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夜空のハル  作者: 里村
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 思ったよりも、樋口のお札が効いている。

 すぐに崩れ去ると思えた立方体の結界は、超早送りのサンゴのようだった。パラパラと亀裂ができる度に、自己修正して薄い膜を重ねる。その繰り返しで形がどんどんと(いびつ)になってゆくものの、機能は保ち続けていた。

 そのことに安心してしまって気を抜くと目が閉じてしまう莉子を見て、樋口と葵が小声で話している。

「…で…だから…の…」

「…あおいは…でぐち…り…ちゃんと…」

 時々周囲に落ちる、ハルからの無遠慮な攻撃の音が響いて、その度に、覚醒(かくせい)する。その狭間で、樋口と葵の交わす会話の一部が莉子に届く。

 ダメだと思いながら、落ちる瞼を止めることができない。

 ハルから、直接的で致命的で物理的なことをされているにもかかわらず、それに対応する気力が、ない。

 このまま、ハルと一緒に…

 そんな弱気で状況に飲まれた思考が簡単に上がってくる。

 いっそ、このお札に守られた結界から出てしまっても、一つの結末を迎えることができるんじゃないかって、思う。

 逃げ腰な小さな小さな考えに、体が乗っからない。

 自分は何だろう。

ハル以上に曖昧だ。

あなたが必要だと叫びながら、その術も気力も持たない。

 だから、こんなことになっているのかもしれない。ここからせめて葵と樋口だけでも、出て行ってもらいたい。だけどきっと、二人は二人だけで出ることを望まないだろう。つまり二人を安全な所へ行かせたければ、自分を救う道を探し、取れる行動を自分で取らないといけないのだろうと、思う。莉子は、何度目かのまどろみの中で、爆音の狭間で、そう考えた。

 手に力は入った。どうやら立ち上がれそうだ。ふらつく体を背中の岩に傾げて、ずりずりと立ち上がる。

 それを見た樋口が、何かを叫びながら遠くへと走って行く。

 こめかみを押さえながら莉子が葵の方へと向くと、葵もどこかへとかけて行く所だった。その手には、なぜか莉子のスマホが握られ、誰かと話しているように見える。

「ふっ~」

 一息吐き出して、ハルを探した。

 どれくらい、ここに居たのか、居ればハルが納得するのか。

 たぶん、違う。

 ハルは、そんな理性を、もう持っていない。あの男と通じてしまっていて、きっと同調して、自分を嘆いてしまっているのだろう。

莉子は見上げる空に浮かぶハルを見て、悔しさで心がいっぱいになった。

 救えなかった。

 友晴も、ハルも。

 自分なんて、一時の何かでしかなくて、恒久ではない不確かで魍魎(もうりょう)としたもので出来上がっているのだから、当然のこと。あなたを生かそうなんて、温めようなんて、思い上がっていたもんだ。

「…バカみたい…」

 そう、つぶやく。と同時に、涙が溢れた。それも含めて、おかしくて仕方がない。涙なんて、この状況で、自分を哀れに思って流す、それを流せるなんて、自分に失望して、残念でしょうがない。

 左手で流れるものをぬぐって、もう一度ハルを見る。

 決意する。

どうか…と。

 一縷(いちる)の望みのようなもの、手ごたえのない直観が、莉子にはあった。

 結界から一歩外へ出る。

 ここが、あの部屋の中で、見ているものがマヤカシだとするならば。

 目を閉じて想像する。家具の配置や勾配、そしてハルの位置。

 きしむ体にカツを入れる。

 今しかない。

 ここで出し惜しみなんてしてる場合じゃない。

 目を開いて、ハルを捕捉する。

 強く息を吐き出して、また目を閉じた。

 ハルの位置を目標に、自分が蹴って駆け上がる算段をして、迷いなく走り飛び上がった。

 まずは、ベッドへそしてその横のカラーボックス、そしてカーテンレールへ手を伸ばして、窓を蹴って体を反転させ、ランプシェードへと身を投げて、その時に目に入る筈のハルを掴んでベッドへダイブ。そのイメージを強く持つ。ばかばかしいほど、それに集中した。できると信じて疑わなかった。

 つかんだカーテンレールは、莉子の体重をささえきれずガチャっと嫌な音をさせた。来ると思わないタイミングで来た浮遊感に負けじと窓へ蹴りの力を入れる。そこから反転して飛び上がった先にはあるはずのランプシェードはなく、求めたハルの足先が見えた。それをどうにか掴もうと手を伸ばすと、わずかにその足先をぬぐった。その後に、ハルが驚いたような表情を莉子の手に向けて、落ちる最中にその目と合って、失敗してしまったことを実感した。

ハルをかすめた瞬間に、部屋の中にいたはずの莉子は、荒野の空を急降下していた。

―くる

 落下してゆく、それが分かった瞬間、莉子は諦めてしまった。

 莉子を追って、ハルが勢いよく降下している。

 体を回転させて、莉子の体に全身でぶつかってくる。ハルは両足で莉子を押しやり、その反動で空へと戻って。

 ドン

 地上で莉子の体がバウンドする。

 地面に亀裂が入り、一度弾んだ莉子の体が、地上からさらに地下へと落ちる。

 ガラガラと崩れてゆく地面と岩や石の跳ねる様子が、ひどく嘘くさく思えた。

 驚いた顔の樋口がこちらへと向かってくる姿が、穴に吸い込まれる直前に視界に入った。

―また、心配かけちゃうなぁ、あの二人に。

 樋口の何かに守られているのか、痛みは薄い。だが、ぶつかった時に負った傷口から流れる血は止められないようで、ドクドクと嫌な感覚を莉子にもたらす。

 落ちてしまう寸前に、気力で莉子は体を垂直に立て直そうと願った。すると簡単に体が向きを変えゆるりと舞うように失速する。座り込むように着地した。痛みは薄い。立ち上がって、とんっと跳ねると、簡単に穴の底辺から地上へと飛び上がった。

 莉子が地上に出るのを待っていたのか、ハルと男の放ったものが目前に迫る。身をかわすと、はるか後方で地面がへこんで煙を上げている。

 それを視界の端でとらえて、莉子は逃げる。

 一旦、樋口が作った結界へ向かう。ハルからの攻撃をかわして進む。ハルも分かっているようで、その場所へ逃げ込む退路を塞ぐようなやり方で、次々と地面に土煙が立った。

 時々、樋口が唱える歌うような声が小さく流れてきた。その声を意識して聞いていると、少しずつだが、体が楽になってゆく。

 一蹴りで何メートルも跳躍できる。体が軽い。この空間が、現実ではないことが、それで分かる。まるでトランポリンか月面かというくらいの、身軽さで思った以上のことができる。

樋口の張った結界へ戻る間、ハルたちの攻撃が当たることはなかった。

 戻って一息つく。

 あの作戦じゃダメなんだな、と、嘆息した。

 莉子が戻ったのを見定めて、樋口もこちらへと近づいてくる。

「樋口さん、どうしてハルたちから狙われないの?」

 攻撃は莉子限定に思える。樋口は無傷で、どこかに行ってしまった葵は、そもそも二人の目に入ってさえいなかったように莉子は思う。

「…そこ、なんだよなぁ…」

 樋口は空に浮かんだ二人を見つめる。

「僕が見えないのは、目くらましのようなものを施してるからなんだけど、莉子ちゃんにも…ひどい傷は負ってるけど、ここに逃げることをまるで許しているようにも思えたんだよ、僕には」

「どこが?私は、命からがら逃げ帰ってきた心境。当たらないにしても、何発も周囲に落ちてくるんだよ、地面はへこんでくし、土煙は上がるし。一歩間違えればそれに当たってるかもしれないなんて、普通に怖いよ」

「…だけどさ、当たってないじゃん。初めの数発は当たってたけど。莉子ちゃんがハル君に触れた後、ここへ戻る間、ハル君は手加減してるよ、きっと」

「…そう?」

 ハルに記憶だかハル自身の意思だかが、残ってるのだとしたら…

「いやいや、でも、やっぱ、それって希望的観測ってやつじゃない?その直後、地面にめり込んじゃったよ、私」

「希望的、そういう一面もあるよなぁ、僕、甘いからな、判断とか。…ひとまず、止血しようか」

 樋口はそう言って、莉子の腕に手を伸ばす。

 ハルと男は、また黒い雷の鳴る雲を呼びよせている。

「ねぇ、樋口さん、ハルとあの男の希みは何?」

「単純に呪ってやれってことじゃないかな。一緒に堕ちる人を求めるんだろう。人は一人では寂しいんだろうね。例え実態を失くしてしまっても」

「私があの人たちと一緒に行くって言えばこの状況が治まるってこと?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「…それ以上になることもあるのか…私の欲求が貪欲だと悪化するのかも?」

「ははは。莉子ちゃんの、か。そういうこともあるだろうね」

「笑うとこ?」

 莉子がふてくされると「できた」と傷口に回したハンカチを樋口が結んだところだった。

「ありがと」

 ぐるぐると巻かれたそれを見て、莉子がお礼を言うと葵が戻ってくるのが見える。

「うわっ。さっきよりひどくなってるじゃない」

 莉子の傷を見まわして、葵は顔をしかめた。

「へへへ」

 笑って返す莉子に、「これ」とスマホを手渡してくる。

 受け取ると友晴と通話中になっていた。眉根を寄せて、説明を葵に求めて視線を上げると、その向こうから友晴が一歩部屋へと入っているのが見える。

「え」

 つぶやくと、何かを察した友晴がこちらへと顔を向けた。

目があったような気はするが、友晴の視線は何かにぶつかって違うものを見ているような感じもする。すぐ近くにいるはずが、遠くを見ていて足元に気づかないような…。

 友晴が一歩一歩足を進める度に、周囲の景色が変わる。そこに見えない一線があるかのように、友晴が現実を連れて歩いてくる。友晴が歩むにつれて、部屋と荒野の輪郭がぼけて溶けてゆく。

 二人が膜の外へ出た。樋口がぶつぶつと何かを唱えながら、ハルと男へとすっと手から何かを放った。まばゆい光があふれた。樋口は葵をかばいながら、そう遠くない岩の隙間へ葵を押し込んで自分も隠れた。それを目で追って莉子がハルを探すと、男とハルが離れた場所へちりじりに落ちてゆくのが見えた。

「ハル!」

 とっさに莉子は叫んでいた。

 落ちて行った場所にゴロゴロと大きな石が転がっているのが、莉子のいる場所からも見えて。ハルが大丈夫かどうか立ち上がって見ようとして、結界を離れた。すると、いると思った場所にハルは見当たらず、くすくすと笑う声が頭上から聞こえた。見上げると、右の口角だけ上げて、ハルが鋭く笑っている。男は落ちた所から見失ってしまった。ハルが一人、莉子を見下ろし狙いを定めたようにニヤリと笑う。

「ハル!」

 莉子もハルを見上げた。

 男がいない今がチャンスだと思った。

 友晴が走ってくるのが見える。どんどんと現実が近づく。友晴の後ろにはいつもの莉子の部屋がある。コマ送りのスローモーションで近づくそれに、一瞬目を向けて、莉子はハルを目指した。

 とんっとつま先に力を入れて、飛び上がる。

 あの夜空で味わった自由な感覚を思い描いた。

 ハルと一緒に、青空を一緒に。

 今ならできそうな気がする。

 雷鳴も落ち着いて、雲間から光の筋が差し込んでいる。その筋の一つが、ハルのきれいな髪を照らしている。

「ハル」

 良かった。もうすぐハルを連れて帰れそう。

 ほっとした表情を浮かべてしまったのだろう。ハルはそれを見て表情をゆがめる。そして、莉子へと勢いよく飛び込んできた。

 ハルは攻撃として自分を莉子へ差し出した。

 莉子は、そのハルを受け止めて。

 ハルを抱えたままの莉子が、また地上へと勢いをつけて落下する。

「今日は、よくよく落ちることに縁があるのねぇ…」

 痛みを予測しながら、そんなことをハルの耳元でつぶやく。

 ハルの体の重みを抱きしめて。

「ハル。昼間だけど、ほら、ハルのこと見えるよ」

 落ちる間際にハルに話しかけた。次の瞬間にはハルの重みごと地上に叩き付けられて、背中から痛みがじわじわと広がる。火傷のような熱さも感じた。すすり泣くハルの声も聞こえる。

「ハル」

「莉子…」

 見下ろすハルの表情は苦痛に満ちていた。そっと頬へ手を伸ばそうとして、動かないことに気づく。

「今なら、ハルの髪も頬もなで放題なのに…手が、動かない…残念…」

 薄く笑おうとした。

 次の瞬間、ハルの表情が消えうせて、莉子から距離を取るように跳ねた。

「…ハル」

 呼び止めたくても無理で、小さな声が口から出てきただけだった。

 隠れていた場所から出てきた樋口と葵が、ハルが消えた先を伺いながら、莉子を結界まで運ぶ。

「ハル、どこ行っちゃった?」

「今は分からない。ねぇ、莉子、外へ出るよ」

「…まだ、まだ、あの男がどうなったか、確かめなきゃ…」

「莉子ちゃん、そんな流暢(りゅうちょう)なこと言ってる場合じゃない」

「樋口さんのさっきのヤツ、あれがあれば、大丈夫じゃない?」

「あれは、もう一回いければ良い方。何度も使えるもんじゃないんだよ」

「…そう」

「でも、あれはあの男へ向けたものだから、そろそろ効果を発揮してるはずなんだけどなぁ」

 ころんころんと聞いたことのある音が遠くから聞こえる。

「ああ、男が起きてしまったかな」

「…鈴?」

「除霊の鈴を打ち込んだ。あんな風に輝いて見えるのは初めてだった。この空間のせいだろうけれど…」

「私も、やっと目視できた。いつもは、何やってんだろぉ~って不思議に思ってたことが、見えたよぉ」

「葵ってこんな時にも、そんな感じなんだね…」

「うるさいよぉ莉子」

 もうすぐ目的の場所に届くと思った時、大きな影に覆われた。

 びくりとして見上げると、その男が禍々しい黒い渦をともなって莉子を見下ろしながら近づいていた。人としての表情ではなくなっている。まとう空気もとても冷たく恐ろしい。少しは浄化されているはずだと考えていた樋口は、その男の威圧感に驚く。その直後、危ないと思う間もなく、葵と樋口がほぼ同時に莉子を結界へと投げ込んだ。ふっと意識が遠くなる。

 何かの爆ぜる音、鈴の音、吹き荒れる風の音、その奥ですすり泣くハルの声も聞こえた気がした。






読んでいただいてありがとうございます!

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