二十三 告白
エルグランド王国の国境はもう目の前だった。一行は最後の国外を過ごしていた。
「さあて、ちょっくら酒でもひっかけに……うぐっ」
「クリスー! 遊んで、遊んでー」
クリスはザムルに飛びつかれて身動きができなくなった。
こんなに幼い少年を連れてだと、女性は誘いに乗ってくれない。クリスはザムルを無理に引き剥がすこともできなくて、ザムルを体にひっつけたままどうしようもなくなった。
エドは思う。これはいい抑止剤ができた、と。兄貴分の苦労を減らすことが弟分の役目だ。よくやった、とエドは心の中でザムルにグッジョブを送った。
「私、里へと手紙を届けてもらえるよう、ちょっと鳥にお願いしてきますね」
マルガレーテは手紙を片手にそそくさとどこかへ行ってしまった。
彼女は生まれ育った里が大好きだ。里を出て、ちょくちょく故郷に手紙を送っている。自分も故郷に帰りたくなった、とウィルは国境を目前にして思った。
マルガレーテの用事が終わるまで、残りのメンバーは町中で待つことにした。
今日この宿場町は人の出入りが少ないらしく、道端に人の数はあまりなかった。
人待ちならば目立つ、涼しい場所でとウィル達は待ち合わせ場所に噴水近くを選んだ。今日は雲行きが怪しく、日差しがそこまで強くはないので、昼間に日の下にいたとしても過ごしにくい日ではなかった。
「クリス。あれなに?」
「あれはだな、アイスっていって冷たくて甘いもんだ」
「あまい!? 買って買って!」
ザムルはおねだり上手だ。興味を引かれるものがあると、すぐに交渉を始める。仲間達は誰しも小虎を甘やかしてしまうので、今回もクリスは仕方ねえなとザムルとエドを連れて売店に向かった。
ちびっ子達の世話はクリスに任せ、ウィルとベラは二人がけでベンチに座った。
ベラは未だ沈んだままだった。どうしようかとウィルは悩み、ベラにいつもの調子を取り戻して欲しかった。
ウィルの出自を聞いたベラは、彼を見る目を改めていた。ウィルは澄んだ湖よりも綺麗な心を持っている。彼こそ現代が求める勇者の像に相応しい。ベラは誰よりもウィルを高く評価し、またウィルがウィルであることに感謝した。
頭でも心でも理解した。いつまでもうじうじとしていてはウィル達に迷惑だろう。ベラにもわかっていたが、彼女は何かしらの踏ん切りを求めていた。
「ねぇ、今度はわたしの話を聞いてくれる? ……いいえ、聞くふりをしてくれるだけでいいの」
「聞くよ。ベラも聞いて欲しいんだろ?」
ウィルの気遣いがベラには嬉しかった。
ベラがウィルに話をするのは、決して彼の昔話のお返しというわけではない。ただ彼女が話さなければと思ったから話すのだ。ベラは覚悟するように膝の上で拳を作った。
「わたしは世間知らずの愚か者だったわ」
これから始まるのは懺悔である。
ベラは心の奥底に、幾重にも封印した闇を解くかのようにわなないた。彼女の怯えは体の震えと額に浮かぶ冷や汗から容易にわかった。
不謹慎ながらウィルは、あのベラにも恐ろしいものがあるのだと、珍しいものを見る目でベラを見つめた。
敢えてなのか、そんな余裕はないのか、ベラはウィルの好奇心に溢れる目を直視することはなく、視線は彼女の膝頭にあった。
ベラの震える唇が開いた。
「幼い頃、わたしは魔族やモンスターをとても軽蔑していたの。人間の方が優れているのに、どうして対等であろうとするのか、理解できなかった。……いいえ、理解しようとしなかったの」
今のベラを知っているウィルには、最初彼女が言っていることがわからなかった。ベラの言う昔と今では、全く逆の人物である。
ベラは公正な人間だ。何事も自分の目と頭で判断し、正しくあるための努力を怠らない。決して相手を侮り、蔑む人物ではない。
そのうえ、エルグランド王国は魔族にも、魔族とのハーフにも寛容な国だ。国民は皆、それこそベラのような人間は愚鈍な過ちを犯しはしない。ウィルは経験上知っていた。そう思っていた。
「この国に感動してくれたウィルには信じられないでしょう? でもね、そんな愚かな人がこの国にもいるの」
わたしがいい例だわ。ベラは自嘲した。
ベラはかつて反魔族意識を抱く人間の一人であった。魔族より人の方が優れている。なぜなら人は神に選ばれた種族であるからだ。魔族は卑しい、汚らわしい存在である。幼き頃のベラは当然のようにそう口にし、またそのように振る舞った。
「甘やかされていたから、誰もわたしを間違っていると叱らなかった。わたしはますます傲慢になったわ。人々さえも見下した。決して、人として、してもいいことではないけれど、わたしにはそれが許される身分があった」
ベラはその時の自分が恥ずかしくて、堪らないようだった。
あの時自分を諭してくれる人がいれば、また自分は違った人間になったはずである。またあのきっかけがなければ、自分は間違った人間のままであったはずである。
当時のベラはまだ間違えたままで、傍若無人な振る舞いを続けていた。
流行りのドレスや美しい宝石は全て買い占めた。癪に障ることがあれば人にあたり、些細なミスをしたメイドがいれば容赦なくそのメイドの頬を打ちクビにした。最も最悪な行動は、出掛け先で魔族を見かけただけでその魔族に鞭を打たせたことだ。全く、恥ずかしい行為ばかりをしていた。
「そんな時、ある村をわたしは訪れたの。その村は人族と魔族が入り混じって生活を立てているところで、最初はどうしてわたしがこんな場所にと、不満でいっぱいだったわ」
わたしは本当に愚かだった。ベラはまた自分を軽蔑した。
同じ空間にいると汚れてしまうと、決して魔族を同じ部屋にいれず。魔族が用意した食べ物は口に入れず。もちろん魔族と言葉を交わすことなどなかった。その村でもベラは愚かな行為を続けたのだ。
彼女の芯の強さは生来のものである。頑固やら虚栄心を張っているやらとも言う。中途半端に考えを曲げることは彼女のプライドが許さなかったのだろう。考えを改めることのできないベラの行動はますます増長した。
「でもわたしも単純だったのね。村で仲の良い友達ができると、わたしはすぐに考えを改めたわ。わたしよりもずっと優しく、ずっと利口だった。彼は魔族だった」
当時誰もベラに諫言しなかった中で唯一、彼はベラのことを罵ったのだ。「なんて馬鹿なんだ」と。甘やかされてきたベラにとってその侮辱は、前触れもなく突然頭から冷水をかけられたようなものであった。
無礼者! 汚らわしい種族め! ベラは思いつく限りの侮辱の言葉を浴びせたが、彼は怯まずただ馬鹿だと、ベラを憐れんだ。
常識であれば不敬にあたり、彼は処罰を受けてもおかしくなかったことを仕出かした。だが彼は恐れることなくベラの過ちを指摘し続けた。罵るという、ベラが想像もしなかったやり方で。
しかし彼は罵るだけでなく、彼女の間違いを唯一正した。なぜベラはそんな考えに至ったのか。なぜ自分は馬鹿だと言ったのか。どこに人間と魔族を差別する理由があるのか。ベラと共に考えた。
彼は唯一対等にベラと渡り合った人物であった。そしてそんな彼がベラの一番の友人になるのも当然だった。
「わたしはすぐに思い知ったの。自分はなんて阿呆な人間だったのだろうかと。彼が教えてくれなければ、わたしは一生愚か者のまま終わったのでしょうね」
ベラに比べて頭の回転が遅いウィルは、一生懸命に言葉を絞り出した。
「ベラに少しでも悔しい思いをさせるなんて、そいつはすごいやつだったんだな」
「ええ。わたしには一生をかけても、彼に勝つことができないわ」
ウィルが勝てそうもないのがベラなのに、その上をいく彼のような存在に、ウィルは少なからず驚きを受けた。あのベラにも敵わないものがあるのだと、そう思うとウィルは少し可笑しくなった。
「でも」僅かに顔色が回復したベラの顔がまた曇った。
「わたしがそれまでにしてきたことはなくならない。わたしは報いを受けたわ」
「報い?」
「ここ最近で、反魔族派の勢いが最も強かったのは十年前。……暴動で、わたしは最も大切な人を喪った」
いつも通り穏やかな日だった。ある日突然、そう突然反乱軍が現れ、のどかな村を焼き討ち、凌辱したのだ。
魔族を追い出せ! 人こそが神に選ばれた唯一の種族である! 魔族を許すな! 反乱軍は口々にそう叫んで家々に火をつけていった。村は一瞬で惨状な有り様になった。赤々と燃える村を目の前に、幼いベラは震えることしかできなかった。
「村に行く前のわたしなら、これが正しいのだと高笑いしていたことね。でもわたしは学んだの。村での光景が信じられなかったわ。人も魔族も、みんな死んでいくの。わたしは間違っていると理解していた。いつの間にかわたしは真逆の人間に生まれ変わっていたの」
恐ろしかった。ベラはおぞましい光景を思い出し、自身の体を抱きしめた。
何人も殺されていった。人も、魔族も。何も悪いことなどしていないのに。姿が違うから差別をするのか? 種族が違うだけで尊い命を奪うのか? 自分は今まで、こんな愚かなことを正しいと声を張り上げていたのか。
身勝手なことを、これが正しいのだと騒いで剣を振るう者が、とても醜いものに見えた。何より自分がこの世で最も醜いと思った。
自分はなんて浅ましかったのだ。なぜ間違いに気づかなかったのか。なんと愚かな人間だったのだろう。
遊び場だった広場は血にまみれていた。美味しいパンを焼いてくれるパン屋は燃え尽きていた。きれいなお花畑は踏み荒らされていた。変わり果てた村人の姿を見て、胃から込み上げてくるものをベラは堪えられなかった。
そうしてベラは彼のことを思い出した。やっとできた大切な友人だ。なんとしても助けなければ。震える足で彼の名前を叫びながら村中を走った。
「でも、彼を見つけた時は、もう手遅れだった」
彼は村を焼いた残虐な炎のように、体を真っ赤に染めて地面に横たわっていた。虫の息だった。ベラには彼の体を抱き締めて、泣きじゃくることしかできなかった。
「目の前で彼の命が段々と小さくなっていったわ。わたしにはどうしようもできなかった。……彼はあんなところで死ぬような人じゃなかった。わたしがもっとしっかりしていれば、もっと早くに間違いに気づいていれば……わたしがヨシュアを殺したも同然だわ!」
並の女であれば、ここでわっと泣き出すところだろう。しかしベラは強い女性であった。ぐっと唇を噛み締めて、涙を溢すまいと堪えていた。
そんな彼女が痛ましくて仕方ないとウィルは思った。だがここで不用意に抱き締めれば、彼女を傷つけてしまう。ウィルはベラの自尊心を尊重した。
取り乱したベラは自らを落ち着かせるためにレイピアに触れた。
「わたしは彼を決して忘れない。彼はわたしに体の一部と意志を託してくれた。だからわたしは成し遂げなくてはならないの」
ベラが大切にしている核は、彼から譲り受けたものなのだろう。そして彼女の強さの根本には「ヨシュア」があるのだと、ウィルにでもわかった。
大切な友に教わり、初めて自分が無知だと知った。大切な友を喪い、初めて自分が無力だと知った。大切な友はその生を以て、自分にすべきことを伝えた。
「わたしがしていることは、決して罪滅ぼしでも何でもないの。わたしはわたしがしなければならないことをしているだけ」
その言葉は自分自身に言い聞かせているようだった。彼女は義務を行っているだけだと言う。
「ウィル達との旅は、わたしをまた成長させてくれたわ。皆にはとても感謝してるの。わたしの思い描く未来に一歩近づけたのだから」
わたしは絶対に成し遂げてみせる。
ベラの確固たる意志は屈強で、曲がらぬ精神の上にあった。それこそがベラの強さであり、強固な精神はウィルが勝てないところでもあった。
「わたしの未来のために必要ならば、勇者の座を奪うことさえ、わたしはいとわないわ」
獲物を定めた狩人の目である。勇猛な王者は誰よりも孤高で、誰よりも気高かった。
ようやっとあのベラが帰ってきた。ウィルは心の底でほっと安心した。
けれど負けていられない。ベラに触発されたウィルはぐっと睨み返した。
「オレだって苦労して手に入れたんだ。絶対にベラには譲らないね」
「なら、精々わたしに奪われないように頑張りなさい」
挑発と見せかけ、ベラはウィルのことを鼓舞した。他人を蹴落とす暇があれば、相手を認め、更なる高みを目指そうとするのがベラという人間である。
それでこそのベラであった。




