第68話 その伯爵令嬢、中央を散策する
ミルア騎士団長の来訪から一夜明けた日。
この日、ソルファ様はルモーリア城の王宮騎士団本部へ幹部が集合するとの事で、朝早くから支度をして出掛けていかれた。きっと最初の社交界も近いため、帰還中の警備をどうするかや、ワイルドウルフ対策など、色々準備しているんだと思う。
わたしは午前中、ネンネと侯爵家のホールでダンスの練習。残念ながら (?)男装は誰も見られる可能性がないところでしかしないんだそうで。またカッコイイネンネみたいな~って言ったら『お、お嬢様! 揶揄わないで下さい』って珍しく恥ずかしがってたのは貴重だった。
そして、そのお昼。珍しい人物がわたし達の前へ姿を見せる。
「ローズ様、ネンネ様」
「え? ジウさん?」
グランディア侯爵家密偵のジウさん。侯爵家で裏方の仕事をしているだけでなく、ディアスでの盗賊団の一件以降、わたしの護衛もしてくれているようで、実際、サウスオリーブの一件でも、身を挺してわたしをワイルドウルフの魔の手から護ってくれた。ソルファ様が絶大な信頼を置いているのが分かる人物だ。
「ソルファ様から言伝です。『久し振りの中央。実家に帰らずともたまにはネンネ殿と街歩きでもして来るといい』との事です。万が一の襲撃に備え、小生が護衛に付くよう命を受けております故、ご安心下さい」
「えぇ!? ソルファ様がそんな事を!?」
「社交界シーズンが始まると忙しくなるだろうから……と仰っておりました」
きっと、外の空気もたまには吸わないとずっと侯爵家の中では退屈だろうと気を遣ってくれたんだと思う。思えば朝からグランディア侯爵もお偉い貴族の方とお会いする約束があると言って出掛けていかれた。もしかして、心配されてる!? 考えすぎよね?
「ローズお嬢様、折角の機会ですし、久し振りに中央のセントルム地区を散策しましょうか?」
「そうですわね。ではお言葉に甘えて参りましょう」
ジウさんが見ている前なので、こう言うしかなかったのだが、実は此処モーリア領を歩くという事は危険がいっぱいなのだ。それはワイルドウルフや野盗が居るから……という意味ではない。それは、わたしは姉ローズとして街を歩かなければならないからだ。少なくともゴルドー伯爵家はモーリア領ではそこそこ名前を知られている貴族だ。つまり、姉ローズの姿で歩いた場合、誰かに気づかれる可能性もある。ましてや、これまで出逢った主要貴族の方々や、わたしの家族と遭遇する可能性だってゼロではないのだ。むしろグランディア侯爵家の中が平和なので、ずっと此処に居たいです……とは言えない訳で。
こうしてローズ姉お気に入りの衣装に近い、街歩き用にアレンジされた深紅の衣装を身に着け、わたしはネンネと街を歩く事になる。そして……。
「ゴルドー伯爵家のローズお嬢様よ!? 社交界シーズンで中央へ戻っていらしたんだわ」
「確かあの西の英雄に求婚されたとかいう!?」
「え? 西の英雄ってあの血も涙もないって噂の?」
今ならディアス領の街歩きでソルファ様が沢山の視線に晒されていた気持ちが分かる。にしても姉ローズは少し歩くだけでこんなに人が振り返るくらい有名だったって事。そう思ったところでわたしは気づく。彼女は普段、歩いてないんだ。東ガーデン地区の繁華街でなく、この中央のセントルム地区にある人気のドレスショップや装飾品の店へ行く時でさえも、声を荒げて馬車を呼びつけていた記憶が呼び起こされる。基本、疲れるような事を好まない姉だ。此処は、ささっと行きたいところだけ行って、侯爵家へ帰る事にしよう。
「ローズ伯爵令嬢……そそるぜ」
「おいおい本人に聞こえるだろう?」
「何だか、以前より美しさに磨きがかかっている気がするわ」
「まさか……西の英雄の手で大人の女性にされたとか!?」
「「いや~ん」」
えっと、これはローズ姉が褒められているって事でいいのかしら? 美しさとか大人の女性とかよく分からない単語が飛び交っていたような気がするけど気のせいよね? そんな事を考えているとわたしの横について歩いていたネンネが小声で提案してくれた。
「ローズお嬢様。此処はささっとルモーリア教会でお祈りだけして、帰りに行き着けのパン屋があります故、お土産だけ買って帰りましょう」
「それは賛成ね。何だか視線を浴びすぎて、このままだと溶けてしまうところでしたわ」
これでは街歩きどころじゃないと判断してくれたネンネ。ローズ姉を知っている貴族の知人に出逢う前に、今のうちに教会へ避難してしまおうという事だろう。教会だと騒がしくする事も出来ないし、ルモーリア教会はわたしがアリーシェの姿でも出歩く事が出来た貴重な場所のひとつでもある。あそこの神父さんは凄く優しい御方で、わたしもよく覚えているし、何より神父さんもアリーシェとして覚えてくれている。ローズ姉姿のわたしを見て、神父さんはどう思うんだろう? そんな事を考えていたその時だった。
「泥棒~~~! 泥棒~~~!」
中央通りの向こうから、叫声が聞こえた。ん? サウスオリーブの時もこんな展開あったような? あの時はサウスオリーブ公爵所有のドレスショップをワイルドウルフの盗賊団が襲ったんだった。通りの向こうから小麦の香りが漂う中、両手でパンを抱えた小さな男の子がこちらへ向かて石畳を駆けて来る。後ろから店主らしき人も追い掛けて来ているが、男の子は両手が塞がっている状態で両脚だけを素早く動かして見事に逃走している。でも、彼の逃走劇は長くは続かない。男の子がわたしの横を通過した直後、刹那姿を見せた人物に両脇から抱えられてしまったから。
「筋はいい。だが、脇が甘い」
「離せ! 離せ!」
「ジウさん!」
そう。わたしとネンネを護衛しているジウさんは常に近くで待機しているんだ。有能な密偵を前に逃走なんて無意味。ましてやまだ子供だから当然だ。盗んだパンを必死に落とさないようにし、宙に浮いた両脚だけバタバタさせる男の子。やがて、店主らしき男がようやく追いついて来る。
「やや。盗人を捕まえて下さったんですね。ありがとうございます! 坊主、来い! 騎士団の警護部隊へ引き渡すからな」
「くそっ」
ジウさんから店主の方へ引き渡された男の子が一旦抵抗するのを止める。どうしよう? パンを盗んだこの子は、裁かれるんだろうか? もし、この子が盗まなければならない事情があるんなら。騎士団なら、ソルファ様へ言ってなんとかしてもらえないだろうか? わたしにはネンネが居たから、当時残った料理を貰ったり、カントリー子爵家でお手伝いをした時に一緒に作ったご飯にありつけていたから何とかやり過ごせた。でも、この子は……。
「あ、あの……!」
「はっ、その御姿!? やややっ、誰かと思えばローズ・ゴルドー伯爵令嬢ではないですか!? どうかなさいましたか?」
「ご機嫌よう。ええと、実はですね。その子は……」
店主に捕まったままの男の子が不審そうな表情でこちらを見ている。わたしが何か適当に理由をつけて男の子を店主から引き離す策を考えていたその時だった。
「こらーーレックーー! 何やってるのーー!」
「は?」
「え?」
わたしがソルファ様とのデートで着ていた町娘の民族衣装と空色のスカートを身に着けた女性。わたしと同じくらいの年齢だろうか? 臙脂色の髪を後ろでひとつ結びにし、姉ローズと同じ蒼色の双眸は今のわたしと同じ色をしている。パン屋さんのあった方から走ってやって来たその女性は、男の子が抱えている数個のパンをいつの間にか取り、『ちょっと持ってて下さる?』とわたしに渡す。そして、店主が捕まえていたその男の子の頭へ上から拳を落とした。
「痛っ」
「うちの弟レックがすいません。お金は払いますので。こら、レック。店主さんに謝りなさい!」
「なっ、んで……」
「ほら、早く!」
「す、すいませんでした」
女性が店主へ渡したお金はなんと銅貨でも銀貨でもなく、金貨一枚。どうみてもパン数個より値段は上だ。
「こ、こんなに!? いや、これは受け取れませんぜ、お嬢さん」
「いえ。ご迷惑をおかけした分のお詫び賃もあります。これで弟を許してくださいますか?」
「え、ええ! むしろこちらが申し訳ないくらいです。ローズお嬢様もありがとうございました。では、失礼致します」
店主はお辞儀をして嬉しそうな表情で退散していく。いつの間にかパン泥棒騒動で、人だかりが出来ていたけれど、解決した事が分かるとみんなその場から離れていった。ちなみにわたしはまだ、この女性に渡されたパンを両手に抱えたままだ。
「あ、パン。ありがとうございました」
「いえいえ」
両手に抱えたパンをお姉さんへ渡そうとしたタイミングで、それまで黙っていた男の子がお姉さんへ向かって声を荒げた。
「おい! お前! どうして助けたんだ!?」
「しーー。ここだと目立ちます。そうね。あそこの教会で話しましょう。このパンも欲しいんですよね? すいません、パン。教会まで運んでくれませんか? この子が逃げないよう見張ってなきゃいけないので」
「え、ええ。わたしは大丈夫ですけど……レック君。お姉さんから逃げちゃだめよ?」
「だから、こいつは俺の姉なんかじゃ……」
「さ、行きましょう」
口を塞がれたまま男の子はお姉さんに連行されていく。今、確かにレック君は俺の姉なんかじゃないって言い掛けた気がする。じゃあ、一体この女性は何者なんだろう? ネンネ、ジウさんと頷き合い、わたし達は、先を行く二人と路地の向こうに見えるルモーリア教会へ向かう事にした。




