なんか上位候補は場ごと変えるらしい
翌日も、順位戦は続いた。
俺の名前は、もう呼ばれない。
それなのに、試合場から武器の音が聞こえるたび、体が少し反応する。
結界具の音。
教師の「そこまで」という声。
観覧席のざわめき。
どれも、もう自分の試合ではない。
分かっている。
分かっているのに、胸の奥だけが落ち着かない。
「今日は救護所ですか?」
リーナが聞いた。
「手伝えるなら」
「試合を見るのではなく?」
「両方です」
「忙しいですね」
「そうですね」
本当に忙しい。
負けたら暇になると思っていた。
違った。
負けても、見るものは多い。
負けても、できることはある。
救護所へ行くと、昨日の教師がこちらを見た。
「また来たのか」
「はい。邪魔でなければ」
「走れるか?」
「走れません」
「なら、ちょうどいい。問診と記録だ。判断は勝手にするな」
「はい」
扱いが早い。
説明が短い。
それが少しだけ嬉しかった。
信頼された、というほど大きなものではない。
ただ、使える手として数えられた。
それだけで十分だった。
⸻
試合場では、今日も一〜五年生の勝ち残りが戦っている。
六年生の姿もあるにはある。
だが、彼らは結界の外だ。
審判補助。
結界具の確認。
救護所の手伝い。
年度末。
卒業間際の六年生は、来年度の序列を争う側ではなく、見届ける側に近いらしい。
来年度、学園に残る者たちの序列。
そのための順位戦。
俺はもう、勝ち残ってはいない。
でも、来年度もここにいる。
だから、見なければならない。
⸻
昼前。
救護所の入口で、上級生の補助役が足を止めた。
「フォルデラの相手、ソルベ先輩だってさ」
その名前に、周りが反応する。
教師が俺を見た。
「聞こえたな。行ってこい」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げて、観覧席の端へ戻った。
リーナが少し場所を空けてくれる。
マリベルは試合場を見たまま言った。
「間に合ったわよ」
子爵家。
土魔法。
ゴーレムを操る上級生。
今年の順位はまだ決まっていない。
だが、強い生徒として名前が知られていることは、周囲のざわめきだけで分かった。
カイルは結界の内側に立っていた。
昨日の四年生相手の試合より、さらに静かな顔をしている。
相手のソルベは、背の高い女子生徒だった。
大きな武器は持っていない。
派手な構えでもない。
けれど、足元の土だけが違った。
重い。
柔らかいはずの土が、そこだけ沈まないように見える。
「礼」
教師の声。
二人が頭を下げる。
顔を上げる。
「始め」
先に動いたのは、カイルだった。
水が細く走る。
風が、その上を撫でる。
いつものように、相手の足場を変える動き。
だが、ソルベの足元は崩れなかった。
水が、消える。
流れたはずの水が、土の中へ沈んだ。
吸われた。
そう思った瞬間、地面が持ち上がった。
小さな土人形ではない。
人の背丈ほどある土の腕が、試合場の中央から生えた。
太い指。
重い肘。
肩のように盛り上がる土の塊。
土の半身が、地面から起き上がる。
観覧席が一気にざわついた。
「でかい」
「ゴーレムだ」
「あれ、動くのか?」
動いた。
遅い。
だが、十分だった。
土の腕が、カイルの進路を塞ぐ。
カイルの水が横へ走る。
土の腕がそれを飲む。
風が押す。
土の肩が崩れる。
崩れた土は、地面に落ちる。
だが、終わらない。
落ちた土がまた盛り上がり、別の壁になる。
カイルが初めて、はっきり嫌そうな顔をした。
「水が消されてる」
レオスが呟いた。
「消えているのではなく、土に取られているのだと思います」
エレシアが言う。
水と風で場を動かすカイル。
その場を、土が飲んで固めるソルベ。
相性が悪い。
見ているだけでも分かる。
カイルが風を強めた。
土の腕が崩れる。
大きな肩が削れ、土が散る。
そこへ水を走らせる。
ソルベの足元へ。
届く。
そう見えた瞬間、ソルベが手を下げた。
地面が隆起する。
今度は腕ではない。
広い背中のような土壁。
カイルの水が左右へ割れた。
カイルが踏み込む場所が消える。
風で横へずれる。
そこに、二本目の土の腕が生えた。
腕が振られる。
速くはない。
でも、でかい。
避ける場所を奪うには、それで十分だった。
カイルは水を蹴った。
体が滑る。
土の指が、服の端をかすめる。
「危なっ」
観覧席から声が漏れる。
ソルベはほとんど動いていない。
試合場の中央から、土を起こしているだけだ。
それだけで、カイルの動ける場所が削られていく。
水を流す場所。
風で逃げる場所。
短杖を入れる場所。
全部、土の質量でふさがれる。
カイルが一度、大きく息を吐いた。
次の瞬間、水が広がる。
薄く。
広く。
試合場の土の上に、鏡のように浅い水が走った。
風が吹く。
水面が波立つ。
土の腕の足元が削れる。
巨大なゴーレムの半身が、わずかに傾いた。
「崩した?」
リーナが身を乗り出す。
だが、ソルベの表情は変わらない。
彼女が指を曲げる。
傾いた土の半身が、自分から崩れた。
崩れて、広がる。
壁になる。
カイルの水を押し返す、低く厚い土の壁。
カイルの表情が変わった。
読まれている。
崩したのではない。
崩させられた。
土の壁の向こうから、太い腕が伸びる。
拳ではない。
杭でもない。
大きな掌。
カイルを叩くのではなく、逃げ道を覆うように落ちてくる。
カイルは風で横へ飛ぶ。
そこへ、地面から別の土腕が出た。
待っていたように。
カイルの足が止まる。
止まったところへ、ソルベの前の地面が盛り上がった。
丸い土の杭。
鋭くはない。
試合用に先は潰されている。
だが、胸元の手前で止まれば、それで十分だ。
「そこまで!」
教師の声が響く。
土の杭は、カイルの胸元の手前。
カイルの短杖は、届いていない。
ソルベは、最後まで大きく動かなかった。
「勝者、ソルベ・トーレス」
⸻
観覧席が沸いた。
カイルは負けた。
四年生に勝ったカイルが。
水と風で場を作るカイルが。
その場ごと、土に固められて負けた。
カイルは少しだけ息を吐いた。
悔しそうだった。
それでも礼は乱れない。
ソルベも静かに礼を返す。
俺は拍手した。
悔しい。
でも、すごかった。
カイルが戻ってくると、顔には土が少しついていた。
いつもの涼しい顔ではない。
「負けた」
カイルが先に言った。
「見ていました」
「どうだった?」
「嫌でした」
カイルは笑った。
疲れた笑い方だった。
「僕も嫌だった」
「水を土に取られていました」
「うん。風で崩しても、崩れた土が次の壁になった」
「途中、崩したのかと思いました」
「あれ、崩させられた」
カイルは自分で言って、少し顔をしかめた。
「悔しいな」
その言葉は、いつもよりずっと素直だった。
俺は少し迷ってから頷いた。
「はい」
「ヨウカも、そうだった?」
「はい」
「そっか」
カイルは短く息を吐いた。
それだけだった。
それ以上は、言わなかった。
言わなくても、分かった。
⸻
午後。
カリンの名前が呼ばれた。
その瞬間、観覧席の空気がはっきり変わった。
カリンは、まだ勝ち残っている。
三年生でありながら、上の学年相手に勝ち上がっている。
だが、今回の相手は今までとは違った。
「ロデュウ・フリードリヒ」
名前が呼ばれた瞬間、ざわめきが広がる。
第二王子。
炎の剣士。
まだ今年の順位は決まっていない。
それでも、明らかに上位候補の一人だった。
ロデュウは赤みのある髪を後ろで軽く束ねていた。
姿勢がいい。
剣を持つ手に、余計な力がない。
王族だから、というだけではない。
強い人間の立ち方だった。
カリンは盾を構える。
剣を下げる。
目は、まっすぐ相手を見ている。
「礼」
二人が頭を下げる。
空気が熱を帯びた気がした。
まだ、始まっていないのに。
「始め」
最初の一歩で、炎が来た。
細い炎ではない。
ロデュウの剣に、はっきりと炎が乗った。
剣を振るたびに、熱の尾が試合場に残る。
空気が揺れる。
観覧席の前列が、思わず身を引いた。
カリンの盾が上がる。
盾の縁に、淡い光が走った。
炎と光がぶつかる。
音は金属だけではなかった。
熱と魔力が弾ける音がした。
カリンは下がらない。
盾の角度を変え、剣を流す。
一歩、入る。
いつものように、守ってから前へ。
だが、ロデュウの剣は戻りが速かった。
炎を纏った剣が、横から返る。
炎の尾が、盾の上を滑る。
カリンは盾で受ける。
また光。
腕が少し沈む。
それでも、膝は折れない。
「すごい……」
リーナが小さく言った。
どちらが、とは言わなかった。
たぶん、両方だ。
ロデュウは正面から強い。
小細工ではない。
速い。
重い。
熱い。
一撃ごとに、相手の選択肢を焼いて削ってくる。
カリンはそれを受けている。
ただ受けるだけではない。
隙間があれば前へ出る。
盾で道を作る。
剣で止めに行く。
カリンの剣にも、淡い光が乗った。
昨日よりはっきり見える。
守るために前へ出る剣。
聖騎士。
その言葉が、また浮かぶ。
ロデュウが踏み込む。
炎が大きく広がる。
剣だけではない。
足元まで熱が流れる。
土が黒く焦げるほどではない。
だが、近づきたくない。
近づけば、熱で呼吸が乱れる。
カリンは盾を前に出す。
盾の光が、炎を割る。
割った。
そう見えた。
その隙間にカリンが入る。
盾で押す。
剣が走る。
胸元へ届きかける。
ロデュウの足が、半歩だけ下がった。
観覧席が沸いた。
「入った?」
「いや、まだ」
ロデュウは崩れていなかった。
下がった半歩で、炎が形を変える。
広がっていた炎が、細くなる。
熱が一点に集まる。
剣の表面を覆っていた炎が、刃の線へ絞られる。
炎の量が減ったのではない。
密度が上がった。
まずい。
そう思った時には、もう剣が来ていた。
カリンの盾が受ける。
盾の光が強くなる。
炎の線が、盾の縁を滑った。
正面から押し切るのではない。
盾の角度を読んで、縁に沿わせている。
カリンの剣が返る。
ロデュウの剣が、その内側へ入った。
一瞬で距離が変わる。
カリンが盾を戻す。
間に合う。
間に合うはずだった。
だが、ロデュウの炎がさらに広がった。
視界が赤く染まる。
カリンの盾が一瞬、そちらへ引かれる。
次の瞬間、炎が消えた。
いや、消えたのではない。
剣の先へ集まった。
細い炎。
熱の線。
ロデュウの剣先が、カリンの胸元の手前で止まっていた。
「そこまで!」
教師の声。
試合場が、一瞬静かになる。
ロデュウの剣は、カリンの胸元の手前。
カリンの剣は、まだ届いていない。
「勝者、ロデュウ・フリードリヒ」
⸻
観覧席が沸いた。
カリンは負けた。
強かった。
本当に強かった。
盾の光も。
剣の光も。
前へ出る足も。
全部、強かった。
それでも、負けた。
ロデュウは剣を下ろし、丁寧に礼をした。
カリンも礼を返す。
盾を下げた腕が、ほんの少し震えていた。
俺はそれを見て、胸の奥がきゅっと縮んだ。
カリンが試合場を下がる。
途中で、一瞬だけこちらを見る。
目が合った。
カリンは笑わなかった。
でも、泣いてもいなかった。
小さく頷く。
俺も頷いた。
話したいことは、たくさんある。
でも、今ではない。
ここで何かを言えば、たぶん軽くなる。
カリンの悔しさも。
俺の悔しさも。
だから、今は頷くだけでいい。
たぶん。
⸻
カイルは負けた。
カリンも負けた。
二人とも、弱かったわけではない。
むしろ、強かった。
だからこそ、相手の強さが分かった。
ソルベ・トーレスは、土で試合場そのものを変えた。
水を飲み、風を受け、崩れた土すら次の壁に変えた。
ロデュウ・フリードリヒは、炎と剣でカリンの盾を正面から越えた。
広げた炎で場を焼き、絞った炎で一点を抜いた。
俺は記録板を開きかけて、やめた。
書くことは多い。
でも、今は書くより先に、目に残しておきたかった。
土が、水と風を飲み込むところ。
炎が、盾の光を押し込むところ。
カイルの悔しそうな顔。
カリンが、何も言わずに小さく頷いた顔。
それだけで、十分だった。
順位戦は、まだ終わらない。
今年の序列も、まだ決まっていない。
けれど、今日見た二つの敗北だけで、上の遠さは少し分かった。
遠い。
でも、形は見えた。




