八:銀色の瞳
推し負けた。
ふわふわのくせに、なぜかこいつの推しに負けてしまった。
なんてやつだ、恐ろしい…。
「…素敵なお庭ですねえ!野いちごが生えてます!」
ルチルティアはクルクルと庭を歩く。
辺りはもう暗くなっているというのに、相変わらず白く発光していて彼の周りはやたらと明るい。
ラピスラズリに一緒についていくと聞かなかったので、とりあえず聖堂の庭へ連れてきたが…。
こいつをこれからどうしたらいいのか…。
せっかく唯一の静かな場所だったというのに。
「…ハァ…。」
憂鬱だ。
どうしたものかと噴水の端に腰掛ける。
…するとどこからか音が聞こえた。
きゅるきゅるきゅるきゅる。
「……あの…。」
「…なぁに。」
「大変大変厚かましいお願いかとは存じますが…野いちごを…いくつかいただいてもいいでしょうか…。」
ルチルティアのお腹の鳴き声だった。
「…あなた気弱そうなのに図々しいよね…。」
「す、すみません、気がついたらとてもお腹が…。」
きゅるきゅるきゅるきゅる。
ラピスラズリの口から呆れてため息が出た。
仕方ない、と夜ご飯用に持ってきていた林檎ジャムとパンを一切れ差し出した。
「私の夜ご飯なんだから一切れで我慢してちょうだい。」
ルチルティアはパァっと目を輝かせてパンを受け取る。
そばに置いてあるランプと、ルチルティアの光でジャムがキラキラと光る。
とろけた黄色の宝石のようなジャムを塗って、パクリと食べた。
悔しいが何をしていても顔面がいい。
「んん!とっても美味しいですねえ!これは林檎ジャムなのですね!甘い!」
よほどお腹が空いていたのか、みるみるうちにパンが消えていく。
ラピスラズリもジャムを塗ってパンを食べた。我ながらよくできた林檎ジャム。
「そういえば…僕の友人はとても甘党で、特に林檎ジャムが好きなんですよ。たぶん、このジャムがいちばん美味しいと言うと思います。」
「お世辞言ってももう何も出ないよ。まったく、今日は夜通し絵を描く予定だったのに…。」
もう随分と遅い時間になっている。
「…絵を描くんですか?」
空気が少し冷えた気がした。
「そう。私絵を売っているから。」
「あ、あの、…よければ見せていただけませんでしょうか…。」
つい先程までの、へらりとしていた顔はどこへ行ったのか。
彼の表情はとても冷たく固まっている。
背筋が凍るようなその表情。
ラピスラズリは庭の家へ案内した。
描きかけのいくつかの絵を見せる。
完成品は売ってしまうので、今は無いと説明した。
「これ…これは、林檎、ですか?赤でしょうか。周りの布は…?」
手前にあった1番新しい絵を眺めて、ルチルティアは呟いた。
「見た通り。林檎と布。」
いくら外が暗いからとはいえ、今この室内は発光した彼自身とランプの光があるのだから充分明るいはずだ。
「あなた大分目が悪いのかな。」
ラピスラズリは眉をひそめた。
「ええ、僕は目が悪い。」
ふふ、と笑う。
顔をあげたルチルティアは、とても悲しそうだった。
「僕も絵が大好きなんですよ!ずっとずっと描いていた。描きたかったなあ、もっと。」
林檎の絵を脇にずらして、別の絵を眺める。
最初は遠目に見て、次にキャンバスが顔につきそうなほど近づけて。
「そんなに近くじゃ、見えないでしょ。」
どんな見方だ、それは。
ラピスラズリはキャンバスを取り上げて、壁に立てかけた。
あはは、とルチルティアは笑う。
「僕、色がわからないんです。」
こんなに近づけても。
呼吸をするのと同じぐらい、彼はさらりと言い放った。
「きっと先程頂いた林檎のジャムは、とても綺麗な黄色だったんだろうなあ。」
言葉を理解するのに数秒かかった。
ラピスラズリは彼を見た。
キラキラ輝く銀色の目。
「僕の今の世界では、残念ながら林檎は黒いんです。」
ラピスラズリを見て、ルチルティアは綺麗な顔で笑った。
長い睫毛。銀色の髪。
彼は再び視線を絵に戻し、しばらくの間その場で絵を眺め続けていた。