第二十七話 攻める時はオリているかのように(一)
「負けちゃった……」
和平と一香を見ながら力なく呟く杏子。しかしその表情には敗戦の悔しさやショックはない。
「やはり負けたら……」
そこまで言った所で和平は一つ大きな息をつき。
「清水さ……」
「麻雀プリティをコンテストに立候補させろと言われたわ」
杏子は和平の言葉を遮る。まるで和平の言うことは違うと、否定するかのように。
「そ、それってやっぱり私が出ろってことでしょ?」
一香が遮られた和平の代わりに全てを告げる。
杏子は首を大きく横に振る。
「それは森君との勝負でしょ? 私には『麻雀プリティが出ろ』としか言われてないの」
「……うん?」
「……それって……?」
和平も一香も杏子の真意が分からない。それもそのはず、これはほんの数分前に杏子が初めて気がつき、思いついた方法なのだから。
杏子は強いまなざしを和平と一香に見せると口を開いた。
「私がコンテストに出馬するわ」
早口で言ったためだろうか、まだ要領を得ない二人を見て杏子はゆっくりと説明する。
「私が麻雀プリティになってコンテストに出る。これなら教頭先生との約束は守れるし、一香も自分の行きたいところ行けるじゃない」
「あん子が麻雀プリティになるの?」
「森君、私が麻雀プリティになるのがおかしい?」
やっと出た和平の言葉が単純な疑問であっても彼女はたじろかない。
「い、いやおかしくはない……」
真っすぐに杏子に見つめられた和平は顔を伏せる。杏子への「おかしいと思って申し訳ない」という謝罪の気持ちがそうさせたのではない。単に照れただけなのだ。
一香は未だ無言だ。杏子から発せられる一言一句をしっかりと自分の中へ理解・消化しようとしているのだろう。杏子と同じ強い眼差しを見せる。
「それに私が出たら本選はかなりいいところまでいくと思うんだ」
顔を伏せている和平に杏子は視線の追い打ちをかけながら
「私が学園で何と呼ばれているか分かっているよね、執事君」
あえて和平を「執事君」と呼ぶ。これは杏子と一香はもちろん、他の麻雀部員が使ったことはない。
和平はかつて自分がそう呼ばれていた場面を思い出し、杏子からの問いに答える。
「姫様だ」
かつて筑波山にてサバイバルゲーム部に敵チームと勘違いされて襲われたとき、和平は「ここに姫様がいるぞ、控えおろう!」と叫んで彼らの攻撃を止めた。
その際、杏子を「姫様」と呼ぶ迷彩服の者たちから和平は「執事」呼ばれており、それを杏子は覚えていたのだ。
「そう、私は周りから『姫様』と呼ばれているのよ。その私がミスコンテストに出るんだから、盛り上がるに決まっているじゃない!」
「姫様」は杏子自身が呼ばせているのではない。周囲が勝手に彼女の振る舞いを「姫様」と呼び、慕っているのだ。その「姫様」が「ミス葵塚学園コンテスト」に出場するのだ。
「自惚れている訳じゃないけど、私に投票する人は結構いるでしょ。さらに言えばあの教頭先生のこと、一香を『ミス葵塚学園』にするためにいろんな策略を練っているはずだわ。それに私が乗っかっちゃえばいいことよ」
事実、明美は候補者を擁立できない部やサークルを「本選出場者への相乗り」という救済措置を与えている。その上で「相乗りするなら麻雀部」と暗に勧めているのだ。まさに組織票である。
「教頭先生を欺いてコンテスト出場と清水さんの進路両方を手に入れると……」
和平が杏子の示した作戦に乗り気になった所で
「そんなのダメよ!」
杏子の立候補宣言以来、一香が始めて出した言葉は激しい否定。
「し、清水さん?」
「い、一香……?」
その勢いに和平はおろか杏子までも戸惑う。
「だって、麻雀部はあん子が学園で唯一姫様でなくてよい場所なんでしょ? それなのにコンテストに出場したら麻雀部でも姫様じゃない!」
「い、いやいやそれはー無いでしょ。今まで通りだよ」
杏子は少し慌てたものの、持ち直して楽観的な考えを見せる。しかし一香は彼女の両肩を掴み。
「そんなわけないじゃない。みんなに注目されて、姫様、姫様って部活の間も言われて……あん子が普段通りにいられる場所が無くなっちゃうのよ!? 私のせいで!!」
一香が少し涙ぐんでいるように聞こえる。
「それは……違うなぁ」
そんな彼女を見た杏子は真顔で肩を抑えている一香の腕を優しく触る。
「違うなあ、じゃない。違うよ。姫様と言われている私も麻雀部にいる私も本当の私だよ。別に変な演技を、自分に嘘ついて姫様ってなったわけじゃない。うん、気を遣っているだけだ」
杏子は何かを決意したように頷くと
「でも『姫様』と呼んでいる人の中には麻雀部の私を見て『違う』とか『裏切られた』って言う人もいるかもしれない。だけどそれは言わせておけばいい。なぜならあと半年もしたら卒業だから」
そこまで言って杏子は和平を見て微笑む。
「大学は一香ほどじゃないけど頼れる執事君がいるから大丈夫だよ」
「『清水さんほどじゃない』、か」
和平が苦笑すると
「これは付き合いの長さの差だからしょうがないよ。ごめんね」
杏子は声を出して笑う。
「違う、違うよぉ……」
それでも一香は納得がいかないのか顔を伏せて震えだす。今まで抑えていた涙が止まらなくなったのだ。
「困ったねぇ」
と、口の動きだけで和平に知らせる杏子。和平は数秒ほど自分が何をすべきか考えて
「清水さん」
一香の右肩に優しく触れた。
「あん子が自分から言ったんだ。それに俺も部長として……いや、部長としてだけではなく俺自身としても清水さんのためにこの方法がいいと思っている」
「本人が決めたことだから」と言うのは杏子に対し「自己責任だ」と突き放しているように見える。一香からは冷たいと思われるかもしれない。
そんな心の迷いが和平には少しあるものの、他の手段が思いつかない。
無いからこそ、杏子の提案は大いに役立つ。と和平は考えた。
(外面だけ気にして何もしないで時間切れより、こうしたほうがいい。後で教頭先生に「麻雀プリティ=清水一香」と念を押されてしまっては手遅れだ)
そうは思いながらも
「本当にいいんだな、あん子……」
と、杏子に意思の確認をする。和平がこれ以上論理を述べるより彼女のさらなる”気持ちの一押し”があれば一香も納得するだろう。
「いいよ、私はずっと一香に世話になっていたからさ、少しは返さないと」
「別に私はあん子といるのが楽しかったからなのに……、恩に感じなくてもいいのに……」
泣きじゃくる一香はもちろん、和平と杏子も残暑の元である太陽が西の山に隠れつつあることに気がついていない。
そのため後ろから三人を驚かせようと近づく人物のことなど知るよしもなかった。
「うわっ!」
いきなり声をかけられ、三人は
「だぁっ!」
「きゃっ!」
「うわあっ!」
思い思いの叫び声をあげる。
「り、凛……」
振り返れば、部室にいるはずの凛がいつもの微笑みながらいつもの細い目を見せていた。
「心配だから後は通子ちゃんに任せて来てみたけどさ、一体どうしたの?」
「実は……」
一香を慰めるのは杏子に任せて、和平はこれまでの経緯と杏子の決意、それと今後の方針はこれから部室で決めることを凛に伝えた。
すると彼女は、口をへの字に曲げながら
「うーん、これは部室では話さないほうがいいかもねぇ」
と、首を傾げる。
「え、何か都合が悪いのか?」
和平が尋ねると、困り顔の凛はしばらく唸っていたが、やがて口元が大きく「へ」から逆になると
「よーし、一香とあん子はこれから寮にお泊まり届けだして私の家に来なさい! 和君は男の子だから残念だけど電話で我慢してね!」
「はいい!?」
凛の突然の提案に和平は面食らう。
一香は泣き止んで凛を見る。おそらく和平同様驚いているのだろう。
「わーい、お泊まり会だーっ」
強い決意をしたばかりの杏子は凛の提案にたじろぐことはなくのん気な声を上げる。
それを聞いた和平はなんとなく体感温度が下がった気がするのであった。




