119:蛇巫女2
前回のざっくりあらすじ:メグは鈍感だった。
空高く昇った太陽が、傾き始める。オルガン馬車の中では、ニースとラチェットがぐっすり眠っていた。しかしニースは、誰かに体を揺すられ、眠りの底から引き上げられた。
「ニース。起きて」
「ん……セラ?」
ニースを起こしたのは、セラだった。
セラは唇に人差し指を当てて、静かにするようニースに伝えると、耳元で囁いた。
「ちょっとニースに聞きたいことがあるの。ラチェットさんは寝てるから、起こさないように、こっち来て?」
ニースは、眠い目をこすりながら、セラに付いて馬車を降りた。
ニースが連れていかれたのは、グスタフの馬車の隣に張られたタープの下だった。
ダナと見張りを交代したカサンドラと、着替えを終えたジェラルドが、片隅で目を閉じており、そわそわした様子のメグと、ニヨニヨと笑みを浮かべたジーナが、ニースを待っていた。
ニースが布の上に座ると、メグが気まずそうに尋ねた。
「ニース。聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいことって、メグが?」
「そ、そうよ……」
不安そうに口ごもるメグに、ニースは首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ、あの……その……。ラチェットの様子ってどう?」
「ラチェットさんなら、いまは寝てるよ?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
もごもごと口ごもるメグに、ジーナがニヨニヨと笑みを浮かべた。
「メグちゃーん。私から聞いてあげようかー?」
「い、いいわよ! 自分で聞くわよ!」
メグは視線を逸らしながら、ニースに尋ねた。
「その……昨日のこと、ラチェットは怒ってる?」
「……うん。怒ってるっていうか、悲しんでるよ」
「そう。そうよね……」
はぁとため息を吐いたメグは、迷いを振り切るように頭を振った。
「違うの。一番聞きたいのはそうじゃなくて……」
メグは、ぎゅっと拳を握ると、覚悟を決めるようにニースに尋ねた。
「さっき……その……。ダナさんと話してるのを、私聞いちゃったんだけど……」
「……? ガラナが強かった話?」
「そ、そうじゃなくて! ……その、聞く気はなかったのよ! ラチェットに謝りに行こうと思ったら、話してるのが聞こえちゃっただけなの!」
急に訳の分からないことを言い出したメグに、ニースは唖然とした。ぽかんと口を開くニースの耳元に、セラが囁いた。
「ダナさんが、ラチェットさんのことを、かっこいいって言った話だよ」
ニースは合点がいったと頷き、メグに目を向けた。
「あの話が、どうかしたの?」
真っ直ぐにニースに見つめられて、メグは気まずそうに視線を彷徨わせた。
「その……ラチェットと、ダナさん。二人とも、名前を呼び捨てにしてたわよね」
「うん。それが?」
メグは、小さく震えるような声でニースに尋ねた。
「ダナさんとラチェットは、どういう関係なの?」
「関係?」
ニースは、何と答えたらいいのかと、二人の様子を思い返した。
「ええと、友達だとは思うんだけど……」
「……だけど?」
「ダナさんは、ラチェットさんともっと仲良くなりたいみたいだけど、ラチェットさんは、押しが強い人は苦手だって言ってたよ」
「……え?」
理解が出来ていなさそうなメグに、ニースは丁寧に説明しようと、言葉を継いだ。
「押しが強いって、強引な人のことなんだって。そういう人は苦手だって、ラチェットさんは言ってた。だから、ダナさんと話して疲れたって言って、寝ちゃったよ」
「ご、強引……」
顔を青ざめるメグに、ジーナが困ったように顔を歪めた。
「メグちゃん……強引って、メグちゃんそのものね」
ジーナの言葉に、ニースは、はっとして言葉を継いだ。
「あ、あの! メグは特別だって、ラチェットさんは言ってたよ!」
「とくべつ……?」
瞳に光が戻ってきたメグに、ニースは微笑んで頷いた。
「うん。メグのことも苦手なのかって、ぼくが聞いたら、メグは特別だから苦手じゃないって、ラチェットさんが言ってた」
「苦手じゃないんだ……」
ほっと安堵の息を吐いたメグに、ジーナがニヨニヨと笑った。
「ほーら。言った通りでしょー? ラチェットは、メグちゃんに一途なのよー」
「一途って何よ。変なこと言わないでくれる?」
いつもの調子を取り戻したメグに、セラが怒った。
「メグさん、まだそんなこと言ってるんですか!? ダナさんに、ラチェットさんを取られちゃいますよ!?」
「そ……それは、仕方ないじゃない。私には関係ないことだし……」
セラに怒られたメグが口ごもるという、訳の分からない状況に、ニースは口を挟んだ。
「ねえ、みんな。さっきから何の話をしてるの?」
メグは、はっと気まずそうに黙り込み、セラが困ったようにニースを見た。
「ええと……ニース。あのね……」
言いかけたセラの言葉を、ジーナは、すかさず遮った。
「なんでもないのよー。ニースくんは、また今度ラチェットの様子を教えてくれるー? メグちゃんとラチェットが仲直り出来るように、協力してほしいのー」
ニースは目を伏せ、考えた。
――ラチェットさんとメグの仲直り……お誕生日のことを忘れてたからだよね。
納得したニースは、目を開けて微笑みを浮かべた。
「わかりました。そういうことなら、ぼく手伝います。ラチェットさんの様子を、ジーナさんとメグに教えればいいんですね」
「そうよー。私に教えてくれればいいわー」
「わかりました」
ジーナの口車に乗せられたニースを見て、メグとセラが苦笑いを浮かべた。ジーナは、パンと手を叩くと、にっこり微笑んだ。
「さあ、今は私たちも寝ましょー。私はここで寝るわー。オルガン馬車の方が涼しいと思うけど、ニースくんと一緒に寝に行く人いるー?」
セラが即座に、ぴしりと手を挙げた。
「私、ニースと一緒に寝ます!」
いつもならニースと一緒にいたがるメグだが、戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「わ、私は……」
ジーナはニヤリと笑みを浮かべて、わざとらしく声を上げた。
「今日は疲れてるから、いびきが大きくなっちゃうかもー」
メグは頬を引きつらせ、渋々立ち上がった。
「わかったわよ……。私も一緒に行くわ」
ニースたち三人を見送ると、ジーナは、はぁとため息を吐いた。
「これはなかなか、骨が折れるわねー」
ジーナは、眠っているはずのジェラルドとカサンドラに、目を向けた。様子を伺うように目を開いていた二人は、ジーナと目が合って気まずそうに微笑んだ。
ジーナは、にっこり笑みを浮かべた。
「さて、二人ともー。ダナちゃんのこと、教えてくれないかしらー」
「ジーナさん……それは……」
口ごもるジェラルドを、カサンドラが睨んだ。
「ジェラルド、何か言ったのか?」
「カサンドラ……」
困りきったジェラルドを助けるかのように、横から声が響いた。
「それは俺から話をするよ」
馬車の中で寝ていたはずのエドガーが、ジーナの後ろに立っていた。
「旦那方も起きてるから、一緒に聞いてもらった方がいい。他に話したいこともあるから、中で話そう。……ジェラルド、カサンドラ。二人もだ」
エドガーに連れられて、三人はグスタフの馬車に乗り込んだ。
馬車の中では、グスタフとマルコムが苦笑いを浮かべていた。
眠っていたはずの二人だが、女性たちの恋の話は甲高く、やかましかった。二人は、聞く気のなかった話の全容を知ってしまっていた。
馬車に乗り込んだジーナは、ふふふと笑った。
「二人とも、起きてたのねー。もしかして、ぜーんぶ聞いてたー?」
グスタフが、はぁと大きくため息を吐いた。
「聞いてたよ……まさか、メグがなぁ」
マルコムが、からかうようにグスタフに目を向けた。
「グスタフ。お前はラチェットの応援をしてたんじゃなかったのかよ」
「確かに応援はしてたさ。だがな、実際メグがラチェットに気があるって知ると、なんだかなぁ……」
マルコムとジーナは、呆れたように笑った。
「今更かよ。二人が会った時から分かってたことだろう?」
「そうよー。あの子たちの縁は深いわよー」
「ジーナまでそんなことを……。あの時のことを、メグは覚えてないだろう?」
「メグちゃんが覚えてなくても、ラチェットは覚えてるわよー。それに自覚がなくても、ずっとメグちゃんはラチェットのことしか興味ないしー」
「そうだぞ、グスタフ。最初は兄弟みたいな感覚だったかもしれないが、メグはすっかり女らしくなったし、何よりラチェットはその気なんだ。いつまでも手元に置いとくわけにはいかないんだよ」
「だが、ラチェットのご両親がだな……」
メグの話で盛り上がる三人に、エドガーが声を挟んだ。
「旦那方。盛り上がってる所悪いが、話を始めてもいいか?」
グスタフは、気まずそうに二人と顔を見合わせて、頷いた。
「ああ。頼む。私たちに何か聞きたいことがあるんだろう?」
エドガーが、苦笑いを浮かべた。
「まあ、俺たちから聞きたいこともあるが、ダナのことを奥方は聞きたいみたいだからな。情報交換だ」
「わかった。お互い隠し事は、なしで行こう。話に聞いていた以上に、この国を抜けるのは苦労しそうだ。腹を割った方がいい。昨日は本当に助かったよ、ありがとう」
穏やかに笑ったグスタフに、エドガーたちは、ふっと笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるなら、有難い。守る相手を知っておかなきゃ、対策が練れないからな」
「あたいも、背中を刺されるのは嫌だからね」
「みなさんを信用していないわけではないんですが、昨日のは少し気になりましたからね……」
エドガーは扉を閉め、グスタフたちと向かい合わせに座ると、静かに話し始めた。
「昨日、ジェラルドが剣を交えた相手だが……相当の手練れだったらしい。そうだな、ジェラルド?」
ジェラルドは、真剣な眼差しで頷いた。
「私は、民間人には剣を抜きません。抜く必要もありませんからね。昨日の戦闘で血に濡れることになったのは、そこに軍人のような連中が混ざっていたからです。
彼らの狙いは領主ではなく、みなさんでした。狙われるような心当たりは、何かありませんか?」
グスタフとマルコムは、不穏な話に顔をしかめた。
「狙われる、か。心当たりがない、とは言えないな」
「ああ。十中八九、ニースだろうな」
カサンドラが、顎に手を当て、眉をひそめた。
「坊やか……しかし天の導きだからといって、ジェラルドが手こずるような相手に狙われるなんて、普通はならないだろう。坊やに何があるのか、教えてもらえないか」
グスタフは、はぁと小さくため息を吐いた。
「これは、ニースの個人的な話になる。他言無用で頼む」
エドガーは、しっかりと頷いた。
「もちろんだ。依頼主の情報を他人には売らないさ。この仕事が終わってからもな」
「わかった。ニースは、少し特殊な生い立ちでな……」
グスタフは、ニースがアマービレ王国の伯爵家の子息だったこと。天の導きだが歌の力がないこと。それが原因で家を追い出され、庶民の家に養子に入ったことなどを説明した。
「なるほどな。だが、死んだことになってるなら、追われることはないはずだ。それがバレたと考えた方が良さそうだな」
エドガーの言葉に、マルコムが頷いた。
「ああ、そうだ。そして、そのために俺たちは護衛を依頼したんだ」
「……どういうことだ?」
「テュラーの司祭様の元に、聖地から連絡が来ていたんだ」
マルコムは、テュラーの町での出来事を話し出した。
テュラーの町に着いた日。マルコムがメアリに手紙を出すために、教会の修道士に話をしに行くと、司祭に呼び出された。
司祭の元に向かうと、聖地エレオスからの伝令兵がマルコムを待っており、親書を手渡した。親書は教皇からのもので、伝令兵は知らせを急いで届けるために、馬を走らせてきたのだ。
「旦那方は、教皇様と繋がりがあるのか? すげえな」
驚くエドガーたちに、マルコムは苦笑いを浮かべ、話を続けた。
「教皇様と知り合えたのは、ニースのおかげだ。それでだな……」
親書には、ニースがアマービレ王国の伯爵家の子息だったかどうかを尋ねる内容と共に、もしそうであるなら、アマービレ王国がニースを国に連れ戻すために工作員を送っているため、身辺に気をつけるようにと書かれていた。
「工作員ですか。それなら、あの腕も頷けますね。人数が多かったのは、こちらで人を雇ったのでしょう」
「そうだね。今も旧モレンド王国の軍人崩れが職を探してるはずだ。金さえ出せば、いくらでも雇えるだろうさ」
頷き合うジェラルドとカサンドラに、マルコムは話を続けた。
「元々そいつらは、ニースが歌の力を取り戻したら、国に連れ帰る予定だったらしい。だが、急に手を出してくるってことは、アマービレ王国で何か動きがあったのかもな」
マルコムの話に、エドガーは首を傾げた。
「教皇様が向こうの狙いまで分かってたなら、事前に手を打てそうなものだが、動きの兆候には気付かなかったのか?」
グスタフが、苦笑いを浮かべて答えた。
「ああ、気付くのは無理だろう。密告で知ったらしいからな」
「密告? アマービレ王国の人間からか?」
「さあな。教皇様はご存知だろうが、そこまでは手紙には書かれてなかった。
……まあ、それでだ。私たちが思ってた以上に砂漠の治安も悪そうだったし、ニースを守るために護衛を依頼したんだよ。逃げ場のない海より、砂漠を越える方が安全だからな」
「なるほどな。テュラーの司祭様から、直々に紹介されたから妙だとは思ってたんだ。そういうことなら、坊主自身にも警戒を促した方が良さそうだな」
エドガーの考えに、グスタフは顔をしかめた。
「いや、悪いがニースには知らせたくない。護衛をするのに大変かとは思うが、出来る限りニースに気づかれないように、守ってやってほしい」
「なぜだ?」
「ニースは怖がりでな。それにニースはまだ小さいのに、あまりに辛いことが多すぎる。王国に狙われてるなんて知ったら、壊れてしまいそうなんだよ」
マルコムが頷き、言葉を継いだ。
「去年、皇国公主の毒殺未遂があったんだが、その時ニースも殺されかけてたんだ。あの時のニースを思い出すと、今も胸が痛む。あんな思いを、俺たちは二度とニースにさせたくはないんだ」
「あの事件にまで、あんたら関わってたのかよ……」
「君たちも知ってるのか?」
グスタフの言葉に、エドガーたちは頷いた。
「ああ。皇国の歌姫の力で、この戦争はようやく終わったからな。注目度は高いんだ」
「皇国公主は、聖皇国ではただでさえ聖人様だって慕われてるのに、戦果のおかげでさらに人気が高いんだよ」
「あの事件が知らされた時は、また戦争が起きるんじゃないかと思うほど、聖皇国は殺気立ちましたね」
ジーナは、悲しそうに顔を歪めて押し黙り、グスタフとマルコムは、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。
「また戦争にならなくて良かったな」
「やっぱり高嶺の花だったんだと、思い知らされる」
エドガーは、ニッと笑みを二人に向けた。
「まあ、そういうことなら、坊主には言わずに、俺たちで守るさ。旦那方は安心しててくれ。俺たちから聞きたいことはこのぐらいだな」
ジーナは気持ちを切り替えるように、ふぅと息を吐くと、立ち上がった。
「それじゃあ、後はダナちゃんのことねー。少しお水を飲みながら話しましょー。さすがに暑いわねー」
ジーナは、水を汲もうと扉を開ける。オアシスで冷やされた風が、ふわりと馬車の中に流れ込んだ。




