。カサンドラが、静かに言葉を継いだ。
「だからあたいらは、ダナを助けたんだ。ダナを敵に渡さないようにと、町の連中は最後にはダナを殺そうとしたが、ガラナが守ってた。
ガラナは賢い蛇でね。あたいらがダナを助けようとしているのに気付くと、あたいらの味方についた。町の連中は神に手出しは出来ない。そこからは一方的だったよ……。
今はもう、ダナが生まれ育った町はないし、生き残った町の連中は散り散りに逃げた。白蛇信仰をしていた町は、みんな滅んだんだ。だからダナは、あたいらの仲間になった」
エドガーが、ふっと笑った。
「まあ、そういうことだから、ダナと肉体的な接触は危険なわけだ。ダナの一族では、結婚相手には数年かけて血に耐性をつけてもらっていたらしい。
間違ってもラチェットの坊主が、衝動的にダナに手を出したりしたら、危ないわけだ」
マルコムが、苦笑いを浮かべた。
「ラチェットに限って、それはないと思うが……。まあ、気をつけるに越したことはないか」
大人の会話はその後も静かに続いた。ラチェットとダナが間違いを起こさないよう、気をつけて見守ることを、グスタフたちは誓い合った。
空にはゆっくりと茜が差していった。
日が暮れ始め、灼熱の空気は僅かだが冷え始める。
日中よりは過ごしやすい気温となり始めたはずだが、オルガン馬車の中では、眠るラチェットが苦悶の表情を浮かべていた。
暑さのせいか、前日の騒動のせいか。悪夢にうなされるラチェットは、心地よく頬を撫でる風に、はっと目を覚ました。
――夢、か。あの時の夢を見るなんて……。
ラチェットは、じっとりと汗ばむ体をゆっくり起こした。メガネを外している視界は、ぼやけていてよく見えない。しかし、明るさは感じられた。
――少し暗いな。もう日暮れかな。
メガネをかけようと、床に手を這わせる。
すると、メガネではなく、ぷにりと柔らかな何かに手が触れた。
――これはなんだ?
メガネがあったはずの場所には、何か柔らかく大きなものがあり、どこにメガネがあるのかわからない。
ラチェットはそのまま、柔らかな何かに指を這わせた。
「ん……」
「……!?」
柔らかな何かがもそりと動き、小さく漏らした可愛らしい声に、ラチェットは固まった。
――め、メグ!? じゃ、じゃあ、今触ったのって……。
ラチェットは顔を真っ赤にして、思わず手を引っ込めた。
声の主を確かめようと目を凝らしても、メガネがない上に薄暗がりにいるラチェットには、肌の色すら分からない。ドクドクと胸が早鐘を打つのを落ち付けようと、ラチェットは何度も深呼吸を繰り返した。
――いや、メグがいるはずはない。これはニースだ。昔の夢なんか見たから、変なことを考えるんだ。落ち着け。
手に残る柔らかな感触はニースだと、必死に自分に言い聞かせ、ラチェットは伺うように小声で問いかけた。
「ニース。いるんだろう?」
「んん……ラチェットさん?」
ラチェットは、ニースの声が先ほど触れた謎の人物の方から聞こえたので、ほっと胸を撫で下ろした。
「ごめん、ニース。僕のメガネがどこにあるか、知らない?」
「メガネですか……」
ニースはもそりと起き上がり、メガネを探した。
「ああ、ありました。はい」
ラチェットはメガネをかけ、ニースを見て固まった。ニースとラチェットの間には、メグが眠っていたのだ。
ニースが不思議そうにメグを見ながら呟いた。
「メグ、向こうで寝てたはずなのに、いつの間に来たんだろう? メグの髪の下に、ラチェットさんのメガネがありましたよ」
微笑むニースに、ラチェットは返事が出来なかった。言葉を失っているラチェットに、ニースは首を傾げた。
「ラチェットさん?」
すると、メグがもそりと身じろいだ。
「んん……。ふぁ……もう出発の時間?」
メグは起き上がると伸びをして、ラチェットが呆然と見つめているのに気がつき、耳まで顔を赤くした。
「あ、あの、その……これは、お母さんが、いびきがうるさいから、こっちで寝ろって言ったから、その……!」
「う、うん……」
必死に言い募るメグに、ラチェットは気まずそうに目を逸らした。その様子にメグは、はっとしてラチェットの手を取り、上目遣いで謝った。
「ご、ごめんなさい! 私、あなたのお誕生日、忘れてたことを、謝りたかったの。怒ってるのよね?」
ラチェットは頬を赤く染めたが、薄暗がりでメグからは見えなかった。
「いや……その、怒ってたけど……」
気まずそうなラチェットに、メグは、しゅんと肩を落とした。
「やっぱり、許してはもらえない?」
ラチェットは、そっとメグの手を解くと、咳払いをした。
「い、いや……いいよ。気にしないで」
「本当に?」
「うん。その……試すようなことをして、僕も悪かったし……」
「ありがとう、ラチェット!」
ほっとして笑うメグに、ラチェットは苦笑いを浮かべた。
「でも、なんでよりによって、僕の隣で寝てたの?」
メグは、恥ずかしそうに俯いた。
「だってラチェットがうなされてたから、気になったのよ……」
ラチェットは、ふっと柔らかな笑みを浮かべると、メグの頭にぽんと手を乗せた。
「心配してくれたんだね。ありがとう」
メグは、ぷぅと頬を膨らませた。
「またそうやって子ども扱いするのね」
ラチェットは、はははと笑った。いつもの様子に戻った二人に、ニースは、ほっと胸を撫で下ろした。
日が沈み、小さなオアシスを出発した馬車は、その後も昼の暑さを避けて、日が沈む度に道なき道を進んだ。砂の砂漠は終わりを迎え、やがて小石の入り混じる礫砂漠となった。
しかし街道は途切れ途切れで、グスタフは何度も方角を確認しながら、慎重に馬車を進めていった。
オルガン馬車の荷台には、ニースとメグが乗るようになった。グスタフとジーナが、ガラナを怖がることがなくなり、ダナをグスタフの馬車に乗せたからだ。セラはダナと一緒にグスタフの馬車に移った。
マルコムとラチェットが交替で手綱を握るオルガン馬車は、メグにとって快適だった。
「この馬車、本当に過ごしやすいわよね。扉をつけたり出来ないの?」
メグの言葉に、荷台で休んでいたラチェットが苦笑いを浮かべた。
「付けようと思えば出来るんだろうけど、馬車を発掘した先生に聞かないと、無理かな。どこにどんな仕掛けがあるのか、まだよく分かってないんだ」
「イルモさんだったかしら? 全部調べてから持ってきたんじゃないの?」
「いや、僕の出発に間に合わないから、父さんが最低限の整備を終えた時点で渡してくれたんだ。カルマートに着いたら、先生に整備を頼みに行かないといけないね。三年も放ったらかしだから、怒られそうだけど」
ニースは、二人の会話に首を傾げた。
「イルモさんって、誰ですか?」
「この馬車を発掘した先生だよ。僕の家庭教師の先生でもあったんだ。古代文明に詳しくてね。色々教えてもらったよ」
「ラチェットさんの先生……。会ってみたいです」
「きっとそのうち会えるよ。もしかしたら、この国で会えるかもしれないし。世界中の遺跡を調べて回ってるから」
三人が和やかに話をしていると、小窓をマルコムが勢いよく開けた。
「三人とも、掴まっててくれ。飛ばすぞ」
鋭い声で警告したマルコムは小窓を後ろ手に閉めると、宣言通りに馬車のスピードを上げた。何が起こっているのか分からず、ニースは、ぷるぷると身を震わせ、顔を青ざめたメグが、ニースの肩を抱いた。
外からは、エドガーたちが叫ぶ声と共に、ビュンビュンと矢が飛び交うような風切り音と、何かが馬車の装飾に当たるバンという音が響いた。
「な、何ですか!?」
恐怖に震えるニースに、ラチェットが安心させるように穏やかな声音で答えた。
「大丈夫。エドガーさん達が守ってくれるよ。たぶん、盗賊団だ」
「と、盗賊団……?」
ニースは、セラが話していた砂漠の盗賊の話を思い出した。
「襲われてるってことですか!?」
「ああ。この馬車は派手だからね。目を引いたんだと思う。この辺りは貧しい町ばかりだし、仕方ないよ。そのために、エドガーさんたちがいてくれるんだから」
小さく震える二人の肩に、ラチェットは毛布をかけた。
「二人とも、怖いよね。大丈夫だよ」
ラチェットは安心させるように、何度も二人に声をかけて、優しく包み込んだ。
やがて、争いの音は収まり、馬車のスピードも元に戻ると、メグが震える声を出した。
「もう……大丈夫かしら」
ラチェットが小窓を開けて、マルコムに尋ねた。
「振り切りましたか?」
「ああ、大丈夫だ。二人は怖がってないか?」
メグは、気持ちを落ち着かせるように、ふぅと息を吐いた。
「大丈夫よ。ニースは気を失ったけど」
メグの腕の中で、ニースは眠っていた。メグの返事を聞いたマルコムは、苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、ニースには無理だよなぁ……。ラチェット、もうしばらくしたら、たぶん止まるから、そしたら交替してくれ。それまで、二人を頼む」
「わかりました」
メグは静かにニースを寝かせると、小窓を閉めたラチェットに微笑んだ。
「ラチェット、ありがとう。なんだか、いつも守ってもらってる気がするわ」
「当然だよ。約束だからね」
「約束?」
「……まあ、気にしないで」
言葉を濁したラチェットに、メグは不思議に感じたが、気が抜けて、はぁとため息を吐いた。
「なんだか暑くなっちゃったわね」
メグは、足を崩してパタパタと手で顔を扇ぐ。スカートの深いスリットからメグの艶やかな足が見えて、ラチェットは、どきりとして目をそらした。
「め、メグ。なんか最近、服の好み変わってない?」
「好み? そうね。砂漠は暑いから、薄い物を選んでるかしら」
メグは元から、肩や背中を出す露出の多い服を着ていたが、公国に入ってからは、へそを出したり、スカート丈が短かったりと、さらに布の少ない服を着るようになった。
しかしメグの体は、一層女性らしさを増しており、ラチェットは度々目のやり場に困っていた。
「あのさ、メグ。町に行く時は、マントとかで体を覆った方がいいよ」
「どうして?」
「ええと……」
ラチェットは、全く気にするそぶりのないメグに、何と言っていいのか戸惑った。
――下手なことを言って、嫌われないようにしないと……。
ラチェットは、必死に言葉を探し出した。
「ほら、その……。日焼けとか、大変だからさ」
「日焼け? 私、困ったことないけど」
「砂漠は特に照り返しが強いから、気をつけた方がいいよ。砂塵で肌が傷ついたりもするだろう?」
「……確かに、それもそうね」
納得したメグに、ラチェットは心から胸を撫で下ろした。しかしメグは、その後も馬車の中では開放的な服装をしたままで、ラチェットの気が休まることはなかった。
二つの月が照らす砂漠を、二台の馬車はゆっくりと走っていった。
明けましておめでとうございます。今年中に完結出来るように、書き進めていきたいと思っています。引き続き、よろしくお願いいたします。




