悪役令嬢ルルたそ
殿下に初めて「ルルたそ」と呼ばれたのは、お互い八歳の頃に行われた、顔合わせの時だった。
「お前は大きくなったらこの国の王子様と結婚するんだよ」と父に聞かされていた私は、とても緊張しながら顔合わせに向かったことを覚えている。
王子様と結婚。八歳の私には、侯爵家の責任だとか王太子妃の覚悟だとか、そういう重たい意識はまだなくて、王子様というきらきらした響きに、ただ胸を高鳴らせていた。
そして対面した婚約者――アーディ殿下は、金髪の美しい少年で、まさに絵本に出てきた王子様そのもので。
「本物の……ルルたそ……!」
私を見るなり顔を真っ赤にしてぶるぶると震え「ルルたそ」なる不可思議な発言をしてさらに「おとめげーてんせいありがとぅ……」なる奇怪千万な発言を続けたあと鼻血を出して卒倒してしまった。
ルルたそ。
「たそ」が何なのかは、大人に聞いても分からなかった。
私の愛称である「ルル」に、あたかも名前の一部の如く付随していた、不思議な音。
初顔合わせ五秒で卒倒したアーディ殿下は数分で目を覚まし、さっき震えてぶっ倒れた男児とは思えぬほどに上品な表情で「お見苦しいところをお見せしました」と言った。
「目の前に天使きゃわわルルたそが、失礼、あまりに美しいご令嬢がいらしたもので、緊張してしまいました」
「てん……きゃわ……?」
またしても耳慣れない言葉。私はまだ勉強していないような難解な言い回しを、アーディ殿下はすでにものにしているらしい。さすがこの国の王子様である。
洗練された言い回しに気を取られた私と違い、殿下が私の容姿を褒めたことをしっかり認識した父は、俄かに上機嫌になった。
親同士が和やかに談笑する中、気の利いた会話もできず甘い紅茶を飲むばかりの私を、幼児らしからぬ慈愛に満ちた眼差しで見守る殿下。まさに次代の王にふさわしい大きな器である。その日の顔合わせは円満に終わった。
顔合わせを終え、恙なく婚約を結んで以降、アーディ殿下は私を「ルル」と呼んだ。
美しい顔に美しい微笑みを乗せて爽やかに「ルル」と呼んでくる素敵な王子様。「ルルは僕の愛しい人」と何度でも言ってくれる婚約者。
これで恋に落ちない女児がいたら名乗り出て欲しい。もちろん私は落ちた。
そんなアーディ殿下は、いつも端正なたたずまいで完璧な振る舞いだったけれど、時々、不思議な言葉を使うことがあった。
たとえば王宮の図書室で私と鉢合わせた時、「えっ天使、あっなんだルルたそか、普通に天使だったわ……」。
たとえば一緒に庭を散策していて強い風に私の髪がなびいた時、「黒髪ヒロイン正義つまりルルたそは正にして義……」。
たとえば私の十二歳の誕生日、髪飾りを贈られて真っ赤になってお礼を言った時、「ルルたそしか勝たん……」。
「たそ」始め、耳慣れない何らかの専門用語を使いこなすアーディ殿下。
それらの用語を口にした後は、いつも「はっ」と我に返った様子で慌ててごまかす様子から、意識して使っているわけではなく、うっかり漏れ出ていることが伺い知れた。
きっと彼は王族として特別な教養を身に付けていて、凡百の私ではまだ辿り着けない高みの勉強をしていて、それがふとした拍子に漏れ出るのだと思う。
気を抜いたときに漏れ出るなんて、まさに深い知性の裏付けである。
るるたそしかかたん。何を言っているのか分からない。母国語だとは思えない。かっこいい。すごい。私の王子様は、なんて素敵なんだろう。
だが、私が婚約者として、彼の素晴らしさを呑気に誇らしく思ったり、楽しくお茶会をしたり、一緒に散歩をできたのも、十三歳までだった。
もとから文武ともに厳しい教育を受けてきたアーディ殿下は、十三歳になるや、さらにその量を増やした。それも本人の希望で。会える時間はめっきり減ってしまった。
私も負けじと己の研鑽に励んだ。
言葉の端々に深い知識を滲ませるアーディ殿下を見習い、語学には特に力を入れた。
ひとまず五か国語は話せるようになり、外交担当の大臣に絶賛はされたものの、まだまだアーディ殿下のふとした深い発言(「生存がファンサ」等)の理解には程遠い。もっと。もっと頑張らないと。
私が凡才なりに足掻く一方で、アーディ殿下は十五歳にして、すでに大人を打ち負かすほどの剣技を身に着けていた。
そして彼は、同じく十五歳となった私とともに王立学園に入学すると同時に、国中で起こっていた問題――瘴気の発生の解決に奔走を始める。
東の山を登り、西の海に飛び込み、瘴気の元である魔物をどんどん倒して土地を浄化する。アーディ殿下の強さは尋常ではなく、すごい勢いで瘴気問題が片付いていく。
この国に伝わる「聖花の乙女」伝説の出番もないほどの快進撃。
アーディ殿下の人気はうなぎのぼりである。
しかもそれを学園に通いながら、放課後の片手間に行うのだ。
もちろん学生の本分も怠らず、学業の成績も常に首席である。偉業にもほどがある。
その上、ひとたび微笑めば花が綻ぶ錯覚が見える美しさで、誰にでも穏やかに接し、他人の悪口なんて絶対に言わず、自分の成果を誇ることもなく謙虚な姿勢。
いつだったか学内の新聞部に『すごすぎる王子様』としてインタビューを受けた時、アーディ殿下は困ったような笑顔で「僕が押されるのは違うっていうか……僕は押す側だから」と言った。
あくまで彼は、誰かの背中を押す側……未来の王として民を支える側、という尊い志で動いているのだ。その眩しい事実に、その場の全員が拍手を送った。もちろん私も両手が痛くなるまで全力で拍手した。
ああ、アーディ殿下。人間ができすぎていて怖い。嘘です。怖くないです。好きしかないです。
皆がアーディ殿下を称えた。私も称えた。心から尊敬と恋情を抱いた。
同時に、苦しくなった。
この完全無欠の王子様に対し、婚約者の私は、あまりに普通で何の取柄もないと。
私が婚約者に選ばれた理由は、家柄だけ。それだけ。
私は頭が飛び抜けていいわけでもない。
必死に勉強をしてやっと次席の成績を保つのがせいぜいだ。なお首席はアーディ殿下である。文武両道を地で行く姿が眩しい。
私は清く正しい心を持っているわけでもない。
木から降りられない子猫を見つけた時、「まあ猫だから落ちたら着地できるわよね」と思って素通りしようとした女だ。なおその猫を颯爽と助けに行ったのがアーディ殿下である。まさに聖人、後光が眩しい。
私は容姿だって、輝きが服着て歩いてるみたいなアーディ殿下の美しさに及ぶべくもない。
彼は「ルルは可愛い」と言ってくれるけれど。
「立てば歓声、座れば拍手、歩く姿はファンサービスだよ」と洗練され過ぎてちょっと何を言っているのか分からない言い回しで褒めてくれるけれど。
きっと婚約者の私に気を遣ってくれているだけだろう。アーディ殿下は優しいのだ。
私には取柄がない。
だから、いつか彼が離れてしまうのではないかと怖い。
そんなこんなで、あらゆる意味(ときめき、不安、ときめき、焦り、ときめき等)で心臓が忙しない学園生活を送り、あと二ヶ月で卒業というところまできた、ある日。
多忙なアーディ殿下から、久々にお茶のお誘いを受けた。
お茶といってもお茶会のような大仰なものではなく、場所は学園内の庭のテーブルで、ほんの少しだけ話すようなものだったけれど、多忙を極める彼が私に時間を割いてくれるだけでも嬉しい。
指定の時間に庭に向かうと、アーディ殿下は先についていて、居眠りをしていた。
最近の彼は「卒業までにこの国を平和にしなくては」と意気込んでいて、昼休みも返上して駆け回っているのだ。相当にお疲れなのだろう。起こさないようにそっと隣に腰かける。
と、アーディ殿下の膝に、一冊のノートが置かれているのに気付いた。
表紙には、こう書かれている。
『ルルたそ悪役令嬢ルート阻止計画』
「たそ……!」
久々に出会う「たそ」に、私は興奮を隠せなかった。
未だに「たそ」の正体は掴めていない。たそに続く「悪役令嬢ルート阻止計画」も、何のことだかよく分からない。
このノートには、私の知らないアーディ殿下の側面が詰まっている……!
彼は美しい姿勢で椅子に座ったまま、ぐっすりと眠っている。
私は我慢できず、アーディ殿下のことを知りたくて、いけないことだと分かっていながら、そっとノートを手に取った。
******
~ルルたそ悪役令嬢ルート阻止計画~
目的:原作シナリオ通りに進むと、どのルートでもバッドエンドを迎える悪役令嬢ルルたその破滅を回避し、幸せにすること。
タスク:
①ルルたそが悪役令嬢ムーブかまさないようにする
→幼少期からたくさん愛を伝えて闇落ち阻止
②ルルたそ破滅の直接の原因である邪竜復活を防ぐ
→浄化イベントを先回りで消化
③学園にやってくる正ヒロインとは断固会わない
→ふわふわピンク髪が見えたら逃亡一択
④卒業式までルルたそを守り抜く
→卒業を無事にやり過ごせばシナリオ完遂
⑤原作通りのヒーローらしく振る舞う
→シナリオにどう影響するか不明なので、あくまで王子キャラに沿って行動する。ルルたそのためなら俺はスパダリになる
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冒頭を読んだところで全く分からなかった。
「ルルたそ」が私を指すことだけは分かるが、あとはさっぱりである。
ノートにびっしりと書き込まれた膨大な文字をなんとか読み進めようとしていたら、アーディ殿下が「ううーん」と起きそうな気配がした。
慌ててノートを戻す。同時に彼が目覚めた。
「えっ寝起きに女神、あっなんだルルたそか、普通に女神だわ……」
文字だけならず音声でも懐かしの「たそ」を久々に耳にして、私は温かな気持ちになった。
一方、寝ぼけまなこだったアーディ殿下は「はっ」と口を塞ぎ、瞬時に普段の爽やかな笑みを見せる。
「ごめんねルル。待ち合わせておいて居眠りをしてしまって」
「いえ、ちょうど今来たところです」
勝手にノートを覗き見してしまった後ろめたい気持ちと、私に関する謎の計画(しかも膨大)が練られていることの不安で、胸にはもやもやが渦巻いていた。
けれど、久々にアーディ殿下と話せることの幸福に、すぐに夢中になってしまった。
「お話できて楽しかったです」
「僕もルルを浴びて生き返ったよ」
「あび……?」
「僕もルルと会えて嬉しかったよ」
「はい!」
この後は用事があるという多忙なアーディ殿下と別れ、ほくほくとした気持ちで学園を歩いていたら、「なあ」と声を掛けられた。
振り向く。
この国ではとても珍しい、桃色の髪をした女子生徒が立っていた。
「アンタが悪役令嬢・ルルやな」
悪役令嬢。その言葉に目を見開いた。
殿下の『ルルたそ悪役令嬢ルート阻止計画』の内容に頻出していた、というかタイトルにさえ入っていた、見慣れない四字熟語である。なぜ悪役と令嬢がくっつくのか。謎だ。
「あ、うっかり呼び捨てにしてもた……えっと、ウチが学年下やねんから、そう、ルル先輩。はじめまして。うち、ハナハ言います」
「……え、ええ。あなたのことは存じ上げていてよ」
ハナハ・フローラ。
希少な癒しの力を持つ「聖花の乙女」ということで、特例で学園に入学した庶民。
それだけでも噂の的になるには十分だというのに、彼女は入学早々の奇行でさらに有名になった。
奇行――彼女は使われていない旧校舎の庭で、なぜか全力で園芸に励みだしたのだ。
やっかみ諸々による女子生徒からの嫌がらせを歯牙にもかけず、愛らしい彼女の容姿に惹かれた男子生徒の声掛けにもおざなりな反応しかせず、黙々と野菜の育成に精を出す。
その静かながら鬼気迫る姿から、やがて彼女は学園内で「マッド菜園ティスト」の異名を馳せるようになり、今では畏敬の念をもって遠巻きにされている。
「何用かしら?」
これが噂の(園芸方面の)孤高の天才、マッド菜園ティスト……!
内心では盛大に怖じ気づきつつ、表情だけは凛として応じる私に、ハナハは「いや、用っていうかぁ」と、もじもじしだした。
「その……アンタの様子を知りたくて。実はここ最近、ずっとアンタのこと観察しとってん」
「?」
「その……ウチな、ほんまは物心ついた頃から、『せかあか』の世界に転生したんやって分かっててんけど、今世は健康な身体で園芸を楽しめるのが嬉しくて……存分に身体を動かせるのが嬉しくて……そっちに夢中で……めっちゃシナリオをほったらかしてて……」
「……?」
ぽりぽりと頭を掻きながら恥ずかしそうに話される内容が、いまいちよく分からない。怪訝な顔をする私に構わず、ハナハは「でも、よかったわあ!」と、明るい笑顔になった。
「ルル先輩が闇落ちしてなくて! なんか学園での行動見てても、ぜんっぜん悪役令嬢っぽくないし!」
「? ?」
「三年生がもうすぐ卒業やって聞いて、ルル先輩の邪竜召喚イベントのこと思い出して慌てたけど、なんか大丈夫そうやな。あーよかった。土いじりしてる間に世界終わったら申し訳なさ過ぎるとこやったわ!」
「……」
元気いっぱいに語られる内容は九割がた理解できなかったが、彼女に私への悪意は何一つない、ということは分かった。
敵ではない。むしろ、なぜか味方感すらある。初対面なのに彼女の方はすでに私を知っていて、親しみさえ抱いているようなのだ。
敵なら敵として対処できるのに。庶民なんて侯爵家の力でどうとでもできるのに。相手が敵じゃない場合、私はどうするのが正解なのだろう……と慣れない事態に悩んでいたら、ハナハは自分が一方的に話していたことを自覚したようで、「いきなり色々言うてごめんなあ」と、照れながら謝った。
「せかあか言われたって混乱するわなあ、うん、今の全部忘れて!」
「え、えっと……」
「そうそう。いま干し柿作ってんねんけど、そろそろ干しあがるねん。いる?」
「ほ、ほしがき……?」
「来て! 好きなん選んで! 友達になった記念にあげるから!」
「と、ともだち!」
儚げな花の妖精のような姿でありながら、ハナハはけっこう押しが強かった。
こうして、学園生活を自己研鑽に捧げた結果、友人と呼べる相手は一人もできなかった私は、卒業二か月前にして、初めて友人ができたのだった。
卒業式当日。
夕焼けに染まりつつある学園の庭で、私はひとり、ベンチに腰掛けていた。
周りに人はいない。ほとんどの生徒はすでに卒業パーティの会場に入っている。私はアーディ殿下の到着を待っていた。
今日でこの学園も見納めだ。感慨深い気持ちに浸っていたら、こつん、と何かが靴先に当たった。
足元を見る。どこから転がって来たのか、林檎くらいの黒い球が落ちていた。
「7章チャプター24」という赤い文字が刻まれている。どういう意味だろう。
拾ってよく確かめようと手を伸ばし、黒い球に指先が触れた瞬間。
――何の前触れもなく、真っ黒な竜が空から降ってきた。
凄まじい速度で降下してきた黒い竜は庭の真ん中に着地した。ドオオオン、と激しい地響きが鳴り、私はベンチから転げ落ちる。
「邪竜!?」
どうして伝説の存在が、国の果ての洞窟に封印されていると言われる邪竜が、王都の学園に現れるのか。
地面に手をついたまま愕然としていたら、何かを探すようにキョロキョロとしていた邪竜の瞳が、こちらを向いた。どしんどしんと重い音を響かせて、真っ直ぐに向かってくる。
え、食べられる?
恐怖で固まる私の目の前まで、邪竜が迫ったその時。
「いや伏線なかっただろうがあああ!」
矢のような速度で現れたアーディ殿下が、邪竜の横顔に跳び蹴りを入れた。ぐらりと傾げる邪竜、着地するアーディ殿下。
「大丈夫、ルルたそ!?」
「あ、アーディ殿下……」
「よかった生きてるぅうう」
「は、はい、生きてます」
普段の気品溢れる振る舞いとはまるで異なるテンションで私の生存を喜ばれ、こんな状況なのに思わず胸がきゅんとした。
「くそっ、なんで浄化イベントは全部こなしたのに邪竜が出るんだ……! お前のメイン登場回だからって律儀に卒業式に出席してんじゃねえよ! せっかくのルルたそ卒業パーティドレスverを生で拝める貴重な時間を……っ」
常ならぬ乱れた言葉使いのアーディ殿下が鋭い眼光で見定める先では、跳び蹴りを食らった邪竜が早くも回復し、体勢を立て直しているところだった。
「ひぇ」と情けない悲鳴を上げる私に、アーディ殿下が「安心してルルた……ルル!」と、力強く言って手を差し出す。
「僕が必ず! 君を守る!」
私を立ち上がらせたアーディ殿下は、何もないところに手をかざした。
たちまち光が集まり、彼の手に握られているのは虹色に輝く大剣。
「殿下、それは聖剣ですか!?」
「うん。邪竜特効の剣だよ。こないだ空き時間があったから、一応入手した方が安心かな~と思って念のため取りに行ったんだ」
「聖剣ってそんな備品の補充みたいな感覚で入手できるんですね……?」
「それがまさかこんな形で使うことになるとは……備えあれば憂いなし、レベル上げとアイテム収集は裏切らないとはよく言ったものだ」
アーディ殿下は聖剣を構えた。ひとりで邪竜と戦うつもりなのだ。しかし彼に気後れした様子は微塵もない。
「僕はここで邪竜を仕留める。さあ、ルルはここから離れて!」
「は、はい! 殿下、頑張って……!」
「ルルたそからの頑張ってとか最高のバフですありがとう!」
ちょっと何を言っているのか分からないけれど凄まじく気迫に満ちたアーディ殿下に背を向け、全速力で駆け出した。
私がいても邪魔なだけだ。早くここから離れて、応援を呼ばないと。
「さあ来い邪竜、僕とルルたその嬉し恥ずかし卒業ダンスを邪魔する貴様に容赦など……って、おいどこに行く!?」
必死に走っていたら、ふいに空が暗くなった。
見上げると、邪竜が私の頭上を飛行している。
目の前に聖剣を持った人間がいるというのにそれを無視して、なぜか私の方を追ってきたらしい。羽ばたきの風圧で転んでしまった。
「きゃあっ」
邪竜が私めがけ、鋭い爪を振り下ろし。
その爪は、私に届かなかった。
――割って入ったアーディ殿下が、私の身代わりになったから。
呆然とする私の目の前で、一目で重傷だと分かるアーディ殿下はそれでも膝さえつかず、血塗れの状態で聖剣を振りかぶり。
「ルルたそ強火担当舐めんなぁあああ!」
振り絞るような叫びとともに放った一閃で、邪竜を討った。
「殿下! 殿下!」
「ルルたそ……?」
倒れてしまったアーディ殿下が、薄く目を開く。
意識が混濁しているのか、いつもの「ルル」ではなく、「ルルたそ」呼びだった。そういえばさっきの慌ただしい状況の中でも頻出していた気がする。
やはり「たそ」が何を指すのかは不明だが、それでもそこに込められた確かな温かさに胸が締め付けられて、私は泣きながら彼の手を取った。
「なぜ、なぜ私を庇ったのですか……!」
「愛する君を救うのは当然だろう?」
「っ、なぜ私を、私なんかに、そこまで」
「米津玄師のLemonを熱唱したい気持ちって言えば分かる……?」
「すみませんちょっと何を言っているのか分からないです」
「君は僕の光ってことだよ」
彼は眩しそうに私を見つめる。
「君の知らない世界の君を僕は知っているんだ。その世界の君はね、愛されないことを悲しんで、どうにかしようと懸命で、なのにその努力がいつも見当違いの方向で、その上やることなすこと全て裏目に出て、なぜか失敗の中でも一番の失敗を狙い澄ましたように選び続けて」
苦しそうに息をしながら、それでも言葉を続ける。
「それでも諦めなくて、いっそ潔いくらいに潔くなくて、どんなに状況が悪くても絶対に負けを認めなくて……そんな君の生き方に、僕は励まされた。心から推した。スチルは待ち受けにした。ラストワン賞も手に入れた。祭壇も作った……」
「殿下……?」
アーディ殿下はもう意識を保っていられないのか、顔は私に向いているのに、視線が合わなくなってきた。
「ルル、いる……?」
「はい……っ! います! ルルです!」
「ルルたそ……?」
「はい!」
涙をこぼしながら、精いっぱいに笑顔を見せる――いつだったか殿下が「ルルたその笑顔サンシャイン過ぎる課金できないのが申し訳ない」と漏らしていたことを思い出しながら。
「あなたのルルたそです!」
殿下は大きく目を見開いて、瞳を潤ませ、そして微笑み。
「ルルたそしか勝たん……」
そう言って、目を閉じた。
結論から言うと殿下は助かった。
ハナハのおかげである。
殿下が「るるたそしかかたん」という言葉を残して意識を失った直後、白馬に乗ったハナハが駆けつけてきて(乗馬部から強奪したらしい)、癒しの力を行使してくれたのだ。
そうして一命を取り留めた殿下だが、いかに「聖花の乙女」の力でも邪竜による傷を一度で完治させることは難しかったため、今はハナハが定期的に王宮に通って殿下への癒しを継続している。
私がお見舞いの品を持って殿下の部屋を伺うと、開けられたままの扉から、今日も癒しに来ているハナハ、そしてベッドにいる殿下の姿が見えた。
「ほーん。ほなアンタが先回りして瘴気の浄化してくれてたんや」
「そうだ! シナリオ通りだと僕のルルたそが悪役令嬢まっしぐらだからな! 黒髪ロング清楚系美少女・とっても頑張り屋さん・ルルたそはどう考えても正ヒロインの器なのに!」
「いやーアンタが頑張ってくれてよかったわあ。うち園芸パートに夢中やったから……」
「そうだぞ貴様、何やってたんだ! そもそも正ヒロインの貴様が頑張る役回りだろうが! 転生者なら動けよ! いつまで序盤の園芸パートでやりこんでんだよ! なんだよマッド菜園ティストって! ヒロインに付く称号じゃねえだろ! 謎のパラメータばっか上げてんじゃねえよ!」
「仕方ないやん園芸楽しいねんから。しかしアンタが瘴気を収めたとて、結局ラスボスの邪竜は出てきてもうたなあ」
「うむ、そこが解せないんだ……。ま、まさかこれが乙女ゲー転生お馴染み、シナリオの強制力というやつか……?」
「えっ嫌やで。シナリオ通りやったらウチとアンタで結婚やん。嫌やで。アンタ全然うちの好みとちゃうねん」
「僕だってふわふわピンク髪はわわ系ヒロインの貴様など願い下げだ! ルルたその婿は僕!」
「いや王子は婿入りできんやろ」
おそらく何らかの専門用語が多用された非常に高度な会話だったため、話の内容はあまり理解できなかったが、ともかく殿下とハナハは和気藹々と盛り上がっていた。
ハナハは普段通りの不思議な話し方だから置いておいて、殿下の方は普段と異なる、少し乱暴な口調だったので驚いた。
でも生き生きとしている。よく分からない専門用語が頻出する長文を噛まずに語る殿下は輝いていた。きっとこれが殿下の素の姿なのだ。
殿下が素の姿をさらけ出せる相手、それがハナハ……。
それはそうか。ハナハは命を救ったのだ。
そして今も献身的に治療を続ける健気さ。加えて高度な会話に難なくついていく深い知識。それを鼻にかけない人柄。誰もが心惹かれる愛らしい容姿。
そんな魅力溢れる彼女に、殿下が心を開くのも頷ける。
邪竜による傷を癒せるのはハナハだけということで、彼女は庶民でありながらこうして王宮通いを許可されている。周りも「聖花の乙女なら王子にも見合う」と盛り上がっている。
「またシナリオの強制力で、世界の真のヒロイン・僕の天使・ルルたそが悪役令嬢ルートに向かわされては堪らない。どうだ正ヒロイン、ここは転生者同士、共闘しないか」
「ええで。うちは今世を野菜に捧げるんや。ヒロインルートなんぞに放り込まれたら敵わん。仲良くしよ」
殿下とハナハは熱く見つめ合い、固い握手を交わした。その姿で否応なく分かってしまう――ふたりは愛し合っているのだと。
「……殿下。ハナハ」
気配を殺して扉付近に立っていた私は覗き見をやめ、声を掛けた。殿下とハナハが「はっ!」と同時に振り返る。羨ましいくらいに息ピッタリだ。
「ルルたそ! あ、いや、ルル。よく来てくれたね」
「ルル先輩こんちはー」
私が現れた途端、いつものキリッとした態度になる殿下。
相手が誰であろうと変わらない自然体で、殿下に寄り添っているハナハ。
ああ、もう、私につけ入る隙なんてない。
これ以上、相思相愛の彼らを見ていられなくて、私は踵を返した。
こうなったら、もう私には……。
――今から人生をかけて時を巻き戻す禁術を編み出して、世界を殿下とハナハが出会う前に戻すしか道はない……!
「さようなら私ちょっと禁忌の森の魔女に弟子入りしてきます探さないでください……!」
「ええええルルたそ!?」
「おい王子これ魔女ルート突入ちゃうんか早よ引き留めてこい!」
「待ってルルたそぉおおお!」
廊下を駆ける私を殿下が追いついて抱き留めて「ルルたそ僕を見捨てないでぇ!」と叫ぶと同時に吐血(病み上がりの体で全力疾走したのがいけなかった)、私は慌ててハナハを呼び、殿下の容体急変で王宮は大騒ぎ、その後なんやかんやを経て。
殿下と私が両思いだったことを知るのは、もう少し先のことである。
~おしまい~
~おまけ:用語解説~
【乙女ゲーム:聖花の乙女と赤い糸】
通称「せかあか」。
序盤は野菜の育成、中盤でシナリオ選択式の恋愛、終盤でダンジョン冒険バトルものに移行する、要素盛り盛りの乙女ゲーム(乙女ゲーム)。
序盤の園芸パートで育てた野菜が後にイケメン擬人化(ツンデレ人参、ヤンデレ枝豆、わんこ系大根etc.)してダンジョン攻略パーティに加わるという謎仕様のため、序盤で手を抜くと後半のバトルパートが大変になる。注意しよう。
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以上、悪役令嬢&黒髪ヒロインしか勝たん勢王子による乙女ゲーム転生ラブコメでした。
本作を楽しんでいただけた方は、ただいま連載中の『翻訳破棄~魔王の婚約者になったら言語の壁が高かった~』もぜひ!
こちらは魔王(見た目クール中身お人好し)&お姫様(見た目ゆるふわ中身したたか)による魔王城ラブコメでございます。




