二十四 故郷
国境を越え、一行はようやく再びエルグランドの地を踏んだ。
この空気が懐かしい。ウィルは立ち寄った村で感慨にふけた。とはいえ、ここはまだ村の入口にすぎないが。
あと一歩の距離で踏み止まっているウィルを不可解にパーティーは思ったが、最も長い付き合いであるクリスにはわかったようで、ははーんと意地悪に笑った。
村の入口でたむろしている集団に気づいた村人が、眼を擦りながらこちらを観察してきた。農具を手にしているところを見ると、これから畑に出掛けるところだったらしい。
「ん? もしかしてウィルか? ウィルじゃねえか! 久しぶりだなあ!」
「よっ、ただいま」
「ただいまじゃねえよっ。おーい、ウィルが帰ってきたぞー!」
妙に親しげな様子だ。声をかけてきた彼は村中に響き渡る声を張り上げた。なんだって、とざわめきながら村の住民が集まってきた。
ぞろぞろと集まった村人を前に、予想がいったベラは呆れた様子で腕を組んだ。
「なるほど。つまりそういうことね」
「えっ、どういうことなんですか?」
鈍いマルガレーテはまだ正解に辿り着かないらしい。教えてくださいよ、と周りの人間の顔を窺っている。
「えっと……ここはオレの故郷、っていうか……」
ウィルは照れくさそうに頬をかいた。
「おいこらっ。くだらねぇこと言ってんじゃねえぞ、ウィル!」
ぼんやりとしているウィルに向かって怒号が飛んだ。入口に集まった集団が二つに割れ、そこから杖をついた老人がのろのろと歩いて来た。
「師匠……」
厳しい雰囲気がする老人に、ウィルは身を固くした。その二人の間に何があったのか仲間達は知らないが、ウィルはトラウマに近いものを植え付けられたのだろう。ぐっと顔が強張っていた。
ウィルから師匠と呼ばれた老人は険しい目付きでウィルを睨みつけていた。が、二人の睨み合いが暫く続くと、老人はしわくちゃな顔を緩ませた。
「よく帰ったな」
「っ、はい!」
心底嬉しそうにウィルは笑った。
ウィルの故郷の村名はカサーという。エルグランド王国の中でも北方の国境に近い辺鄙な場所にある村である。これまで一行が訪れた中でも一、二を争うほどローカルなところだ。
「ずいぶんと田舎なところね」
「……そりゃ、まあ事実だから何も言えないけどさ」
もっと他に感想があるんじゃないのか、とベラの感想にウィルは肩を落とした。
ベラのような人はもっと華やかな場所で生まれ育ったんだろうよ。そりゃあカサーなんかじゃ不満だらけだろうさ。ウィルは口を尖らせた。
町と違ってそこらへんにベンチがあるわけではないので、二人は木箱に腰を下ろしてぼんやりとしていた。
確かにこの村には王都のようにキラキラと輝くような雰囲気はない。野の花を愛でる様子が似合うところだ。どこかクリスの村を思い出させる。ベラは思った。
「でもいいところね」
「……だろ!」
一言でコロッと機嫌を直すとは、ウィルという男は大概単純な人間である。
「お二人さん。仲が良いのは感心ですけれど、私お腹が空きました」
ひょっこり、マルガレーテが二人の前に顔を出した。
ぐるるるる、とマルガレーテの腹部からは淑やかな女性からはすべきでない唸り声が上げられている。自分達よりずっと年上なはずなのに、幼い少女の世話をしている気分にさせる彼女にやれやれと言ってやりたかった。
「誰か村の人に食事を頼んでくるよ。ここの人達はみんな親切だからさ」
「わーい! ありがとうございますっ」
諸手を上げて喜んだマルガレーテに、今度こそウィルはやれやれと言った。
ウィルとマルガレーテがどこかへ行ってしまったのでベラは視線の先で遊んでいたクリス達の元へと寄った。
クリスは両腕にエドとザムルをぶら下げてゆらゆら揺らしている。それがお気に召したようだ。ザムルが「もう一回、もう一回!」と何度もせがんでいる。大岩を持ちあげられるほど筋肉質でないクリスはもうヘロヘロだ。
最近子供達の世話はもっぱらクリスに押し付けている。先日までベラがへこんでいたこともあるが、彼が子供の世話を見ることが得意であることにも由縁する。
両手に子供を抱えた姿を見てベラは思った。
「まるで神父ではなく保父ね」
「神殿で転職しなきゃなんねぇな」
クリスはベラの冗談にノって答えた。
その日の夕食は村中の人々が集まって開かれた。
「遠慮しないで食べてね」
「はいっ! とっても美味しいです!」
マルガレーテは口端に食べかすをつけながら次の皿へと手を伸ばした。いつものウィルに負けない食いっぷりである。
村の人々はみな友好的だ。今のウィルがあるのも頷ける。大勢で外で食事をとる光景は一種のお祭り騒ぎのようなものだ。
ベラは一行を迎え入れた時にウィルを怒鳴り散らした老人と会話をしていた。
「あのクソ生意気なガキが勇者になったって言うんだからよぉ。俺ぁ驚いたぜ」
「お師匠さんはウィルのことをよくご存知なのね」
「コイツがこーんなちっせぇ頃から知ってるぜ」
老人は目線の辺りで手を振って、カラカラと豪快に笑った。
ともすれば彼はウィルが母親を亡くして落ち込んでいる時も知っているということになる。ベラがそのことを尋ねると、老人はもちろん知ってるさと大袈裟に首を縦に振った。
「ふざけんじゃねぇぞ。テメェが不幸ヅラするのは自由だがな、そのツラを見て不快になるやつだっているんだよ、って吹っ飛ばしてやったなぁ」
「もう止めてくれよ」
ウィルは羞恥心から顔を真っ赤にした。
老人はウィルの剣の師匠を務めていたという。棒っきれをやみくもに振り回すことしか脳になかったウィルを一端の剣士に育て上げたのは彼である。最初は小癪なガキをしつけてやろうと思っただけらしいが、いざ剣を教えてみるときらりと光る才能を持っているではないか。
ウィルに御前試合の出場を勧めたのは老人だ。剣やら勇者やらに興味があるなら、試合に出るだけ出てみるといい。そうして村で見送り、もう一度帰ってきたウィルを見ると勇者になっていると言うではないか! 老人は数日ぎっくり腰に悩まされたらしい。
面白可笑しく語るウィルの過去に、ベラはゆかしく笑った。
ベラが上品に笑うとそこだけ太陽や月とは違う何かがキラキラと輝きを放っているように見えてしまう。野に咲く花のような田舎の美人と違い、本物の高嶺の花のような美女の笑みに、老人はしたり顔でウィルのことを膝で小突いた。
「だがよ、あの洟垂れ小僧がこーんなべっぴんを連れて帰るなんてな」
「違うって。ベラは仲間だよ」
「うちの自慢の紅一点はいいもんだろ?」
アルコールで顔を赤らめたクリスが会話に乱入してきた。
「クリスさぁん。私だって女性なんですから、紅二点ですよ」
「紅に数えられんのは口に食べかすをつけやしねえよ」
「な、なんですって! ……ハッ、本当です!」
見ているだけで愉快になるマルガレーテの行動にクリスは腹を抱えて笑った。
和気藹々とした食事の時間はあっという間に過ぎていく。食後の一杯を楽しんでいる時、不穏な知らせが届いた。
「おーい! た、大変だぁ! こんな田舎にまで速報だぁ!」
「なんだっ、この楽しい時間に!」
息を切らして飛んできた村人を、老人は一喝した。だが知らせを持って来た男はただならぬ様子ではない。ダラダラと汗を流す男の姿にウィルは悪い予感がした。それは他の者も同様である。「……言いな」老人は代表して静かに問い掛けた。
「王都でクーデターが起こった」
ハッと息を呑んだのは誰だったのか。みな一様に顔から色を失っている。
「ウィル。今すぐ出発の準備をしな」
「……わかった」
「おい何してやがる! とっとと馬を用意しろ!」
老人の強い命令に、知らせに来た男は跳び上がって馬小屋の方へ走っていった。
指示に従い荷物をまとめるウィルの前で、老人は力強く杖をついた。
「村の戦士を何人か連れてけ。そこらの兵士よりは使えるはずだ」
「村の人を危ない目に遭わせるわけにはいかないわ」
ベラの言葉を老人は笑い飛ばした。しわを寄せて老人はベラを真っ向から見た。老人の目はギラギラと燃えていた。
「嬢ちゃん。ここはな、帝国の進軍も恐れねえ戦士の村、カサーだ。この村の戦士は反乱軍ごとき恐れやしねえよ」
自信たっぷりな台詞にベラは数度瞬いた。大丈夫という意を込めてウィルがベラの肩を叩いた。
「クーデターって……反乱ですよね? 何の?」
マルガレーテの声は不安で震えていた。それは……とウィルが言い淀む。
「反魔族勢力の復活だよ」
「クリス!」
「どうせいつかわかったことだろ。敵のことは早く知らせていた方がいい。そうじゃないか?」
正しい判断にウィルは何も言い返せなかった。
険呑な空気は感じ取れるが、何が起こっているのかいまいち理解できないザムルは怖い雰囲気に瞳を揺らした。ザムルの手をエドが強く握り締める。
やがて馬と同行する戦士が用意され、出立の準備は整った。余分に用意された馬の手綱を老人が引いて寄せた。
「馬には乗れるか?」
「オレとクリスは乗れる。エドとザムルはオレ達が乗せるとして」
あとの二人は、とそちらに目を向けた。彼女達は心外だと言いたげに、ツンと顎を上げた。
「エルフは森の民ですよ? 狩人なら乗れて当然です」
「このわたしが馬に乗れないなんてこと、あると思って?」
全く強かな女性達である。
日は落ちているので、村の外は真っ暗な道だ。王都まで徒歩ならば日数がかかるが、この村の鍛え上げられた馬ならば飛ばして明朝には着くはずだ。全員馬に乗って手綱を握った。
「さあ、反乱を治めに王都へ行こう」




