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第百十八話 大陸を食い尽くすもの

 それは真夜中の出来事だった。

 起床の時間だと促すように、体が揺さぶられる。

 否、そうではない。

 ベッドがゆらゆらと揺れている。

 突然の事態に、青年は脳を一瞬で覚醒させた。


(何だ? コトコト、コトコト、部屋が鳴いている? いや、違う。揺れてるんだ)


 彼の名前はウイル。エヴィ家の長男であり、貴族でありながらかつては傭兵として名を馳せた。

 今は家を継ぐため、父の仕事を手伝っている。

 室内が見慣れない理由もその一環だ。

 作物の収穫状況を調査するため、昨日この地を訪れた。

 そのまま宿で一泊するも、ウイルは真っ暗な空間をじっと見つめる。


(そういえば、村長さんが言ってたな。最近は地震が多いって……。こうして揺さぶられてると、眩暈みたいで気持ち悪いかも)


 この地揺れに対して、抗う術などない。

 なぜなら、ベッドだけではなく、部屋そのものが静かに揺れている。

 建物が壊れるほどではない。家具や置物も倒れることはなさそうだ。

 そうであろうと、ウイルはベッドの中で周囲を観察してしまう。


(まだ揺れてる。あ、止まった……かな。王国だとこんなこと一度もなかったけど、シイダン耕地特有の現象なのか? 傭兵やってた頃はエルさんと何度も来てたけど、そんなことは一度もなかったような……)


 何はともあれ、地震は収まった。

 ウイルはゆっくりと瞳を閉じると、安堵するように二度寝を決め込む。

 今日は西の地へ遠征だ。ゴブリンがその地に集っているらしく、調査と間引きを買って出た。

 貴重な睡眠時間を無駄にするわけにはいかない。

 長距離を走るためにも。

 戦いに備えるためにも。

 不安感を忘れるように、ウイルは瞬く間に寝息を立てる。

 激動の一日はこうして幕を上げた。



 ◆



 シイダン村の宿は質素ながらも居住性は申し分ない。

 快適な睡眠は朝方の地震によって遮られたが、朝日が昇れば心地良い一日の始まりだ。

 ウイルは妹のパオラと共に食堂で朝食を楽しんでいる。貴族に不釣り合いの素朴な食事ながらも、この二人はそのようなことで駄々をこねたりはしない。


「トマトがみずみずしくてなかなか……。あ、パオラ、残すならちょうだい」

「のこさない!」


 ここは大衆食堂ゆえ、周囲は多数の人間で賑わっている。

 農家。

 傭兵。

 軍人。

 その顔触れは多種多様だ。

 そういう意味ではこの兄妹も異色なのだろう。

 もっとも、当人達は気にもせずに美味な朝食を味わい尽くす。

 幸か不幸か、タイミングとしては最適だった。ウイルが最後の皿を空にしたタイミングで、長身の軍人が歩み寄ってくる。


「ウイル様、少しよろしいか?」


 深緑色の軍服を着たこの男はジーター・バイオ。今回の遠征に付き添う部隊の隊長だ。

 普段から寡黙な男ながらも、今回はピリリと緊張感をまとわせている。

 それを感じ取った以上、ウイルとしても背筋を正すしかない。


「どうしました?」

「傭兵が騒いでおりまして。具体的には、ヘビのようなミミズのような、巨大な化け物がここに迫っていると訴えています」

「それで?」

「住民を避難させろ、と。また、王国軍は迎撃に加われ、とも」

「なるほど……」


 意味不明な主張だ。

 通常ならば、その傭兵が錯乱しているのか、あるいは酔っぱらっているのだろうとあしらうべきだろう。

 しかし、この貴族はそれをしない。

 なぜなら、傭兵は夢想家ながらもホラ吹きでないことを知っている。

 ゆえに、ウイルの決断は早かった。


「その人に会わせてください」

「了解です。こちらへ」


 実は、案内など必要ない。建物から一歩外へ出れば、遠方に人だかりが出来ている。

 主に傭兵と軍人が集まっており、遠方からでも耳をすませば容易に聞き取れるほどの声量だ。


「う、嘘じゃないって! マジ、やばいんだよ!」


 女の声が騒いでいる。

 対照的に、周りの野次馬達は冷静だ。

 しかし、その反応は二分している。

 半信半疑ながらも、情報から状況を考察する傭兵達。

 意味不明な訴えに対して、冷ややかな視線を向ける軍人達。

 どちらも至極まっとうな態度だろう。

 なぜなら、真実がわからない。

 だからこそ、聞き取り調査が必要だ。

 この場の誰よりも長身なジーターが現れたことで、賑やかな空気は幾分静まる。


「ウイル様、この女です」

「ありがとう」


 ジーターは第一遠征部隊の隊長だ。彼の部下は当然ながら、この地に常駐している軍人でさえ、この男が声を発したタイミングで話すのを止める。

 一方で、傭兵達は眉をひそめてしまう。

 当然だろう。一目で強いとわかる軍人が、傭兵のような青年と、能天気そうな少女を連れ歩く。この構図は第三者からすれば意味不明ゆえ、彼らとしても観察せずにはいられない。

 好機の目に晒されようと、ウイルは至って冷静だ。太陽の光で灰色の髪を輝かせながら、眼前の女性へ語りかける。


「私はウイル、一応、あなたと同業です。何があって何を見たのか、教えてください」


 しかし、この問いかけが彼女の神経を逆なでてしまう。

 なぜなら、既に何度も説明した。

 この地に危機が迫っていることを。

 救援が必要なことを。

 一分一秒が惜しいのだから、こんなところで問答を続けたくない。

 それでも今は、大きく息を吐く。自分自身を落ち着かせるためであり、女は改めて説明を始める。


「ご丁寧にどうも。俺の名前はチコ。ケイロー渓谷の手前で、とんでもない魔物と出くわしたんだ。今頃は、仲間がそいつと戦ってる」


 チコと名乗った傭兵は、軽装ゆえに腕や脚を露出させている。

 腰の短剣からもわかるように、接近を得意とするのだろう。

 黄色い髪はウイルよりも短く、汗だくながらもまとう雰囲気は刺々しい。

 彼女の足は痙攣するように震えてしまっている。ケイロー渓谷は遥か遠方ゆえ、余力を残さず走ったのだろう。

 疲弊しながらも、チコは休まず訴えた。

 その成果がこれだ。ウイルという重要人物をこの場に呼び寄せた。


「チコさんやお仲間さんでは、倒せないくらいの敵ってことですか?」

「悔しいが、そういうこった。あれは……、でかいなんてもんじゃない。巨人族でさえ、丸のみだろうよ」


 巨人族は、人間の倍近い体躯を誇る。

 それを一口で飲み込める怪物など、魔物図鑑を探しても見つけられない。

 そのはずだが、チコはその目で見たように言ってのける。

 なぜなら、それが虚言ではなく事実だからだ。

 ウイルも疑ってはいないのだが、確認せずにはいられない。


「そいつはヘビだかミミズのような見た目……と」

「ああ、そんな感じだった。あいつはおそらくだが、真っすぐここに向かっている。畑を踏み潰しながら、既に何人も農家のおっさんやおばさんが食われちまった。それと……、い、意味がわかんないんだけど、ゴブリン共もあの化け物と戦ってやがった。俺達に気づいていながらも、まるで共闘するように化け物へ攻撃を集中させてた。なぁ、意味わかるか?」


 にわかには信じ難い発言だ。

 そうであろうと、ウイルは眼前の傭兵を否定しない。


「そいつらは、もしかしてケイロー渓谷のゴブリン?」

「多分な……。あんたなら、王国軍に命令出来るんじゃないか? なんか、その、偉そうだし……」


 隊長を従えているのだから、そう見えても仕方ない。

 ましてや、この青年は貴族だ。イダンリネア王国における特権階級であり、その地位は上位一パーセントと言っても大袈裟ではない。


「わかりました。もとよりそのつもりです。ジーターさん、早速向かいましょう」

「了解です。部下達は?」

「私とパオラで先行しますので、追いかけてきてください。きっとジーターさんでも、私達にはついてこれないと思うので」


 厳しい言い方だが、事実だ。

 ウイルとパオラの実力は、隊長を遥かにしのぐ。ジーターでさえ、この兄妹のペースで走ることなど出来ない。

 強者が弱者に合わせる理由がないため、ウイルは独断先行を即決した。

 この判断に対して、隊長は素直に従う。


「すぐに向かいます。無茶だけはなさらずに……」

「わかっています。勝てない相手だったら、時間稼ぎに徹します。村民の避難については、一度魔物を見てからじゃないと何とも……。チコさん、そいつは今どこに?」

「あ、ああ、案内するよ」

「いえ、第一遠征部隊の人達と一緒に向かってください。私は急ぐためにも先行します」

「そうかい。あいつなら、真っすぐ西へ向かえば出会えるはずさ。目立つし、うるさいからね」


 その方角こそが、ケイロー渓谷だ。

 巨大ヘビ、あるいは巨大ミミズがシイダン村を目指しているのなら、チコの言う通り、発見は容易い。

 ウイルの意向を受け、ジーターが軍人達へ命令を下す。

 第一遠征部隊は出発の準備を。

 常駐していた部隊は、指示があるまで待機。

 野次馬の半分を占めていた傭兵達だが、それぞれ考え始める。

 つまりは、チコの発言を疑っていない。

 強大な魔物が迫っていると信じており、この状況で浮かび上がる選択肢は三つ。

 討伐に向かう。

 シイダン村を守る。

 我先に逃げ出す。

 どれを選ぼうと、それは個人の自由だ。

 そして、一つ目を選んだのがウイルに他ならない。

 彼は走り出す。

 妹を連れて、西を目指す。

 その速度は誰よりも速く、ゆえに接敵はあっという間だ。

 のどかな田園風景を踏み潰す、大き過ぎる何か。

 ウイルとしても、その姿に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。



 ◆



 それは既に包囲されている。

 そうであろうと、前進は微塵も問題ない。

 当然だ。周囲の邪魔者はあまりに小さく、アリのような有象無象など気にする必要などない。

 魔物の姿はシンプルだ。

 ヘビやミミズを連想する者もいるだろうが、実態は異なる。

 芋虫だ。芋虫が頭部を持ち上げながら、多数の足で自身を前へ運んでいる。

 それの先端、つまりは顔の部分には、獲物を吸い込むための穴。それは口であり、頭部の大半を占めている。その直径ならば、人間の丸のみなど容易いだろう。

 この巨大な環形動物はサンドワーム。ウルフィエナには生息しない魔物ながらも、こうしてシイダン耕地を横断している。

 これの大きさは、家屋がミニチュアに見えるほどだ。ゆえに足元の人間やゴブリンなど、アリでしかない。

 そう、サンドワームを二つの勢力が取り囲んでいる。

 片方は傭兵だ。複数のチームが混乱しながらも、この魔物を迎え撃っている。

 もう片方はゴブリン。魔物でありながら、今はサンドワームに攻撃を集中させている。半数が真っ黒な鎧で武装しており、残りがローブ姿だ。

 話し合ったわけでもなければ、異文化交流が成功したわけでもない。

 そうであろうと、仮初の共同戦線が実現した。傭兵とゴブリンは互いを警戒しながらも、眼前の巨体を最優先に狙い続ける。

 しかし、無意味だ。彼らの努力を無視するように、サンドワームは前進を止めない。

 斬られようと。

 攻撃魔法を撃ち込まれようと。

 頑丈な皮膚が全てを跳ね除ける。

 痛くも痒くもない以上、この魔物は人間の密集地を目指し続ける。

 サンドワームは雑食だ。ここに至る過程で、既に大量の農家とゴブリンを飲み込んだ。

 それでも食べるのを止めない。腹が空いており、食欲は無尽蔵だ。

 胴体下部に備わった多数の足を動かしながら、ひたすらに東を目指す。

 その速度は、成人男性の全力疾走と大差ない。傭兵やゴブリンにとっては遅いくらいなのだが、問題は別にある。

 サンドワームはここに至るまで速度を一度も落としていない。このペースが維持される場合、シイダン村への到着は数時間後か。

 絶望だ。居合わせた傭兵もそれをわかっているからこそ、攻撃の手を緩めない。

 焦ってはいないのだが、ゴブリン達も必死だ。

 同胞がどれほど踏み潰されようと。

 あるいは吸い込まれようと。

 小さな魔物は人間を無視するように、サンドワームへ襲いかかる。

 力量差は明らかだ。体のサイズが、そのまま戦力差に繋がっている。

 サンドワームは昆虫のようにシンプルな思考で動いており、今回の場合、それは人間の捕食だ。

 食べられるだけ、食べてしまいたい。

 遠方の狩場を食べ尽くしたのなら、次の餌場へ向かうまで。

 それほどに腹が空いており、多少のつまみ食いでは決して満たされない。


「こいつは⁉」


 見知らぬ声は進行方向から発せられた。


「おーっきいー」


 さらに小さな人間が、感嘆の声を漏らす。

 駆け付けた二人組はウイルとパオラだ。予想以上の巨躯を見上げながら、その迫力に足を止める。

 パオラは瑠璃色のツインテールを揺らしながら、呆けることしか出来ない。子供ゆえにミミズのような化け物を前にして、恐れることなく観察し続ける。

 対照的に兄は冷静だ。もちろん、驚いてはいるのだが、状況把握を怠らない。


(チコさんの言ってた通り……か。ゴブリンが共闘してくれてる。いったいどんな事情が? いや、そんなことは後回しだ。私も……)


 参戦だ。

 腰の鞘から銀色の片手剣を引き抜くと、ウイルは二つの信念を抱きながら駆け出す。

 傭兵として、闘争本能の赴くがままに。

 貴族として、民を守るために。

 その場で待っていようと魔物の方から迫ってくるのだが、今回はぶつかるように距離を詰める。

 当然ながら、体当たりなど仕掛けない。ウイルが大げさに進行方向を曲げた理由は、正面衝突を避けるためだ。

 その結果、初手の一撃が成功する。

 すれ違いざまの斬撃は、確かにサンドワームの肉を斬った。

 ウイルとしてもその手応えには納得するも、次の瞬間、顔をしかめずにはいられなかった。


(皮が分厚い⁉ 出血すらしないなんて……)


 自身がひき殺されるリスクを負ってまで斬りかかるも、結果としては遅延すらままならない。

 この結果を受けて、パオラは兄を模倣するように近寄る。

 もっとも、選んだ一手は別物だ。

 抱き着くように飛び掛かると、銀色の短剣を目一杯突き入れる。しがみついたまま、数えきれないほど刺突を繰り返すも、最終的にはパオラが折れるしかなかった。


「とまらないよー」

(まぁ、そうなるか。だったら……)


 どうするべきか? ウイルは並走しながら考えるも、活路を見出せない。

 人間とゴブリンの混在部隊が、無駄だと察しながらも攻め続ける。追いかけながらの戦闘という不慣れな状況ながらも、彼らは攻撃の手を緩めない。

 サンドワームは魔物だ。当然ながら、前進するだけの芋虫ではない。

 それは突然だった。サンドワームの巨体が、走りながら白く輝く。

 それが何を意味するのか、知らぬ者などいない。

 魔法の詠唱だ。

 そうであると裏付けるように、多数の岩石が上空に創造される。それらは隕石のように降り注ぐと、うっとうしいだけの邪魔者達を瞬く間に葬ってみせる。


(グラットン! 魔法まで使うのか! な、なんて威力……)


 ウイルは見事避けるも、他者を庇うまでには至らない。

 事実、傭兵が何人も潰されてしまった。全滅は避けられたが、被害が出たことに変わりない。

 ゴブリンも相当数が巨石の下敷きだ。こうなってしまっては態勢の立て直しは困難だろう。

 生き残ったゴブリン達が肩で息をする中、ウイルはパオラと連携するように斬りかかる。

 もっとも、無駄な努力だ。

 あるいは時間の無駄か。

 サンドワームは前だけを向いたまま、ズルズルと走り続ける。

 やがて、ジーター率いる第一遠征部隊が合流を果たすも、彼らも青ざめることしか出来ない。

 ウイルという強者が勝てない時点で、勝敗は火を見るよりも明らかだ。

 人間側に、勝ち目などない。

 仮に第一遠征部隊が壁として立ちはだかったとしても、全員が踏み潰されて終わりだ。

 そんなことはさせないとジーターが自慢の弱体魔法を撃ち込むも、その全てが弾かれてしまう。

 つまりは、この魔物は隊長クラスよりも遥かに強者だ。弱体魔法の成立は魔力差によって左右されるため、ジーターは明確に格下だと証明されてしまった。

 八方塞がりだ。

 事実、二度目のグラットンが襲いかかる。

 降り注ぐ岩が多数の命を奪う中、人間側に出来ることは仲間の死を受け入れることだけ。

 農作業に励む農家達も、この地獄絵図には絶句だ。

 田畑は踏み潰され、抗う者は殺されてしまう。

 農家は目撃者として生き延びるも、そのことを喜べる者は一人もいなかった。

 絶望だ。

 ウイルでさえ、手も足も出せない。パオラやジーターと連携しようと、巨体の減速すら不可能だ。

 サンドワーム。山のように大きな、筒状の怪物。

 もしもこれがイダンリネア王国にたどり着いたら、どれほどの被害が出るのか。

 軍人や傭兵が戦意を喪失する中、ウイルだけがそれを視認することが出来た。

 流れ星だ。

 否、そうではない。

 それでも今は、その輝きに目を奪われた。

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