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修復(1)

リオナラはその夜、ほとんど眠ることができなかった。床で寝ていたからではない。目を閉じれば、数分もしないうちに悪夢が万力のような強さで彼女の心を締め付けてくるからだ。

 安らかな眠りについているプリシラを起こしたくない一心で、彼女は部屋を出て階下へ向かうことにした。


まだ早朝で、入り口の扉は内側から鍵がかかっており、窓からは微かな夜明けの光が差し込んでいるだけだった。冷たい木の床が足裏にピリピリとした感覚を与え、彼女は隅の椅子に腰を下ろした。

 当然ながらまだ誰も起きておらず、一人でテーブルについていると、悪夢のせいで高鳴った鼓動がまだ収まらない。


傷跡が痛んだ。体がどれほど成長しても、それは消えていなかった。薄くなってはいても、鞭や刃で刻まれた跡は、今も彼女の背中の白い肌に残っている。


(プリス……)

 心臓が裏返しに絞り上げられるような感覚。

(あなたは何度も私を救ってくれたのに……私は、誰かがあなたを助けるのをただ見ていることしかできなかった……)


苦い感情。無力感と罪悪感が混ざり合い、彼女は苦悶に満ちた表情で目を閉じた。

 ベッドで動かずに横たわるプリシラの姿が脳裏をよぎり、彼女は弾かれたように目を見開いた。


「はぁ……はぁ……」


胸元の服を掴んだ手は、指が痛むほど強く握り締められていた。自分の中の恐怖と戦っていると、厨房の方から力強い足音が響き、やがて声が聞こえてきた。


「誰だい、そこにいるのは!?」


鋭い女性の声。左を向くと、木製のクラブを構えたカーラが立っていた。


「あ! カーラさん、私です、リ――」

 自分の本当の名前を言いそうになり、声が裏返った。

「ジェンヌです。昨日の……」


「ああ、あんたかい……」

 女主人は武器を下ろした。

「こんなに早くから、どうしたんだい?」


「私……眠れなくて」


「ふん、昨日の今日でぐっすり眠れる奴なんていないだろうよ」

 彼女はカウンターの裏へ回り、雑巾と水の入った桶を手に取ると、テーブルを拭き始めた。

「でもね、若いんだから少しは休みな。あんたが倒れたら、あのお嬢さんはどうなるんだい?」


リオナラは視線を落とし、胸元を掴んでいた手の力を緩めた。掌は赤くなり、血の巡りが悪くなって痺れていた。カーラの言う通りだ。プリシラを助け続けたいのなら、自分がしっかりしていなければならない。


だが、正論を突きつけられても、無力感は消えなかった。そもそも自分が捕まらなければ、自分がこれほど弱くなければ、プリシラにあんな怪我をさせることはなかったのだ。その事実は、背中の傷跡と同じくらい鋭く彼女を苛んでいた。


「私……もっと何かできればよかったのに。彼女に返さなきゃいけない恩が、まだたくさんあるんです」


呆れたようなため息が聞こえ、リオナラが顔を上げると、カーラが力強い足取りで近づいてきた。


「いいかい、よく聞きな」

 女主人はテーブルに手を突き、リオナラを睨みつけるように身を乗り出した。

「あんたがいなきゃ、あのお嬢さんは本当に死んでたかもしれないんだよ。自分を誇りに思いな! あんたは一人の命を救ったんだ、女神様にかけてね」


「でも――」


「『でも』も『だって』もなし!」

 強い口調に、リオナラは身をすくめた。

「あんたみたいな綺麗なお嬢さんは、もっと自分に自信を持たなきゃいけないんだよ!」


リオナラは視線を逸らし、両手を盾のようにして間に挟んだ。

「カーラさん、近いです……」


「朝っぱらから何を騒いでるんだ……」

 厨房の入り口にゲロルトが現れた。彼は、カーラがリオナラの頬を掴んで引っ張っている光景を見て絶句した。

「……お前、あの子に一体何をしてるんだ?」


「礼儀を教えてるんだよ」

 彼女は頬を放し、ため息をついて夫を見た。

「この子は、自分がプリシラを救うのに大したことはしてないなんて言うんだよ。信じられるかい?」


高窓から差し込み始めた日光が、室内をくすんだ金色に染めていった。リオナラは赤くなった頬をさすりながら、ゲロルトとカーラの視線を受け止めた。それは憐れみではなく、まるでもう一人の娘を見守るような、誇らしさと喜びに満ちた眼差しだった。


「あんたは十分やったよ、嬢ちゃん」

 かつて自分を見下ろすほど巨大だった男が、今は穏やかな表情で膝をついている。

「俺たちにはできなかった『人を救う方法を見つける』ってことを、あんたはやり遂げたんだ。それだけで十分、奇跡みたいなもんさ」


その言葉が、リオナラの心に不思議な感覚をもたらした。長い間続いていた苦しみが、ようやく終わりを迎えたような感覚。人生を通じて抱え続けてきた痛みと、押し潰されそうな罪悪感の間に築いていた壁が、音を立てて崩れ始めた。


泰然とした姿勢や静かな表情とは裏腹に、瞳からは涙が溢れ出していた。自分の身に起きていることを理解するのに数秒かかり、彼女は慌てて両手で涙を拭った。


「え……? なんで……なんで私……」


陽光に照らされた雫がキラキラと輝き、成長した体を覆うボロボロのリネン服に落ちていった。理由は分からなかったが、ゲロルトの言葉が、ようやく彼女の「時間」を動かしてくれたのだ。


「この馬鹿。女を泣かせるんじゃないよ」

 カーラがゲロルトの後頭部を平手打ちし、エプロンから布切れを取り出した。それは掃除用のものではあったが、彼女はそれで優しくリオナラの涙を拭った。


「いてっ!」


「でもね、この頑固親父の言う通りさ」

 女主人は微笑みながら、最後の涙を拭い去った。

「あんたがそばにいたから、あの子は救われたんだよ。私たちはあんたを誇りに思ってるよ、リオナラ」


その名で呼ばれ、リオナラは信じられないという顔で彼女を見上げた。


「え……? なんで、わかったんですか……?」


「ははっ、私を誰だと思ってるんだい? プリシラと一緒に来るまで、あんたとは一度も話したことがなかった。それなのに『カーラさん』なんて呼べるのは、小さなリオの他に誰がいるっていうんだい?」


「えっ?」

 ゲロルトが驚愕して妻を見た。

「何だって!? じゃあ、このお嬢さんは本当に――!」


「そうだよ、あんた」

 彼女は『黙ってな』とばかりに眉をひそめた。

「本当に、たまに石っころみたいに察しが悪いんだから」


「わ、悪かったよ……」


そのやり取りに、リオナラは小さく吹き出し、やがて声を上げて笑った。彼女がようやく見せた明るい一面に、大人二人の表情も和らいだ。


「ありがとうございます」

 リオナラは心からの謝辞を述べた。

「……どうやって説明すればいいか、分からなくて」


「あんたたちが無事でよかったよ」

 カーラは静かに朝の掃除を再開した。

「昨日あんたがプリシラを担いできた時は、どう助ければいいか途方に暮れたからね」


「ああ」

 ゲロルトも同意し、近くの丸椅子に座った。

「だが、一つだけ気になることがある。どうしてそんな短期間に、そんなに大きくなったんだ?」


その質問は、リオナラの胸をチクリと刺した。自分でも答えは分からなかったが、何かが「普通ではない」ことだけは感じていた。


「分かりません……」

 彼女は自分の手を見つめた。その掌は、今でも自分のものではないような違和感があった。

「意識を失って、気づいたらこの体になっていたんです」


「うーむ……」

 ゲロルトは考え込むように首を振った。

「これは良くないな。周りの奴らが変な目で見始めるぞ」


「え? どうして?」


「エルフ自体が珍しいからね」

 カーラがテーブルを拭きながら言った。

「しかもこれほどの美人だ。特にこの宿じゃ、嫌でも目につくよ」


リオナラは、頭の片隅に残っていたフィービー殿の言葉を思い出して、頭の横を掻いた。

(彼女は間違いなくハイエルフだわ。年齢のわりに耳の発育が遅いのが不可解だけど……)


本能的に自分の耳に触れると、以前よりもかなり大きくなっているのが分かった。髪に隠れていた耳の先が、今は前髪の間からはっきりと突き出している。


(ハイエルフ……)

 彼女は右耳の先端を指でなぞりながら考えた。

(それって、つまり……)


彼女は隣で欠伸をしている男を見て、尋ねた。

「ゲロルトさん、弟さんの店までついてきてもらえませんか?」


彼は眉を上げて振り返った。

「ん? なんでまたあそこへ?」


「昨日、注文を受け取るはずだったんです。でもいろいろあって、忘れてしまって……」


「ああ……」

 彼はカーラをちらりと見たが、彼女は肩をすくめるだけだった。

「まあ、いいだろう」


「ありがとうございます」

 彼女は微笑んで立ち上がった。

「それじゃあ、行きましょう」


「おい、待ちなお嬢ちゃん」

 女主人が呼び止めた。彼女の着ているリネン服を指差す。それは服というよりも、端がボロボロになった大きな布切れに近かった。

「そんな格好で外に出るんじゃないよ。来な、私の服を貸してあげるから」


「えっ?」


問答無用で手首を掴まれ、リオナラは宿の奥へと引きずられていった。後に残されたゲロルトは、ニヤリと笑って彼女たちを待つことにした。


数分後、二人が戻ってきた。リオナラは、色あせたベージュのシャツに濃い緑色のズボン、そして革のロングブーツという、簡素な労働者の格好をしていた。漆黒の髪はシャツの中に押し込まれ、色あせた布を頭に巻いて、顔と耳を隠している。


「ほら」

 カーラがバスケットを手渡した。

「それを持って歩いてれば、誰も気に留めやしないよ」


傍から見れば、今のリオナラはどこにでもいる村娘にしか見えない。ゲロルトは感心したように何度か手を叩いた。


「おっ、いい考えだ」


カーラは彼女の肩を叩き、送り出すように言った。

「気をつけて行くんだよ。何かあったらすぐにここかギルドへ逃げ込むんだ、分かったかい?」


「うん。ありがとう、カーラさん」


ゲロルトとハイエルフは外へ出た。早朝の太陽は暖かく、心地よい。週の始まりということもあり、近隣の住民たちが仕事に向かったり、露店で新鮮な野菜を買うために広場へ向かったりと、通りは活気づき始めていた。


最初は、リオナラも自分の姿を気にしていた。大人として、大人たちの中に混じって歩くのは彼女にとって初めての経験だった。そわそわした動きや、横目で周囲を伺う様子から、彼女の緊張が伝わってくる。


「心配いらないよ、嬢ちゃん」

 ゲロルトは落ち着いた声で、彼女が風景に馴染んでいることを伝えた。

「誰もあんたを追ってきやしない」


「あ……緊張してるの、バレてましたか?」


「誰が見ても分かるさ。行先だけを見て歩きな。その方が落ち着くぞ」


「う、うん。やってみる」


彼女は深呼吸をして、鍛冶屋までの道のりを思い描いた。だが頭に浮かぶのは、いつも隣を歩いていたプリシラの姿で、胸が締め付けられた。

 沈んだ気持ちにはなったが、口数が減ったおかげで、彼女はより目立たなくなった。今や彼女は、本当にただの村娘だった。


しかし、リオナラ自身の感覚は平穏とは程遠かった。一歩踏み出すごとに、自分の体の変化を突きつけられる。歩幅の広さ、重心の位置、腕の長さ、腕にかけたバスケットの感触まで、すべてが異質だった。


「おはよう、ゲロルト」

「おう、おはよう」


地元の男が挨拶をしてきたため、ゲロルトは少し立ち止まった。リオナラは自分の世界に没頭したまま、そのまま歩き続ける。


「昨日、スラムで起きたことは聞いたか?」

 男が噂話を始めた。

「例の神父の小屋の近くで、何人も死んでるのが見つかったらしいぜ」


「死人だと?」


「ああ。どうも抗争ギャング・ウォーだったらしい。相打ちで全滅だ、ひどい有様だったよ」


「抗争か……物騒な世の中になったもんだな」


「ああ……聞いた話じゃ、あの老いぼれも巻き込まれて死んだらしい」


「……エレノアはどうなった?」


「死体は見つかってねえらしいから、逃げたんじゃねえかな」


「ならいいが。これ以上子供が犠牲になるのは、御免だ」


上の空のまま、リオナラは一人で鍛冶屋の前に辿り着いた。ドアノブを見つめるが、心は別の場所にある。不安と焦燥が混ざり合う。子供の頃の自分なら迷わず扉を開けていただろうが、今の彼女は次の一歩を踏み出すのを躊躇っていた。


言葉にできない予感のようなものがあった。ジェラルトは自分を見て何と言うだろう? カーラや彼の兄のように、受け入れてくれるだろうか? その不安は頭の片隅で疼くような感覚となり、逃げ出したい衝動を駆り立てた。


「何をしてるんだい、嬢ちゃん」

 ゲロルトが追いつき、不思議そうに扉を見た。

「さあ、入ろうぜ」


「あ、待っ――」


彼が扉を押し、中に入るよう促すと、リオナラの緊張は最高潮に達した。ドアベルが鳴り、暗雲の後の雨のように、店の奥からジェラルトが姿を現した。


「いらっしゃい。今行くから、ちょっと待ってな」


再会を恐れながらも、リオナラはゲロルトと共に店の中へ進んだ。奥からは金属を叩く鎚の音が響き、数分後、鍛冶屋が客を迎えるためにカウンターへやってきた。


「何か用か?」

 ジェラルトは無造作に言ったが、兄が見知らぬ女性を連れて立っているのに気づき、目を細めて身を引いた。

「待てよ……お前、浮気じゃねえだろうな? 他の女と一緒にいるのをカーラに見つかったら、鹿みたいに皮を剥がされるぞ」


「おい、心外だな」

 兄はカウンターに拳を叩きつけ、身を乗り出して弟を睨みつけた。

「この子はな――」


「き、昨日の注文を、受け取りに来ました……」


鍛冶屋は兄から少女へと視線を移し、さらに不可解そうな表情を浮かべた。


「注文だと? こんな別嬪さんが来たなら覚えてるはずだがな、お嬢ちゃん――」


ゲロルトはため息をついて首を振り、両手を広げてリオナラを示した。

「ただの『お嬢ちゃん』じゃねえ。この子はリオだよ」

※次回更新は4月23日 21:30予定です。

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