第十九話 口説いているつもりはない
文化祭まであと一週間。料理のレシピを覚えた麻雀部は屋台作りと材料の仕入先確保へと動きだしていた。
「来年のことを考えたら、中のことは一・二年生たちに任せた方がいいんじゃないかな?」
と、直の提案により、和平たち三年生は買い物などの外回りである。
もっとも学園内にいることで三年生が面倒事に巻き込まれるのを避ける狙いもある。
今のうちに通子ら二年生に交渉などの場数を踏ませたい。
この日、和平と一香は小麦粉や野菜などの重い物の仕入れ、杏子は肉やシュウマイの皮など比較的軽い物の仕入れに出かけている。
もっとも今日は節約の為に日持ちする物を持てる分だけ買い、他は配達の依頼をするのだが……どう見ても和平は重い物運び屋要員である。
「そう考えると、部長さんは妻の買い物に付き合わされる日曜のお父さんですね」
彩がこれから出かけようとする和平たちに声をかけると、
「そうねー、ついでに私の欲しいものもあったら買おうかしら」
と、一香は和平を見る。
「そ、それは部費で落ちるのかなぁ……」
和平は部長としての回答をしながら
(「夫婦の買い物」は否定しないんだ……)
心のどこかで安堵する。
「そこは俺がおごるぐらいいいなさいよー。もう、先行くよー」
杏子はそんな和平を軽く肘でつつくと、部室を出る。その瞬間に背筋が伸びるのは、無意識の成せる技なのだろうか。
(この切り替えの自然さが姫様なんだよなぁ……)
美人を現す慣用句「歩く姿は……」とはよく言ったものだ。
「わへい君、あん子と一緒の方がよかったー?」
杏子の後ろ姿を見る和平の腕を一香は軽くつねる。
「な、何言ってるんだ、清水さんとの方が嬉しいに決まっているだろ!」
とっさに一香を向いて真剣に答える和平。
「えっ……?」
それまで軽い口調だった一香が途端に口を開けたまま無言になる。気がつけば頬が赤い。
「真面目に答えて相手を困らせるんじゃないよ!」
凛が和平の額に黒マーカーをヒットさせることで、和平はもちろん一香も我に返りそそくさと部室を出る。
「さて、みなさーん。お留守番組は作業を続けましょうか。三人が帰ってきたときに『ここまでできてたの!?』って驚くぐらいに」
二人が出るのを見ると、凛は扉を閉める。そして彼女なりに大きな目をして直樹と昌三を見ながらニッコリ笑うと、作業の再開を皆に促す。
多少の休憩入れながらも残された部員達が発揮した作業への取り組みは、扉の下に差し込まれたプリントの存在、そしてそれが何者かに抜かれているのに気がつかないくらい集中したものだった。
教頭室を出た明美のスマートフォンが小刻みに揺れる。メールが届いたのだと知り、差出人を確認した彼女は行くところがあったにも関わらずすぐに開く。
「……なるほど、強い人ほどやりがいがあるし、勝った時の影響は大きいわね」
メールの内容に怪しく微笑む明美。今度の展開を予想していたのだろうか、すぐそばまで直が来ていることにも木がつかなかった。
「明美、てめえっ!」
直は左手で明美の顔、すぐ横にある壁を思いっきり叩きつける。明美は一瞬驚いたものの、すぐにいつもの表情に戻り。
「あら、立花先生。これが今流行の『壁ドン』ですか?」
背の高い直が明美を見下ろしている。まさしく「壁ドン」と言われてもおかしくない構図。
「残念ですが私には同性愛の趣味はないんですが……」
「お前、ふざけて言っているのか?」
笑う明美に対して直は普段よりも激しく彼女を睨みつける。その鋭い視線は明美の飄々とした返しにも怯むことは無い。
「ふざけてないですよ。無駄な争いにならないために片方が激高しているときは、もう片方は冷静にならないといけませんからね」
それを聞いた直は自らの行いを省みたのか、左腕の力が少し抜ける。
「それで、どうしました?」
「なんだ、これは一体! うちの部室の扉にあったぞ」
直が差し出したプリントにはこう書かれていた。
「ミス葵塚学園コンテスト候補者不足につき、当委員会は敗者復活枠として麻雀プリティの立候補を求めます」
「ああ、見ての通りですよ。実名で書くと他の人がこれを見た場合、麻雀部では誰が候補者なのかが分かってしまいます。それでは選挙の公平性に欠けるのであえて……」
「お前最初から清水を立候補させたかったのか?」
明美の答えを最後まで聞かずに直が遮ると、彼女は困ったような顔を見せ
「立花先生、生徒達が来る部屋が少ないとはいえ仮にもここは学校の廊下ですよ。生徒の名前を出すときは小声になっていただけませんか?」
直は目を瞑り唇をかみ締めた後で、声を抑える。
「お前は最初から清水を立候補させる目的だったんだろ? だから一関を落とさせた……」
明美は下を向いて何かを思い出そうとしたが、すぐに直を向き。
「一関さんに関しては合格させようかどうかみんな悩んでいたんです。だから私はそっと彼らを手助けするつもりで言っただけですよ。『一関さんも可愛いですが、麻雀部にはもっと美人な子がいますよ』って」
「それで一関は落ちたってわけか」
「私の言うことを真に受ける委員会にも問題はありますが……、一関さんの方も全く非は無いってわけじゃないですし……」
明美は一瞬口を閉ざしたがすぐに、頷くと再び口を開く。
「『ミス葵塚学園』にふさわしい美人と考えれば一関さんはどちらかというと可愛い妹か後輩って感じですよね? 清水さんの方が充分じゃないですかもったいない」
一香と通子。二人に対して直の印象は明美のそれと大差ない。しかし、直が明美に聞きたい問題はそこではない。
「でも立候補したのは一関だぞ。それをお前が否定して清水を立候補させる謂れは無い」
「でも……麻雀プリティとしてこの学園で活躍すれば葵塚大学でも麻雀部として活躍できるんじゃありません?」
それを聞いた直は左手を壁から離す。
「そうか、お前の目的はそこだったのか……」
今度は右手で壁と叩きつけた。
「また『壁ドン』……」
「清水は文京大学に進学希望なんだよ」
さっきよりも相手に聞こえるように顔を近づけて直は明美に声を叩きつける。だが小声であることは忘れていない。
「どうして麻雀のできる子が麻雀部の無い大学に行くんです? うちの学園にとって損失じゃないですか」
「清水の希望はどうした」
「彼女にとっても堂々と麻雀のできる環境に身を置くことは幸せでしょ? 何を考えているのかは知りませんが」
確かに先日文京大学の総長と話したとはいえ、実際に麻雀部ができるかどうかは決まっていない。おそらく明美はそこを突いている。
「だからと言って……」
「無闇に理念を外に広める前に、足元からしっかり固めてからの方がよくありません? そのためなら清水さんも喜んで自分の進路を変えると思うんですけど……」
「……そのために『ミス葵塚学園コンテスト』に出て目立たせようってか?」
「当選してくれたら更に嬉しいですけど……、まあ候補者として出ただけで葵塚大学にとって必要な人材になることは間違いない……」
「生憎だが」
直は左手の壁にそっとつけると明美の左耳に口を近づけて。
「清水は立候補させない。本人の意思を最優先させる」
明美にはその言葉は既に予想していたのだろう。軽く口元に笑みを浮かべると。
「その意思ですが……、そのうちひっくり返ると思いますわ」




