第八話 このドラはいくつあっても意味が無かった
合宿所のコックを勤めるシロスキーは、言葉の発音は怪しいものの、料理の腕は確かである。
近隣の山から取れる山菜・沢より捕った小魚・葡萄を初めとするこの県の名産品である果物――それらの全てを「和食」に変えて夕食のテーブルに載せてきたのだ。
「メインは冷やしほうとうデース」
冬の料理というイメージがある「ほうとう」を涼しいつけ麺風にして出す。そして砂糖で煮詰めた白葡萄を最後に添える。
「これと食べれば、だし汁のしょっぱさからしばし解放されマース!」
同じ味が続いて口が飽きないようにするための配慮だ。
「いやー、旨かったなー」
食堂を出た和平は満足そうに呟く。
「『料理の腕があればどこへでも行ける!』と、彼は料理の道を進んだようですね」
純が後ろ手に和平の隣を歩く。食べながらシロスキーたちの身の上話を聞いていたようだ。
「ダメポフさんの奥さんがこの国の人だったので、その縁でここを亡命先に選んだそうですよ。それまで和食なんて作ったことも無かったのですが、真剣に修行したみたいですね」
通子も話を聞いていたのか、純と自分で和平を挟むようにして歩く。
亡命から十年後には、敗れはしたものの「和食界最高の料理人」と言われる「路葉十八」と料理勝負をしたという。
「……ところで二人は俺を挟んでどこへ行く気だ?」
和平は食堂を出て一つ目の角を左へと曲がり自室に戻るつもりだった。
しかし両サイドの二人(特に通子)が道を譲らず、通過してしまう。
「あれ?気づいちゃいました?」
通子がとぼけた声を上げる。
「まあな。腕は組まれてはいないが、ここまで歩みを合わせられると一種の連行だよな」
「夏の定番を森部長とやろうかと思ったのです」
純が花火セットを和平に見せる。今まで見えないように隠し持っていたのだろう。
「なるほど、線香花火か。気が利くねぇ純ちゃん」
和平がセットを手に取ると純は
「ありがとうございます」
と、律儀に頭を下げた。
「ちょっとした打ち上げ花火やロケット花火もありますよ」
通子が目を輝かせながら隠し持っていた物を見せる。
「お、おう……そうか」
純の時とは対照的に和平の反応は薄い。実はロケット花火にいい思い出を持っていないのだ。
高校一年のとき、近くの公園でロケット花火を仲間同士二手に分かれて撃ち合うという戦争ごっこをし、公園前の住民に大目玉を喰らってしまう。
幸い学校や警察に訴えられることは無かったものの、それと引き換えに真新しい畳の上で正座をしながら受けた二時間の説教を和平は忘れることができない。その証拠に心なしか足に痺れを感じる。
「先輩、後片付けが面倒だと思っていません?」
通子は和平の反応が薄い理由を誤解している。純も同じような誤解をしているようで
「大丈夫ですよ、森部長。花火対策としてこの合宿所には的が用意されていますから。そこにさえ向けていれば大丈夫です」
彼女は「こう、金属の大きな」と手を大きく広げて的を現した。
「……じ、純ちゃん? これは……的なの?」
「ええ、これが合宿所にあるロケット花火や連発式花火専用の的ですよ?」
和平が指差す先は確かに金属でできた丸い物がある。ぶら下がっているそれは二重丸が描かれていて、いかにも的に見えるのだが、枠に木でできたバチが備え付けられているのだ。
「これは的じゃなくてドラでしょ?」
「いいえ、的ですよ先輩。クロガスキーさんがそう言っているのですから」
そう言いながら早くも通子がロケット花火を発射した。
高い笛の音を出した花火は的の中心に見事なまでに直撃。ただの金属音とは思えない、まるで楽器から出たような音が鳴り響く。
「ほら、これはドラの音じゃないか」
和平に構わず、通子は三つ連続で、花火を撃つ。
三連続で鳴り響くドラの音に和平は「げえっ!」と思わず辺りを見回してしまう。
「森部長、伏兵は現れませんから安心してください」
和平の心配を察した純がその種を消す。
「百歩譲ってあれがドラだったとしてもここは合宿所、周りに家なんてありません。だから思いっきり楽しまないと損ですよ」
純の両手には「十七連発」と書かれていた花火の筒。
「二丁拳銃ではなく二丁花火です」
「あははははっ! あははははっ! あははははっ!」
遠くで純の笑い声とドラの音が聞こえてくる。
的があるからと言ってもその大きさは限られおり、数本のロケット花火が的の向こうへと飛んでいってしまった。
和平は右手に懐中電灯、左手には少量の水が入ったゴミ袋を持って一人花火の捜索へと向かう。
これに安心したのか、通子が火をつけたロケット花火が和平の頭上を通過していく。
(二人とも線香花火よりこっちの方がメインだったな)
和平は苦笑しながらも足元に広がる小石だらけの湖岸を懐中電灯で照らしていく。
まだ煙が燻る花火を二本ほど回収したところで
(ん……)
和平は宙に浮く小さな赤い炎を発見した。
(おいおいまだ消えていないのかよ……)
呆れと安堵が混じったため息を吐きながら和平はその炎を照らすと
「わへい君。隣座る?」
「し、清水さん?」
一香は皿の上に乗せた蚊取り線香片手に岸に流れ着いたと見られる大きな倒木に座っていた。しかもよく見ると京都のホテルで見せたあの浴衣を着ていたのだ。
「どうしたの? こんなところで」
「いやあ、ちょっとダメポフさんに言われたことを考えていてね」
一香は蚊取り線香を足元に置くと湖を見つめて
「ダメポフさんたちがいた国では直接的に国から『こうしなけらばならない』と言われたのはもちろん、住んでいる地域や人がそういった”空気”が広がっていたんだって」
「国の偉い人がそう言うんだからそれに従わないと暮らしていけない。だからそういう空気になるだろうな」
「そうね。今私たちが住んでいる国と違って、自由に考えて行動することが制限されていたからね」
遠くからのドラの音が途絶え、代わりに聞こえてくるのは数歩先の小石を浸す波の音。
二人の会話によって生じた二酸化炭素に釣られた一匹の蚊が煙にやられたのかその羽音を止めた。
「わへい君もあん子もこのまま葵塚大学に行くんだよね?」
一香は少し寂しそうに和平に視線を向ける。
「そうだよ、清水さんひょっとして……」
和平がとある予感を抱くと一香は首を横に振り
「ううん、文京大学に行く気持ちは変わらないよ。ただ……、『そんなふうに自由に進路を選べるあなたたちが羨ましい』ってダメポフさんが言ってたからね……」
和平はシロスキーのことを思い出した。もしかしたら彼は料理人の道を”自ら選んだ”のではないかもしれない。
「うん……、俺たちには当たり前のことだけど、自由に選べるって本来素晴らしいことかもしれないね」
「そうだね……」
そう言って微笑むと一香は再び湖面を見つめた。和平もいつしかそれに合わせる。
静かな波の音を聞いていると、不意にどこからか激しいくしゃみの音が耳に入った。
「わ、わへい君。今くしゃみした!?」
一香がわへいの腕を指でつつく
「えっ、俺じゃないけど……俺は清水さ……」
「私じゃないわ」
一香は即座に否定する。
「え、それじゃあ他に……」
和平は辺りを見回すが、二人以外に人はいない。
人以外では数メートル先の水面に一羽の水鳥が浮かんでいるのが見える。
「きっとあの水鳥がくしゃみしたんだよ」
「鳥がくしゃみするなんて聞いたこと無いよ」
「え……、あの鳥じゃなければ……」
しばしの無言の後で、一香が急に和平に抱きついた。
「し、清水さん!」
「お、お化けお化けお化けー!!」
一香は泣き叫びながら和平の胸に顔を埋める。
「私たちの誰かのくしゃみじゃなかったら、他にくしゃみするのは人のお化けしかないじゃない
「いやいやいや幽霊なんかじゃない。鳥だよ、鳥」
一香の恐怖を取り除くと同時に、少しでもこの状況を長続きさせようと、和平は自分自身にも「鳥のくしゃみだ」と思い込ませる。
しかし二人の鼓動は早くなるばかり。原因はお化けに怖がっているだけではないのだが、二人ともそれに気がつかない。
そんな二人が離れる時が来た。
「そ、そんなところで何やっているんですか、先輩!?」
「花火を探しに行ったと思えば……」
和平の帰りが遅いことを気にした通子と純が探しに来たのだ。
「あ……いや……これは……」
和平は慌てて手を振ると
「お化けがくしゃみしたのー!」
一香は顔を上げて泣きながら懐中電灯を持つ二人に訴える。
「え……」
「お化けって……」
静かな湖畔に通子と純の悲鳴が聞こえたのはすぐ後のことである。
鳥のくしゃみは私がかつて深夜の河口湖畔にて実際に聞いたものです。
私は今でもあれは絶対に白鳥(季節が冬だったので、あれは白鳥だったと思います)のくしゃみだと信じています。
そうでなければ……ねぇ……?




