第70話 その町娘、謎多き女性につき
虹色咲花は表ではあまり流通していない。元々花弁をすり潰し、他の薬草と煎じて飲む事で病気へ効く薬として、一部の薬師の間で利用される高山植物だ。そのため、双眸の色を蒼色へ変化させるための目薬としてはあまり流通しておらず、双眸の色を変える事が出来るという事実に気づく人は少ない。
同じ双眸の色を変える目薬を創る植物にはわたしの双眸の色である淡翠色へ変える翠雪山草や、深紅色へ変える火焔牡丹などがあるんだけど、知っているとすれば、よほど植物に詳しいか、変装のプロ、薬師のいずれかなんじゃないかと思う。
ネンネは元々メイドとして主人が病気となった際、治療や看病をしなければならないため、薬や植物の知識がかなり豊富。だから、わたしがローズとして替え玉になる事が決まった時、すぐに双眸の色を変えるやり方をわたしに提案してくれた。
「その双眸の色、虹色咲花でしょう?」
ファリーのこの言葉にわたしの身体は硬直してしまい、早鐘を打つ心音を聞かれまいと抑える事で精一杯だった。ネンネもこの場をどう取り繕うか、まだ相手の出方を窺っているみたい。そもそもファリーは味方なのか? 子供達を助けようとしている姿は相手を油断させるための行動で、もしかすると彼女もワイルドウルフの幹部で変装している……なんて可能性も?
「ごめんなさい! びっくりしましたよね!? ひとつ言える事は、私はあなたの敵ではないとははっきりお伝え出来ます。今巷で噂の闇組織とも無関係ですので!」
そんな事を考えているとファリーさんが警戒するわたし達の様子に気づいたのか、両てのひらを顔の前でひらひらさせて慌てたようにフォローしてくれた。ここまで否定するって事は信じてもいいのでしょうか?
「ひとつよろしいでしょうか? どうしてファリー様は、いま私たちと接触を試みようと考えたのですか?」
「え? ネンネ?」
ネンネがファリーの顔から視線を逸らさず、真剣な眼差しを向けている。ネンネ、ファリーに対して何か思うところがあるの?
「……そうね。私と同じ変装をしているご令嬢へ挨拶をしておきたかった……ってところかしらね」
「待って下さい! ではファリーさんは、私たちが通りでケイン君を捕まえた時から変装を見抜いていたんですか?」
もしそうだとすれば、変装がバレる可能性を懸念して街歩きを控えなければならない。でも、ファリーさんの返答は違っていた。最初から確信はなかったけれど、直感が働いたんだそう。そして、姉ローズという中央で比較的有名な伯爵令嬢へ変装している人物が何者で、何の目的で行っているのか、興味が沸いたんだそう。
「私は逃げも隠れもしないし、よかったら仲良くして欲しいな。三日後に此処で開かれる今週末お休みの炊き出しも是非ローズさんとネンネさんで来て下さい。ケイン君もきっと来るでしょうし、楽しいですよ?」
「分かりました。考えておきますね」
「では、護衛の方がご心配される前に今日は解散しましょうか?」
「はい、そうですね」
右人差し指を口元へ当て、おどけた表情で笑ってみせるファリー。
こうして私たちの疑念が晴れる前に教会での密談は終了を迎える事となった。
◆
その日の夜、今日一日色んな事があって疲れてしまったわたしは、ネンネとグランディア侯爵家別邸のお風呂へじっくり入らせてもらう事にした。本邸と違って露天風呂ではないけれど、別宅のお風呂も相変わらず広い。ふと気づいたんだけど、お風呂のお湯が出て来る場所が鷹の彫刻のようになっている。本邸もそういえばそうだった気がする。鷹は王宮騎士団紋章のモチーフになっていて、以前騎士団の訓練を見学した時にも、紋章が建物の目立つところにあった。ソルファ様が騎士団へ所属している事と関係があるのかも。
「ファリー様の件、アリーシェお嬢様はどう思われますか?」
「うん。たぶんファリーさんが言うように敵……ではないんだと思う。彼女も変装をしている理由は分からないし、謎が多い方だなぁって」
「変装をしているって意味では向こうもアリーシェ様の事、謎が多い方って思っているかもしれませんよ?」
「まぁ、それはそうだけど……」
考えがまとまらず、お湯にそのままゴボゴボと沈んでいくわたし。ルモーリア教会で数日後開かれるという炊き出しもどうしよう? ファリーさんの事は気になるけれど、今日の事を考えるとあまり変装姿で出歩いて、人と接触する方が自身を危険な目に晒す気がする。
「そうですね。では、炊き出しはネンネが一人で参りましょう。お嬢様はあまりローズ様の御姿で出歩かない方がいいでしょうし、此処はネンネに任せておいて下さい」
「でも、ソルファ様やジウさんに怪しまれないかなぁ?」
「なら、休日がお休みなソルファ様と街歩きでもしますか?」
「そうねぇ~ってどうしてそうなるのよ!」
ネンネからの提案に、思わず湯舟から立ち上がるわたし。只でさえわたしだけでも街歩きであんなに注目を浴びたのに、あんな素敵なソルファ様が横に居る状態で目立っては大変な事になってしまいそう。ソルファ様と一緒に過ごせる事は嬉しいけれど、中央での街歩きは控えた方が良さそう。
「ふふふ。冗談ですよ、お嬢様」
「え? は? もうーネンネ! 揶揄ったわねー!」
ネンネへお湯をかけあっているうちに、少し不安が取り除かれた気がした。お風呂から上がる前に、まずは眼前に迫って来ている社交界、そこへ集中した方がいいとネンネが補足してくれた。それは間違いない。ファリーという新たな懸念材料をずっと抱えていては、今から続く社交界、乗り切る事は出来ないと。
「それに……ファリー様はきっと社交界でお会い出来るような気がします」
「あ。そっか。あの佇まい、きっとどこかのご令嬢だものね」
「ご令嬢……そうですね」
この時、ネンネはファリーに関してある予測を立てていたんだけど、それを知るのはもう少し後になってからの話なのでした。
結局、数日後に開かれた教会の炊き出しはネンネだけが出向く事に。わたしはちょっと中央への移動や街歩きなどで疲れが溜まっているとの理由で自宅待機する事に。ちなみにこの日はソルファ様からもの凄く心配された事は言うまでもない。
ネンネから聞いた話によると、教会の炊き出しも無事に終わり、結局ケイン君たちは兄妹は教会の孤児院へ引き取られる事になったらしい。始めケイン君は警戒していたものの、ファリーさんの機転と他の参加していた子供達とケイン君の弟、妹たちが先に打ち解けた事や、ご飯が美味しかった事で、最後は心を開いてくれたんだそう。
「特にファリー様も怪しい動きはありませんでした。一旦は信用して問題はないかと思います」
「ありがとう、ネンネ」
まだ気になる事はあるけれど、ファリーさんの件は一度置いておいて、本番へ集中しよう。
ダンスレッスン、色んな貴族や王家のお勉強。お作法の確認。こうして残り期間で準備を終えたわたしは、夏の社交界第一弾となる、ノースフィーネ侯爵主催のパーティー当日を迎えるのでした。
変装姿ではあるけれど、今まで社交界なんて触れた事も無い世界だったわたし・アリーシェにとっての社交界デビューである。




