96:聖地エレオス1
前回のざっくりあらすじ:メアリがラチェットの曲を歌っても、奇跡は起きなかった。
メアリを連れたグスタフたちは、ようやく聖地エレオスにたどり着いた。
エレオスは丘陵地帯にある。グスタフの馬車に乗るニースが突き出し窓から覗くと、頑丈そうな石造りの市壁が幾重にも重なって、広々とした聖地全体を囲んでいるのが見えた。
外壁の市門では検問が厳重に行われていたが、メアリが同行していたため一座はほぼ止まることなく、そのまま市門を抜けた。
メアリが顔を出しただけで、あっさりと通された事に、ニースは驚いていた。
「メアリさん、すごいですね」
「私がすごいんじゃないのよ、ニースくん。私が祈手だから、信頼してくれてるだけなの。教会では積極的に歌の力を持つ子どもを探し出して、祈手として育てているけれど、それでも数が多いわけではないわ。
祈歌を捧げる私たち祈手は、この国では大切にされてるの」
メアリは、花の紋様が彫られた貝殻の首飾りを胸元から出して見せた。
「これが、私たち祈手の証よ」
セラとメグが興味深そうに横から覗き込んだ。
「うわあ! 綺麗!」
「この花の形……教会の入り口に飾られてるものと同じね」
「ええ。そうよ、メグさん。聖カルデナがこの花を大切に育てていたそうなの。今でも大聖堂に、その種が保管されているはずよ」
セラの歓声に微笑みながら、ニースはメアリに問いかけた。
「大聖堂って何ですか?」
「カルデナ教全体をまとめる、大きな教会のことよ。聖地の中心部から少し離れた場所にあるの。
聖下……教皇様は、普段は聖庁におられるけれど、大聖堂では聖下直属の研究員が、古代の文献や祈歌について調べているの。そこで、種も保管されているのよ」
「種が保管されてるんですか? 花を育ててるんじゃなく?」
首を傾げたニースの言葉に、メアリは切なげに笑った。
「その花の育て方が、全く分からないらしいの。昔、聖皇国を起こす時に聖戦があったのだけれど……その戦火で、たくさんの記録が失われてしまったそうよ。
だから種は残っているけれど、育て方は分からなくなってしまったの」
ニースは、話にしか聞いた事のない戦争というものについて、怖いだけでなく、悲しく感じた。
「そうなんですね……。戦争って、人だけじゃなく色んなものを壊しちゃうんですね」
「そうね。聖戦だけじゃなく、聖皇国はついこの前まで攻め込まれて、南にある砂漠の国と戦っていたわ。その影響で、たくさんの難民も出てるのよ」
メアリは突き出し窓を、ほんの少しだけ開けた。
窓の隙間から、埃っぽい空気に混じり、すえた臭いと鉄錆の臭い、人の声が聞こえてきた。
ニースは驚いて、窓から外を覗く。馬車が走る道の両脇には、バラック小屋が立ち並んでおり、痩せ細り、怪我をした人々が暮らしているのが分かった。
初めて見る悲惨な光景に、ニースは衝撃を感じ、押し黙った。
鼻をつまみながらも、ニースと一緒に覗いたメグとセラが、悲しそうに顔をしかめた。
「これは酷いわね……」
「赤ちゃんまでいる……」
二人が座ったので、ニースはそっと窓を閉め、悲しい目をメアリに向けた。
「もしかして、この人たちが難民ですか?」
「ええ、そうよ。難民街にいるのは、砂漠の国……モレンド王国の人々なの。今はもう王政は倒れて公国になっているけれど」
メアリの話に、ジーナが悲しそうに俯いた。
「あの国は、もう王国じゃなくなったのね……」
珍しく落ち込むジーナの声に、ニースたちは押し黙った。
すると、御者台に座るグスタフが小窓を開けた。
「メアリさん。次の内壁が見えてきましたよ」
メアリは立ち上がり、小窓から外を見た。
「また検問があるはずです。止まったら、私が降りますね」
「よろしくお願いします」
メアリは小窓を閉めると、首飾りをキュッと握った。
「ニースくんたちは、出なくていいからね」
「はい。お願いします」
一座の馬車は市門を越えて、聖地エレオスの居住区へと進んでいった。
聖地エレオスは用途別に区画が分けられており、聖庁のある中央区を中心として、円を描くように市壁で隔てられている。居住区と商業区の間には、混合区と呼ばれる区画もあった。
一行は、目的の宿屋のある混合区を目指して、三つの居住区の壁を越える。居住区に入ると検問はなく、二台の馬車は止まることなく走っていった。
ニースは、突き出し窓を薄く開けては外を覗き、町の様子を眺めた。
「やっぱり、聖地にも街灯はあるんですね」
いつもなら立派な町並みに心が躍るはずだが、先ほどの難民街を見たからだろうか。ニースはどこか、物悲しい気持ちに包まれていた。
一座の馬車は、メアリの友人が開いているという、小さな宿に着いた。
入り口の前に馬車を止め、マルコムがメアリと共に部屋を取る。二人が戻ると、ラチェットが困った顔をしてグスタフの馬車へ顔を出した。
宿に馬車置き場はなく、近くの車庫と厩に、馬と車両をそれぞれ預けるというので、ラチェットが難色を示したのだ。
「仕方ないでしょ、ラチェット。それに、車庫に入るんだから、いいじゃないの」
「そうはいかないよ、メグ。車庫の敷地には、人は住んでないっていうんだ。夜の間に誰かにいたずらされたら困るじゃないか」
ラチェットは、車庫の中で寝ると言って聞かなかった。
話を聞いたメアリが、申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。私が小さな宿を紹介したから……」
メアリの様子を見たラチェットは、ばつが悪そうに視線をそらし、メグがじっとラチェットを見た。
「ラチェットったら、メアリさんのことをいじめるなんて、酷い人ね」
「い、いや、僕はその……」
「オルガン馬車はあんなに頑丈なのに、中のオルガンを心配するんだものね」
「だってメグ。あのオルガンがなかったら、僕は仕事にならないんだよ」
「だからって、ちゃんとした車庫があるのに信用しない理由にはならないわ。宿泊客に車庫の案内をしている、メアリさんのお友達を、ラチェットは信用していないってことよね」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ、信用して預けられるっていうの?」
「それは見てみないとわからないけど……」
「じゃあ、見に行きましょう」
ラチェットは、メグに引きずられるようにして、車庫の様子を見に出かけた。
「あの……もっと大きくて専用の馬車置き場がある宿にご案内しましょうか」
メアリが心配そうに尋ねたので、グスタフは首を横に振った。
「いえ、大丈夫ですよ。ラチェットはちゃんと納得しますから。今のうちに荷物を運びましょう」
メアリは不安を感じていたが、グスタフの言葉通り、ラチェットは納得して帰ってきた。しかしラチェットが、どこか疲れた顔をしていたので、ニースは、どうやって説得されたのかと身を震わせた。
メアリが紹介した宿は、本当に小さな宿で、一座がいつものように部屋を取ると、貸切になってしまった。
家族経営の小さな宿に食事を提供する食堂はなく、宿泊客が共同で使う大きめの台所と、大きな食卓テーブルが置かれた部屋があるだけだ。
もちろん、風呂などあるはずもなく、普段は水浴びをして、週に一度教会に通って蒸し風呂に入るか、町の公衆浴場に通う必要があった。
いつもなら文句を言いそうなメグだが、小さいながらも手入れの行き届いた宿の様子に満足していた。
「ほかの宿泊客がいなくて幸運だったわね。まるで自分たちの家みたいな気がするわ」
メアリの友人であり、宿の若女将のドリタが、にこやかな笑顔で答えた。
「ええ。ご自分の家のように寛いでくださいな。皆さんの貸切になりますので、掃除以外では宿に立ち入らないようにしておきますね。私たちのことは、親戚とでも思ってもらえれば嬉しいです」
「ありがとうございます、ドリタさん。そうさせてもらうわ」
この宿での宿泊を渋々受け入れたラチェットだったが、メグが嬉しそうに話すので、気持ちを切り替え、笑みを浮かべた。
ニースとラチェットは、いつものように二人部屋となった。ニースが部屋で寛いでいると、メグとセラがやってきた。
「メアリさんが、早速聖庁へ出かけたわ。メアリさんが帰ってきたら、夕食になりそうよ」
「わかったよ、メグ」
「あら、ニース。私のことはお姉ちゃんって呼んでもいいのよ?」
突然のメグの言葉に、ニースが唖然としていると、メグはセラに微笑みかけた。
「ねえ、セラ。そうよね?」
「はい。メグお姉ちゃん」
二人が嬉しそうに笑い合う姿を、戸惑いながらニースが見ていると、ラチェットがポットを持ってやってきた。
「二人も来てたんだね。お湯を沸かしてきたから、お茶を入れるよ」
ラチェットがテーブルにポットを置くと、セラがラチェットの服を引っ張った。
「なんだい、セラちゃん?」
「お茶って、どんなお茶を入れるの? ラチェットお兄ちゃん」
「……!?」
突然のことに目を白黒させて固まるラチェットに、メグも声をかけた。
「お兄ちゃんどうしたの?」
「お、お兄ちゃん!?」
動揺したラチェットの声がひっくり返っていたので、メグとセラが笑った。
「あはは。嫌だわ、ラチェット。そんなに驚かなくたっていいじゃない」
「ふふふ。ラチェットお兄ちゃん面白い」
驚くラチェットが、金魚のように口をパクパクさせながら、ニースを見た。
「ど、どういうことなの、ニース!?」
「ぼくにも、さっぱりわかりません……」
ひとしきり笑ったメグとセラは、目に浮かんだ涙を拭い、椅子に座った。
「あのね、ラチェット。私、ここが自分の家みたいだって言ったでしょ?」
「あ、ああ。言ってたね……」
ラチェットは視線を彷徨わせながら、お茶を入れ始めた。セラが茶葉の缶を覗くのを横目に見ながら、メグは話した。
「私ね、前から兄弟がほしかったの。ニースとセラは、私の弟と妹みたいだって、前から思ってたのよ」
セラが笑みをメグに向けた。
「私、メグお姉ちゃんのこと、大好きだよ」
ニースは、人数分のカップを並べながら、メグがいつも自分をそばに置きたがる事を思い返した。
「そういえば、メグは前から言ってたね。ぼくのこと、弟みたいだって」
「そうよ。だから、この宿にいる間ぐらい、私のことをお姉ちゃんって呼んでくれないかしら。家族で家に住むなら、そんな会話をしてみたかったの」
メグの言葉を聞きながら、ラチェットはカップにお茶を注いでいく。立ち上るお茶の香りが、ふわりと部屋に満ちた。
ラチェットは困ったような目で、じっとメグを見た。
「でもメグ。ニースたちのことはいいとしても……。なんで僕がお兄ちゃんなの?」
ラチェットからカップを受け取ったメグは、上目遣いでラチェットを見た。
「お兄ちゃんって呼んじゃダメ……?」
甘えるようなメグの声音に、ラチェットは顔を耳まで赤く染め、視線をそらした。
「ダメってわけじゃないけど、お兄ちゃんは……」
もごもごと口籠もりながら、ラチェットはカップに口をつけた。
「あちっ……!」
「大丈夫!?」
「あ……ああ」
ラチェットは、水差しからグラスに水を注いで飲み干した。
「とにかく、セラちゃんはともかく、メグは僕をお兄ちゃんとは呼ばないでほしい」
「なんで!? セラがいいなら、私だっていいじゃないのよ!」
「なんでもなにも、とにかく、お兄ちゃんじゃ、僕は困るんだよ」
真面目な顔で答えたラチェットに、メグは、しゅんと肩を落とした。
「せっかく兄弟が出来たと思ったのに……」
落ち込むメグを励まそうと、ニースは問いかけた。
「マルコムさんが、お兄ちゃんじゃダメなの?」
「あんな女たらしが兄とか、私は嫌よ」
心底嫌そうなメグの言葉に、ニースは苦笑いを浮かべた。




