葛藤と不安 <アレックスが語る>
僕はアレックス。
僕が深い谷底から、いかに這い上がったかを話そう。
.....................
僕がスタジオを逃げ出した2日後の朝、アランがいつものエスプレッソカフェに現れた。人目を気にして彼はこの頃キャップを愛用している。キャップを深めにかぶっているので、彼の表情が判断しかねた。
「アレックス、おはよう、元気?ちょっといいかな。時間取らせないから。」
「アラン、おはよう。あの時、初めて会った日以来だね。一昨日のことだろ?ごめん。ちょっと疲れてたから。」
「そうかもね。」
彼はいつもの神秘的な微笑みを浮かべた。キャップの陰で口元しか見えない。
「僕はもう使い物にならないと言いに来たの?それなら一昨日そう言ってくれたらよかったのに。」
彼はキャップを上げ、僕の目をじっと見据えて、一気にまくし立てた。
「何をいうんだよ、アレックス。僕はさ、実は君のことをあまり考えていなかったのかもしれない。
謝る。もっと君を知りたくて来たんだ。僕はね、君がよく見えていなかったと思うんだよ。凄く反省した。
君にね、僕に合わせるというより、もっと自分の中身を解放してほしいと思っていて、、、」
僕は彼を遮った、
「アラン、それって、僕に医者をやめろと言いうのと同じだよ。」
「そうじゃない。やめなくていい。一緒に続けてほしい。
だが、僕に従順に従ってほしくない。僕は独裁者じゃないし、エンペラーでも神でもない。
僕をそういう風に設定しないでくれ。僕はそんな役を演じられないよ。」
なんだ、朝からこの少年は、何を言い出すんだ。
でもこの2日間、自分はどちらかを選択しなければならないと考え続けて、よく眠れなかったのは事実だ。
ここで結論が出たら、どんなに楽だろうと思った。
「アラン、君の才能に惚れている。尊敬している。君の曲を、僕にできる最大限で表現したいと努力してきた。僕の技量では不足ではないと思ったが、ベストを尽くしたつもりだ。役に立たないなら、今はっきりそう言ってくれ。その方が僕が気が楽だ。やめても後悔はない。やるだけやったんだから。」
と言葉を吐き捨てた。
アランは青ざめて、その口が少し震えているように見えた。
「アレックス、君は期待以上の仕事をしてくれてるよ。でも、君は自分と本当に向き合っていないと思う。この前のスタジオでは、自分が全然音に出ていなかったよ。それが不満だった。あのライブの時は出来たと思った。君はつかんだって思った。なぜ、ザリガニみたいに後ろへ下がっていくんだよ。」
彼は小さい体の全身の力を振り絞って訴えた。
このひ弱なやつ、僕よりずっと若いのに、年上の僕に向かってそこまで言うか。
「もともと、二股掛けでいいというから、やってきたんだ。君がそう言うなら、もう限界だと思う。」
アランは僕を直視して迫る。
「どちらを取る?」
「医者をやめることはできない。」
言ってしまった。しかしこれで良かったのか?僕は、次に言わなくてはならない言い訳の言葉を考えていた。
だがアランは、有無を言わせずまくし立てた。
「アレックス、スケジュール的には両立できるように調整している。これからもそうだ。
それは保証するので、バンドを続ける以上僕はもっと要求したい。自分自身の音をみつけてほしい。そして僕と対等に自分の音を奏でてほしい。
僕を君の幻想で縛らないでほしい。僕はマスターじゃない。光は流す。だけど音は君自身でクリエイトしてほしい。僕の意向を伺う必要はない。
光を感じてくれればいい。それを君が表現するだけだ。そういう音、ギターの旋律が欲しい。君が、自身で創ってほしい。僕のこの気持ちを分かってほしいんだ。僕はカリスマではない!」
言ってから、彼は肩で息をしていた。
時間だ。行かなくてはならない。
「すまないが、行かなくてはならない。よく考えさせてくれ、アラン。あの、今夜の練習は行けないかもしれない。会議があるから、悪いけど、これで。」
僕は、アランを残して店を出た。
そして、その日一日中、このアランの言葉を反芻していた。
会議なんてなかった。
…………………………
その夜の練習には行かなかった。
ニコールとレストランで食事をして、ベッドに入る前に、ポールから電話があった。
ニコールは失望した顔をあらわに見せつけた。
僕は書斎に入って、話し始めた。
ポールは僕を気遣っているような声で言った。
「アレックス?遅くに悪い。今夜、来なかったね。会議だったのか?」
「ううん、、、、実はさぼった。」
しばらくの沈黙を挟んでポールは言った。
「どうしたんだよ?バンドのことで悩んでるのかい?」
「ああ、ポール、君にはすまないことしたと思ってる。バンドに誘ったりして。」
「えっ?」
「こんな深みにはまってしまって。実は僕、迷いが出てきたんだ。」
「なんだよ。君の方がのめりこんでたのに。どうしたんだい?」
「僕は医者をやめたくない。両立は無理だと思うよ。」
「僕はやめないよ、弁護士は。」
「ポール、君は両立できるのか?」
「まあな、折り合い付けてるよ。まあな、綱渡りだが。」
「でもポール、彼は、アランは、僕たちが一線を超えることを望んでるだろ?出来るの、君に?」
ポールはしばらく考えていた。
「そうだね。本当に。深みにはまってしまったね。」
「あのシェーパーズのステージで、あれはアランの描くところだったが、僕たち一線超えちゃった気がする。やばいよ、本当に。」
「そうだよな。そしてアランは、そこからまた上を望んでるよね。」
僕は言った。
「そう、僕はだから限界なんだよ、、、出来ない、、もう。」
ポールは言った。
「今夜、アランも悩んでいたよ。君のことは一言も言わなかったが。」
「で、ポール、君は、どうなんだよ?このまま続けるのか?」
「.........僕はね、あいつが好きになってきたんだ。あいつが望もうと望まなくても、僕は自分のスタイルで行く。それに僕のパートはあまり目立たないから、そんなに大したことはない。
でも君のパートは重要だよね。」
「………彼に済まないと思ってる、本当に。僕も彼が好きさ。でもデービッドの様にはいかない。
彼は感性派だかならな。だからアランにもなじみやすい。」
「アレックス、、、今夜な、スタジオ終わるとき、アランはピアノを弾いて、君に曲を書いたんだ。アレックスにはとは、言わなかったけどな。美しいバラードだ。そして僕に、それを君に送るように言った。」
ニコールが書斎に入ってきた。
「誰から?」
「ポール。先に寝ていて、悪いけど。」
「またポールね、、、、わかったわ。おやすみなさい。」
彼女は不満そうに出て行った。
「ニコールかい?」
「そう。」
「彼女とは続いてるんだね。結婚するの?」
「そのつもりだけど。彼女が許せば。」
「バンドのことを?」
「………まだ話していないんだ。話す必要もないかもしれない。」
「やめてくれよな、アレックス。バンドやめるなんて言うなよな。お前には才能があるんだから。」
「あー、君までそんなこと言うのか。確かにあのライブは魔法だった。アランがみんなに魔法をかけたような夜だったよな。あの日の僕は、今の僕とは別人だった。
次の朝、自分に戻って、僕は急に怖くなったんだ。医者をやめなくてはならないのではないかと。」
「アレックス、お前は一方向に突き進むやつだからな。」
「そう、二股なんか無理だったんだ、僕には。僕はスーパーマンなんかじゃない。すまない、ポール。」
ポールは静かに言った。僕を一番知ってるやつ。
「好きなようにしろよ。その曲、アランがお前のために作った曲を聴いてから決めてくれ。この曲は彼の今の気持ちだと思うし、お前のこと考えて歌ったのは間違いない。
パソコンに送ってあるから、聞いてよく考えろよ。僕はお前を束縛しない。」
「ありがとう。おやすみ。ポール。」
そして電話を切った。
重りのような気持ちを鼓舞して、パソコンを開き、送られた曲、ビデオだが、それを見ていて、僕はまたあのシェーパーズの高揚感を思い出した。
アランはなんて奴だ。気持ちをこんなにストレートに伝えられるなんて。
美しいピアノの旋律。
..................
<僕の天使>
(リリックス)
~
今はいない君のことをずっと考えている
たぶん会う前から、君を探していた
君は僕の天使
去ってしまった今もそうだ
君は僕に、いつも最高の時間をくれた
どこで何をしているの?
あの頃も、いなくなった今でも
君は僕の天使
君がそばにいない夜は
君との素敵な時間を思い出す
またどこかで会えるかもしれないと
街角でいつも君の姿を探す
君は僕の天使
今度会ったときは、はっきり言おう
まだ伝えていなかった僕の本音を
愛してるって
またどこかで会えるかもしれないと
街角でいつも君の姿を探す
君は僕の天使
今度会ったときは、はっきり言おう
まだ伝えていなかった僕の本音を
愛してるって
~
…………………………..
知らずに涙がほほをつたう。
その涙は嗚咽に変わった。
僕は大切なものを手放そうとしているのか。
これでいいのか?
そんなこと出来るのか?
ニコールが気づかないうちにやってきて僕の肩を抱いた。
「アレックス、大丈夫?本当にこの2-3日、あなたは変よね。
何かあったの?なぜ泣いているの?」
僕はパソコンでビデオを見せた。
「美しい曲だわね。このバンド、知ってるわ。イルミナでしょ?今すごく流行ってるよね。好きなバンドよ。まだライブ見たことないんだけど。
ふーん、これ新しい曲なの?このボーカルの子のハスキーボイス心にしみるよね?なんていう名だっけ?」
「アランというんだ。友達、、、、友達だった。」
「えっ?もしかしてこれポール?、、、全然、弁護士には見えないわね。彼このバンドにいるんだ。」
「そうだよ。実は僕もいた。でも、もうイルミナをやめようと思って。」
彼女は驚いた顔で僕を見つめた。
「えー、、、イルミナにあなたもいたってこと?ポールも一緒に?
もしかして、いつも夜は忙しかったり、出張ばかりだったのは、そういうこと?
、、、私はてっきり、別の女がいるとは思わないけど、私より大事なものがあるんだって思ってた。
私より優先事項があるなんてって嫉妬していたのよ。」
「もう、今は君だけだよ、ニコール。」
彼女は僕を見つめてしばらく何か考えていた。
「それで、いつからこのバンドやっていたの?」
「1年以上になるかな。君に会う前から。」
「そう、1年もね。今日話してくれてありがとう。それで何故やめることにしたの?」
「両立できると思ってやっていたけど、楽しかったし、仕事にもメリハリがついてると思っていた。
この前、シェパーズのライブの時、一線を越えてしまったんだ。引き返せないところまで行った。
醍醐味を体感したんだ。アーティストの。
それで僕は、どちらかを選ばなければいけないと思った。Wジョブは無理だと。
あのまま先に進めば、帰ってこれなくなると。それで、医者を取ることにした。」
「そう、そしてその選択はとても悲しいことだったのね。今、泣いてたじゃない。」
「よくわからない。僕が泣くなんて。僕の気持ちがわからない。」
彼女は両手で僕の顔を包み込んでキスをして優しくいった。
「あなたのやることに口出しはしないわ。ただ後悔しないようにしてね。死人のようなアレックスなら、私はついていけないかもしれないから。」
「えっ?それ、どういう意味?」
「私も考えていたの。この2-3日間のあなた、心あらずという感じで、よくわからなかった。死んでるみたいだった。怖いと思ったのよ。いつものあなたと違うから。
それが不満だったから、話さなくちゃと思ってた。いやだもの、死人と一緒に暮らすのは。」
「君は何でもはっきり言うね、ニコール。そういうところが好きなんだけど。」
彼女は僕の肩に手をまわして、膝の上に身を置いて言った。
「ありがとう。この曲、この子、アランが作ったの?」
「今夜、僕がスタジオに行かなかったので、他のメンバーとね。」
「そう、行けなかったのね。登校拒否ね。だから急に私と食事しようなんて言ってきたのね。うれしかったけど、食事中ずっと、私のことなんて考えていなかったじゃない。あまり楽しくなかったわ。」
「すまない。悩んでたから。もう大丈夫だよ。」
「そう?本当に?」
彼女は僕の目を覗き込んだ。
「たぶん、あなたはやめたくないんだと思う。医者も、、、バンドも。」
「ニコール、そんなの無理だよ。」
「1年もやってきたのに?なぜ今?、、、、私にその分夢中になったとは考えられないわ。」
「無理だよ。壁を一度超えてしまって、怖くなったんだ。」
「なぜ怖かったの?」
「君だって普通の夫がいいだろ?もし結婚するとしたら。」
「バンドやっている最中に、私たち出会ったのよね?
ということは、もしかしてバンドやめたら、違うあなたとこれから付き合うのよね。
そうか、、、まあ、、それがあなたの選択なら、仕方ないか。」
「なんだよ。その言い方。」
彼女は夢見心地の視線で僕を見つめて言った。
「あなたがバンドで演奏しているところ見てみたかったな~。だってイルミナの曲好きだし、すごくクールじゃない?あなたがいたなんて超びっくりよ。パートは何?リードギターかな?ここにいないのは。」
「そう、リードギターやっていた。やめようとしてるのに、焚きつけるのか?」
「やめるなら、それでもいいんだけど、、、あなたって才能あるのね~。ねえ、どうやってバンドに入ったか教えてくれる?」
「ニコール、マジでこのバンド好きなの?」
「そう、かなり好き。あなたがギター弾いてるライブを一度見てみたかったな。」
ニコールは、何度も送られてきたビデオを再生し聞いていた。
「この曲、いいね~。ヒットするなあ。誰の心にも届くよね、この曲。
もしかして、やめるというあなたのために創ったんじゃないの?」
「そうらしい。アランが。」
「この子、若いけど才能あるわよね。これ、ただの練習でしょう?このクオリティ、感動する。」
「なんで君がそんなに感動するんだよ。僕はやめようと決心したところだったのに。」
「あなたのギターもよかったわよ。一つCDも持ってるのよ。あなただとは思わなかったけど、マジ、胸が痛くなるようなギターだった。」
「ニコール、何が言いたいんだ。」
「私はやめてほしくない。でも、あなたが決めることだから。」
そういって微笑んで、キスをした。
彼女は不思議な女だ。大手商社で社長の秘書を長く勤めているだけあって、頭が切れ、人の気持ちを探り当て、そして明るく切り返す。有能な女だ。
僕は彼女の魔法にかかってしまったような気がした。
アランがしかけた魔法を、彼女が受け取って増幅して僕を包んだ。
僕は言った。
「ギター聞きたいなら、この曲にギター付けてみせるようか?そのクローゼット中の上段にあるギター持ってきて。」
「えー、あなたの宝物のフェンダー、ずっと使ってないのかと思っていたんだけど。これで弾いてたのね?わあ、すごい。」
そして、一晩中彼女とギターを入れたバージョンに取り組んだ。ニコールの瞳から魔法が噴出していた。曲は、夜が白み始めたころに出来上がった。
「君はミューズかもしれない、ニコール。」
「ねえ、アレックス、これはアランに聞かせるべきじゃない?」
「そうだね。彼は本当にそういう風に仕組んだんだね。まんまと引っかかった。あいつ。」
「ねえ、この子、アランに会ってみたいな。練習に連れて行ってよ。」
「ニコール、君は僕をやめさせてくれないらしいね?まいったな。君は大物だよ。」
「それは自分で決めることよ、アラン。私はイルミナのファンだから、次の曲が聞きたいだけ。」
その時僕は、突然自覚した。僕は一人でなくて、バンドのみんなやニコールに守られていると。
彼らは本当の仲間だと。そして、仲間こそが財産なのだと。この黄金を捨てる馬鹿者はだれか?
これが、もしかして愛かもしれないと。
「はっきり言って、ニコール、君は僕を180度変えてくれたようだね。
本当に不思議なんだが、気分が変わった。君がいてくれれば、僕は出来るのではないかという気持ちになってきた。君の魔法にかかったみたいだよ。」
「魔法なんてかけてないわよ。あなたがどっち選んでも、私は責任取らないと言っておくわ。
でも、今の方があなたはクールなのは確かよ。眼の中に星も見えるし。」
彼女は満足げに微笑んだ。
「ニコール、君といつも一緒にいたい。君の価値が今よくわかったよ。僕をずっと愛してくれる?」
「あなたは?」
「君をずっと愛し続けるよ。誓う、、、、結婚してくれる?」
「このタイミングで?、、、、太陽が上がってくるわ。きれいな夜明けね?」
「美しいね。で、返事は?」
「あなたがいつも挑戦し続けるんなら、サポートしたい。結婚したいわ。」
「わかったよ、君は僕を救ってくれたのかもしれない。ありがとう。本当に、愛してる。」
「この曲のおかげね。」
「そうだね、アランは普通じゃないんだ。不思議な男だ。今度会わせるよ。」
「ええ。」
そして僕とニコールは一睡もしないで、それぞれの仕事場に向かった。
病院の前にカフェで見覚ましのコーヒーを飲みながら、昨日のアランの言葉を思い出した。
彼は、わざわざ来てくれて、僕を必死に止めて、そして自分の要求だけは絶対に譲らなかった。
面白いやつだ。見かけのわりに、中身が計り知れないやつ、、、
さあ仕事だ、アレックス、これからもっと忙しくなりそうだ。
また新しい章が開かれた。