61 援護
「何とか間に合った、持っていってくれ」
宿泊所を出発する時、まだ朝日が登るよりもずっと早い暗がりの中で、シュウさんから絵を託された。
その絵を抱きしめながら、彼は今後どうするつもりなのだろうかと尋ねると。
「王都へと戻るよ、このままついて行っても彼らの負担になる。戻って彼女たちの手伝いをするつもりだ。リズも彼女へ、何か頼み事をしたのだろう?」
シュウさんがクリスチーナさんをチラリと振りかえる。
「はい……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だ……また会おう。どうか無事に」
「はい、必ず。シュウさんも」
そう言うとシュウさんは微笑み、私たちは握手を交わす。話したいことはまだ色々あるけれど、今はやるべきことをしてから。
続いて彼は御者台にいるラルフの元へ向かった。いくつか言葉を交わしている様子を見守りながら、私はもらった絵をもう一度目に焼き付けてから、傷つかないよう鞄にしまう。
そうしている間に戻ってきたシュウさんが馬車の後方へと乗り込むのと同時に、私たちは宿泊所を出発した。
御者台との間にある窓を通して、座席に座る私からラルフの姿が見えている。
暗い街道を照らすためにラルフは御者の隣に座っていて、その肩にはヤタ。昨夜はこのためにヤタを暗闇の中に放ったのだと、ついさっき教えられた。
薄闇の中で、ラルフが空を飛ぶヤタの目を借りて周囲を確認しながら進むことにしたのだ。ラルフとヤタが繋がっているからこそ出来ることらしいけれど……普段からの二人の仲の悪さを考えると、大丈夫なのかしらと少々不安になる。
実際に、見ていると何やら口げんかをしている。
そんな二人をハラハラしながら見ていると、ヤタが翼を広げて飛び立っていった。窓に身を寄せてヤタを目で追おうとしたけれど、あっという間に暗闇に溶けてしまい見失ってしまった。
そのまま何事もなく、私たちの馬車は走り続けた。
肩越しの窓からは、黄金色の小さな炎が風とともに流れていくのが見える。幻想的な景色を眺めていると、空が白み始めていた。
少しずつ開けた視界によって、細くて舗装が荒い山道から、いつしかしっかりとした幅のある頑健な街道へと変わりつつあるのが見えた。
もうすぐ、山間の町ウィンスへと到着するのだろう。このまま何事もなくホロラル川を渡ることができるのでは……そう安堵が胸に広がった時だった。
ぐっと馬車が加速する。
ハッとして御者台の方へと視線を向けると、ラルフが振り返って叫んだ。
「揺れるかもしれない、掴まっていろ!」
次の瞬間、馬車が蛇行した。
「わっ」
窓に添って付けられていた手摺りに掴まって、身体が降られて椅子から落ちないように身を固くする。後部席の方も揺れのせいで、ガタゴトと荷が音を立てる。
「クリスチーナさん、大丈夫ですか?」
荷台は椅子がないので、私以上に揺れによって姿勢を崩すクリスチーナさんを、商会の御者が支えていた。
「私たちのことは気にしなくても大丈夫よ、それよりリズこそ必ず無事でいるのよ、約束よ?」
「は、はい……きゃっ!」
掴んでいた手摺りが、酷く冷たいのに気づき手を離す。
しかし驚いたのは、窓に走る氷の筋。まるでガラスがひび割れていくかのように育つ氷に、あの人の顔が脳裏に浮かんで背筋まで凍りそうだった。
「くそっ、早速攻撃してきたな」
ラルフの声がして氷に覆われていない窓から外を見る。
古い屋根が並ぶ、山間の小さな村のような町。煉瓦の壁が連なり、ホロラル川に添って作られた家々、石畳の細い路地には雨期によく見る紫陽花に似た花が咲いている。けれども……その山間の町に、白い結晶が降り注いでいた。
「全員、頭を低くしていろ!」
ラルフの声がした。
私は考える暇もなく、窓から手を離して膝を抱えるような姿勢を取った。すると同時に、外が金色に輝く。
外の様子は覗えないけれど、ゴオッと炎が立てる音がして、ラルフが魔法で氷を払っているのが分かる。
まるで真夏の太陽が射したかのような輝きが、私の足元まで届く。
相当な範囲への魔法ではないだろうか。そう、彼のことが心配になってしまう。
けれどもそうしている間にも、馬車は相変わらず蛇行する。すると避けた後に地面を抉るような衝撃音。明らかに攻撃を受けているのだと分かると恐ろしさが募るけれども、今は遠心力で身体を持っていかれないようにするので精一杯。
どうか、このまま無事にホロラル橋を渡れますように。
身を伏せながら祈っていると、ふいに金色の光りを遮る影が差す。
『見つけた、ハーディだ!』
ヤタの声だった。
私は咄嗟に身を起こし、窓から外を見る。
馬車の横を、大きくした翼を広げてヤタが飛ぶ。そして金色の瞳をこちらに向けて、繰り返した。
『この先の橋で待っている』
「遅いぞ、ヤタ」
ラルフがそう叫びながら、御者台に通じる扉を開けて馬車内へ入ってきた。
そしてクリスチーナさんを支えるコンファーロ商会の人たちに向かって、馬車を分離するよう告げた。
「ねえラルフ、今ハーディって……」
そう聞こえたけれど、どういうこと?
そう問いただしたいけれども、きっとそれどころじゃない。そう思い直して言葉を切ると。
「ヤタから気配を感じると聞かされて、捜させていた。ついでに偵察もかねて……無事に見つけたようだが、それ以上に不味い状況だ」
「やはり、追っ手が来ていたのですね」
商会の人とシュウさんとで、車内の金具を外している。その中でクリスチーナさんがラルフに問い、黙って彼は頷いた。
「レギオン先生、なの?」
「いや、奴じゃない。だが……この先で数人の魔法使いらしき男たちが、ホロラル橋の前で待ち構えているのが、ヤタの目を通して見えた」
「そんな……じゃあ引き返すの?」
他の道へ……そう思ったけれど、昨夜も見ていた地図を思い起こして、すぐに不可能だと理解してしまう。
「強行突破するしかない。昨日からの雨で、かなり増水している。ここで渡れなかったら、どのみち別ルートに回ったとしてもリントヴルムへは辿り着かない」
強行突破……そんなことが可能なの?
不安にかられている間にも、馬車を分離するための作業は進んでいた。ラルフが私の肩を抱き、不意の衝撃に備える。
「クリスチーナを頼む、シュウ」
そう言うと、ラルフは後部荷台の床を、足で押し出した。
すると一つだった馬車の真ん中にズレが生じる。そしてゆっくりとクリスチーナさんたちを乗せる荷台が離れていく。
それと同時に魔法石の効果が外れたせいか、荷台はガクンと音を立てて振動し、揺れながら一気に後方へと離れていった。
「リズ! 必ず無事で!」
激しく揺れる荷台から、クリスチーナさんが叫ぶ。
「クリスチーナさんも、どうか気をつけて!」
手を振る私を、ラルフが引き寄せる。
私たちが乗る馬車は、相変わらずシュウさんが細工した魔石のおかげで揺れることなく走り続けている。取り残されるようにして遠ざかる荷台は、石畳に揺られ、急速に速度を失って止まっていった。分離部分に補助輪のような小さな車輪があるので転びはしないだろうけれど、酷く頼りない。
「人の心配をしている余裕はないぞ、リズ……ここで待っていろ」
ラルフはそう言うと、大きく間口が空いた馬車の後部に移り、屋根部分に収納されていた扉を下ろそうとしている。
けれどもラルフが言った通り、追っ手は私たちに差し向けられたものなのは確かなようで、無防備になった馬車の周囲を再び、大きな氷柱が襲った。
レギオン先生がエンデ地区で放った氷魔法を、思い出してしまう。
氷柱を作り出してしまうほどの魔法に驚いたけれど、彼の元魔法騎士団副団長という経歴を考えると、それも自然と受け入れられてしまう。けれども今ここで襲ってきている人たちは……?
「ラルフェルト、もう保ちそうにない!」
御者台の方から声がかかると、私を支えるラルフから舌打ちが聞こえた。
「リズ、何があってもここから離れるなよ?」
そう言うとラルフは小さな扉をくぐって再び御者台へ。同時に空からヤタが舞い降りて、ラルフの肩に乗る。
私を振り返るヤタと目が合う。
「ヤタ、無理しないでね」
思わず漏れた声に、ヤタが金の目を細める。
烏の姿にもかかわらず、人間臭いその仕草はそもそも烏という存在がどんなものか知らないから。
『我はリズを守る、リズを送り届けるのが役目』
そんな声を掻き消すかのように、再びラルフの炎が周囲を照らした。
馬車を曳く馬の前に降り注ごうとしていた大きな氷柱が、瞬く間に溶けて細くなり馬に蹴散らされていく。
馬車が走る街道のすぐ下に、ごうごうと音をたてて流れるホロラル川。その川から目線を先に向けると、ウィンスの町並みが現れる。山を背にして石造りの頑健な造りの家が並び、さらにその先に大きな橋が見える。
山間のウィンスが発展したのは、ホロラル川の船による水運と、その川沿いの街道による恩恵という。そのため町は川に沿うような形で造られている。
「不味いな、橋が沈んでいる」
御者をしていた騎士が、焦ったような声を上げた。
橋の部分だけ水量が増している。私たちがいる下流は、増水しているけれどそこまでじゃない。どういうことかと身を乗り出して目を凝らすと、橋の周辺だけが増水している。
「氷か!」
舌打ちとともにラルフが言った。
岸に氷を積み上げて、川幅を狭くすることで、橋を水没させているということらしい。
「そんな……通ったら流されてしまう?」
雨期で増水して川はごうごうと音をたてながら流れている。たとえ僅かな水かさといえども、水の流れに足をとられたら……。私はホロラル川の濁った水を見て、ゾッとする。
「攻撃を躱しながら、氷を溶かすしかない……時間をかけていたら氷を溶かしても水量は増えるばかりだ」
「ああ、魔法使いを減らすしかない。ヤタ、位置を特定するぞ、飛べ!」
ラルフの指示で、ヤタが翼を広げて飛び立った。それと同時に、馬車の周囲を守っていた騎馬が、馬車を抜いて行く。
守るばかりでは進めないという判断なのだろう。
けれども身を隠して進んできた私たちと、準備をして待ち構えていた者たち。いくらラルフたちがこの国で最も高い能力をもつ魔法騎士といえども、その違いは大きかったのだろうか。
ホロラル橋を目の前にして、馬車はスピードを失い、止まる。
氷の矢はいまだ降り続け、そしてラルフの魔法はそれらに対処するのが精一杯で、川岸に積もる氷を溶かすに至っていなかった。
それでも騎士たちは各々の魔法で、一人二人と魔法使いを仕留めているようで、成果がないわけじゃない。
「くそ、肝心の氷使いの位置が特定できない」
ラルフの苛立ちはピークに達し、他の騎士たちの焦りも見て分かるほどになった。
こうしている間にも水は更に嵩を増し、橋は完全に水没してしまっている。
……どうすれば。
万事休すだろうかと思った時だった。それまで私たち以外に人影がないウィンスの町に、たくさんの蹄の音が響く。
更なる追っ手かと身構えた。
けれども蹄の次に聞こえてきたのは太い笛の音、それから静寂だった。
聞こえていた蹄の進撃が一斉に止む。それはよく訓練されて統制がとれたものに他ならなかった。
「我が名はバルド・オーベルス! 我が領地を荒らすばかりか、領主一族に連なる者への狼藉は許しがたし。オーベルスの名にかけて、不法者を排除する」
オーベルス……。
その名にハッとして、私は窓から顔を出す。
降り注いだ氷が町を所々覆い、雨期の景色とは様変わりしてしまったウィンスの街道。そこに佇む私たちの馬車を守るように、二十騎以上が取り囲んでいた。
その騎馬の先頭にいた男性が、こちらに気づいて振りかえる。
「……まさ、か」
その男性は、私と同じ色の髪。それから父さんと良く似た色の瞳と、顔立ち。
ああ……。あの人は、父さんの。
言葉にできない複雑な感情が、湧き上がって言葉にできなかった。
そんな私をラルフが振り返る。
「ここはオーベルス伯爵家の領地だ。しかし領主のいる町からは遠い、間に合わないかと思っていた」
私は涙が溢れそうになるのを堪えながら、頷く。
「行こう、攻撃は彼らが阻止してくれる。あとは氷を溶かすだけだ」
ラルフの合図とともに再び馬車が走り出すと、騎馬が街道に並び、私たちのために道を開けてくれていた。




