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第百八話 三体目

 その森は不気味なほどに暗い。

 昆虫さえも眠る真夜中ゆえ、耳が痛いほどに静寂だ。

 そのはずだった。

 小さな足音が、腐葉土を踏みしめる。


「こんな時間に呼び出すなんて、嫌がらせのつもり?」


 女の声だ。苛立っているのか、声質は刺々しい。

 当然だろう。普段ならば就寝中の時間帯ゆえ、小言の一つも言いたくなる。

 周囲に街灯の類は見当たらない。

 そうであろうと足音に迷いが見られない理由は、話し相手の気配に導かれた。


「ファファファ、スぐ怒ル。ハクアは本当に短気だネ」


 黒一色の森に、ぼんやりと光が灯す。

 それはランプというよりは松明に近い。煌々と燃えており、その火球は幽霊の類ではなく魔物の胴体だ。

 赤髪の魔女は白衣のポケットに手を入れたまま、悠然と歩み寄る。


「あんたが人間の常識を身に着けないからよ。で? 私を呼んだ理由は何?」


 彼女の名前はハクア。相手が炎の化け物であろうと、怯まずにいられる数少ない人間だ。

 樹木だらけの暗闇で、火球はメラメラと揺らいでいる。

 そこから頭部と両腕両足が伸びており、その顔は美しくも不気味だ。

 オーディエン。暗躍する者として、嬉しそうに口角を釣り上げる。


「提案なんだけド……」



 ◆



 緑色の草原が広がっている。

 青臭い匂いは濃厚ながらも、決して不快ではない。

 ここはミファレト荒野の北部に位置する平原地帯。

 二人は目的地に近づけたことから、安堵せずにはいられない。


「ここが聖地ムサ……。仰々しい名前の割には、ただの草原なんですね」


 声の主はエウィンだ。彼の頭髪と上着も若葉色ゆえ、保護色のように溶け込めている。

 背中には大きなリュックサック。中身はスカスカゆえ、もうしばらくは萎んだままだ。

 太陽の陽射しがサンサンと降り注ぐ中、エウィンは周囲を見渡す。

 雑草ばかりが生い茂っており、建物の類はおろか魔物や動物すらも見当たらない。


「昔は、ムサ高原って、呼ばれてたみたい」


 少年に随伴している女性はアゲハ。自動車のような速度で疾走中ながらも、息は上がっていない。

 灰色のリネンチュニック越しにもわかるほどには、彼女の胸はたわわだ。頑丈な下着で固定しようと、それほどに大きければどうしても揺れてしまう。

 黒髪は長く、毛先だけが輝くように青い。その色艶は美しく、彼女の存在感を際立たせるほどだ。

 アゲハよりもわずかに先行しながら、エウィンが率直な感想を述べる。


「高原? ここって標高が高いのか。そんな感じはしませんけど……」

「ミファレト荒野よりは、高いと思う。この辺りは、山に囲まれてるから……」


 アゲハは日本人ながらも、この世界についても博識だ。空き時間を読書に費やした結果、部分的にはエウィンよりも賢くなった。

 聖地ムサ。二人がたどり着いたこの地は、変哲もない草原地帯だ。

 ここは通過点でしかないため、エウィンとしてもこのまま通り過ぎるつもりでいる。

 その一方で、新天地ということから興味は尽きない。


「あ、ちらほら木が生えてますね。せっかくですし、日陰でゆっくりしましょう」

「う、うん……」


 エウィンの提案に対して、アゲハは素直に喜べない。

 その理由はシンプルだ。彼女は遠方の樹木を警戒している。


(大丈夫、かな? 確か、ここって……。でも、エウィンさんなら、普通に気づくと思うし……)


 アゲハが眉をひそめたところで、エウィンは進行方向を修正しない。本来ならば北西を目指すべきタイミングながらも、今は真っすぐ北上する。

 二人の走力ならば、あっという間に到着だ。米粒のように小さかった樹木が、今では仰々しく枝葉を伸ばしている。

 立派な大樹を見上げながら、エウィンはこのタイミングで愚痴ってしまう。


「しかしまぁ、今回のお使いも突然でしたね。ラゼン山脈のトカゲを倒して、尻尾を持ち帰れって……」

「薬を作るのに、必要みたい。魔物図鑑にも、そう書かれてた」


 ラゼン山脈は、聖地ムサの西に隣接する山脈だ。迷いの森からは、遥か北西に位置する。

 強力な魔物が巣食うため、傭兵すらも寄り付かない。

 それほどの危険地帯ながらも、二人はそこを目指している。


「行けと言われたら行きますけど。こちとら居候の身なんで、異議申し立てなんて恐れ多い」

「その代わりに、朝の鍛錬と、午後のトカゲ狩りは、免除されたね」

「いつも狩ってるトカゲの尻尾じゃ……、ダメだからラゼン山脈まで走らされてるのか……」


 エウィンの言う通り、どちらもトカゲではあるが別種の魔物だ。

 ミファレト荒野のミファリザド。

 ラゼン山脈のラゼントカゲ。

 名称だけでなく姿形も異なることから、代替品にはなり得ない。

 樹木と向き合いながら、エウィンは幹をポンポンと叩く。その太さと頑丈さは力強く、傭兵として観察せずにはいられない。

 その光景を眺めるアゲハだが、普段以上に挙動不審だ。

 なぜなら、彼女は知識として知っている。

 陽射しを遮るこの大樹が、偽物だということを。


「あ……」


 この声はアゲハが漏らした。

 異変は突然だった。

 葉をつけていない枝は何本かあるのだが、その内の二本が音もなく動いている。

 獲物を捉えるために。

 叩こうとしているのか?

 巻きつき、締め付けるつもりか?

 どちらにせよ、この樹木はその姿を模倣した別の存在だ。

 もっとも、エウィンは百も承知でこの場所に立っている。

 つまりは、問題ない。

 触手のように迫る枝よりも早く、その一閃が大樹を切り倒す。


「う、うおお、さすがスチールソード。とんでもない切れ味」


 斬った本人が驚いている。

 右手は灰色の剣を握っており、その刃は短剣よりも幾分長い。

 これで眼前の樹木を伐採した。行為としてはそれ以上でもそれ以下でもないのだが、後方のアゲハもまた、驚きを隠せない。


(ううん、本当にすごいのは、エウィンさん。ハクアさんが持たせてくれた剣も、業物だとは思うけど……)


 彼女の分析は正しい。

 休憩のために立ち寄った樹木。それが擬態した魔物だったとしても、その硬度は本物と同等かそれ以上だ。

 そのはずだが、まな板で野菜を切るように、スパッと切断した。枝ではなく、大地から真っすぐ伸びる胴体を一刀両断だ。

 その手応えに満足したのか、エウィンが嬉しそうに振り返る。


「ふっふっふ、驚かせちゃいましたね。こいつが魔物だってことは最初からわかってました。だって、魔物の気配がプンプン漂ってましたし」

「さ、さすが……」


 敗者は既にこと切れている。

 ムサエント。聖地ムサに生息する、樹木と瓜二つの魔物。生態としては、樹木らしくその場から一歩も動かない。獲物を仕留める際は、枝のような腕をムチのように振るう。

 もっとも、これに殺されるような傭兵はいない。

 なぜなら、この地に赴く連中ならば、事前に情報を仕入れるからだ。

 アゲハも読書のおかげでムサエントについては把握出来ており、エウィンは知らないながらも天技のおかげでなんら問題ない。


「いやはや、それにしてもこの剣すごいです。ハクアさんも太っ腹ですよね」


 今回の遠征に際して、エウィンはこれを手渡された。

 スチールソード。その名の通り、鋼鉄製の片手剣だ。高級品に分類されるため、この少年の稼ぎでは決して手が出ない。

 そうであろうと、本来ならば樹木の伐採など困難だ。

 ましてやそれを一振りで。

 エウィンの身体能力が突出しているからこその荒業と言えよう。

 その剣が鞘に収まるさまを眺めながら、アゲハがふと我に返る。


「あ、休憩、どうしよう?」

「こいつを観察したいので、五分くらいは休みま……」


 願望を述べている最中ながらも、エウィンは前触れもなく固まってしまう。

 その時間は一秒にも満たない。

 しかし、少年の慌て具合は相当だ。


「なんだ? 何かが、近づいて……」


 わかっていることは一つだけ。

 休憩どころではない。

 たじろぐように西を凝視するも、地平線の彼方まで緑色だ。

 それでも視線を動かせない理由は、レーダーが捉えている。

 それはじわりじわりと近づいており、視認出来ずとも勘違いではない。

 エウィンのらしくない挙動が、アゲハに不安感を抱かせる。


「ど、どうしたの?」

「どういうわけか、魔物が真っすぐこっちに向かって来てます。しかも、この気配は普通じゃない。少なくとも、後ろの木やいつものトカゲなんて比じゃないです」


 それほどのプレッシャーだ。

 モーフィスとの鍛錬で実力を磨いたにも関わらず、寒気や恐怖心を拭えない。

 本来ならば、今すぐにでも逃げるべきだ。正常な思考の持ち主ならそう決断する場面ながらも、この少年は六歳の時点で壊れてしまっている。

 危機が迫るのなら、それならそれで構わない。

 その結果、アゲハを庇って死ねるのなら、それもまた本懐だ。

 恐れおののきながらも、真正面から立ち向かう。

 これこそがエウィンという人間であり、だからこそ足が自然と動いてしまう。


「もし僕が殺されたら、その時はアゲハさんだけでも逃げてください」

「え?」


 ある意味で遺言だ。

 傭兵として負けるつもりはないのだが、未知の魔物が強敵であることも間違いなく、ゆえに背後のアゲハへ釘を刺した。


「あいつ……、加速した? 走り出したのか。アゲハさん、すぐ来ます!」


 この情報を共有されたところで、彼女としても困るだけだ。

 エウィンと共に戦えば良いのか?

 後方待機か?

 あるいは、共に逃げるべきか?

 少なくとも、エウィンを置いての避難だけはあり得ない。

 だからこそ、困惑しながらも立ち尽くしてしまう。


「ど、わたし、どうしたら……」


 この問いかけは独り言に終わる。

 なぜなら、エウィンはそれどころではない。

 このタイミングで敵の姿を視認出来たことから、未だ遠方ながらも身構えずにはいられない。


「なんだ、あれ……。アゲハさん! あんな魔物、見たことあります⁉」


 エウィンは十九歳ながらも、傭兵としては既にベテランだ。

 さらには、アゲハほどではないものの読書に励むことから、そこそこの知識を蓄えている。

 それでもなお、今回の敵については何もわからない。

 勉強熱心なアゲハもまた、首を左右に振ってしまう。


「ううん、わたし、知らない。魔物図鑑にも、載ってない……」


 これこそが事実だ。

 地鳴りと共に迫る魔物は、二人の記憶に見当たらない。

 その姿は全身灰色だ。生物ゆえに単色ではないのだが、その大半がグレーに染まっている。

 異常なまでの前傾姿勢は、走っているからではない。その姿勢こそがそれの当たり前であり、アゲハはとある動物を想起する。

 牛だ。

 本来は四足歩行のそれが前脚で人間を殺そうと考えた結果、四肢がそれに合わせて進化した。

 前脚は人間を殴り殺すための武器として。

 後ろ足は二足歩行を可能とするため、より強靭に。

 もっともそれは、立派な角を二本生やしている。折れ曲がった突起はそれ自体が凶器であり、事実、突き刺すように疾走中だ。

 大きな口には多数の牙が備わっており、嚙み合わせなど考慮されていない。

 二本の腕は後ろ足よりも長く、その先端は拳ではなく蹄だ。

 当然ながら、エウィンとアゲハはこれの名前など知らない。

 タウロス。個体名は別にあるのだが、この魔物はタウロスという種族に分類される。

 一見すると二足歩行の牛ながらも、そのおぞましさは桁違いだ。

 人間を撲殺するための上肢。

 人間をかみ殺せるだけの大きな口。

 人間を串刺しにする角。

 それの重量も、無視出来ない。体当たりもまた、立派な殺傷手段だ。その衝撃は、自動車との衝突すらも凌駕する。

 見慣れぬ魔物に怯むエウィンだが、当然のように一歩も引かない。

 それどころから、このタイミングで気づかされる。


(これが、背筋が凍るってやつか。でも、この感じ……、まさか……)


 正解にたどり着いた瞬間だ。

 直感でしかないのだが、アゲハに持論を述べる。


「多分ですが、あれは煉獄の魔物だと思います。オーディエンが連れて来た、四体の内の一体……」


 そう思った根拠は、とある魔物を連想したためだ。

 ジレット監視哨に迫った、巨人族の集団と異物のような巨体。巨人族の肌が薄緑色な一方で、それは赤黒く、一回りは巨大だった。

 ヘカトンケイレス。煉獄に生息する巨人。エウィンに討たれるも、個体としての強さは他の巨人族を圧倒した。

 その場にはアゲハもいたのだが、冷静な判断は依然として難しい。


「オ、オーディエン……? でも、何で?」

「わからないです。く、足が速い。やっぱり迎え撃つしか……」


 接敵はもう間もなくだ。

 それほどの速度で、タウロスは走っている。

 エウィン達は逃げるという選択肢を選べない。最初から除外していたが、足の速さすらも自分達と同等かそれ以上だ。

 もはや確信せずにはいられない。

 迫り来る化け物は、異世界からの刺客だ。

 その根拠は二つ。

 まるで誘導されるように向かって来ているという事実。

 煉獄の魔物を彷彿とさせる圧迫感。

 黒幕が暗躍していることは間違いなく、それがオーディエンであることもほぼほぼ確定だ。

 そうであろうと、今は眼前の敵に集中する。

 スチールソードは既に引き抜いた。リュックサックも邪魔になるため、投げ捨てている。

 アゲハの避難は間に合わなかったが、それを悔いている猶予はない。


(来る!)


 戦闘開始だ。

 覆い被さるように、灰色の怪物が迫り来る。

 極端な前傾姿勢は、人間を殺したいという思想そのものだ。

 緑色の頭髪ごとその頭をかみ砕くつもりなのだろう、大きな口は裂けるほどに開かれている。

 エウィンを食べるつもりなのか?

 味には興味などなく、ただ殺したいだけなのか?

 どちらにせよ、絶命は避けられない。

 ゆえに、食われる側も必死だ。


「しっ!」


 体当たりを警戒していたため、別のパターンにも対応可能だ。タイミング自体は相違なく、エウィンは跳ねるように後退する。

 回避自体は成功だ。

 しかし、眼前の殺意には息を飲まざるを得ない。


(い、今までの奴とは別格だ。いつかの巨人よりも……。あの時の蜘蛛女よりも……)


 エウィンの推測は正しい。

 この状況は、オーディエンによる演出だ。

 セステニアの部下でありながら、この道化師はエウィンの成長を願っている。

 そのための手法として、煉獄から連れ出した四体の魔物をぶつけるつもりだ。

 当然ながら、弱い個体から順に派遣している。

 今回は三体目だ。

 タウロスはついに抜擢され、エウィンの前に立ちはだかる。


(気配は感じられないけど、きっとどこかで見てるはず……。あいつはそういう奴だ……)


 息を飲むように、呼吸を整える。心を落ち着かせるための行為であり、クリアな思考が状況把握を加速させた。

 眼前の異形は、オーディエンの手駒。それ自体はもはや疑いようがない。

 ゆえにこの戦闘が監視されていることは確定だ。

 そこまでわかれば十分だろう。

 エウィンは傭兵らしく、気持ちを切り替え集中し直す。

 対戦相手が雑魚でないことは、肌を刺すほどの重圧から推測可能だ。

 そうであろうと、必要以上に怖気づく必要もない。

 見た目とは裏腹に俊敏だが、先ほどのように対処可能な範疇だ。

 ある程度の情報が出揃ったことから、エウィンは灰色の剣を構え直す。

 懸念事項を挙げるなら、アゲハの存在だ。彼女はいくらか離れた位置に立っており、逃げもしなければ加勢もしてくれない。

 もっとも、それならそれで構わない。

 初見の魔物と対峙している以上、相手の手の内は不明瞭だ。

 一対一ならまだしも、アゲハを庇いながらとなると少々荷が重い。

 ゆえに、ここは声かけも兼ねて方針を手早く伝える。


「アゲハさんは下がりつつ僕のサポートを!」

「あ、うん……」


 一年以上も共に過ごしているため、言葉足らずながらも十分伝わる。

 彼女は飛び道具の類を持ち合わせておらず、出来ることは二つだけ。

 触れた相手を癒す能力、折り紙。

 触れた対象を燃やす能力、深葬。

 どちらも近づかなければ発動させられない。

 ゆえに、今回のケースにおいてアゲハは治療に徹すれば良い。

 この作戦は二人にとっての最適解であり、普段通りの立ち振る舞いだ。

 アゲハを庇って死ねるのならそれこそが本懐ながらも、勝てる相手に殺されたいとも思わない。


「今度は!」


 反撃開始だ。

 タウロスは初手を避けられたことから、人間への警戒心を高めていた。

 結果的に膠着状態へ移行したことから、エウィン達は体勢を立て直せたばかりか、相手に隙を見出す。

 仕返しに選んだ一手は、スチールソードによる斬撃だ。

 急発進と共に、間髪入れずの横一閃。左から右への一振りで、凶暴な顔面に斬りかかる。

 体格だけを比べるなら、タウロスの方が長身だ。

 しかし、この魔物は異常なまでの前傾姿勢を保っているため、目線の高さは大差ない。

 体躯は人間のそれではなくとも、エウィンとしては戦いやすい相手と言えよう。

 もっとも、相手が並の魔物でないのなら、話は変わってしまう。


「なっ⁉」


 攻め手が驚いた理由は、その手応えに他ならない。

 鋼鉄の刃が、甲高い騒音と共に弾かれた。

 角で受け止められたわけではない。

 腕や蹄で防がれたわけでもない。

 ただただ単純に、タウロスの皮膚が強度で上回った。

 生物の弱点とも言える顔面でありながら、傭兵の剣戟を物ともしない。

 この瞬間、エウィンは過去の戦闘を思い出す。

 赤褐色の巨人ことヘカトンケイレス。

 水の洞窟、その入り口で待ち構えていたアラクネ。

 前者にはスチールソードが砕かれ、後者にはスチールダガーを折られてしまった。

 鋼鉄製の武具は、傭兵にとって憧れの一品だ。これを手にした者が、一人前を名乗ることが許される。

 イダンリネア王国が最も警戒している魔物が巨人族だ。これを撃退するにはスチール以上の装備が求められるのだが、裏を返せばスチールソードやスチールダガーで事足りる。

 だからこそ、軍人には鋼鉄製の武器が支給され、傭兵もステータスや利便性からそれらを追い求める。

 借り物ながらも、エウィンは鋼鉄の片手剣を握っていた。

 偽物でもなければ、刃が欠けていたわけでもない。

 本物だ。

 一級品の武器だ。

 そうであろうと、眼前の魔物を負傷させるには至らない。

 これは、そういう次元の戦いだ。エウィンはこのタイミングでその事実に気づかされる。

 同時に、手痛い反撃を腹部に受けてしまう。


「ぐぅ⁉」


 タウロスは四足歩行の牛ではない。前脚が自由な理由は、人間を殴り殺すためだ。

 拳代わりの蹄を、アッパーカットの要領で叩き込む。

 そのインパクトは凄まじく、エウィンは放物線を描きながら吹き飛んだ。

 それでも魔物が苛立つように前傾姿勢を維持する理由は、殺しきれなかったと確信しているためか。

 事実、エウィンは転倒せずに着地を成功させるも、愚痴らずにはいられない。


「いたた……。モーフィスさんの一発より重い。やっぱり強いぞ、こいつ……」


 無傷とは言わないが、よろめくように片膝をついてしまう。

 このままでは劣勢は確実だ。

 状況を覆すためには、いくらかの時間が欲しい。

 そういった分析が脳裏をよぎるも、次の瞬間、エウィンは目を見開いて驚く。


「あ……」


 声が漏れた理由はシンプルだ。

 迂闊な自分を庇うように、代理の戦士が魔物に戦いを挑んだ。

 アゲハだ。彼女の長い黒髪は、毛先側から半分が青く染まっている。


「させない!」


 エウィンを庇うための戦闘モード。彼女はこの変化をワスレナグサと名付けた。

 事実、普段のおっとりとした立ち振る舞いが嘘のように、俊敏かつ強大な力を発揮している。

 タウロスはもう一人の人間を警戒していたが、想定を上回る速度には反応しきれない。

 猫背過ぎる胴体を真横から蹴られた結果、大地をえぐりながら吹き飛ぶ。

 突然の横やりに魔物としても苛立ちたいが、この殺し合いは初めから二対一ゆえ、唸り声をあげながらも冷静さを取り戻すしかない。

 一方で、エウィンにとっては好機だ。

 アゲハが作ってくれた時間を有効活用する。


「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」


 アゲハがワスレナグサを発動させた理由は、そうしなければ勝てないからだ。

 彼女ですらそう理解させられる程度には、今回の魔物は危険極まる。

 ゆえに、この手を出し惜しむ必要はない。


「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」


 大気の振動は、闘気が嵐のように迸っている証左だ。

 事実、エウィンの頭髪はわずかに逆立っている。


「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」


 この遭遇戦が偶然であろうと、誰かに仕組まれていようと、どちらでも構わない。

 エウィンは傭兵だ。魔物に殴られた以上、殴り返す。

 ましてやアゲハを守るためにも、守られっぱなしは癪だ。


「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」


 アゲハに見守られながら。

 牛のような化け物に見られながら。

 少年は台風の目となって闘志をたぎらせる。


「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」


 この世界が理想郷か否かは定かではないが、人間はこの地で生きるしかない。

 魔物が外敵ではなく隣人であれば、手を取り合うことも可能だろう。

 しかし、世界そのものがそれを拒む。

 殺し合えと命じている。


「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ」


 真っ白なオーラが吹き上がる。

 突然の訪問に後れを取ったが、ここからは問題ない。

 リードアクター。与えられたこの能力をもって、刺客を破壊する。

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