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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第7章 第8話:君の隣で戦う


 戦場では、言葉はたいてい後回しにされる。


 生きるか死ぬか。

 通すか止めるか。

 撃つか引くか。

 そういうものが先にあって、

 気持ちはあとで拾えばいいと、

 人はずっと思い込んでいる。


 けれど本当は逆なのかもしれない。

 最後の一歩を踏み切れるかどうかは、

 結局、何を守りたいかをどこまで認めたかで決まる。


 北中層奥の通信谷は、夜の底みたいに暗かった。


 崩落した高架の影が幾重にも折り重なり、通信ノイズが薄い霧のように漂っている。壁面モニタに映る戦域図は赤と青の識別灯で整理されているのに、実際の空間はそんなふうに単純じゃない。敵の指揮核が潜み、こちらを見ている。こちらもまたそこを見ている。互いの視線が噛み合ったまま、次の一撃を待っている。


 戦術支援管制室では、誰も余計な声を出さなかった。


 榊冬真は補助解析卓の前で、もうほとんど制限表示を見ていなかった。

 未承認深層接触。

 監視優先度上昇。

 照合継続。

 その全部はまだ端末の端に残っている。

 だが今は、後で来る現実より前に、目の前で終わるかもしれない現実のほうが大きかった。


「今度こそ本命だ」

 瀬名が低く言う。

「ああ」

 冬真が答える。


 敵指揮核の波形は、もう隠れていない。

 先ほどの再収束でこちらの共有を読み、半歩の読み合いでは崩せないと判断したのだろう。敵は今、露出と引き換えにこちらを仕留めに来ている。


「向こうも分かってる」

 瀬名が続ける。

「次で決める気だ」

「……」

「お前らもだろ」

「ああ」


 前線回線の奥で、白い暁式参号が息を整えている。

 澪の呼吸は荒くない。

 張りつめてはいるが、崩れてはいない。

 それだけで、冬真には十分だった。


『冬真』

 澪が呼ぶ。

「ああ」

『今、見えてる?』

「見えてる」

『私も』

 その短いやり取りだけで、二人が同じ景色を見ていることが分かる。


 敵は通信谷の中央に重心を置いていない。

 一段奥。

 高架残骸の斜面に沿うように、わざと脈動を散らしている。

 近づけば収束し、離れれば埋もれる。

 しかも澪が踏み込む角度まで計算したような嫌らしい置き方だった。


「こっちを来させる気だ」

 冬真が言う。

「真正面から?」

 瀬名が訊く。

「いや」

 冬真は目を細める。

「真正面に見せて、最後に下へ落とす」

「……」

「澪が一番嫌う形だな」

「知ってる」

 冬真は低く返した。


 白い機体にとって、通信谷の下落ちは最悪だ。

 視界が狭まり、

 回線が削れ、

 敵の同期圧だけが濃くなる。

 今までなら、そこへ入る前に半歩ずらしてきた。

 だが今は、敵がそれを読んでいる。


 だから、半歩では足りない。

 同じ歩幅で行くしかない。


『天城少尉、右斜面から接近!』

『敵反応、中央寄り!』

『今なら正面――』


 正式卓の声が飛ぶ。

 正しい判断だ。

 普通なら従う。

 だが今日は、それでは届かない。


「澪」

 冬真が低く呼ぶ。

『うん』

「正面は見せるだけだ」

『分かってる』

「下へ落ちるな」

『うん』

「でも」

 冬真は一瞬だけ息を吸う。

「最後は、俺の読みじゃなくてお前が決めろ」


 瀬名が横で目を向けた。

 驚いたのかもしれない。

 それでも何も言わない。


 回線の向こうで、ほんの一拍だけ静けさが落ちた。

 澪がその言葉の重さを受け取っている。


『……いいの?』

 小さく澪が訊く。

「ああ」

「今までみたいに、“ここを通れ”じゃ足りない」

『……』

「君が見てるものを、俺も信じる」

 その言葉を口にした瞬間、冬真の中で何かが静かに外れる。


 守るために隠す。

 守るために抱える。

 守るために自分だけが決める。

 そのやり方を、ここで本当に手放したのだと分かった。


 澪の返事は、すぐには来なかった。

 だがその沈黙は悪くない。

 むしろ、深く届いた時の沈黙に近かった。


『……うん』

 やがて澪が言う。

『じゃあ、私も全部使う』


 白い暁式参号が動く。


 右斜面へ寄る。

 敵の読み通りに見せる。

 指揮核の圧がそこへ集まる。

 正面の逃げ道が、わざと少しだけ開く。

 罠だ。

 それでも今までは、その“少し開く”に頼ってきた。


 だが今回は違う。


「澪」

 冬真が呼ぶ。

『うん』

「もう守るだけじゃ足りない」

 その言葉は、戦況説明の形をしていない。

 瀬名が横でわずかに息を止める気配がする。

 それでも冬真は止まらなかった。

「……」

『冬真?』

 澪の声が、ほんの少しだけ揺れる。


 敵圧は迫っている。

 本来なら、こんなことを言っている場合じゃない。

 でも今だからこそ、言わなければ届かないものがあると分かってしまった。


「君を死なせたくない」

 冬真が言う。

「それはずっとそうだ」

『……』

「でも、今はそれだけじゃない」

 喉の奥が熱を持つ。

 それでも言葉は止まらない。

「君の隣で戦いたい」


 その瞬間、前線回線の向こうが一拍だけ静かになる。


 敵は動いている。

 正式卓の声も飛んでいる。

 戦場は続いている。

 それでも冬真には、今この一瞬だけ、それら全部が少し遠くなったように感じた。


 澪が息を吸う音がした。


『うん』

 小さく、でもはっきりした声。

『私も、ずっとそのつもりだった』


 その答えが、冬真の胸へまっすぐ入る。


 告白だった。

 好きだという単語はない。

 でも、それ以上に十分だった。

 守るだけじゃ足りない。

 隣で戦いたい。

 ずっとそのつもりだった。

 それで伝わらないはずがない。


「……」

 冬真は一瞬だけ目を閉じそうになった。

 閉じない。

 まだ終わっていない。

 むしろここからだ。


『だから』

 澪が続ける。

『今度は、一緒に勝とう』

「ああ」

 冬真の返事は短かった。

 でも、今までで一番迷いがなかった。


「行け」

 低く言う。

「君の隣にいる」

『うん』


 白い機体が、そこで初めて正面の罠を捨てた。


 右斜面へ寄るふり。

 正面へ抜けるふり。

 そのどちらでもない。

 通信谷の壁面残骸、そのさらに奥にある見えない継ぎ目へ、暁式参号が自分の意志で機体を滑らせる。


「そこか」

 冬真が息を呑む。

 読めていたわけではない。

 だが、見た瞬間に分かった。

 今の澪が選ぶなら、そこだと。


「榊!」

 瀬名が声を上げる。

「分かってる!」


 冬真は、澪が選んだ継ぎ目へ全支援の重心を寄せる。

 もう“通す”のではない。

 選ばれた道へ、自分も同じ歩幅で乗る。


 敵指揮核がそこで初めて明確に乱れた。

 想定していなかったのだろう。

 冬真が決めた半歩ではなく、

 澪が見て選び、

 冬真がそれに即座に重なる形を。


『今!』

 澪が叫ぶ。

「行け!」

 冬真も返す。


 白い暁式参号が崩落縁を蹴り、通信谷の本命へ切り込む。

 敵の圧が同時に収束する。

 危ない。

 これまでで一番深い。

 だが今は、片方が引っ張って片方がついていく形ではない。

 二人が同時に同じ一点を見ている。


「瀬名!」

「分かってる!」

 瀬名が主支援卓側の視線をさらに一拍ずらす。

 監視と正式卓の間に最後の穴が開く。


 そこへ冬真が全てを差し込む。

 白い機体がそのまま敵指揮核へ肉薄する。

 今度は浅い一撃ではない。

 構造の芯を断ち切るための踏み込みだった。


『っ――!』


 澪の息。

 そして次の瞬間、激しいノイズが管制室を揺らした。


 壁面モニタの赤が一斉に乱れる。

 敵同期波形が崩壊し、

 中型収束が遅れ、

 外縁の追尾群が一拍ごとに連携を失う。


「入った!」

「指揮核、大破!」

「敵反応、崩れてく!」


 誰かの声が上がる。

 だが冬真には、そのざわめきより先に聞こえるものがあった。


『冬真』


 澪の声。

 少し掠れている。

 でも、生きている。


「ああ」

『勝った?』

 その問いに、冬真は初めて少しだけ息を抜いた。


「……まだ全部じゃない」

 正直に言う。

「でも」

『うん』

「君となら、最後まで行ける」

 回線の向こうで、澪がほんの少しだけ笑った気配がした。


『私も』

 小さく言う。

『そのために、ここまで来た』


 その一言が、戦場のど真ん中であまりにも静かに胸へ落ちる。


 君の隣で戦う。

 それはたぶん、恋愛の言葉としてはかなり不器用だ。

 でも今の二人には、それがいちばん正確だった。


 好きだから隣にいたい。

 大事だから失いたくない。

 でもその全部を、戦場の中でいちばん嘘なく言い表すなら、

 きっとこの言葉になる。


 君の隣で戦う。


 その答えをようやく口にできたからこそ、

 二人は今、

 同じ歩幅で最後の一撃まで届いていた。


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