アイスミント、一緒にいく
「疲れているだろう。休むと良い。外を1周程度で遠くにはいかない」
「1周だけなら、私も行く!」
アイスミントは自分が焦っているのを自覚した。
グランドルを1人にして、あの女たちのところに行ってしまったら嫌!
グランドルは少し不思議そうにアイスミントを見つめる。
「ほら、早く行きましょう」
と勢いに任せてしまうつもりでアイスミントが言うと、
「分かった」
とグランドルは頷いた。
***
部屋を出てカギをかけてから階段を降りて、宿屋の外に出る。
途端、ブルリと震えた。夜だから外の空気が冷えている。
「寒いのか」
という声と共に、アイスミントの周りの空気が暖かくなった。
見あげると、グランドルが少し笑む。どうやら魔法を使ってくれたようだ。
「ありがとう・・・」
もごもごというと、
「大したことはない」
と返される。グランドルにとっては本当にそうなのだろう。
少し嬉しくなった。しかし直後に自分の振る舞いの子どもっぽさに少し落ち込んだ。自己嫌悪だ。
並んで、無言で町の外を歩く。
これではただの不審者では、とアイスミントはふと思う。
まぁ良いか。
「手は繋いでもらえないか」
とグランドルがまるで確認のように聞いてきた。
「繋いでほしいの?」
「可能なら」
「・・・どんなねだり方」
口の中では文句を言いながら、手を差し出してしまう。素直じゃないと自分で思う。
大きな手が重なって暖かさが増した。自分の耳の端が熱くなる。
沈黙がまた訪れる。ただ歩いている。
自分が特別に思われているようだとは実感している。
だけど理由はおかしかった。
アイスミントは気づいている。本来は他の誰かに向けられていた好意が、何かが似てるとか、勘違いで、自分に向かっているのだろうと。
自分はグランドルを酷く意識している。
とはいえ、自分だってグランドルの事を良く知らない。そもそも相手は人ですらない。
どうしてこんなに気になるのか。まぁ一目惚れなわけだけれど。ただの面食いだったのか私は。
これでは酒場で寄ってきた女性たちと変わらない。それどころかこうやって縛ろうとしている自分の方がタチが悪い。
「グランドルは・・・」
零れてしまった呟きがグランドルの歩みを止めた。
零れてしまったのに、どう続けて良いのか分からない。自分は何を聞きたいのだろう。
場をしのぐために魔王の話をしようかと思ったが、こんな屋外でそんな話は憚られた。
いつも作戦会議は、ハヴィが結界を張った上で外に漏れないように慎重に行っている。
じっとグランドルが言葉の続きを待っている。助け舟を出す気は無さそうだ。龍だからそんな発想もなさそう。
「えっと・・・えっと・・・巫女様と、恋人だったの」
我ながらどうしてそんな質問だ、と突っ込みたい。
違う。確かになんかこういう事を気にしているけどこの質問じゃない!
グランドルが首を傾げた。
「恋人では無かったな。巫女に、それに応じた龍という関係だ。もっとも・・・」
グランドルは苦笑した。その笑顔も格好良くてアイスミントの胸が高鳴ってしまった。
だがグランドルの言葉に驚いた。
「彼女は巫女では無かったそうだ」
「え? そうなの。嘘、ハヴィが巫女って言ってたのに」
思わず素で尋ねてしまう。
グランドルはアイスミントをじっと見つめる。優し気だ。こんな風に見られるとドキドキする。
でも同時に知っている。この視線は、アイスミントに向けられるものでは無い。
「彼女は・・・奴隷だと言った。私を騙したのだそうだ」
「え? よく分からない、奴隷が、巫女のふりをしたの? それにグランドルはついて行ってしまったの?」
グランドルが楽しそうに少し笑った。
「そうだ。・・・そうなんだ」
「え、騙されたって事でしょう? 怒らなかったの、グランドル」
「怒るも何も。別に巫女だから彼女についたわけではない」
グランドルが懐かしそうに愛しそうに『彼女』と言うのを聞いて、アイスミントの胸が苦しくなる。
グランドルは、ずっと『彼女』に恋をしているのだと思う。
「あの洞に、初めて来た者だった。・・・次に来たのは、アイスミント、きみだが」
「え、そうなの。私たち、かなりレアだったのね」
「そうだな」
とグランドルが微笑む。
だから、グランドルは自分に好意を持つのだろうか、とアイスミントは考えた。
「えっと、巫女の話、もうちょっと教えて。だって巫女じゃなかったって・・・」
「きみになら話そう。少し・・・どこかに座ろうか」
とグランドルが穏やかに言う。
***
町の中、人気のない広場のベンチに腰掛ける。
グランドルが穏やかに話す。
きっとハヴィは聞きたがっただろうな。2人で先に寝ちゃうから聞き逃してしまうのよ、なんてアイスミントはハヴィに思う。
でも、こんな話をしてくれるのは、グランドルとアイスミントが2人きりだからなのだろうとも、思う。
「ずっと眠っていた。私はそもそも、灼炎龍と呼ばれる龍だ。地底の熱を使うし、住処も地の底だ。人間が来るような場所で龍が眠っているはずがないだろう?」
「まぁ、そう言われるとそうね」
「ある日けれど、1人の人間が迷い込んできた。酷く血と鉄の匂いがして、それで目が覚めた。何かと思ったら人間の女がいるんだ。それで私が目を覚ましたのを見て、言うんだ」
グランドルが瞼を閉じる。
きっと当時を思い出しているのだろう。
「『ごきげんよう、地底の赤い龍神様。あたしは、巫女だよ。あなたに会いにわざわざ、地上から、来てやったのさ。わざわざこんなところまで来たあたしにご褒美をちょうだいな。どうかあたしの味方になって。あたしはあんたの巫女なんだよ』と、こう言った」
グランドルは目を開けて、アイスミントにまた微笑む。
随分砕けた口調の巫女だったんだな、とアイスミントは思った。
「それで?」
「あまりにも突然だったから驚いたが、興味も引かれてね。灼熱の巫女だ、とも名乗るから、私の事を正しく知っているに違いないと思ってしまった。それに、龍というのは、世界を造っている大きな一つであるのは間違いないから、神のようにあがめていて当然だ」
「ふぅん」
「何より、女の口調が面白かった。私は、血や鉄の匂いについて尋ねたのだ。・・・彼女は、血は目覚めさせるために自分を切ったのだと言ったし、鉄はここまでくるための防具の匂いだ、などと、言った」
グランドルはここで顔を酷くしかめた。
その様子をおかしく思う。アイスミントはグランドルの様子をじっと見つめた。
「私は、人間界には疎くてね。尋ねてそう答えるからそうなのだと信じた。愚かだった。彼女が受けたものを正しく理解できなかった。彼女は・・・いや良い。とにかく、私は彼女が気に入った。ついて来てほしいというから、ついて行った。愚かにも、龍の姿のままで」
「えっ、洞窟、壊れちゃったでしょう?」
思わず尋ねると、グランドルは、アイスミントが驚く様子を見て苦笑を浮かべる。
「その通り。洞窟は崩壊した。まぁ、後で他のものが修復したのだけどね。本当は、今よりもっと深いところで眠っていた。だが他のものでは、あれ以上深いところは戻せなかったらしい」
「うわぁ・・・」
「地上の方が大騒ぎだった。まぁ、地底から炎で大地を溶かして龍が昇ってくるのだから。もっとも、彼女は酷く喜んでいた。私の力を見せつける事が出来て、私が彼女に従っているのを喜んだ」
「えー・・・」
アイスミントが若干引くように相槌を打つ。
「彼女は、本当は奴隷だった。巫女などでは無くて、人柱として私に捧げられた。たまたま、本当に私のところにたどり着いてしまった哀れな弱い人間だった。本当はきっと、私のところに来た時、腹に鉛や毒まで飲まされて、身体も切られていたのだろう」
グランドルが静かに思い出すように俯いてから、ため息をついてぼんやりと宙を見る。
「私の事を聞かされて、洞窟に追い込まれたのだろう。だからある程度私の事は知っていた。彼女は私に喰われまいとして必死で巫女だなどと言った。そして、私の興味を引いて、私を味方につけることに成功した」
「・・・」
随分と、思いがけない話を自分が聞いている事に、アイスミントは気づいていた。
酷く、グランドルの大切な話なのだとも分かっている。それを聞かせてくれている。
「私を味方につけた彼女は、周囲から一目置かれた。当然だ。龍が人に従うなどない。私は彼女を巫女だと思っていたし頼られたから、応えてやるべきだと思っていた。彼女が楽しそうだと私も嬉しかった。・・・『あんたは最高の龍』と、龍の私に擦り寄って言うんだ。可愛かったよ」
グランドルは、じっと聞いているアイスミントに視線を戻す。
グランドルが真剣な顔で尋ねてきた。
「アイスミント。私の人間の容姿は、本当に醜くなどないか。私は龍だ、人化していても酷く人とは違うのではないのか。恐ろしくはないか? きみたちは優しいから、我慢してくれているのでは?」
アイスミントは目をパチクリとさせた。
「まさか。今日だって、知らない女がたくさん近寄ってきたぐらいよ。ものすごく綺麗な顔立ちよ。醜いなんて誰が・・・」
と言いかけて気づく。きっと、言ったのは『彼女』なのだろう。
どうして。
グランドルがため息をついた。
「そうか。どうして彼女は逃げたのだろう・・・。私は、だから、愚かにも龍の姿だけで傍にいて・・・気付けなかった」
「え。どういう事?」
「人間の姿の方が、人間の仔細が分かるのだ。龍では体格の差がありすぎて、気付けない事が多い」
「なるほど。でもどういう事?」
グランドルは首を横に振った。
「いや、良い。きみの気が滅入るだけだ。ここまでにする」
「駄目、絶対ここで止めない方が良い」
「どうして」
「一人だと解決しないと思う。人間の、女の、私に、話してよ」
グランドルは無言でじっと見つめて来てから、自分を納得させるようにゆるやかに頷いた。
「なるほど」
***
グランドルは、一度人間の姿になった時に、『彼女』に酷く拒絶された。
顔を覆って、逃げられてしまった。
「そんななりをするあんたなんて大嫌いだ!」
走り去られたことに相当ショックを受けた。
そんなに自分は、醜い様子なのだ。傍にいて見てもくれないほどの。
待て、離れるな。
グランドルは、以後絶対人化しなかった。
龍の姿なら、彼女は嬉しそうだった。
「あたしの赤い龍」
と彼女はグランドルに囁いた。
ちなみに当時のグランドルは、名前を人間に教えるという発想は無かったので名を教えたことはない。
***
夜、街中のベンチで2人。
「彼女には私は醜かったのだろう。時代が変わったので美醜の判断も変わったのかもしれないな・・・」
とグランドルは深いため息をついた。
それから無言で聞いていたアイスミントを暗くさせまいとしてか、笑んで見せてくる。
「アイスミントたちは、私の人間の姿にも問題なくて、良かった」
「・・・あの」
アイスミントは迷いながら言った。
でも、ちょっと、言うの嫌だな、と思うのは自分の醜い嫉妬心からに他ならない。
グランドルが恋している『彼女』について、フォローしてあげるなんて。
でも、話してくれたのだから、ちゃんと思ったことは言ってあげなきゃ。
「もしかして、巫女さんは、グランドルに照れちゃった、のかも」
「・・・ん?」
きょとんとした顔がみょうに可愛くてドキっとした。
いや、そんな場合では無い。