九 悪癖
伯爵邸を後にし、ウィルとクリスがあらかじめ決めておいた集合場所に向かうと、そこにはすでにベラとエドの姿があった。
「お疲れ」
「早かったのね。用事は終わったの?」
「あ、ああ……」
ウィルはしどろもどろに返事をした。
先ほどクレトから聞かされた話を、仲間と言えど、二人にするわけにはいかない。クレトとの約束もある。全く、大変な話を聞いてしまったものだ。ウィルは溜め息をつきたかった。
「なんか甘い匂いがすんなぁ」
スン、とクリスが鼻を鳴らした。何か果物の匂いに、美味そうな匂いだ。クリスは匂いの正体を言い当てた。
ベラとエドは顔を見合わせ、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「さあ?」
「何のことかしらね?」
二人きりにしている間に、随分と仲が深まったらしい。年長組の二人は嫉妬のようなものを抱いた。
王都を出発し、西に向かって何日も歩き続けた勇者一行ではあるが、もうすぐ出国である。関所はもう目と鼻の先だ。ここまでの旅路は実に順調だ。
「今日はここまでだな。宿を探さねぇと」
「そうね」
クリスの意見にベラが同意を示した。だが、とウィルは空を仰ぐ。
「なんでだ? まだ日が高い。次の町までなら進めるだろ?」
「勇者のくせに、自分の国の地理も碌に知らないの?」
ベラの物言いにウィルはカチンときたが、こういう時いつも彼女は正しいことを言う。ウィルは落ち込む前にベラの言葉に耳を傾けた。馬鹿でも学習するのである。
見てごらんなさい。ベラはウィルに対して地図を広げて見せた。
「わたし達が今いる町はここ。関所まではどんなに速く進んでも二日はかかるわ」
「だからこの途中の町で……」
「この先にゃ関所まで町も村もねぇさ」
次にウィルの考えを却下したのはクリスであった。
「今日出発しようが、明日出発しようが、どうせ野宿する必要がある。宿に泊まりてぇなら遠回りするしかねぇ」
どのみち迂回ルートを通るか、真っ直ぐ進むかしかないのだ。ただし迂回ルートはかなりの遠回りになる。正規のルートではないので、関所までの予定の二、三倍の日程がかかること間違いなしだ。
旅ではどんな不測の事態が起こるのかわからない。いつも万全の状態であるべきだ。ならばこの町で一泊し、体力を回復させてから進むのがいい。
「この村は?」
一緒に地図を覗きこんでいたエドがある一点を指した。
「ラクルースの村。なんだ、中継地があるんじゃないか」
「そこは……だめよ」
ベラが珍しく言葉を詰まらせた。言うべき言葉を探しているようだが、思いつかないようだ。
「どうして? この村を通って行けば野宿をしなくて済むだろ?」
「……行けばわかるわ」
ベラは重々しく言った。何か理由があるのは明白であるが、この様子だとベラに答える気はないだろう。果たして理由がなんであるのか、気になるところではある。
「とにかく」クリスが話し合いを区切った。「今日はこの町に泊まりで決定だ。さぁて、酒に付き合ってくれる女を探しに行くとすっか」
キツツキの止まり木。クリスが入っていったのはキツツキがモチーフの可愛らしい看板をした店だ。だが見逃してはならない。キツツキの止まっている木には「PUB」、つまり酒場と刻まれている。
またか。呆れたように目を細めたエドがクリスの後を追った。彼の苦労は計り知れない。
ふぅ、とベラが溜め息をついた。
「クリスは破廉恥な人だわ」
ベラの声には少し怒りが混ざっていた。彼の聖職者らしからぬ行動が、旅を共にする仲間と言えど、不純なものとしてしかベラの目には入らなかった。相応しくない行動を繰り返すクリスに怒りたくなるのももっともだった。
「破廉恥ってのは否定しないが、あいつにもきっとわけがあんのさ」
「お酒が好きで、女性を口説かずにはいられない理由?」
「オレの知ってる限りじゃ、クリスは女と一夜を過ごしたことなんてないぜ?」
「下品なことを言わないで」
たとえ男女で一夜を明かしていようがいまいが、異性との酒の席でべろべろに酔うことは、ベラにとって不純な行為なのだ。
こういうところでベラの潔癖さが目につく。彼女の高貴な雰囲気も、このような考え方から来るのだろう。
ウィルからしてみれば、好きな女性と過ごしたいと思う感情はいたって普通のものだと考える。クリスは行き過ぎたところがあるが、それが庶民代表の考えだ。
街道に目を配ればデートらしきカップルや夫婦がちらほらといる。普通の光景だ。
「そんなに変なことか?」
「おかしいわ。クリスは僧侶なのよ? 生涯の伴侶ならともかく、不特定の女性を口説くだなんて」
世の中にはプレイボーイという存在もあるが、そういうものなのだろうか。ウィルは首を傾げた。
「ウィルは、そんなことしないわよね?」
「し、しねぇよ!」
ベラの迫力にウィルは即答した。ウィルの答えに満足したのか、ベラの般若はなりを潜めた。
恐ろしい……回答を誤れば今頃ただではいられなかっただろう。背中に汗でもかいているな。ウィルは衣服の中が心配になった。
別に不特定の女性を口説かなくても、今はパーティーに極上の美女であるベラがいる。やましい理由などなくても二人っきりになれる時間だってあるのだ。美女と二人っきりなど、役得モノだとウィルは考えた。
「クリスはエドに任せておいて、先に宿を探しておくか」
「そうね。エドには悪いけれど、それがいいわ」
このやり取りも何度目か。町に着いたらまずクリスが酒場へ直行。その監視役としてエドが追いかけ、その間にウィルとベラが宿の手配などを済ましておく。クリスの悪癖にもほとほと困ったものである。
「お金は大丈夫なのかしら?」
「ああ。国王から必要経費として支給されてて、銀行から引き落としできるようになってるから」
但しその経費の中からクリスの酒代が賄われていると考えると……いや考えたくない。
「……クリスのお酒は早いうちに止めさせるべきね」
ベラの決意に、ウィルは賛同するべきな気がした。
本日宿泊する宿が決まり、クリスとエドがいる酒場へ向かうと、ベラの機嫌は一気に低下した。先程の般若が再来するのでは……。ウィルはとてつもない不安に駆られた。
「お~、ウィルにベラじゃねぇか。こっち来いよぉ」
べろんべろんに酔っているクリスは赤ら顔で二人に手招きした。その行動でクリスの同席者も二人の存在に気がついた。
「あら? 可愛い子が二人も増えたわね」
「あの子達もお仲間なの? かーっわいい」
クリスの両隣では、いかにもその道の女性が豊満な肢体をアピールしながら彼とお酒を楽しんでいた。
そこから少し離れた場所で、エドが無表情でオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。小さな少年は何か悟りの道を開きかけている。それを見てウィルはやっとやるべきことを思い出した。
「なっにしてんだお前は!? エドの教育に悪いだろうが!?」
「あだっ!」ウィルの怪力の拳がクリスの脳天にクリーンヒットした。
なんと情操教育に悪い光景か。大人が見せるようなものではない。大人として恥ずかしくないのか。ウィルもいい加減怒った。
だがクリスは悪びれもなく言った。
「んだよ……羨ましいのか? むっつり勇者」
「むっつりじゃねぇよ!」
今度はチョップがクリティカルヒットした。
そのロザリオはただの飾りなのかしら? ベラは軽蔑の眼差しでクリスを見つめた。
クリスの前に仁王立ちになったウィルが彼に告げた。
「明日は日が昇ると同時に出発だ。宿に行くぞ」
「なぁに? もうお別れなの?」
「そーだそーだ。もうちっと飲んだっていいじゃねぇか」
ウィルの手が聖剣に伸びたところで、おっととクリスが口をつぐんだ。今日のウィルは刺激しない方が賢いようだ。クリスは酔っていても正しい判断を見失わなかった。
「残念。それじゃお代を」
強かな水商売の美女は場慣れしているのか、動揺を見せずに、ちゃっかりと料金を請求してきた。彼女達に非はない。ウィルはぴったりと勘定を済ませた。
金の出所は国庫だ。確かにこれは間違ってるな。ウィルは認識を改めた。
「毎度あり~」
「また来てねぇ」
クリスの悪癖は直すべきだ。ウィルもまた固く決心した。




