第1話「案内人」
【冒頭】
本作品は、最適化社会を舞台にした観測記録のSFです。
※『観測者の時空』本編をお読みの方へ
カノジョとカレシの、役割が変わる前の記録です。本編の「卒業」へ続く前段として読めます。未読のままこちらから入っても問題ありません。
※初めてお読みになる方へ
『観測者の時空』未読でもお読みいただけます。読了後に『観測者の卒業』第1話へ進むことをおすすめします。
※本編『観測者の時空』の物語編へ接続する内容を含みます。
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第1話「案内人」
すべてが最適化された社会では、人の選択も感情も、あらかじめ整えられる。
カノジョはその整え方を人に渡す案内人だ。
カレシは、案内が設計どおりかを測る観測者だ。
測定の結果は、いつもきれいだった。
【案件:デート最適実装】
【担当:案内人/カノジョ】
【結果:理想的】
【不満値:0.00】
カレシは、そのログを開いたまま、現場の再映像を流した。
店内の照度は指定値。窓際から二番目の席。テーブルには二人分の料理が置かれている。盛り付けの高さも、彩度も、事前に設計された値の範囲内だ。背景のBGMは音量が最適化され、会話の妨げにならないよう調整されている。
カップルの会話は滑らかだった。笑顔の持続時間は平均2.1秒。沈黙は三秒を超えない。視線の交差は、発話の切り替えに合わせて配置されている。すべてが「正しい」間合いで進んでいた。
カノジョは、その席の斜め後ろに立っている。距離は1.4メートル。案内人が取るべき標準値だ。相手の視界に入らず、しかし声が届く範囲。
彼女はその位置から、必要に応じて短い言葉を置く。料理の説明、次の移動の提案、写真を撮るタイミングの合図。
対象はそれらを、自分の判断だと思って受け取っていた。
カレシは測定を重ねる。心拍変動、発話の速度、瞬きの間隔。いずれも変動幅は小さく、設計値の許容範囲内に収まっている。
カノジョの応答ログにも、欠損や遅延は確認されなかった。
「今日、楽しいね」
「うん」
遅延なし。齟齬なし。ストレス値は零のまま推移している。
案件は、順調に進んでいた。修正すべき点は見当たらない。
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終盤、会計の直前だった。
対象の一人が、カップに口をつけたまま、低く言った。
「……つまらない」
数値は動かなかった。感情認識システムの出力は、0.00のまま表示されている。
カレシは再生を止め、該当区間だけを切り出した。音声は明瞭だ。発話認識は正しく拾っている。単語の意味も、文脈も、正しく解析されている。
それなのに、対応する感情値が立ち上がらない。認識システムと現実の間に、一貫した乖離が生じている。
カノジョは、その発言のあとも姿勢を変えなかった。体の角度は1.4メートル先のままだ。
手順を確認し、終了処理に移る。修正の提案も、再案内も、代替案の提示もない。彼女はただ、想定された動作を終わらせた。
カレシは記録した。
【不満値:0.00】
【当該発言:記録対象外】
被験者側のノイズ、と分類する。案内人の誤差はゼロ。カノジョの行動ログには、異常は付かない。
認識は正しい。値は零のまま。
正しい認識のまま、零であることの方が、彼には処理しにくかった。
カレシは、そう記録した。
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映像を閉じる直前、カレシはもう一度、その場面を音声だけ再生した。
「……つまらない」
明瞭な声。低い。誰にも向けられていない。でも、確かにその場にあった。
カレシはその音声を、発話認識のログと照合した。一致する。認識システムは正しく拾っている。
にもかかわらず、対応する感情値が出力されないのは、システムの仕様なのか、それとも——。
彼はそこまで考えて、処理を止めた。
検証対象外。被験者側のノイズ。
それで十分だ。ただし、その音声だけは、削除せずに残すことにした。理由はない。ただ、残った。
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案件は閉じられた。
次の案件が、すでにキューに入っている。
移動経路の最適化。景観スポットの滞在時間。同じ担当——カノジョ。
カレシは、記録対象外とした一行を、もう一度だけ見た。
削除はしない。
ただし、再分類もしない。被験者側のノイズ、という仮の名前のまま、ログの奥に送った。
カノジョの映像は、すでに次の現場へ移っていた。距離も、声の高さも、前回と同じだった。
変わる必要のないもの、として、観測は続く。
【観測継続】
【回収検討:なし】




