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第百十六話 小話「特訓開始?」

 激動の一日から一夜明け、集落に朝陽が降り注ぐ。

 赤髪の魔女ことハクアは宣言した。

 エウィンを鍛える、と。

 その発言に嘘はなく、だからこそ二人は向き合っている。

 周辺に何もないここは訓練場だ。単なる更地ながらも、指導者と教えを乞う者がいれば、そこは運動場として機能する。

 最強の魔女に直視されながら、少年は問わずにはいられない。


「まさか本当に僕の相手をしてくれるなんて。逃げてもいいですか?」


 緑色のカーディガンで拭いてしまう程度には、手汗がびっしょりだ。

 エウィンでさえ、この状況には恐怖してしまう。

 眼前の女は本物の強者だ。白衣のポケットに両手を突っ込んでいるが、その立ち姿さえもどこか恐ろしい。

 柔らかな西風が赤髪を揺らす中、ハクアはあくびを我慢するように言ってのける。


「かれこれ千年生きてきたけど、あんたの成長曲線は異常よ。たかだか数か月でモーフィスを上回って、昨日も意味不明なきっかけで壁を越えた。悔しいけど、オーディエンとあんたを認めるしかない。際限なく強くなれるのなら、今度は私を越えるの。わかった?」

「それはわかってますけど……。でもでも、ちゃんと手加減してくださいよ。こんなことで死にたくないので……」


 ハクアは強い。

 もしも彼女のデコピンを額に受けようものなら、スイカ割りのように脳しょうが飛び散ってしまう。

 模擬戦の最中に殺された場合、事故死なのか殺人事件なのか、そんなことを考えてしまう程度には死を身近に感じ取ってしまう。

 小鹿のように震えるエウィンを眺めながら、ハクアはすっと瞳を細める。


「死にたくないなら、本気で避けなさい」

「いやー! 僕は今日殺されますー! 誰かー! 治維隊呼んできてー!」


 残念ながら、この里にそのような機関は存在しない。強いて言うなら警戒班がそうなのだろうが、ハクアはその組織のトップゆえ、権力的にも実力的にも逆らえる者は皆無だ。


「ちょっとやそっとの怪我ならアゲハが治せるじゃない。心配なんていらないでしょう?」

「いやいや、首から上が消し飛んだら即死ですよ?」

「そ、そこまではしないわよ、多分……」

「多分⁉ 誰かー!」


 エウィン・ナービス、十九歳。涙を流しながら助けを乞うも、周りの野次馬は誰一人として手を差し伸べない。

 ここは訓練場のど真ん中ゆえ、二人の特訓が始まるタイミングで他の参加者は休憩を言い渡された。

 もっとも、不満の声などあがるはずもない。ハクアがついに立ち会う以上、興味を抱いて当然だ。

 その魔女だが、不満と共に今後の予定を言い渡す。


「ピーチパーチクうるさいわね。今日はあんたの実力を測るわよ。んでもって、明日はちょっと買い出しに出てくれない? 王国まで」

「王国? 構いませんけど……」

「やっと目当ての鞄が手に入ったの。交渉に何年もかかったけど、その甲斐あって……。お金と鞄は後で渡すから」

「あぁ、さっきお客さんが来てましたけど、その時に?」

「そういうこと。マジックバッグって言ってね、見た目はただのリュックサック、実際はとんでも魔道具。中は異空間に繋がってて、山ほどの荷物を収納可能ってわけ。お小遣いあげるから、あんたも欲しいもんあったら買っていいわよ」

「はぁ。んじゃ、ギルド会館でうどんでも食べようかな」


 もちろん、具なしではなく肉を乗せたうどんだ。イダンリネア王国はここから何百キロメートルも離れているため、労力に見合わない大家だ。

 無欲な若者ゆえ、他に思いつかなかっただけなのだが、ハクアは気にも留めずに話し続ける。


「そういうわけだから、本格的な指導は明後日から始めるわよ。それでいい?」

「はい、もちろんです。まぁ、今日、僕が、殺されなかったらの話しなんですけど……」


 いかにエウィンが強くなろうと、眼前の魔女はそれ以上だ。

 昨日の戦闘でその事実を改めて見せつけられたことからも、萎縮せずにはいられない。


「手加減するって言ってるでしょ。いつまでもうじうじと……。昨日の気概はどこ行ったのよ?」

「これから戦う相手は、昨日の魔物の比じゃないんですけど……。


 今回ばかりはエウィンが正しい。

 ハクアは単身で、煉獄の魔物を全滅させた。相手は数千もの大群だったが、返り血を浴びただけで汗一つかかずに終わらせてしまう。

 彼女の実力は測定不可能だ。

 そのような化け物と手合わせの機会を与えられた以上、怖気づくのは当然か。

 ゆえに、ハクアとしては鼓舞するしかない。


「グダグダ言ってないで、始めるわよ。あっちでアゲハも見てるんだし、やる気出しなさい」

「じゃあ、本当にちゃんと手加減してくださいよ……」

「うっさいわね。じゃあ、こうしましょう。私にパンチ一発でも当てられたら、そうね……、アゲハの膝枕とか、どう?」


 突然の提案だ。

 これにはさすがのエウィンも、首を傾げてしまう。


「膝枕なんか別に……」

「あんたも甘いわね。相手はアゲハよ? 想像してみなさい、その状況を」

「想像しろって言われ……て……も……」


 気づかされた瞬間だ。

 アゲハは豊満な乳房の持ち主だ。そのバストサイズは、この里はおろかイダンリネア王国においてもトップに君臨するかもしれない。

 それほどの胸を間近な距離で見上げられるチャンス。

 ハクアのアイデアが、エウィンの闘争心に火をつける。


「なるほど、そういうことですか。わかりました、本気でいきます」

「その調子よ。ほら、リードアクターをフルパワーで発動させなさい」


 説明を兼ねた雑談はここまで。

 エウィンを鍛えるための模擬戦が始まった瞬間だ。

 少年は言われた通り、純白のオーラをまとう。それは雷のような閃光を帯びており、その迫力は観客達を驚かすには十分だ。

 リードアクターの第二段階。現時点では名付けておらず、ハクア達はこれをフルパワーと呼んでいる。

 緑髪の傭兵と赤髪の魔女がついにぶつかるも、結果については火を見るよりも明らかだ。

 ハクアはハンドポケットのまま、迫る拳を全て避ける。

 かすりもしない。

 当然ながら、純白の戦士は本気だ。アゲハの豊満な胸を見上げるためにも、手加減だけはありえない。

 それでも、結果はハクアの圧勝だ。長すぎる髪を気にかけながらも、猛攻を全て退けた上でエウィンを蹴り飛ばす。

 靴の裏を押し付けるような、横暴なキックだ。

 しかし、傭兵はオーラをまとったまま森の彼方へ消え去ってしまう。

 この瞬間、ハクアは思い出したようにつぶやく。


「あ、殺しちゃったかも」


 この発言を受けて、アゲハとモーフィスが急ぎ駆け出す。

 対照的に、他の観客は唖然とするしかない。

 これは事故か。

 あるいは殺人事件か。

 結果は、幸運にも未遂で終わった。エウィンの治療が間に合ったからだ。

 それでも死にかけたという事実は消え去らない。

 少年は改めて恐怖するも、里長は気にも留めずに今後のトレーニングメニューを思案する。

 新たな日常の幕開けだ。

 エウィンはさらなる強さを手に入れるため、ハクアから指導を受ける。

 そうでもしなければ、打倒オーディエンなど夢のまた夢だ。

 父の仇を取るため。

 アゲハに地球帰還という選択肢を残すため。

 あるいは、母親に別れの挨拶を告げさせるため。

 エウィンは戦う。

 ハクアに実力の差を見せつけられようと、その壁もまた越えるべき一枚でしかないのだから。

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