番外編
番外編① 公爵様は妻を離したくない
結婚して分かったことがある。
リヒト様は、意外と甘えたがりだ。
「……リヒト様」
「はい」
「邪魔です」
「知っています」
「知ってるなら離れてください」
「嫌です」
即答だった。
私は作業台の上に並べた薬草と、その横から伸びてきた腕を交互に見る。
現在、公爵邸の研究室。
結婚前にリヒト様が用意してくれていた部屋は、今ではすっかり私の城になっている。壁一面の薬棚に、大きな作業台。採光のいい窓際には薬草を乾燥させるための棚まで作ってもらった。
何一つ不満はない。
ただ一つ。
最近、この部屋には予定になかったものがよく現れる。
「仕事は終わったんですか?」
「終わりました」
「本当に?」
「今日の分は」
「レオン様に確認しますよ」
「……大体終わりました」
「戻ってください」
「嫌です」
私の背後から腰に腕を回したまま、リヒト様が肩口に額を乗せる。
「エレノア」
「何です?」
「三日ぶりなんですよ」
「そうですね」
「寂しくなかったんですか?」
「忙しかったので」
「……」
腕に少し力が入った。
「痛いです」
「すみません」
緩んだ。
でも離れない。
私は小さく笑う。
結婚して半年。
私は約束通り、公爵邸と故郷の薬屋を行き来している。
今回は新しい薬草が届く予定があったため、三日ほど故郷に泊まっていた。
たった三日だ。
「私、ちゃんと帰ってきたでしょう?」
「はい」
「予定通りに」
「はい」
「手紙も送りました」
「毎日読みました」
「毎日送ったわけじゃありませんけど」
「同じものを毎日読んだんです」
「……そんなに?」
「そんなにです」
少し呆れて振り返る。
すぐ近くにリヒト様の顔があった。
目が合う。
結婚して半年経ったのに、こうして真っ直ぐ見つめられるのには未だに慣れない。
「リヒト様」
「はい」
「もしかして、まだ心配してます?」
「何を?」
「私がまたいなくなるんじゃないかって」
一瞬、答えが遅れた。
分かりやすい。
「……少しだけ」
「まだ?」
「一度やった人が言います?」
「もう2度としませんって」
「僕も分かっているんです。今のあなたが何も言わずにいなくなることはないって」
「なら――」
「頭では」
リヒト様の腕が少しだけ強くなる。
「でも、帰ってきてあなたの顔を見ると安心する」
困った。
こういうことを言われると、怒れない。
「……重いですか?」
少し不安そうに聞かれる。
私は考えた。
「物理的には」
「エレノア」
「だって本当に重いんです。寄りかかってるでしょう」
「そういう意味ではなくて」
「分かってます」
笑いながら、身体の向きを変える。
今度は正面から向き合った。
「嫌だったら、とっくに離してます」
「……」
「それに」
私は彼の服を掴んで、少し引き寄せる。
「私だって会いたかったですよ」
言った瞬間。
リヒト様が固まった。
「……本当に?」
「なんで疑うんです?」
「もう一度言ってください」
「嫌です」
「エレノア」
「一回聞いたでしょう?」
「お願いします」
「嫌です」
「……」
露骨に落ち込んだ。
この人。
公爵なのに。
「そんな顔しないでください」
「どんな顔です?」
「捨てられた犬みたいな」
「妻に会いたかったと言ってもらえない夫の顔です」
「面倒くさいですね」
「あなたの夫なので諦めてください」
仕方がない。
私は少し背伸びをして。
彼の頬にキスをした。
「……」
「これでいいですか?」
返事がない。
「リヒト様?」
「エレノアのせいですよ」
「はい?」
「せっかく我慢してたのに」
「何を――」
最後まで言えなかった。
唇を塞がれる。
一度。
離れて。
また。
「ちょっと」
「はい」
「多いです」
「三日分です」
「そんな制度ありません」
「今作りました」
「勝手に作らないでください」
そう言ったのに、またキスをされる。
「……薬」
「はい」
「作れないんですけど」
「今日はもう終わりにしませんか?」
「まだ昼です」
「では、休憩」
「長くなりそうなので嫌です」
「……鋭いですね」
「あなたの妻なので」
言い返すと。
リヒト様が笑った。
その顔が好きで。
結局。
もう一度だけなら、と自分からキスをしたのがいけなかった。
「……エレノア」
「何です?」
「今のは、あなたからしましたよね」
「しましたけど」
「では、もう一回」
「なんでそうなるんです?」
「嬉しかったので」
また抱きしめられる。
「ちょっと、本当に研究が――」
「あと少しだけ」
「さっきも聞きました、それ」
「あと少しだけです」
「信用できない」
「僕を信用してください」
「この状況で?」
笑いながら抵抗する。
でも。
本気で離れる気はなかった。
結局その日、研究を再開できたのは予定より随分遅くなった。
翌日。
「今日から研究室への立ち入りを禁止します」
「それは困ります」
「私は困りません」
「僕が困ります」
「知りません」
「エレノア」
「駄目です」
「五分だけ」
「駄目です」
「顔を見るだけでも」
「朝見たでしょう」
「では、昼の分を」
「そんな制度ありません」
「作りませんか?」
「作りません」
結婚して分かったことがある。
リヒト様は、意外と甘えたがりだ。
そしてもう一つ。
どうやら私も。
そんな彼を、思っていた以上に甘やかしてしまうらしい。
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番外編② あなたに似た人
「……リヒト様」
「はい」
「落ち着いてください」
「落ち着いています」
「では、なぜさっきから同じ場所を歩いているんです?」
ぴたりと足が止まった。
私はベッドの上から夫を見る。
「……運動です」
「室内で?」
「はい」
「五歩しかありませんけど」
「……」
分かりやすい。
「こっちに来てください」
呼ぶと、リヒト様は素直にベッドの横まで来た。
「座って」
「はい」
座る。
「手」
握られる。
「……冷たいですね」
「リヒト様の手が?」
「僕の手が」
「緊張してるんじゃないですか」
「していません」
「してますね」
今日は朝からずっとこの調子だった。
今日は朝からから少し体調が優れず公爵家の主治医に診ていただいたところ私のお腹に赤ちゃんがいることがわかった。
「……嬉しくないんですか?」
「まさか」
リヒト様がすぐに私を見る。
「嬉しいです」
「なら、もう少し嬉しそうにしてください」
「嬉しすぎて、どうすればいいのか分からないんです」
「……」
なるほど。
そっちだったらしい。
「子ども」
リヒト様が呟く。
「はい」
「僕たちの?」
「他に誰がいるんです?」
「分かっていますけど」
彼の視線が私のお腹へ向かう。
もちろん、まだ何も分からない。
「……ここに?」
「そうらしいです」
「触っても?」
「どうぞ」
私が答えると、リヒト様の手がおそるおそる伸びてくる。
「ここに僕たちの子供がいるんですね」
その手つきがあまりに慎重で、思わず笑った。
「壊れませんよ」
「分かっています」
「もっと普通に触って大丈夫です」
「無理です」
「何が?」
「怖い」
初めて聞くような声だった。
私は少し驚く。
リヒト様の手を取って、自分のお腹へ重ねた。
「大丈夫です」
「……」
「私たちなら大丈夫です」
「はい」
リヒト様はしばらく私のお腹に手を当てたまま黙っていた。
「……エレノア」
「何です?」
「ありがとう」
「何のお礼です?」
「ただ幸せだなって」
リヒト様は心底幸せそうに私の顔とお腹を見つめていた
私は彼の手に自分の手を重ねた。
「私も幸せです」
* * *
それからのリヒト様ははっきり言って過保護になった。
「持ちます」
「これくらい持てます」
「僕が持ちます」
「本ですよ?」
「重いです」
「三冊です」
「三冊もあります」
「……」
研究室へ行こうとすれば付いてくる。
階段を下りようとすれば手を差し出される。
少し咳をすれば医師を呼ぼうとする。
「リヒト様」
「はい」
「私、妊娠しただけです」
「知っています」
「病人ではありません」
「分かっています」
「では、なぜ庭を歩くだけで付いてくるんです?」
「散歩です」
「偶然?」
「はい」
「仕事は?」
「レオンがいます」
「レオン様が可哀想」
「大丈夫です」
「何が?」
「彼は優秀なので」
便利に使われている。
今度、何か差し入れをしよう。
「エレノア」
「はい」
「疲れてませんか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当に」
「気分は?」
「いいです」
「お腹は?」
「痛くないです」
「眠くは?」
「……リヒト様」
「はい」
「質問禁止」
「……」
「リヒト様返事は」
「......善処します」
* * *
そして。
長いようで短かった月日が過ぎた。
「……リヒト様」
「はい」
「さっきから泣きすぎです」
「泣いていません」
「それ、レオン様と同じです」
「では泣いています」
「認めるんですね」
「今日はいいでしょう」
腕の中。
小さな赤ん坊が眠っている。
女の子だった。
小さな手。
小さな鼻。
柔らかい髪。
「……小さい」
リヒト様が何度目か分からない言葉を呟く。
「赤ちゃんですから」
「指も」
「ありますね」
「爪も」
「あります」
「……すごい」
「さっきからそればっかり」
でも。
私も同じだった。
何度見ても不思議だ。
この子が。
私たちの子ども。
「抱きます?」
聞くと。
リヒト様が固まった。
「……僕が?」
「父親でしょう」
「でも」
「座ってください」
「はい」
素直に椅子へ座る。
私は慎重に赤ん坊を渡した。
「首を支えて」
「ここ?」
「そうです」
「大丈夫?」
「大丈夫」
「落とさない?」
「落としたら怒ります」
「絶対落としません」
顔が真剣すぎる。
少し笑ってしまう。
「……エレノア」
「何?」
「見てください」
「見てます」
「僕が抱いてます」
「そうですね」
「僕の娘を」
「私の娘でもあります」
「僕たちの娘を」
「はい」
嬉しそうだ。
本当に。
どうしようもないくらい。
リヒト様が赤ん坊を見つめる。
「……見える」
ぽつりと。
彼が言った。
「この子の顔が」
胸が締め付けられる。
「はい」
「エレノアの顔も」
「はい」
「全部」
リヒト様が笑う。
「全部、見える」
泣かないつもりだった。
でも。
無理だった。
「……エレノア?」
「何です?」
「泣いてます?」
「泣いてません」
「それは無理があります」
「うるさいです」
笑いながら涙を拭う。
そのとき。
「ふぇ……」
小さな声がした。
二人とも固まる。
「……エレノア、どうしたらいいでしょうか」
「あやしてあげてください」
「どうすれば?」
「抱いてください」
「抱いてます」
赤ん坊を抱いて必死にあやす。
だんだん不安そうな顔から普段のリヒト様の穏やかな顔になってきたとき、
「大丈夫ですよ」
いつも私に向けているのと同じ。
優しい声。
「ここにいますから」
その言葉に。
私は動きを止めた。
夏祭りの日。
人混みの中で。
私が彼に言った言葉。
そして結婚式の日。
もう逃げないと伝えた言葉。
今度は。
彼がこの子に言っている。
しばらくすると、泣き声が小さくなった。
「……止まりました」
「止まりましたね」
「僕が?」
「多分」
「……」
ものすごく嬉しそうな顔をする。
「エレノア」
「何?」
「もう一人くらい――」
「気が早いです」
「まだ最後まで言ってません」
「分かります」
「……駄目ですか?」
「今聞きます?」
「では、また今度」
「そうしてください」
笑う。
リヒト様も笑った。
その腕の中で。
私たちの娘が眠っている。
帰る場所は二つになった。
そして。
家族は三人になった。
これからきっと。
もっと増えていくものもある。
守りたいもの。
帰りたい場所。
大切な人。
それでも。
私は私のままだ。
薬を作って。
好きな人と喧嘩して。
仲直りして。
この子の成長を見守って。
そうやって生きていく。
「エレノア」
「何です?」
「幸せです」
「知ってます」
「あなたは?」
私は少し考えるふりをした。
「……まあまあです」
「エレノア」
「冗談です」
笑って。
夫の肩へ頭を預ける。
「私も幸せですよ」
リヒト様が笑う。
その真ん中で。
小さな寝息が聞こえる。
きっと。
明日も。
こんな日が続いていく。
それでいい。
それがいい。
これにて完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
感想等お待ちしております。




