第二十話 恨みたいのなら恨んでください
「……それはどういう意味だ」
直は明美の表情を見たいと顔を彼女の正面に移動させる。明美は笑ったままだ。
「だ・か・ら、そのうち本人が立候補を申し出るって言うんです」
「は、はは……」
直は最初口元を引きつらせながら笑っていたが、すぐに真顔に戻り。
「お前……、何か事件を仕掛けたのか? オープンキャンパスの時のように!」
明美は直の左腕を掴むといたずらっ子の笑みを浮かべて
「事件って人聞きの悪い……、それにオープンキャンパスの時、私は何もしていません。仮に全てがそうだとして、今から"仕掛け"を探しに行こうとしても無駄ですよ。だって事件は学園で起きませんから」
「……!!」
直は明美の言葉に驚く。動こうとするが思いのほか腕を掴んでいる明美の力が強い事にさらに驚く。
学園で事件が起きないとすれば、明美の狙いは今仕入れに出かけている三人。
「なぜだ、なぜそこまで……」
「清水さんを葵塚大学に入学させることで麻雀部を発展させる。葵塚大学の名物が一つ増えればこの学園の繁栄にも繋がる」
「聞きたいのは目的じゃない、動機だ。なぜそんなに裏でいろいろやってまで学園のためと……!」
明美のいたずらっ子の笑みはここで消えた。
「そうですね……。立花先生とは今度も仲良くやって行きたいと思うので、そろそろ教えないといけないですね……」
明美はワイシャツの何かを取り出そうとしたが、一度その手を止めると
「立花先生って、中学のとき何をしていました?」
と、真顔で直を見つめてきた。
「あ? 私は親とケンカばかりしていたけど……」
明美は安心した表情をすると
「そうですよねぇ、本当に見た目通り……」
「ケンカ売ってるのか?」
直の口調がいつも通りになった。そう確認した明美は改めてポケットに手を入れる。取り出したのはひしゃげた青い眼鏡。曲がっている故にポケットに入れたのだ。
「ここに何か入っているって思っても見なかったでしょう? 特別にこれが入っても目立たないようにポケットをもっと内向きにするように注文しているのですよ」
「それほどまでに大切なものなのか?」
明美は「はい」と頷くと
「だってお母さんの形見ですもの」
明美が物心ついた頃にはすでに父親はいなかった。
「お父さんは頑張りすぎて頑張りすぎて、遠くに行っちゃったの。疲れた、って」
明美や妹達の問いに母親はいつもこう答えた。それが「過労死」だと知るのはもっと後の話。
母親は父親の会社から振り込まれる賠償金と、自分が汗水働いて稼いだお金で五人を育てた。
しかし、その努力は明美が中学三年生・高校進学の直前に断たれる。
母親を轢いた車を運転していたのは、明美と同い年の少年だったらしい。
「それが誰で……どうして車を運転していて……今何をしているかはもうどうでもいいんです」
この事故により明美と四人の妹は孤児となった。
「まあ、貯金と家はあったんで……、当面の生活には困らなかったんですけど、これからどうするかは……」
自分を含めて五人が独り立ちできるまでには貯金だけでは足りない。今の家を売りどこか家が安いところに引っ越して自分は働こうか、明美は推薦合格が決まっていた葵塚学園に辞退を申し出た。
ところが学園はこれを認めなかった。学園は明美たちの住む家を探し、学費は無利子の奨学金という形で援助する。
「もちろん、四人の妹も奨学金です。その時持っていたお金と……」
「……うん、お金と……相談して……。まあ……、お金よりも五人でなんとか勉強しながら生きていける環境作ってもらえのがありがたかったなぁ……って」
その相談を最も受けてくれたのは今の校長であった。当時は一教師と一生徒であった関係が今では校長とそれを支える教頭だ。
こうして五人は葵塚学園を無事卒業、ある者は大学進学・ある者は卒業後就職と進路は違うものの、今では全員葵塚市のどこかで働いて少しずつお金を返す生活を過ごしている。寝起きと食事は今でも皆一つ屋根の下。
「だから私……、いや私達にとってこれは恩返しなんですよ。学園の発展が私達にとって一番の恩返し。だから誰にも邪魔をさせない」
これまで大人しかった明美の表情が真剣なものに変わっていく。直をしっかりと前に見ると
「外で麻雀部を広める前にまずは学園と大学で麻雀部を確実なものにしないと! 麻雀に関してはこれが一番だと私は信じている!」
「そ、それと清水の進路とは……」
直がたじろぎながらも反論するが。
「彼女には悪いですが、これが学園にとって、葵塚大学にとって、学園の麻雀部にとって一番の道だと信じている! だから私は今日のことも止めない!」
明美は直の両肩をしっかりと掴むとさっきの叫びとは違って恐ろしいほど落ち着いた声で
「恨みたいのなら恨んでください」
そう言い終えると直の右腕をくぐり抜け、歩き出す。
呆然と見送る直だったが、和平たちに危険が迫っていることを思い出す。
そのタイミングを狙っていたのか
「立花先生」
と、振り向く明美の表情はいつもの「教頭」としての明美であった。
「これを立花先生に渡しに行こうと思っていたのですが、さっきの『壁ドン』のせいでつい忘れていましたわ。これ、先生が担当される分です」
彼女が渡したのは「ミス葵塚学園コンテスト」に関して直が面倒を見ている部やクラブへの「敗者復活のお知らせ」。二枚あるがそのうちの一枚は麻雀部宛てだ。
「立花先生、今日中に知らせて明日までに立候補させるようにしてくださいね。あくまでも麻雀部の顧問になった"表向きの理由"をお忘れなく」
明美は今度は振り向くことは無かった。直は手渡されたプリントを廊下に叩きつけようと手を挙げたが。
「くそーっ!」
と、振り下ろすだけだった。明美に託された仕事を放棄しては彼女の思う壺だ。それが和平たちを助けるためにしたことであれば尚のこと。
(それに今から動いても……明美のことだ、恐らく手遅れ……)
直に今できることは仕事をやり遂げて明美に付け入る隙を与えないこと――。
(その上で清水の立候補を避けるにはどうしたら……)
「し、清水さん……?」
和平の視界には一香は入っていない。
「どうしたの? わへい君」
一香には和平が見えるのに。
「小麦粉はともかく……、塩や砂糖まで今日買う必要はなかったんじゃ……」
和平の視界は今日買った調味料の袋で遮られている。
「何を言っているの。せっかくいいお塩やお砂糖が安い値段でかえるんだから、持ち帰らないと損じゃない?」
一香が意地悪そうに答えると
「それなら後で届けるように頼むって手を……」
「どんな味かみんなに知らせる必要あるでしょ?」
「そんなぁ……」
和平は情けない声を上げてしまったために、一香の
「あん子の後姿に惹かれた後で、私が照れるようなこと言った罰よ」
この呟きに気がつくことは無かった。
そんな二人がこちらにやってくることを角に隠れて待っている一人の女性。
彼女は赤い眼鏡をかけている。




