第72話 その伯爵令嬢、社交界デビューにつき
「ローズ、着いたぞ。此処がシーズン最初の社交界パーティーと舞踏会の会場となるノースフィーネ侯爵家の別邸だ」
「別邸とは思えない立派な創りですわね」
ついに迎えた社交界イベント当日――
モーリア領中央内を馬車で移動し、ノースフィーネ侯爵家の別邸へと到着するソルファ様率いるグランディア家一行。グランディア家もそうだったけれど、別邸だからといって規模感に抜かりのないのが貴族のお家。グランディア家との大きな違いはノースフィーネ侯爵家の別邸には、敷地内に大きな尖塔のある教会があった事。これは、ルモーリア王国北のノースフィーネ領内、女神ディーヴァ様の加護があるというディーヴァ山の麓に、ディーヴァ教の聖地とされるノクス大聖堂がある影響だろう。
「グランディア家の皆様、お待ちしておりました。こちらの控室でお待ち下さい」
淡い水色の髪が特徴の侍女さんが恭しく一礼し、控室を案内してくれた。時間まではソルファ様やお義父様と此処で一緒に過ごすため、本番前にうっかりゴルドー伯爵家と遭遇して一触即発。なんて心配は無さそう。
「うむ。時間まではゆっくり寛げそうだな」
侍女の方が用意してくれた紅茶を飲みながら羽根を伸ばしているお義父様。たぶん、社交界シーズンがスタートすると、外交のプロとされる外の気高く真面目そうなお顔が表に出て来るんだろう。相変わらずのギャップに見ていて思わず笑みが零れてしまう。
「そうそう。今の侍女頭のネリスは貴族学校で一緒だった子なんですよ」
「え? そうなの? ネンネ」
ネンネが教えてくれた。あのモーリア公爵家の侍女頭であるゼファー伯爵婦人と、今のネリスさん。こちらもお家はノースフィーネ領の小さな伯爵家の家柄なんだって。それと、もう一人、今王宮の侍女として働いているイザベラさんって方が、貴族学校で同期のメンバーだったらしい。ん? モーリア公爵も現ルモーリア13世の弟に仕えるゼファーさんに、ノースフィーネ家に仕えるネリスさん。で、イザベラさんは王宮のメイド。なんか、ネンネと同期の侍女さんってみんなすごくない?
あ、そうそう。舞踏会の必修である肝心のダンスだけど、ひと通りジャンルの違う音楽に合わせて脚が縺れる事無くステップを踏める程度には踊れるようになりました。後は氷の女王――アルバ・ノースフィーネ侯爵夫人、そして、最強かつ最狂、歩く絢爛豪華――継母キャサリーナの眼がある中で最後まで踊れるか? という点だけが課題。ネンネによると、私は世界に入り込ると姉ローズを完璧に演じきっているみたいなので、後はどうにかなるでしょうとお墨付きはもらっている。
「旦那様。本日の出席者名簿をお持ちしました」
「うむ。流石だな、スミス」
出席者名簿って事は、ルモーリア王国の名だたる貴族の方々のお名前がいっぱい載ってるんだろうか? そんな事を思っていると、ノースフィーネ家の主であるカール・ノースフィーネ侯爵と、お義父様はルモーリア王国の貴族派閥の中で同じ王女派で仲が良く、イベント前に手に入る事のない出席者名簿も回してもらえるんだそう。にしても何枚も紙があるって事は……それだけ出席者もいっぱいって事?
「あの……お義父様。今日のイベントは何人くらいの方がご出席なんですか?」
「おお、ローズ嬢。そうだな、気になるところよの。うむ。ざっと見るに150名は居そうだな」
「ひゃ、ひゃくごじゅう……そうですわよね。そのくらいは居ますわよね」
貴族が一人、貴族が二人……私の脳内では、牧場の柵を飛び越えていく貴族達が、多すぎてぎゅうぎゅう詰めになっている様子が浮かんでいた。
「何せ今季は王家であるモーリア公爵主催のイベントが最後に控えているからな。そちらにスケジュールを併せて来る地方の貴族も多い。ローズからすると少ないと感じて当然だな」
ソルファ様が補足してくれたんだけど……150で少ないってどういう事なの。と脳内の私はイベントが始まる前から双眸がくるくるしていた。
「心配せずともローズ嬢。その美しさなら踊る相手に困ることはないだろう。勿論、ローズ嬢が良ければ舞踏会での最初と最後の曲は息子と踊って欲しいところだがな。ハッハッハ!」
「父上、それは俺がちゃんと彼女を舞踏会会場で誘う話だ。先走らないで欲しい」
「おぉ、そうであったな、すまない息子よ。では、パーティーの後の舞踏会は二人共楽しんで来るといい」
わたしとしては今回が社交界デビューなので舞踏会の最初と最後でソルファ様とご一緒出来るのはとても素敵な事だけど、それってつまり……そういう事よね? と、考えるだけで顔が熱くなるわたしです。でもお義父様やソルファ様のお陰で、アルバ・ノースフィーネ侯爵夫人という雪の女王様の家が主催の社交界イベントでありながら、緊張の解れた状態で舞踏会前のパーティー会場へ向かう事となったのです。
「会場のご準備が整いました。準備が出来ましたら白雪の広間へとお集まりください」
ネリスさんの案内でいよいよ会場入りする私たち。お義父様―ニコラス・グランディア様を先頭に、私とソルファ、ネンネとスミスさんが続く。ソルファ様の手はいつものように温かく、わたしを安心させてくれる。
「では、行こうか、ローズ」
「はい、ソルファ様」
大きな会場の扉を開けると、そこは煌びやかな貴族の世界。広い会場の袖には弦楽器を演奏している方々。華やかな社交界の世界に彩りを乗せている。燕尾服や華やかなドレスを身に着けた紳士・淑女、ご令息・ご令嬢が舞台で談笑をしている。ちなみに社交界のイベントでローズ姉と絡む可能性のある人物はある程度予習済。元々の関係性などもあるため、注意を払わねばならない。舞踏会前のパーティーでは最初に主催者のご挨拶があった後、最初に此処、パーティ会場でのお食事。その後、お隣の会場へと移動しての舞踏会というスケジュールみたい。
また、ネンネによると、ルモーリア王国の舞踏会では、その年のシーズン最初の舞踏会、オープニングセレモニーで齢十六~十八のご令嬢がデビュタントの対象として紳士と踊ることが通例になっているそうなんだけど、あくまでわたしは姉ローズとして出席するため、デビュタントで踊る予定はない。ちなみに本物のローズ姉は現在二十歳で三年前にデビュタント済。妹であるわたしは現在十七歳ですが、元々表に出る事も無かったため、今回のような機会が無ければ社交界デビューする事はきっと叶わなかったでしょう。
ソルファ様とわたしが会場へ入った事に気づいた何人かのご令息、ご令嬢が何やらこちらを見ながら話をしている。それもその筈、燕尾服を着たソルファ様は誰が見ても凛々しくて眩しいもの。因みにわたしは今日、奇しくも変装前のわたし、アリーシェの双眸の色である淡翠色のドレスを着ている。これは、サウスオリーブ家で行われたパール婦人のお茶会の際、淡い海色のドレスが好評だったこともあって、グランディア侯爵家にあるドレスの中からネンネと選んだドレスだ。
「ローズちゃん。夏らしくて爽やかなドレスだね」
「アクア様! ご機嫌麗しゅうございます」
アクア・サウスオリーブ公爵が早速わたし達を見つけて声を掛けてくれた。こうして見知った方から声を掛けてくれるのはとてもありがたい。パール婦人も後ろに控えていたけれど、他のご婦人達にすぐさま囲まれてしまったので、軽くお互い会釈する程度にしておいた。
「では、後ほど」
「ありがとうございます」
アクアさんが公爵家のテーブルへと移動したため、わたし達もグランディア侯爵家のテーブルへと移動しようとしたところ……背後から背筋を震えさせる視線を感じ、思わず振り返る。そこには継母キャサリーナでも、実父グランデ・ゴルドーでもなく、いつもの騎士団の服ではない礼装を身に着けた蛇のような鋭い視線の人物がこちらを見ており……。
「ローズ! 今日は待ちに待った社交界のパーティーに舞踏会。楽しみだな」
「バルサーミお兄様。ご機嫌麗しゅうございます」
「もうすぐ父上と母上もやって来る。俺たちの席はあっちだ。お前と隣同士になれなくて至極残念だよ、愛しの妹、ローズ」
恭しく一礼するわたしのドレス姿を舐めるような目付きで下から上まで見て来るバルサーミ兄は相変わらずだ。しかし、お兄様の独壇場とはならない。わたしの横に居たソルファ様が視線を遮るように割って入ったからだ。
「バルサーミ、分かっているな。ミルア様達が今日、警備をしてくれているから、俺とお前は家柄もあって社交界イベントへ出席出来ているんだ。ちゃんと貴族らしい振る舞いで居るんだぞ」
「へいへい、分かってますって、先輩」
そういうと踵を返したバルサーミ兄が自席へと帰ろうとする。が、直ぐに立ち止まったバルサーミ兄がわたしに向かってこう告げる。
「そうそう、ローズ。今日はな、母上からお前に、とっておきのサプライズがあるんだぜ。後で楽しみにしているんだな。じゃあな!」
ソルファ様が睨み付ける中、バルサーミ兄は自席へと移動する。まだ継母と実父が伯爵家の席に居ない。もうすぐ社交界のパーティーが始まるという中で継母という存在が直前までこの場に居ない事が不気味で、何かこれからとんでもない波乱が待ち受けているのではないか。わたしの脳裏に陰を落としたのでした。




