第三十四話 すべての策略はこの日のために(三)
和平の視界は緑一色に埋め尽くされている。
緑一色といっても決して麻雀の役ではない。だから「32000点だ!」と控えめに喜ぶことはない。
和平が運ぶのは肉まんに挟む――すなわち『イイマン』を作るうえで大切な野菜たち。
「わへい君。ここから階段だから気をつけて」
そんな和平の目を担うのが彼の腕を組んで歩いている一香。
「あ、ありがとう清水さん」
和平は一香に感謝の言葉を出すが足が出ない。段差がどのくらいか検討がつかないのだ。
「片側は私が持つからいったん降ろしていいよ」
「あ、ありがとう……」
先ほどより情けなさを加えて感謝する和平に一香は可愛らしい笑みで応える。
「気にしなくていいわよ。わへい君が怪我したら私嫌だもん」
「そ……そうだね、部長の俺が文化祭初日で戦線離脱したら大変だからね」
そう言いながら荷物を下ろす和平、一香が少し困った顔を見せたのには気がつかなかったようだ。
「そう……ね」
校舎を出て階段の脅威が無くなってからは再び一香との腕組み体制となる。当然のことながらゴール地点である屋台に来てもそこにいる客が誰かまでは気づくことはない。
「純ちゃんと……、こ、校長!? それに魅国さんまで……!」
「え、誰かいるの!?」
一香の視線の先にいるのは純と魅国正之助。そして凜でさえ驚いた三人目こそ葵塚学園の校長その人であった。
「この三人の組み合わせは……?」
「だ、誰なの? 誰?」
和平は自分の目で誰がいるかを確かめようとするも、目の前にある緑色の壁がそれを許さない。蹴飛ばしてそれを崩すわけにも行かず――そんなことをしようものならば真っ先に凜によって駆逐されてしまう――ただ首を動かすばかり。
それでも運んでいる野菜たちに不安定さをもたらすのは確かなようで、傍目から見ても荷崩れが起こるのは時間の問題と思えてくる。
「せ、先輩。私がこっち側持ちますからゆっくりと降ろしてください」
「あ、ごめん気がつかなくて。私も持つわ」
通子のフォローとそれにより和平(というよりは野菜たち)のピンチに気がついた一香の助けも加わり、ようやく和平の視界が開けた。
「校長と純ちゃんと、魅国……」
「違うんです。森先輩、清水先輩。魅ぃちゃんは詩ぃちゃんだったんです」
「はぁ?」
「ええっ?」
純の意味不明な説明に和平と一香も驚きの声を上げる。
「私も驚いたけど、魅国さんは実は詩崎さんだったのよ」
「『しのざき』じゃないですよ」
「ああ……、申し訳ございません。魅国さんは実は詩崎さんだったのです」
凜の説明に正之助が訂正を入れる。そして再度説明に入る凜。
「そうよ、ここにいるのは文京大学の理事長、詩崎正之助さんよ」
「嘘……」
目の前に自分が進もうとしている大学のトップがいることに一香は驚きを隠せない。
進学予定のない和平も目は驚いている。ただ一香の力が抜けている状態においてこれ以上のリアクションは野菜の悲劇につながってしまう。
「パンフレットで見た人と違う……」
辛うじて和平は一香も思っているであろう(しかし一香が聞いては失礼に当たる)疑問を口にする。
「あれは私の義理の息子です。大学のNo.2に当たる総長を勤めています」
正之助が照れながら答えると、通子が何か思いついたのか、喜びを浮かべて
「あー、じゃあその人が休みは釣りしかしない……」
「いやあ、立派な人だとパンフレットを見て思っていたんですよ!」
通子の呟きを和平は全力で遮る。婿が釣り馬鹿だと指摘されて喜ぶ人がどこにいるのだ。
「いやいや……立派じゃないですよ、私も休日は釣り馬鹿だと思ってますから」
謙遜をする正之助だが、「休日は」と付け加える辺り平日はとても便りになる自慢の婿なのだろう。
「魅ぃちゃんの『魅国』は義理の息子さんの旧姓なんですって。魅ぃちゃんと詩ぃちゃんが入れ替わっちゃったんです」
「ハハハ……、お忍びで行くには『詩崎』と名乗るわけには行かないからね……」
純を見て笑顔になる正之助であったが、一香を見ると少し顔を引き締めて
「そうそう、今日来たのはあなたにご報告があったのです」
「わ、私にですか……?」
志望校のトップからの報告とはいかなるものか? 一香は戸惑いを見せる。和平はそんな一香を見て瞬間不安を心に浮かべたものの、視線の先にある凜と校長の表情を見るに悪いものではないと安堵する。
「ああ、大丈夫です。悪いことではありませんから」
一香の表情を見て正之助は先ほど純に見せたような笑顔に戻る。
「ああ、そうですか……」
それを見て、ほっと一息つく一香。このまま正之助から報告が告げられるかと和平は思っていたが
「ここで立ち話を続けるわけにも行かないので場所を移しましょうか」
と、正之助は校長を見る。
「話さないのかい!」と和平は突っ込みを入れるのを右足一歩踏み出すことで耐えた。
突っ込みの衝動から開放されて周りを見ると正之助の言うとおりであることが分かる。なぜなら校長の後ろには彼女が麻雀部屋台における列の最後尾と勘違いした人たちが……。
「ここは私と通子ちゃんと純ちゃんで乗り切るから、和君もいってらっしゃいな」
「えっ、凜先輩。私もこっちですか? 森先輩は?」
これまで正之助のお供を勤めていた純が悲しそうに凜を見ても
「和君は部長だもん。話を聞く必要があるでしょ」
もっともなことを言う凜に純はあきらめたように屋台に入っていった。
「それじゃあね、魅ぃちゃん……、じゃなかった詩ぃちゃん」
目的地が校長室だということが和平には少々意外に思えた。
(いやいや、よくよく考えてみれば校長と大学総長が一同に会しているんだよな……)
初めて来たときは卒業条件を提示されたときだった。条件クリアのために思い切って「麻雀部なんてどうですか?」って聞いてみたらまさかの「OK」をもらった部屋でもある。そのときは周りを見る余裕は全くなかった。
そして今日、ソファーに座り周囲を見ると棚の中に酒瓶や茶道具を発見する。床は赤絨毯の上に一部緑色の絨毯が引かれ、そこに茶釜を設置となかなかの混沌を見せていることが分かる。
窓からは学園祭を楽しんでいる生徒たちの声。その声が出ている世界と、今いる自分の世界が全く隔たれているわけではないと、和平はだんたんと緊張が溶けてきた。
「それじゃあ落ち着いたところで話の続きをしましょうか」
校長が正之助を見ると、茶釜に目をやっていた彼は「ああ……」と、対面にいる和平と一香を見て
「我が文京大学は、来年度より麻雀部を設置することを条件付で認めることにしました」
「や……って、条件付ですか?」
瞬間喜びの声を上げそうになった和平だが、「条件付」との言葉に少し口ごもる。
「大学でも麻雀ができるのならば条件付でもいいです」
進学する当人である一香はポジティブな反応。それを見た正之助は頼もしそうにうなづきながら。
「条件って言ってもたった一つです。清水一香さん。あなたがうちの大学に来てくれること。それだけですから」
「え、それって……!?」
「もちろん他の志望者とともに試験は受けてもらいますよ」
「一香の大学合格と入学」が麻雀部設立の条件。これは「条件は無い」に等しい。なぜなら一香本人が学園入学当初から文京大学進学を目的として勉強しているのだから。
「あなたがうちに来てくれなければ麻雀部を置く意味がありませんからね」
「そうよー、全国の大学に麻雀部を広めるための第一歩なんだから。……って今のままの成績ならば大丈夫だけど油断しちゃダメよ」
「は、はい。ぜひよろしくお願いします!」
(なんか話が大きくなっているな)
最初にこの部屋に来たとき、自分が卒業したいがために放った言葉が周囲に大きな影響をもたらしている事に和平は少し胸が高鳴るのを覚えた。
(清水さんは文京大学で、俺は葵塚大学で麻雀をする! やってやる!)
気持ちの高鳴りを代弁するかのように部屋のどこかから警笛が聞こえてくる。
「あ、ちょうどいいタイミングでお湯が沸いたわ。みなさん、お茶にしましょうか。教頭先生呼んでお茶をたててもらいましょう」
「教頭」の言葉に身を硬くする和平と一香。明美こそ一香を苦しめてきた張本人ではないか。
「心配しなくていいわ。今頃彼女、立花先生の話を聞いて納得していると思うから」
校長の言葉に和平は、明美がどんな顔をしてこの部屋に来るか。そのとき自分はどんな顔をするべきかを考えるのであった。




