海浜問題(後編)
貴族たちを説得する為に、夏風の貴婦人は、どうするのか?
早朝。
太陽の館の道場では、夏風の貴婦人が日課のトレーニングをしていた。
春までならば、まだ青い朝日に照らされている道場だったが、今の時期は朝日が昇るのが早く、
道場の石畳は白く浮かび上がっている。
夏風の貴婦人は床に転がり、腹筋をし乍ら考えていた。
ハミルトン家の海浜問題で貴族の議員を納得させるには、一体どう言えば良いのか。
自分を突き通す事なら簡単だ。
今迄だって、ずっと、そうしてきた。
民衆の為になる事を強行し、結果的に民衆が喜んでくれるのならば、其れは自分の勝ちだった。
だが最早、其れを実行し続けるには、貴族との間に亀裂が入り過ぎている。
・・・・反逆者。
百年、大陸の為に遣ってきて、そんな言葉を言われてしまったら、
其れは負けだと夏風の貴婦人は思った。
議員の多くは貴族の者たちだ。
民衆の為に集っている議員だとは云え、彼等は其の前に爵位在る身分なのだ。
貴族で在る誇りを無にしてまで本当に民衆の為に尽くそうとする貴族など、ほんの一握りである。
異種を懸念する者など山ほど居るが、畏れられてはいけない。
例え、どんなにプライドの高い貴族だろうと、
自分たちは常に協力者で在らなければならないのだ。
民衆の為だと言って、ハミルトン家の海浜を力尽くで民衆に公開する事は出来る。
だが今、其れをすれば、貴族たちは一気に自分たち異種を敵視するだろう。
民衆の為にもなり、貴族たちも利益を感じる方法を選ばなければ・・・・。
民衆向けのリゾート地を作れば民衆は喜ぶだろうが、貴族たちは自分たちの海浜を欲しがっている。
どうすればいい??
どうすれば・・・・。
夏風の貴婦人は勢い良く上体を起こすと、タン!! と立ち上がった。
次の会議は直ぐに遣ってきた。
議員たちは会議の時間に合わせて、それぞれ議事堂へ来るのだが、
此の日は集合場所が急遽変更された。
其処は南部のハミルトン家の浜辺で、東部の議員は三分の一程しか来られなかったが、
南部の議員は白銀の貴公子を含め殆どが出席していた。
此の土地の所有者のサーシャ婦人も列席している。
東部に棲む翡翠の貴公子も来ている。
「一体こんな処に集まらせて、夏風の貴婦人は、どうしようって云うのかね??」
「デモンストレーションでもして、私たちを取り入るつもりなんだろう」
「まぁ、何にせよ、高級リゾート地開設は決まったも同然だ」
そう囁く者の中に、フルー公爵も居る。
此処に集まった貴族の大半は高級リゾート地に賛成だった。
さんさんと太陽の照る浜辺で群がっている議員の姿を、一般人が取り巻く様にして見ていた。
「ねー、ママー。海、入ろうよー」
小さな子供が母親の手を引くと、母親は声を潜める。
「しっ。今日は帰りましょう」
「えー」
いつにない浜辺の雰囲気に、子供連れの親が帰って行く。
どうやら此の海辺は民衆の夏の遊び場となっていた様だ。
他にも海に遣って来た人々が、浜辺の様子に何事かと首を伸ばす。
「何遣ってるんだ??」
「あれ、議会の議員たちだろ??」
「異種様よ!! 異種様が居るわ!!」
「何か催し物が在るのかしら??」
異種が居ると云う噂を聞き付けて、野次馬が徐々に増えていく。
議員たちは居心地が悪そうにしたていが、遂に誰かが叫んだ。
「夏風の貴婦人だ!! 夏風の貴婦人が来たぞ!!」
白い制服姿で一人浜辺を歩いて来る小柄な女性に、議員だけでなく民衆もざわめく。
「夏風の貴婦人だ!!」
「夏風の貴婦人だ!!」
夏風の貴婦人は堂々と議員の前に出て来ると、ニカリと笑った。
「こんにちは、皆さん。今日は御存知の通り、
ハミルトン家の海浜問題について話し合いたいと思い、此処に集まって戴きました」
夏風の貴婦人の挨拶に、早速、議員たちが野次を飛ばす。
「何で、こんな処に集まらせる?!」
「私たちを鉄板焼きにでもするつもりかー!!」
「何か演出しようとしたって無駄だぞー!!」
一斉に声を上げる議員たちに、夏風の貴婦人は大きな声で答えた。
「此処へ皆さんを呼んだのは、此の海辺が、どんな場所なのか、
其の目で見て欲しかったからです」
夏風の貴婦人は片手を広げる。
「どうですか?? とても広い浜辺ですね!!
此の美しく広い浜辺を皆で共有出来たら、どんなに素晴らしい事かと思います!!」
夏風の貴婦人の言葉に、議員たちは一層声を張り上げる。
「だから共有しようと、リゾート地を建てようと案が出ているんじゃないか!!」
「そうだ!! そうだ!!」
「リゾート地が在れば皆が楽しめる!!」
夏風の貴婦人は夏の太陽の様なギラギラした眼差しで議員たちを見る。
「では、どんなリゾート地を?? 予算は?? 具体的にどうぞ」
夏風の貴婦人に視線を向けられ、先程まで声を上げていた議員たちが咽喉を詰まらせる。
「だから・・・・皆が楽しめる、リゾート地だ・・・・」
「ホテルを作るんだよ・・・・ホテルを!!」
「予算は800ゴドル!! いや、600ゴドル!!」
おろおろと答える議員たちに、夏風の貴婦人は笑う。
「随分と御高いですね。一般人は泊まれるのでしょうか??
そもそも600ゴドルも何処から出すんですか??」
「金など議会から出せばいいだろう!!」
「議会の御金の多くは民衆からの納税です。
はっきりしない用途に、しかも600ゴドルも出せる訳がありません」
「はっきりするもしないも、此処のリゾート地に遣うと言ってるんだ!!
一般人も泊まりたければ泊まればいい!!」
「つまりコストを大幅に下げても良いと云う事ですか?? それならば私も賛成しますね」
はきはきと言う夏風の貴婦人に、遂にフルー公爵が声を荒げた。
「夏風の貴婦人!! 君は一体、どう云うつもりなんだ?!
民衆と我々貴族が一緒に楽しめるリゾート地など在る訳がない!! 貴族は貴族!!
民衆は民衆!! 地位と経済力の差だ!! 当たり前の事だ!!
君は其の貴族たちの憩いの場を、許さないと云うのかね!?」
「そうだ!!」
「そうだ!!」
フルー公爵の声に議員は更に勢いを増して、夏風の貴婦人を責め立てる。
夏風の貴婦人は暫し其の光景を見ていたが、ふと橙の瞳を細めると言った。
「違います」
「何が違うと云うのかね?! 君は貴族を蔑ろにしたいんだろう?!」
「違います。・・・・私は、ただ」
夏風の貴婦人は下を向くと、自分の白いケープに手を掛けた。
「私は、ただ・・・・」
夏風の貴婦人はケープを外し、制服の上着を脱ぐと、更に上半身の下着を脱ぎ捨てる。
突然、人々の前に晒された夏風の貴婦人の豊満な胸に、男の議員たちは一斉に動揺する。
白銀の貴公子と翡翠の貴公子も目を瞠る。
「ど、どう云うつもりだ!! 夏風の貴婦人!!」
裏返りそうな声で、フルー男爵が声を上げる。
だが驚く事に夏風の貴婦人は制服のズボンまでも脱ぎ捨て全裸になると、
海に向かって一気に走り、裸でバシャーン!! と海に跳び込んだ。
そして夏風の貴婦人は海面が腰にくる辺りまで上がってくると、
「うっわー!! すっごい気持ちいい!! やっぱ夏は海だわーー!!」
大声で叫ぶ。
「こんな気持ちいい事、誰だってしたいでしょーー!!」
夏風の貴婦人は海の中から満面の笑みで言う。
「こんなに気持ちいいんです!! 夏の海って気持ちいいですよ!! 皆で共有しましょうよ!!
貴族の方々を蔑ろだなんて、とんでもない!!
私は、ただ皆で、此の気持ちの良さを共有出来たらいいなーって思っているだけなんです!!
共有しましょうよ!! 皆で一緒に!! 子供も大人も!! どんな人も!!」
両腕を広げて力一杯に言う夏風の貴婦人に、誰もが唖然として言葉を失った。
海に濡れた夏風の貴婦人の健康的な肌が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
夏の日差しに、なんと相応しい女性なのか。
打ち寄せる波音だけが辺りに響く。
だが・・・・。
・・・・パチパチパチ。
議員の一人が手を叩いた。
パチパチパチパチ。
拍手が、どんどん大きくなる。
「ブラバー!! 夏風の貴婦人!!」
「そうだ!! 其の通りだ!! 皆で共有しなければ!!」
「私も実は、そう思っていたのだよ!!」
「こんなに素晴らしい海だ!! 皆で楽しもう!!」
「あーっはっはっは!! そうだ!! 私は何を言っていたのか!!」
笑い出す議員たちには、もう貴族の為のリゾート建設の表情はなかった。
夏風の貴婦人が海から上がって来ると、太陽の館の付き人がタオルを持って来る。
其処へ、サーシャ婦人が駆け寄って来た。
「感動しましたわ!! 夏風の貴婦人!!
どうぞ、ハミルトンの土地は、皆で楽しめる場所にして下さい。
民衆を差し置いた高級地にしない様、一筆書いて議会に返還致しますわ」
「有り難うございます」
夏風の貴婦人は、ぎゅっとサーシャ婦人の手を握る。
すっかり夏風の貴婦人に魅せられた議員たちが盛り上がる中、
フルー公爵は悔しげに唇を噛んでいた。
其処へ、
「完敗ですね」
含み笑いの篭った声が掛かった。
振り返ると、白っぽい金髪に碧眼の若い青年が、フルー公爵を見ていた。
だが青年は会議も纏まったからなのか、議員たちの中から出て行く。
「誰だ、あれは・・・・??」
フルー公爵が近くの議員に聞くと、まだ若い議員が答える。
「北部のブルート家の御曹司ですよ。一ヶ月前に議員権を持ったんです。
東部にも屋敷を持っているそうですよ」
「若造が・・・・」
済ました青年の顔が気に入らなくて、フルー公爵は鼻息を荒くした。
どうであれ、ハミルトンの土地が民衆の公開地になる事は決まった様なものだった。
間も無くして評決が出ると、フルー公爵は足早に浜辺を去って行った。
議員たちが散り散りに去り始め、夏風の貴婦人も翡翠の貴公子と共に解散しようとする。
其処へ白銀の貴公子が話し掛けて来た。
「良かったよ。とても。感動した」
夏風の貴婦人は、ウハハ!! と笑うと、
「あんたも大変みたいじゃない??」
野次る。
「今回は申し訳なかったよ。其の御詫びと云っては何だけれど、近日、親戚の別荘に行くんだ。
夏風の貴婦人と翡翠の貴公子も、どうだい??」
夏に白銀の貴公子が誘って来ると云えば、避暑地か海の在る高級リゾート地だろう。
「そりゃあ、勿論・・・・行くに決まってるわ!! あんたも行くわよね??」
ギラリと夏風の貴婦人に睨まれて、翡翠の貴公子は頷く。
だが、ぼそりと翡翠の貴公子は言った。
「俺だけは行けない。金の貴公子も誘わないと・・・・」
翡翠の貴公子だけ遊びで外泊となると、あの居候の金の貴公子が黙っている訳がない。
「ああ、そうね。面倒だけど、金のアイツも呼ばないとね」
と云うか。
「金の貴公子を呼ぶなら赤の貴公子も呼ばないとフェアじゃないし、
赤の貴公子を呼ぶなら漏れなく赤の貴婦人も付いて来る訳で、
私が行くなら蘭の貴婦人も行くって事なんだけど・・・・」
いいですかね??
それで??
と問う夏風の貴婦人に、白銀の貴公子は笑って頷いた。
結局。
白の夫妻は他六人を連れて、親戚の海の別荘地へ宿泊した。
別荘地は白銀の貴公子の母親の甥系列が所有しており、白の夫妻は毎年、此処に招待されていた。
浜辺は高級リゾート地で、裕福な人々を客に経営されていた。
浜辺の近くには、レストランが幾つも在る。
飲食をし乍ら海を楽しめるのだ。
「私たちは顔パスだから、自由にしていいよ」
白銀の貴公子に柔和に言われて、赤の貴婦人は顎が外れそうになる。
「ええええ!! 御金、払わなくていいのっ?! てか、旅費も払わなくていいんだよね?!
どうする!! どうする?? 御兄ちゃん!!」
妹に服を掴まれて、赤の貴公子は、
「食べ放題に飲み放題だ」
真面目に頷く。
「其れより海よ海!!」
夏風の貴婦人は、もう耐えられん!! と云う様に服を脱ぎ捨てると、
全裸になって海へ跳び込んで行く。
「ああー!! 待ってーー!! 夏風の姉ーー!!」
赤の貴婦人も服を脱ぎ捨てると、同様に海へと走って行く。
其れを見た春風の貴婦人が、「まぁ・・・・」と口に手を当てる。
金の貴公子は海辺の店からカクテルとシートを貰って来ると、シートを広げて上半身裸になり、
寝転がる。
「俺は日焼けし乍ら、逆ナン待ちしよっと。主も一緒に日焼けしようぜ」
金の貴公子に誘われて、翡翠の貴公子も上半身裸になったが、
「俺は・・・・泳ぐ」
海の方へと行ってしまった。
其の後を赤の貴公子がついて行く。
海では夏風の貴婦人と赤の貴婦人がガンガンと泳いでいる。
「ああー!! 気持ちいーー!! やっぱ夏は海だわーー!!」
「青い空!! 白い入道雲!! そして広がる青い海!! そして飲み放題!! 食べ放題!!
此れだよねーー!! 夏ってーー!!」
「うおー!! 泳ぐ!! 泳ぎまくってやる!!」
夏風の貴婦人は海面に顔を出すと又、勢い良く海に潜る。
其の後を赤の貴婦人が追って潜る。
跳ねる海の飛沫が、砕かれたダイヤモンドの様にキラキラと煌いている。
ゼルシェン大陸も異種たちも、夏真っ盛りだ。
この御話は、これで終了です。
ゼルシェン大陸での異種の立場を感じて貰えたのなら、幸いです☆
この「ゼルシェン大陸編」を順番通りに読まれたい方は、
「夏の闘技会」から読まれて下さいな☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆