第百十三話 思いつく限りの悪夢
リードアクターを進化させたエウィン。その闘気は雪のように白いだけでなく、雷のように騒がしい。
奥の手を使ったシャドウデーモン。漆黒の光はデモニックオーラと呼ばれる能力だ。
彼らは戦っている。
どこまでも青い草原の上で、互いを破壊するために殴り合っている。
状況はアゲハの目にも明らかだ。
エウィンが明らかに押している。
当然だろう。
腕力。
身のこなし。
瞬発力。
そして、持久力。
その全てで上回っている以上、決着は時間の問題だ。
一方で、魔物も食らいついている。
三回殴られた場合、その内の二発を防げている。すり抜けた拳が自身を殴打するも、痛みに耐える姿は敗者のそれではない。
挑戦者だ。人間狩りを楽しむのではなく、眼前の対戦相手を強者と認めた上で、一矢を報いようと立ち向かっている。
その勇姿は果敢だ。
だからこそ、エウィンは不慣れなこの状況に頭を痛めながらも、手を抜かずに魔物を追い詰めている。
リードアクターはその効果を大幅に向上させた。自分勝手な自己犠牲に別れを告げ、アゲハを守り抜くと決意した結果だ。
練習もなしに実践を繰り広げているのだから、エウィンとしても戸惑ってしまう。
つまりは、普段通りに戦えていない。
言い換えるなら、イメージと体の操作に不一致が生じてしまっている。
それでも、黒い魔物と互角以上に戦えている理由。それは、この少年がそれ以上の実力を得たためだ。
ゆえに、負けない。
アスリートのような屈強な足に蹴られようと、それを受け止めた上で殴り返せる。
もはや別人だ。
否、そうではないとアゲハは見抜いている。
(すごい……、こんなの絶対、負けないよ。オーラもバチバチしてて、昔流行ってたアニメみたい……。がんばって、エウィンさん……)
祈るような応援が、少年の背中を後押ししたのか。
長身の魔物がぐらりとよろめいた刹那、純白の闘気が密着するように距離を詰める。
まるで野球ボールを投げるように、エウィンは握り拳をシャドウデーモンの腹部へめり込ませた。
その衝撃は凄まじく、魔物は弾むように彼方まで吹き飛んでしまう。
これがルールに乗っ取った試合ならば、審判が勝者の名を告げただろう。
エウィンも手応えに満足しており、自分のペースで歩き出す。
果たして、何十秒、あるいは何分が経過しただろうか。
その時間は魔物に休息を与えると同義ながらも、エウィンは依然として急がない。
そして、両者は合流を果たす。
汗一つかいていない傭兵。
呼吸を整え終えた魔物。
しかし、二人の視線は交わらない。シャドウデーモンが、仰向けに倒れたまま空を見上げているためだ。
真っ赤な瞳は、流れる雲を見つめている。
呆けているのか。
敗北を認めたのか。
両方なのだろう。デモニックオーラは消え去っており、その姿はまごうことなく敗者だ。
この状況が、エウィンの口を開かせる。
「僕の言葉が、通じるという前提で話すけど……」
独り言ではない。眼下の魔物へ語りかけている。
「おまえなら、僕達を殺そうと思えば殺せたはずだ。でも、そうしなかった。だから、僕もおまえを殺さない。情けをかけるとかそういうのじゃなくて、えっと、感謝してるというか、あー、うん、とにかく殺さない。だから、このまま帰ってくれ。僕達も帰るから。それでおあいこってことで……」
漆黒の魔物が最初から全力だったら、エウィンとアゲハは瞬く間に殺されていた。
この事実は揺るがない。
それでも、この結果に落ち着いた理由は、シャドウデーモンが手心を加えながら戦ったことと、エウィンの急成長に他ならない。
この少年もそこまでは見抜いており、だからこそ、眼下の魔物を見逃したいと思ってしまった。
この行為は侮辱か。
優しい配慮か。
どう捉えるかはそれぞれだろうが、シャドウデーモンは考えるように瞳を閉じる。
数秒後、赤い瞳が開かれたと同時だった。
ゆらりと立ち上がると、無言のまま黒いオーラをまとい直す。
戦闘続行の意思表示だ。
こうなってしまっては、エウィンとしてもその意味をくみ取るしかない。
「わかった。だったら……」
納得の再開だ。
エウィンはリードアクターを解いていない。こうなることは想定しており、揺らぐことなく半身で構える。
見つめ合う二人だが、相手の出方を窺うように動かない。
勝敗の行く末など、誰の目にも明らかだ。
その事実を否定するように、漆黒の魔物が先に仕掛ける。
満身創痍でありながら、そう感じさせない急加速。右腕を槍に見立て、対戦相手を貫く算段だ。
刺されば即死のこの攻撃だが、今回ばかりは相手が悪かった。
それほどの殺傷力だからこそ、先読みが作用し、危機を知らせる。
エウィンは与えられた情報を元に、あえての前進。その際、わずかに右側へよれた理由は串刺しを避けるためだ。
両者の距離が完全に縮まった瞬間、つまりはすれ違う直前にそれは起こる。
その轟音は命を刈り取る衝撃だ。
シャドウデーモンは右手を前へ突き出したまま、一瞬の痙攣と共に停止する。
二つのオーラが混ざり合った刹那だった。
エウィンの拳が、魔物の急所と思われる個所、具体的には乳房と乳房の中間付近をえぐるように打った。
その運動エネルギーは相手を吹き飛ばすことには使われず、対戦相手の破壊だけに消耗される。
殴られた側に外傷は見受けられない。
代わりに、多数の臓器を破壊した。
決着だ。
黒いオーラを霧散させながら。
勝者に寄りかかりながら。
シャドウデーモンが倒れ込む。体は脱力しきっており、起き上がる素振りはおろか指先一つ動かない。
その手応えから、エウィンとしても確認は不要だ。大きく息を吐くと、子供のような笑顔をアゲハへ向ける。
「なんか勝てましたー」
実は、リードアクターが進化した理由を飲み込めていない。
そもそもの前提として、この能力そのものが不確かだ。
それでも使いこなせている以上、追及せずに今に至る。
アゲハの笑顔を遠目に確認したエウィンだが、晴れやかな一方で悩まずにはいられない。
足元には未知の魔物。少し離れた場所にも、角を生やした魔物が死体となって転がっている。
どちらもこの傭兵が倒したのだが、その正体は不明なままだ。
(オーディエンの部下なのは間違いないとして……。倒したけど、なにも起きないな。まぁ、いいか)
二体の魔物を退けることが出来た。
アゲハを守ることが出来た。
戦果としてはこれ以上にないほどには最高だ。
そんなことは、駆け寄るアゲハの笑顔からも容易に読み取れる。
揺れる胸を眺めながら、エウィンも喜ばずにはいられない。
安堵と共に談笑にふける二人にとって、この時間は勝利の美酒だ。
各々がそれぞれの視点で感想を述べる中、柔らかな西風が草原を撫でる。
黒髪を押さえるアゲハを眺めながら、エウィンはどうしたものかと話題を変える。
「魔物にもおっぱいってあるんですね。せ、折角だし……、あ、なんでもないです」
足元の死体はうつ伏せゆえ、眺めたところで背中や臀部しか観察出来ない。
既に死体ゆえ、その柔らかさを確かめる行為は死者の冒涜だ。
ましてや、真横のアゲハが目を見開いて威嚇を開始した。
エウィンとしては、真面目な議題に移るしかない。
「ハ、ハクアさんの用事が終わってませんけど、さすがに今日は戻りましょう」
「そう、だね」
ラゼン山脈のトカゲ狩りなど、言ってしまえばいつでも可能だ。
片道数百キロメートルの遠征ではあるが、今の彼らなら一日で往復出来てしまう。
オーディエンの部下に襲われたことと、勝利を報告することは悪手ではないだろう。
エウィンとしても、そうしたい事情がある。
「実は、けっこう疲れてて……。リードアクターがすんごいことになった反動なのか、体がだるかったりします」
「大丈夫?」
「はい、帰り道にいつものトカゲを狩れる程度はまだ何とか。あ、トカゲよりもこいつらを回収した方がいいのかな? いや、それよりもこいつの剣をもらっちゃおうかな……」
妙案だ。この傭兵は短剣の使い手ながら、片手剣もそつなく扱える。
携帯中のスチールダガーでは、今回のような強敵を傷つけられない。この事実は揺るがないため、武器の更新は優先すべきだ。
ニシシと笑うエウィンを他所に、アゲハは神妙な顔で周囲を探る。
彼女が不安感を抱く理由。情報共有も兼ねて、問わずにはいられなかった。
「今日は、もう、終わりだよね? なんか、その、空気が……」
肌寒い。
そう感じる程度には、気温が下がったように思えて仕方ない。
現在はカンカン照りの日中だ。肉体の強度的にも二人は暑さや寒さに耐えられるのだが、アゲハは身震いを抑えられない。
エウィンは剣を拾いに行こうとするも、この発言を受けて頭をかく。異常の感知にかけては、この少年の右に出る者などいない。
「オーディエンの気配すら拾えませんし、ここら一帯は安全ですよ。木の魔物なら、あっちの方に何体かいます……けど……」
その時だった。
女の勘が的中したと思い知らされた。
エウィンは油が切れた機械のように、ぎこちなく振り返る。その方角は本来の目的地であり、ラゼン山脈が存在する西だ。
魔物を捉えるレーダーが、接近する何かをこのタイミングで感知する。
残念ながら、この地に生息する魔物ではない。ムサエントは樹木に擬態するため、その場から一歩たりとも動かない。
「く、ま、また来ます。この気配、こいつらと一緒です。角ありの化け物か、真っ黒お姉さんか……」
新たな刺客が登場だ。
つまりは三体目が二人の元を目指しており、エウィンはタウロスかシャドウデーモンを思い浮かべる。
その予想は正しい。
しかし、根本が誤っていた。
「え? え?」
「いや、違う、これは……。四、六、十? と、止まらない、数がどんどん増えて……。五十、百、ぜ、全然数えきれない!」
悪夢の到来だ。
そうであると裏付けるように、草原の地平線が黒く染まる。
夜の到来ではない。黒色の何かが一斉に押し寄せている。
エウィンはその能力から、アゲハよりも先に気づけてしまった。
煉獄の魔物だ。
その総数は把握出来ないが、わかることもある。
その全てが、先ほど倒した魔物達と同種だ。
それが、百どころではない大群でこちらに向かって来ている。
エウィンが動揺から動けないように、アゲハも恐怖から硬直してしまう。
しかし、彼女の大きな瞳もついにそれらを視認する。
「あ、あんなに……? あんなの……」
見たことがない。
彼女の脳裏に、学校のグラウンドで行われる全体朝礼が思い浮かぶ。
小学校ならば一年生から六年生までが揃うも、その人数は多くて千人程度か。
しかし、今回はそれ以上だ。
ましてや、それらは一体一体が二メートル越えの長身。人間を殺さんとばかりに殺気を振りまいており、狙われている側が萎縮しないわけがない。
エウィンは思考が停止しかけるも、ぼんやりと近似値を言い当てる。
「やばい、僕のレーダーがパンクしそうです。千どころか二千すらも越えて……。か、勝てるわけがない……」
恐怖に慄き続けた結果、さらなる情報が得られてしまった。
迫り来る魔物達は、予想通り、煉獄の魔物だ。
全身真っ黒かつ瞳だけが赤い女、シャドウデーモンがおおよそ七割。
二本の角を生やした二足歩行の牛、タウロスが残りの三割。
つまりは、先ほど倒した二種の混合部隊だ。
それらはずらりと並んで前進しており、行先は当然ながらエウィンとアゲハだ。
この状況が何を意味するのか、困惑しながらも日本人らしく言い当ててみせる。
「わたし達だけじゃなくて……、みんな、みんな殺されちゃう……。里のみんなも、王国も……」
これはそれほどの規模だ。
仮にイダンリネア王国の軍隊が迎え撃とうと、対処可能な戦力ではない。
物量だけなら王国軍が上だ。
しかし、この魔物達は一体一体が軍人を蹂躙出来るほどの強者ゆえ、数で押し込もうと瞬く間に返り討ちだ。
まるでこの世の終わりを意味するような光景に、エウィンとしても成す術ない。
リードアクターを再びまとえば、何体かは倒せるはずだ。
あるいは十体近くは屠れるか。
しかし、そこまでだ。
相手はその何百倍で押し寄せており、その物量を前にしては未来予知など意味を成さない。
残念ながら打つ手なしだ。
じわりじわりと迫る大群を眺めながら、エウィンはついに決断する。
「よし! 決めました!」
この状況は最高なシチュエーションだ。
つまりは、走り出すだけで自己犠牲という願望が叶えられてしまう。
しかし、その選択肢は選ばない。
もう必要ない。
今のエウィンは生きることを第一にしており、その手はアゲハの手のひらを掴む。
「え?」
「逃げましょう! これは勝てません!」
この選択肢も実は不確かだ。
なぜなら、タウロスは見るだけで対象を自身の元へ引き寄せられてしまう。
射程がどれほどかは不確かながらも、仮に無制限ならば逃亡など不可能だ。
そうであろうと、今は試すしかない。
鞄の回収を諦め、戦利品の黒剣もそのままに、エウィンはアゲハの手を引っ張りながら、踵を返して走り出そうとする。
この判断が正解か否かは、結果から判断するしかない。
生きて生き延びられるか?
あっさりと追い付かれ、殺されるか?
実は、第三の選択肢が残されていた。
「まぁ、上出来ね。後は私に任せなさい」
緑の草原に現れた、真紅の突風。長すぎる髪は血のように赤く、白衣もバサバサとはためいている。
反転と同時に駆け出そうとした二人だが、この声には反応せざるを得ない。
第一声はエウィンの方が早かった。
「そ、その声は⁉」
「何、その反応……。私の顔、思いっきり見てるじゃない」
無視して走り出したい衝動を抑え込みながら、少年はその人物の魔眼と視線を交える。
彼女の名前はハクア。迷いの森に暮らす、千年を生きる魔女。その手は真っ白な本を携えており、それは白紙大典と呼ばれている。
「やっほー、助けに来たよー。まぁ、ぶっちゃけると、ハクアが半分噛んでるんだけどねー、むぐぅ!」
「ま、マリアーヌ様! それは後で!」
純白の古書と赤髪の魔女がじゃれ合い始めた瞬間だ。
マリアーヌは白紙大典の本名であり、正しくは生前の名前でもある。
二人が乳繰り合う光景は日常茶判事ながらも、ここは自宅でもなければ里ですらない。
アゲハだけは、今なお不安でいっぱいだ。
「ハクアさん、どうするの?」
「あ、うん、後は私が引き受けるわ。あんた達はそこで休んでなさい」
この状況は非常に珍しい。
なぜなら、この魔女は迷いの森から一歩も出たがらない。
言い換えるなら、自分達の縄張りに引きこもっているのだが、今回ばかりは外出せずにはいられなかった。
その理由がこれだ。
エウィンとアゲハを救出するため。
千を越える魔物達を蹴散らすため。
赤髪の魔女が、一歩を踏み出す。
彼女は手ぶらだ。正しくは、左手に白紙大典を携えている。
つまりは、四肢の内一本が使えないのだが、ハクアにとってはハンデにすらならない。
そうであろうと、エウィンは心配そうに声をかける
「お手並み拝見と言いたいところですが、お手伝いした方がいいですか?」
「あん? バカにしないで。あんなの私一人で十分だって言ってるの」
「あんなのって……。そういう数じゃないと思うんですけど……」
「まぁ、そうね……。確かに数が多すぎる気もするけど……」
さすがのハクアもその顔を引きつらせてしまう。
しかし、問題ない。
怖気づいたわけではなく、数千もの魔物を処理することにうんざりしているだけだ。
この時のエウィンとアゲハはまだ知らない。
眼前の魔女が、口だけの人間ではないことを。
ハクア。巨人戦争をその目で見た、当事者。
その戦いを終わらせるために、千年もの時代を生き続けた。
彼女は既に気づいている。
そのための切り札が、エウィンとアゲハだということを。
この二人は道半ばの戦力ゆえ、今は守らなければならない。
そのために、今は動く。
真っ赤な髪を揺らしながら。
左手に白紙大典を抱えながら。
ハクアが黒い地平線を目指す。
「今晩の献立は、何にしようかしら」
一対数千の戦いが、幕を上げる。
魔物達は、人間を皆殺しにするつもりでいた。
こちらの世界を支配出来ると思っていた。
残念ながら、思い違いだ。
そういった野望は、たった一人によって砕かれてしまう。
もしも、この演目に名を与えるとしたら、魔物達はこう名付けるだろう。
思いつく限りの悪夢、と。




