十 説法
先日、エルグランド王国は建国された年から代々続く御前試合を執り行った。
この時期は城下も祭りにかこつけて賑わしくなる。あちこちにタペストリーを飾った町並みはそれだけで華やかで、試合の観戦のため東西南北あちらこちらからの旅行客が一年で最も多くなる。
御前試合は城の格技場が開放され、そこで執り行われる。試合には城に勤める騎士を始め力試しの傭兵まで、国中から多くの猛者が集まってくる。まず予選で優勝候補者が数十名にふるい落とされ、そこからトーナメント方式で優勝者を決める実にシビアな試合だ。しかしもし試合に優勝し、杯を手にするようなことがあれば、優勝者は国一番の強者を名乗ることができる。
年に一回開催されるこの試合は、あるスパンを経て、勇者を輩出することもある。今年がその一年だった。そしてその日この国で、史上最年少の勇者が誕生した。
御前試合が終われば後はただの祭り騒ぎ。新たな時代の幕開けに城下町は例年以上の賑わいだった。今年の優勝者、すなわち新しく叙任した勇者はなかなかにエキセントリックであるらしい。ありゃあ人間技じゃあねえ。噂好きの八百屋の店主が吹聴し回っていた。
ある僧侶は喧噪から遠のいた酒場で酒を煽っていた。彼は試合に微塵の興味も抱いていないらしい。
クレリックとしての彼の行動は決して褒められるものではない。神に仕える身として、神父並びに神官といった聖職者達は厳格な規律のもと、神に対する信仰を厚くしなければならない。飲酒を勧めない――ほぼ禁止に近い――のも教会が定めている教えの一つだ。
戒律なんざクソくらえだ。クリスは乱暴に酒を飲み続けた。けれど僧侶としての自覚はあるのか、ロザリオは丁寧に手入れされていた。
彼がこの店を選んだ理由に特別なものはない。極上の酒を置いているわけでもない。好みの女が馴染みにしているわけでもない。ただこの店は少しでもあのうるさいのを耳にすることがないからであるだけだ。
勇者がなんだって言うんだ。クリスは酔いを理由にして、何か物を壊してしまいたかった。通りに出れば誰もが勇者、勇者と口にしやがる。勇者がいるからなんだってんだ。クリスは僧侶らしからぬことを思いながらグラスをテーブルに叩きつけた。
教会は人間を生み出したとする光の神とその使者である聖女、そして神の加護を受けた勇者を崇拝する。しからばクリスも勇者を敬うのが道理。けれどクリスは勇者という存在を憎んでもいた。
いや、彼はこれが八つ当たりだとわかっている。けれどそうでもしなければやっていけないのだ。酒でも飲んでいなければ、こんな荒んだ心のままで生きていけないのだ。頭の中で鐘が鳴るほどの頭痛がしようが構いやしない。クリスは酒を飲み続けた。
とその時、新たな来店客がやって来た。ブリキで作ったかのような安っぽいベルが来客を告げる。クリス以外の客がざわついたので、彼もそちらの方向をちらりと見た。
店に入ってきたのは明らかに未成年の少年だった。ここの酒場は昼間は食堂として食事も出す。少年はそれが目当てらしい。慣れた様子で店主に注文をし、自分はクリスから数席離れたカウンターに座った。
もちろん客がざわついた理由が少年だからだというわけではない。少年が、その身の丈以上もある剣を所有していたからだ。
「よぉ、ウィル。試合はどうだったんだ? そいつは賞品かい?」
「そんな感じさ。結果は……うん、願った通りだったよ」
少年と店主の仲は良いらしい。親しげに会話を交わした。
そして聞き耳を立てていた客達は、こんな少年が試合に参加していたという話に驚いていた。なぜなら今日行われた試合には、勇者を選抜するということで例年以上の強者が出場していたからだ。参加者も多々いた。あの厳しい本選に参加のみならず結果までも残してきたとは。この少年は一体何なのだろうかと客の疑問が深まった。
その中で唯一聖職者たるクリスには、少年とその大剣の正体を簡単に見抜けた。
「国の英雄、いや英雄のひよこか。そのひよこがこんなしけた店で昼飯かよ」
しけた店、と評して店主の顔に不快さが表れた。しかしその変化に気づいていないふりをして、クリスは勇者の観察を続けた。
今度の聖剣は大剣になったか。クリスはなんとなく思った。
だが彼が英雄のひよこと呼んだ少年、勇者に興味を抱いたのは一瞬のことで、クリスには何もかもどうでもよかった。勇者という存在も。魔族のことも。
勇者に声を掛けたのも、ほんの少しからかってやろうという大人げなさからだ。それ以外に理由はない。
話しかけられたウィルは慇懃無礼な態度にムッとした。
「なんだよ。オレ達、初対面だろ? 失礼じゃないか?」
「こりゃあ悪かった」
クリスはわざとらしく肩を竦ませてみせた。
名誉たる勇者と言えど、所詮十五のガキんちょだ。ちょっと煽ってやるとすぐにムキになる。クリスはちょいと少年の必死さを拝みたかった。
「その若さで勇者になんかになって、今どんな気分だい?」
「嬉しいさ。それ以外には何も言えない。自分でも多くの人を救えるんだって考えて、嬉しいと思う以外に何を思うんだよ」
勇者というワードを聞いて、また店内がどよめいた。しかしクリスにはそんなことを気にかけていられない。
勇者の答えを聞いたクリスは、自分で聞いておきながら不愉快な気分になった。
若さゆえに正義感に燃える勇者は、僧侶の目から見るとただの少年だった。世の中ってもんを知らねえのか? クリスは少年の胸ぐらを掴み揺さぶってやりたかった。
感情論だけではどうにもならないことがある。正義を振りかざしても終わらない話だってある。世の中は理不尽なことばかりだ。正しいことをしていても、神が必ず見返りを与えてくれるとは限らない。クリスは悪い意味で悟っていた。
「悪いことは言わねえ。勇者なんてやめておけ。今すぐその剣を返してきな」
酒場の店主が仲介しようとカウンターから出てきた。問答無用で店から叩き出されるかもな。けれどそれさえもどうでもいい。クリスは目の前のガキに一言物申してやりたかったから、それで十分だ。
他人からの悪意にへこたれて、勇者なんか降りちまえ。クリスはウィルが傷ついた顔をするのを待った。
だがウィルはまだ幼さが残る顔で、太陽のようにニカっと笑った。
「あんたもいい人なんだな」
「……は?」
無意識に、酔いも忘れてクリスは素で聞き返していた。
ここで意地悪だな、と蔑まれるのであればまだわかる。なぜなら彼はそういう反応を返されるような言動をしたからだ。なのにいい人だと? 初めは耳を疑った。しかし耳は正常だ。拾った言葉に間違いはない。
おいおい何の冗談なんだ。このガキは余程の世間知らずか、はたまたただの馬鹿か。クリスには目の前の少年がエイリアンに見えた。
「試合に参加する前、世話になった人達から散々に言われたんだ。勇者なんかつらいもんやめておけって。この国の人は親切な人ばっかだな」
「……なら、なんでやめねえんだよ」
いい人が勇者に夢を見る子供にかける言葉かどうかはともかく、クリスは尋ねた。
「やめないさ。勇者になりたかったんだ。たくさんの人を救いたい。ただそれだけさ」
クリスはウィルの真っ直ぐな瞳を直視できなかった。
自分も神父の家系に生まれてきた。神に仕える身の上だ。迷える人々の道を照らそうと意気込んだこともある。けれどだめなのだ、決意表明だけでは。
クリスはグラスに残った酒をやけくそに飲み干した。
ウィルは説教を垂れたクリスの胸元で揺れるロザリオに目を止めた。
「あんた、僧侶なのか?」
「ん? ああ、まあな」
こんな飲んだくれでも一応な。クリスは付け加えた。パチパチとウィルは何度か瞬きをした。
「そうか。なら、仲間になってくれないか?」
「……は?」
クリスは二度目の呆けた答えを返した。ウィルは照れ臭そうに頬をかいている。照れてる場合じゃない。何を言ってるんだとクリスは問い詰めたかった。
「オレはヴィルヘルム、ウィルって言うんだけど。勇者になったばっかで仲間なんて一人もいないんだ。他の優勝候補はパーティーとかも組んでたけど……」
そりゃあな。モンスター討伐とかで名を上げてる連中ばっかが今回の試合に参加してたんだ。むしろその中でお前みたいな子供が優勝するなんざ、誰もこれっぽっちも考えていなかっただろうよ。自覚がないのか? クリスはウィルに白い目を向けた。
「だからオレとパーティーを組んでくれないか?」
「だから、っておかしいだろ。なんでそういう考えになんだよ」
「だってあんた、親切そうだし」
クリスは拍子抜けした。酔いも吹き飛んだ。折角飲んだ酒が勿体無い。
こいつはいつか騙されるんじゃないのか? クリスはウィルの将来が心配になった。店主だって不安げにこちらの様子を窺っている。
ウィルの瞳に悪意はない。人間の本質を見抜くことに長けた僧侶は、ウィルの心を見透かした。ただ純粋にこの少年はクリスに力になって欲しいのだ。
ああ、全く。クリスはがしがしと頭をかきむしった。自分のこういう性格が嫌になる。クリスはある種の諦めを受け入れた。
「おいガキ」
「ウィルだ」
クリスは溜め息をついた。
「……ウィル。お前、神父に向かって口のきき方がなってねえんじゃねぇか? お前ってのはなんだ」
「え? でも、名前……」
「クリスだ。仲間になるやつの名前ぐらい覚えとけ」
クリスの言葉にウィルは少しきょとんとした後、気持ちがいいくらいに破顔した。
元々困っている人間を放って置けない質だ。仕方ねえか。クリスは妙に晴れ晴れしい気分になって納得した。




