九:輝く
林檎は黒い。空は灰色。草の色は濃い灰色。
僕の世界は白と黒と灰色の世界。
きっとこれは赤いのだろう。
きっとこれは青いのだろう。
以前見ていたカラフルな世界の記憶を辿る。
悲しいなあ。
「僕は目が悪いんです。突然ポンコツになってしまったので驚きました。」
ルチルティアは目を細めて言った。
絵は自分の作る物語を表すことができる唯一の手段だったのに…と、後からぽそりと付け足して、どこかを見つめる。
「絵しか人並みにできることがなくて、必死になりすぎたんでしょうねえ。」
だけど、とても楽しかった。必死に描いていた、たった一瞬の画家としての日々が。
期待と、緊張に溢れたあの日々。
「…は!すみません、白黒でも濃淡はわかるので、あなたの絵がきっと美しいのだということはわかりますよ!あの林檎はすごくリアルだし…こちらの絵はかなり抽象的でミステリアスです。すごいですね…ふり幅が広い!」
彼はまた違うキャンバスを眺め始めた。
さらさらと流れるような言葉たちだったが、ラピスラズリにとっては大きな衝撃だった。
色が見えない。
そんなことがあるのか…?
だけど冗談を言っているように見えなかった。想像する。私に色がなかったら。
これまでのような絵を描くことができなくなったら…。
言葉を失ってしまった。思考ばかりが頭の中でぐるぐると高速で回転している。
「……………物語、て。」
「…はい?」
ふと、口をついて出た言葉。
「…物語を、絵に描いていたの?」
ラピスラズリは聞いた。
…普通に質問をしてしまった。
我ながら、気の利いた言葉のひとつも出てこない。
「はい!僕は頭の中で考えたお話を大きな絵にするのが好きだったのです。みんな喜んでくれました。」
ルチルティアは微笑んだ。
ふふふ、と何かを思い出しながらにこにこして、そしてふと、悲しそうな顔をした。
「…………そう。私は大抵物を見て描く。もうお話はつくらないの?」
と言ってから、しまったと思った。
彼の顔がますます悲しそうな色になる。
あまり人と話す機会がないので、こういう時に何を言えばいいのか全くわからない。
「う…ん…。書いてはみたのですが…。駄作のようで…。ああでも、エリスだけはいつも読んでくれていたなあ。嬉しかったなあ。」
少しだけルチルティアの顔が明るくなった。
内心ホッとする。
「エリスって誰?」
この調子で会話をつなごう。
黙っているとこの場の空気に耐えられそうにない。ラピスラズリは必死に質問を考える。
「とっても美人な僕の小さい友人です。すごく頭がいいし、なんでもできるし…天使たちの中で一番美しい子です!それなのに僕なんかと仲良くしてくれて…本当にいい子で…。」
そういえばこの人、自称天使だったな…。
いや、確かに背中に羽っぽいのあったけど…。
と、そんなことを考えている場合ではなかった。
何かを思い出して、ルチルティアの顔は再びみるみるしおれていく。しまったしまった。
ラピスラズリの心はこの人生の中で一番焦りを感じている。
彼は秋の天気より先が読めない。
「……わ、私も読みたい。」
……と、思ってもみない言葉が出てきた。
どうしよう。
普段、ラピスラズリはつくられた物語をあまり読まない。
というか、本をあまり読まない。読んでいる時間に絵が描けるから。
「…ほ、本当ですか…。」
しまったと思っている間に、みるみるルチルティアの表情が輝いた。
そしてますます白く発光する。
「…で、でもあまり面白くないかもしれません…し、しかも、僕は今物語を書いた本を持っていません…!」
はっとした様子でルチルティアは言った。
彼は大分、天然なのかもしれない。
彼は本どころかその身以外何も持っていない。
「…紙ならある。こ、ここで書けばいいじゃない。覚えてるでしょう、自分で書いたお話なら。」
落ち込んでいるルチルティアに、またびっくりするぐらい思ってもいないことを言ってしまったと、ラピスラズリはちょっと後悔した。
…が、後には引けないようだった。
「…ほ、本当ですか!いいのですか!」
よくはない。
煩いのは嫌いだしすぐに静かな庭に戻したかったし、面倒事は嫌だし、こんな顔面を毎日見ていたら自分の顔に絶望しそうだし、今すぐ離れたかったし何より人と居ることにあまり慣れていない。
しかし、その眩く輝く機体にあふれた顔を見てしまっては…。
「…まあ…私に…迷惑かけないでね…。」
ラピスラズリは頷くより他になかったのであった。




