表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【観測者の時空】エッセイから物語へ その違和感は、未来のバグです。―『彼女の時空:0612』へ繋がる伝線―  作者: Taku
物語編『観測者の卒業 ――0612:境界線の向こう側――』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/41

第4話 【伝播の試行】第2話「残響する場所」

カフェは、街はずれにあった。


看板はもうない。営業しているのかどうかも、わからない。ドアは開いていた。でも、中に人はいない。カウンターの奥も、厨房も、全てが静かだった。


カノジョは入り口で一瞬立ち止まった。沙織と出会った場所。


(もう、彼女は来ない)


カノジョは窓際の席に座った。椅子の感触。テーブルの高さ。全てが記憶のまま。でも――誰もいない。それだけが違う。


彼女は何も考えなかった。理由を探すのをやめた。ただ、そこにいる。


すると――聞こえた。


誰かの笑い声。


沙織の声なのか。あの日、彼女が「これいいね」と言った時の声に似ている。


「何が?」


「何でもない。なんとなく」


それだけの会話。でも、その「なんとなく」が、今は大切に思えた。


次に――コーヒーカップの置かれる音。


陶器とソーサーの、かすかな触れ合い。誰かが「ありがとう」と言った。誰かが「ごちそうさま」と言った。日常の断片。取るに足らない。誰も覚えていない。でも――確かにそこにあった。


ページをめくる音。


沙織が手帳のページをめくっていた。何度も何度も。描いては消し、描いては消し。


「それ、何度も描き直してるね」


「うん。なんか違うんだ」


「どこが?」


「……わからない」


その「わからない」が、今は懐かしい。


カノジョは目を閉じた。


音が消えない。笑い声も、カップの音も、ページをめくる音も。全てが重なって、一つの「残響」になっている。


(ここだけ、音が沈まない)


他の場所は、全てが無音だった。駅も、図書館も、公園も。誰もいない。何も残っていない。自分の声だけが、空しく響いて、すぐに消えた。


でも――ここは違う。


誰もいないのに、誰かがいる。何もないのに、何かが残っている。


カノジョはテーブルに手を置いた。冷たい。でも――その冷たさの奥に、かすかな熱が混ざっている。自分の指先と同じ熱。


(誰かが、ここに触れた。誰かが、ここにいた)


その人の名前はわからない。顔も、声も。でも――その熱だけは、まだ消えていない。


カノジョは、その熱をなぞった。


指先が震える。その震えは、自分のものだけではない。過去から未来、あらゆる時空からここに集う、名もない誰かの震え。すべてが、この指先に集まっているような気がした。


(ここなら――)


彼女はその理由を、言葉にしようとした。でも、やめた。「人が集まり、言葉が交差するから」――それは正しい。でも、それだけじゃない。もっと別の、説明できない何かが、この場所にはある。


(ただ――ここなら、消えない気がした)


それだけだった。説明できない。でも、その「説明できない」という感覚こそが、彼女にとっての「真実」だった。


カノジョは、もう一度テーブルに手を置いた。


冷たい。でも――その冷たさが、今日はなぜか心地よかった。


彼女は目を開けた。誰もいない。あの日の笑い声も、カップの音も、もう聞こえない。でも――


(ここには、確かに「何か」が残っている)


それが、彼女にとっての「伝線」の始まりだった。


カノジョは立ち上がった。まだ、何も決めていない。でも――この場所に、自分の震えを遺そうと思った。誰かに届くかどうかはわからない。でも――ここなら、消えない気がする。


(それだけで、十分だ)


彼女は窓の外を見た。曇り空。遠くの煙突。あの煙突は、この窓からも見える。変わらない。それでいい。


(次は――刻む)


カノジョは自分の指先を見た。震えている。その震えを、この場所に残す。言葉ではなく。数字ではなく。ただの「熱」として。


それが、彼女にできる最後のことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ