56 協力の申し出
アラッカの町に到着したのは、太陽が真上に来た頃だった。
ここはグラナートの都に近いということで、物資の流通拠点となっている。町の側にはグラナートの西を流れる河があり、船便で運ばれる物資もあるからだそう。
比較的平野部が広がっているため、町は近年になってもまだまだ発展していて、その姿を大きくしているという。
その新しい建物が多く並び立つ町の一角に、私たちの馬車は到着した。
大きな門を越えて入った先は、コンファーロ家の私有地だという。広い敷地を高い塀で囲われているため、人目につかない。
馬車を降りると、ラルフが魔法を使った。
掌に小さな金色の炎を四つ出して、それを空に飛ばしたのだ。小さなそれらは屋敷を囲う塀を添うようにして飛んで行き、そして見えなくなった。
「結界というほどではないが、不審な者の侵入を察知できる」
「……すごいのね」
そんなやり取りをしていると、背中から声をかけられた。
「お待ちしておりました」
屋敷から出て来た人物はコンファーロ翁だった。彼はまずラルフに向けて頭を下げると、私とシュウさんの方を見て、少しばかり驚いたような顔を見せた。
「ご無沙汰しておりました、コンファーロさん」
「……そうですね、ご健在のようでなにより」
「貴方こそ」
コンファーロ翁はひとつ頷き、それから私の方を向いて微笑む。
「疲れたでしょう、さあ中で休息を」
「ありがとうございます、お世話になります」
私はヤタを肩に乗せて、ラルフとともに導かれるままに屋敷の中へと歩き出す。けれどもクリスチーナさんは、荷物の管理があるとかでそこで別れることに。そしてシュウさんは、ここから使う馬車の魔道具の設置を手伝うという。
「クリスチーナさんも疲れているでしょうに……」
後ろ髪を引かれていると、コンファーロさんが優しい笑みを私に向けながら言った。
「心配はいりませんよ、リーゼロッテ。クリスチーナも近年はよく地方の買い付けに同行しておりますゆえ。それよりもラルフェルト様、護衛の騎士団の皆様も、裏門から無事に合流していただいております」
それを聞いてラルフは頷く。
私たちはコンファーロさんに連れられて、広い応接室へと入る。厚い扉をくぐった先は、窓がない部屋だった。そこにはとても大きな机が真ん中に設置されていて、その机を囲むようにして騎士団の人たちが立っていた。
コンファーロさんが使用たちに退室させて扉を締めさせてから言った。
「皆さん、無事に到着されて何よりです。早速ですが、今後のことを確認いたしましょう」
ラルフを始め、騎士たちは表情を引き締めて頷く。
私の肩に乗っていたヤタがふわりと机の上に降りて、首を傾げながらそこに広げられていた大きな地図を眺めていた。
「リントヴルムまでのルートを確認する前に……私から報告をよろしいですかな?」
口火を切ったコンファーロさんに視線を上げると、彼の顔が曇っているような気がした。そではラルフも同じだったようで……。
「不安要素か」
「はい……これは状況による推察ではあるのですが」
「情報は多い方が良い、言ってくれ」
ラルフの言葉に頷くと、コンファーロさんは話し始めた。
「実は、リントヴルムに近いスヴェルクの町からの情報ですが、寺院に人が集まっているようです。公には隠しているようですが、物資の調達が余分にあると町の人間から聞いております」
「……やはり拠点はスヴェルクか」
ラルフは地図を見ながら舌打ちをする。
庶民がこうした広域地図を目にすることは滅多にないが、かなり精巧に作られているように思える。地図の中央にリントヴルム山があり、その麓に赤い徴がつけられている。そこがきっとリントヴルム村なのだろう。山麓から湧いた水でなる小川が村を通り、スヴェルの町を経由し、そして山野を越えて王都グラナートに通じている。
「集まっているのは、例の紋章を付けられた者たちだ。今はまだリントヴルム山に近づくことは出来ないだろうが、それも時間の問題だ」
「……どういうこと? 山から溢れる魔素は、スヴェルクですら多いはずよ」
思わず口を挟んでしまったが、私の問いは的を射ていたらしい。
ラルフは眉を寄せてから、言った。
「魔素は……収束期に入った」
「収束期?」
「ああ、暴発の勢いが収まり拡散状態から、反転して収束が始まっている。つまり、以前のリントヴルム村と同じ状況になる」
「じゃあ、リントヴルム村に入れるようになるってこと?」
自分でも驚くくらい、声が震えた。
あの暴力的な黒い煙の中、命を落とした母を、埋葬してあげられる。母だけじゃない、村の人たちは、ずっと村に放置されたまま。
ようやく、ちゃんとしてあげられる、そんな安堵と同時に、見ない振りをしていた重い責任に心が推し潰れそうになる。
けれどもそんな私に気づいたラルフは、私の肩をその大きな腕で支えてくれた。
「まだ、どういう状況なのか分かっていない。だがリズに約束する……あいつらに、レギオンたち寺院の連中に村を好き勝手させない」
「ありがとう……でも、大丈夫。今は、亡くなった人より、生きている人を優先して欲しいの」
それはラルフを含めて、いいえ、ラルフが無理をするのは駄目だ。
「なるべく早く、リントヴルムに辿り着きたい。最もいいルートを教えて欲しい」
ラルフがコンファーロ翁に話を振ると、彼は髭を撫でながら地図を覗き込む。
「……馬車で行ける道は、限られております。ここと、ここ」
コンファーロさんが指を差したのは、自分が町から駅馬車を使って通った各地の町を巡る道と、商人が長距離移動に使う山越えのルートだった。
「ラルフ、山越えは隠れて護衛をするわけにはいかなくなる、あまり離れてついていったら間に合わない」
騎士の一人がそう言うけれど、ラルフはスピードを優先させたいと応酬する。
それだけでなくコンファーロさんが言うには、かなり道も悪く、綿花を運ぶにはそれでも良いが、かなり乗り心地に難があるとのことで。
話し合いはしばらく平行線のまま、補給の話などを含めて難しい話をしていたところで、別の声があがった。
「馬車の改良を俺が何とかする、だから山越えルートを選ぶべきだ」
議論に加わってきたのは、シュウさんだった。
「今、馬車の改造ができるか見てきた。俺の魔石を使えば馬車をほんの少し浮かせて走らせることができる。そうすれば、乗り心地だけでなく速度も出せるはずだ」
「……安全性は?」
「魔石の効果が続く限り、馬車が倒れることはない。馬車の車輪ではなく、座席の底全体に浮力を持たせる」
それを聞いてラルフはようやく安心したように頷きながら、更に問う。
「改造にどれくらい時間が必要だろうか」
「一日ほど見てくれ」
「速度はどれほど上げられるか、それ次第だな」
「平地を走るよりも早いはずだ。ただし、よく訓練された従順な馬が必要だが」
ラルフと騎士たちが再び地図を見ながら難しい表情だ。それもそのはずだ、この世界にエンジンで動く車はまだ存在しない。馬車が軽くなったとしても、山道を恐れることなく走れる馬がいないと馬車は動かないのだから。
だがそんなラルフたちの懸念を、コンファーロさんが払拭する。
「ちょうどこの街道に慣れた馬が戻ってきているところです、使ってください」
コンファーロさんが説明してくれるところによると、街道を行き来する荷馬車はそう多くないらしい。そんなタイミングで協力を得ることができて幸運だった。しかし気になることもあって……。
「その大事な馬をお借りしてもいいのでしょうか、こんな時期だからこそ、荷馬車を休ませることなく動かしているってクリスチーナさんも言ってらしたのに」
するとコンファーロさんは優しく微笑んだ。
「それでは対価として、ひとつ頼まれ事をお願いしてもよろしいかな?」
「私にできることなら、何でもおっしゃってください」
意気込んでそう答えると、コンファーロさんは部屋の片隅に置かれてあった細長い包みを取り、机の上に置いた。それは仕事柄、反物だとすぐに察する。
それをヤタが物珍しそうに覗き込み、誰よりも先に中を見ようとしている。
「これが何か、分かるのかい?」
コンファーロさんがヤタに尋ねると、ヤタはいつものように胸を張りすぎてふんぞり返った姿勢で言った。
『我と同じ匂い』
それを受けてコンファーロさんが包みを開けると、中に入っていたのはやはり織り上がって巻かれた反物だ。しかし目を引くのは、その布の色。
「こんなに黒く染められた布は、初めて見ました」
驚きのあまり、つい手を伸ばして触れようとしていたのに気づき、手を引っ込める。
「かまわないよ、触ってみたまえ」
そう言われ、一度は引っ込めた手を再び伸ばして、反物に触れた。
生地はとても滑らかで、上質な●●絹であることがすぐに分かる。しかしあの●●が黒い糸を吐くなんて聞いたことがない。それならば染められたのだろうか。
そう思ってシュウさんを振り返るが、彼はすぐに私の意図を察して首を横に振った。
「これは、リントヴルムの村から下流にある、小さな村に生息していた●●からとれた糸で織った生地。これを、あなたに託したい」
「……私に?」
「糸も用意してある」
コンファーロさんは、深い眼差しを私に向けるけれど、その先に具体的な言葉を続けることはなかった。
私は、私がするべきことは、何なのか。
それはずっと考えていたことでもあるけれど、まだ形にすることができずにいる。
そんな迷いを見てとったのか、コンファーロさんは続ける。
「なに、気負う必要はない。これは儂の自己満足……どう使うかはあなたの自由」
そんなコンファーロさんの言葉に、私はただ頷いて布を受け取ることしかできなかった。
馬車の改良が行われている間、私にやれることなど何もなくて、ただ休息という名の時間を過ごすことになった。
休めと言われても、今後のことやグラナートにいるマルガレーテの人たちのことなどが頭をよぎり、気が休まらない。そうなると決まってやることといえば、手慰みの刺繍。ちょうどいいからとラルフの上着を引っぺがして繕いをするのだが、それもあっという間に終わってしまう。
翌日の昼には出発なのだけれど、今はまだ夕暮れ時。
やることがないのは私とヤタのみ。彼と一緒に中庭の片隅にあったベンチに座り、持ち出したノートを開いて、新しい刺繍の図案を描いていると……。
「やあ、きみも手持ち無沙汰のようだね」
暇なのは私だけかと思いきや、そうでもなかったらしい。
「シュウさんもですか?」
「ああ、俺は改造の指示を出すだけで、あとは屋敷の技師に任せるしかない。俺はあくまでも、魔石の加工や魔道具の細工ができるだけだからな」
そう言いながらシュウさんは、私の手元にあったノートに目を落とす。
「ずいぶん、古いノートだな」
「はい、こういう物も田舎のリントヴルムにはあまり入ってこなかったので、子供の頃から使ってます」
そう言ったところで、風がパラパラとノートをめくる。
子供の頃のへたくそな落書きを見られ、慌てて手で押さえようとしたところ、その手を遮られる。
「……これは、もしかして」
目に付いたのは、首の長い動物。
「キリンのつもりだったみたいです、あまり覚えてはいなかったですけど。他にも、幼い頃は無自覚に、過去世のことを思い出していたのに気づかなくって」
「こっちは、ビル群かな」
楽しそうなシュウさんを見ていると、恥ずかしいという思いも薄らぐ。
そうしてノートをめくっていたシュウさんの手が止まる。
そこに描かれていたのは、黒い鉛筆で描かれた空想の生き物。翼を持ち、鉤爪のある手足に、勇猛そうな大きな口。
「私が思い描ける姿が、完全ではないから……失敗したのかもしれない」
ぽつりと落ちた自分の言葉に、私は今さらながらショックを受ける。
リントヴルムの山の主に、しっかりとした姿を与えられていたら、村の皆は今頃生きていたかもしれない。
その事実を受け止めきれなくて、私は考えないようにしていた。
けれども、ここまできたら正面から受け止めなくてはいけない。
でもその事実は重くて、苦しくて。
「泣くな、きみのせいじゃない」
シュウさんに言われて、はじめて涙が溢れていたことに気づく。
手の甲で涙を拭いながら、同時に鼻をすする。
『リズ、リズ』
ヤタが心配そうに私に寄り添い、頬をすり寄せながら慰めてくれる。
「なあ、リズ……俺に手助けをさせてくれないか?」
そう申し出されて顔を上げると、私の目線に合わせるために膝をついたシュウさんが、いた。
「手助け……?」
「ああ、俺はすっかり忘れていた。どうしてあんなに絶望して、生きる気力を失ったのか……取り戻したはずなのに、その価値に目を向けなかった」
「シュウさん?」
「必ず、力になるから」
そう力強く言い、ハンカチを取り出してくれた。
「ありがとうございます」
私が受け取ると、シュウさんは屋敷の方へと戻っていった。




