79:国境を越えて1
前回のざっくりあらすじ:ニースとセラが、初デート。
アウクリシウムの町を出た二台の馬車は、国境を目指して街道を南下していく。冬が近づき、街道を鮮やかに彩る紅葉は、少しずつ数を減らしているが、葉を落とし始めた木々の中に常緑樹が入り混じるようになっていた。ニースは、小窓から景色を覗いては、クフロトラブラの針葉樹とは違う緑鮮やかな木々に、目を輝かせた。
国境付近までやってきたオルガン馬車の中には、ニース、セラと共に、ラチェットが座っていた。
「それじゃあ、二人とも、準備はいいかい?」
「はい! ラチェット先生!」
次の国へ入る前に、ラチェットは小さな二人に注意点を教えようとしていた。
「もうすぐ、僕たちはスピリトーゾ皇国の国境を越える。皇国の南にある国の名前は、何て言うか知ってるかな?」
ラチェットの言葉に、ニースとセラが手を挙げた。
「ぼく、知ってます!」
「私も知ってます!」
元気よく手を挙げた二人に、ラチェットは笑みを浮かべた。
「はい、セラちゃん」
ラチェットに指されて、セラは嬉しそうに笑った。
「皇国の南には、カランド聖皇国があります!」
「その通り。よく知ってたね」
ニースとハイタッチをして喜ぶセラの姿に、ラチェットは微笑んだ。
「それじゃあ、カランド聖皇国が、どんな国かが分かる人はいるかな?」
ラチェットが二人を見たが、ニースもセラも首を横に振った。
「私、お客様の中に聖皇国から来た人がいたから、国の名前は知ってるけど、それだけです」
「ぼくも、ルテノー大陸の南側にある国ってことしか、わかりません」
残念そうな二人に、ラチェットは優しい笑みを浮かべた。
「カランド聖皇国は、少し変わった国でね。国民全員が、カルデナ教を信仰してる国なんだ」
「カルデナ教?」
首を傾げるニースの隣で、セラが手を挙げた。
「はい! カルデナ教、私、知ってます!」
ラチェットは、セラに微笑んだ。
「セラちゃん、ニースに教えてくれるかい?」
セラは頬を蒸気させて、頷いた。
「カルデナ教っていうのはね、聖カルデナっていう聖女さまが神さまなんだよ」
カランド聖皇国は、カルデナ教の教皇が治める国だ。カルデナ教の歴史は古く、成り立ちは数千年前と言われている。信者たちは、聖カルデナという聖女を崇拝し、聖カルデナの生き方や教えに基づいた生活を行なっていた。
「聖女さまが生きていた頃、大きな災いがあって、たくさんの人が怪我をしたんだって。聖女さまは、怪我をした人たちを奇跡で治した、すごい人だったの。それでカルデナ教は、みんなが元気で幸せに暮らせる方法を教えてるんだって。教会にはお医者さまがいて、治療院っていう病院が、教会にくっついてるの」
聖カルデナは、医療に尽力した聖女であり、その精神を引き継いだカルデナ教は、教会に必ず治療院を併設していた。治療院は信者でなくとも、喜捨をすれば利用出来た。カルデナ教の教えは単純なもので、生活に直接的な実利もあるため、世界中に信者がいた。
「ラメンタにも、教会と治療院が一緒の建物があったんだよ。お医者さまも町にはいるんだけど、教会の祈手さまの奇跡を頂くと、酷い怪我でも治せちゃうんだって! トリフォンさんの動かなくなっちゃった体も、きっと今頃は旦那さまが祈手さまにお願いして、治してくれてると思う」
世界各地に、カルデナ教の教会はあるが、その中でも特に数が多いのが、スピリトーゾ皇国だった。皇国は聖皇国と何百年も前から同盟関係にあり、皇国の町には必ず一つ教会が建っていた。信者ではないセラだったが、教会の一般的な事柄は町の人々から聞いて知っていたのだった。
ニースは、ぽかんとしてセラの話を聞いていた。
「えっと……ごめん、セラ。凄すぎて、よくわかんないや……」
セラは、しゅんと肩を落とした。
「私の説明、わかりにくい……?」
「あ、えっと、そうじゃなくて……」
落ち込むセラの姿に慌てるニースを、ラチェットが助けた。
「セラちゃんは、落ち込まなくて大丈夫。ニースも実際に見ればわかるよ。ニースのいた国には、カルデナ教はなかったから、わからなくて仕方ないんだ。セラちゃんの説明は、とても良かったよ。満点だ」
ラチェットが微笑んだので、セラは、ほっと胸を撫で下ろした。ラチェットは、メガネをくいと上げ、ニースに語りかけた。
「ニース。今のセラちゃんの話は、よくわからなくても大丈夫だ。ニースが一番知らなくちゃならない話は、ここからだよ」
「はい」
表情を引き締めたニースに、ラチェットは微笑みを浮かべ、指を立てて数えた。
「まずひとつめは、カルデナ教の神は聖カルデナだ。聖カルデナを軽んじるようなことを言わないこと。国民みんなに怒られちゃうからね」
「わかりました」
「ふたつめは、カルデナ教の習慣に合わせること。時々、周りの人がお祈りの仕草をする時があるんだ。必ずその時は周りに合わせてね。仕草はその時々で違うけど、僕たちは信者じゃないから、なんとなく真似をするだけで充分だよ」
「真似ですね。頑張ります」
ラチェットは手を下ろし、真剣な表情を浮かべた。
「そして最後に……これが一番大事かな。何か特別にする必要はなくて、心構えなんだけどね。カルデナ教が起こるきっかけになった聖カルデナは、天の導きだったんだ。ニースと同じ真っ黒ってことさ。だから聖皇国では、黒は特別な意味を持つんだ。今まで以上にね」
不安げに顔を歪めたニースの袖を、セラが気遣うように掴んだ。ラチェットは、二人の様子を見て愉快げに笑った。
「あはは。驚かせちゃったかな。ごめんね。そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。特別な意味というのは、悪い意味ではないんだ」
不思議そうに顔を見合わせた二人に、ラチェットは、そのまま話を続けた。
「黒を宿した人は、全て尊ばれるのが聖皇国なんだ。だから、ニースみたいに“調子外れ”でも、全く問題ないんだよ。とにかく色が似てると、大事にされる。カルデナ教は、いくつかの色に特別な意味があるからね。だから、ニースとセラちゃんは、国境で検問を受ける時に、覚悟しておいてほしいんだ」
「覚悟……ですか?」
緊張を滲ませたニースに、ラチェットは頷いた。
「聖皇国の国境の兵士たちは、たぶんだけど、ニースを見たら大騒ぎするよ。セラちゃんもだけど、何よりニースかな。きっとビックリするはずだよ」
くつくつと、楽しそうに笑うラチェットに、ニースとセラは、ますます首を傾げた。ラチェットは笑い終えると、ニースの肩を、ぽんと叩いた。
「まあ、がんばれ。ニース」
ラチェットが言い終わるのと同時に、マルコムが小窓を開け、声を上げた。
「そろそろ国境だ。皇国を出るぞ」
スピリトーゾ皇国とカランド聖皇国の間を流れる、大きな川を前に、二台の馬車はゆっくり止まった。出国の検問を受けるため、マルコムがハンドルを回し、ニースたちが乗る荷台を開ける。皇国の屈曲な兵士たちは、中から出てきたニースの黒に驚いたが、ニースがフェローシャス伯の証明書を見せると、すぐに普通の対応に戻った。
「通ってよし」
検問を終えると、ニースとセラが乗る荷台を、ラチェットがゆっくり閉めた。そうして二台の馬車は、国境の川を跨ぐ長い橋を渡っていった。
橋を渡りきった二台の馬車は、聖皇国に入国するための検問を受ける。ラチェットがハンドルを回してオルガン馬車の荷台を開いた。
――ぼく、どうなっちゃうのかな……。
ニースは、ラチェットを信じていないわけではないが、緊張でじっとりと額に汗を滲ませていた。セラが気遣わし気に、手布を取り出しニースの額に当てた。
「ニース、大丈夫?」
「う、うん……」
ニースは視線を彷徨わせながら、必死に緊張に耐えた。聖皇国の兵士たちが、ラチェットと話をしながらオルガン馬車に近づいた。
「ここにオルガンと、二人の子どもが乗っています」
「そうか、わかっ……」
オルガン馬車の中を覗いた兵士が、ニースの姿を見てピタリと足を止めた。ニースは、顔を引きつらせた。
「あ、あの……」
兵士は身を正すと、大きな声を張り上げた。
「全員集合! 聖人様がいらっしゃるぞ!」
兵士は叫ぶと両膝を地面につけ、両腕を高く上げて手を重ね、大きくゆっくりと伏せるように何度も頭を下げた。
ガシャガシャと剣や鎧がぶつかる音を立てながら、他の兵士たちも大慌てでやってくる。集まった兵士たちは、ニースを見ると皆同じく、地面に何度もひれ伏し始めた。
「聖人様だ!」
「ありがたい、ありがたい」
「どうぞ、我らにご加護を!」
ニースは、あまりの光景に絶句し、セラは目をまん丸に見開いた。ラチェットは、ぷっと噴き出して、マルコムは笑いを堪えて肩を震わせた。
「やっぱりこうなりましたね」
「くく……二人には良い経験だな」
突然走っていった兵士たちを追ってきたメグが、ニースにひれ伏す兵士たちに唖然とした。
「ちょっと、何があったっていうの……え?」
メグの後ろからゆっくり歩いてきたグフタフとジーナが、いたずらっぽく笑った。
「ほら、私の言ったとおりだろう」
「こうなるのよねー。これで、メグちゃんもわかったわねー」
兵士たちは、大きくひれ伏す動作を繰り返し三十回やり終えるまで、その場から動かなかった。
兵士たちに、フェローシャス伯の証明書は何の効果もなかった。ニースが証明書を見せても、兵士たちはずっと目を輝かせて笑顔だった。身分証をセラが見せた時に、セラの瞳が黒い事に気付いた兵士たちが、再び三十回ひれ伏しだしたので、セラも戸惑った。ニースとセラがいたことで、時間だけは長くかかったものの、検問は意味をなさないほど簡単に終わり、最後にニースとセラは握手を兵士全員に求められた。
「ありがたい、ありがたい」
「まさか国境勤務で、聖人様のお手に触れられるとは」
兵士たちは感激しきりで、涙を浮かべるものまでいた。その泣き顔に、二人は気まずそうに顔を引きつらせた。
兵士たちが皆笑顔で手を振り見送る中、二台の馬車はゆっくり動き出した。ニースはオルガン馬車の中で、疲れきって荷物にもたれかかった。
「ニース、よかったら、これ食べて?」
「ありがとう、セラ」
セラが気を利かせて腰の鞄から、大きな飴を二つ取り出した。一つをニースに渡すと、もう一つをセラは口に入れた。
「はへっへふひひはへ。へんひひはへふほへ」
「あはは。セラ、何を言ってるか分かんないよ。でも、ありがとう」
幸せそうに頬を緩めるセラに、ニースは笑って飴を口に入れた。ジーナが作った手作りの飴は、中にジャムが入れてあった。二つの甘さにニースは、ふにゃりと目を細めた。
御者台に座るラチェットが小窓を開けて、人心地ついた二人に笑いかけた。
「二人とも、お疲れ様だったね。僕が言った通りだったろう?」
いたずらっぽく笑うラチェットに、ニースは小さくなった飴を噛み砕いて飲み込むと、ぷぅと頬を膨らませた。
「ラチェットさん、酷いです。こうなるって知ってたら、仮面を被ったかもしれないのに……」
ニースの言葉に、マルコムがピクリと反応した。
「お、ニース。また仮面を被る気になったのか?」
嬉しそうに笑みを浮かべて振り向いたマルコムに、ニースは申し訳なさそうに頭を振った。
「いいえ、マルコムさん。ぼく、ベンと約束したから、仮面は被りません。危ないわけじゃないですし」
「そうか……。まあ、また付けたくなったら、いつでも付けてくれ」
マルコムは、残念そうに言うと、しょんぼりと前を向いた。ラチェットはマルコムを見て苦笑いを浮かべたが、すぐにニースに視線を戻した。
「まあ、ここまでやるのは、たぶんあの兵士の人たちぐらいだから。三十回もひれ伏すのは、カルデナ教の正式な礼拝の仕方だからね。町や村では、簡略化の礼拝だけされる程度だと思うよ」
ラチェットの言葉に、ニースは、はぁとため息を吐いた。
「結局礼拝は、されちゃうんですね……」
セラがニースに微笑んだ。
「簡単な礼拝なら、私たちの会釈とほとんど同じだから、あまり気にしなくて大丈夫だよ、ニース」
セラが微笑んだので、ニースは少し気が楽になった。二台の馬車は次の町を目指して、街道を進んでいった。




