第二十九話 落とし前は必要だな
「私と四郎君と三菜さんは、それぞれ中学は違えど同じ秩父地区で陸上をやっていました」
優子は涙ながらに和平・一香・直へと目を配る。四郎は対照的に俯いて目を合わせようとしない。
優子の中学は「部活動は全員参加」の方針であり、彼女は「道具を極力使わないので、手入れや購入の手間が少ない」という理由で陸上部を選んだ。
実際は足に合った靴選びやグラウンド整備・ハードル等道具の手入れという手間があったのだが辞めるわけにもいかず仕方が無く走るだけであった。
そんな彼女がとある大会で「秩父の快速」と呼ばれた色部三菜と同じレースに出ることになる。
一位でレースを駆け抜けた三菜とは対照的に優子は最下位。これを機に優子は真面目に練習に励むようになる。いつか三菜を追い抜くために。
「練習の甲斐もあって私はこの学園に陸上の推薦で入れることができました。しかしそこで私は三菜さんが陸上部にいないことを知ってショックを受けたんです……。私の走りを側で見て欲しかったのに……、と」
四郎が自分と同じ地区で三菜の走りも見たことがあると知り、優子は三菜への思いを語る。
「それを聞いて四郎君は『俺も同じことを考えていた。俺が彼女を陸上に戻してやる!』と……」
優子がそこまで言い終えたところで四郎がやっと顔を上げる。
「違う、俺が麻雀なんかより陸上のほうが彼女にとって幸せだと思っただけだ、粟田さんはたまたま彼女と同じ地区だから、知り合いなら説得に有利だろうと利用しただけだ!」
このタイミングで四郎の話を聞くと、乱暴な言い方は変わらないのに優子を庇っているように思えてくるから不思議だ。
「違うんです。私が相談したから……!」
四郎と優子、どちらが本当のことを言っているのかは本人たちにしか分からない。
確実に言えることは、陸上部をやっていた三菜は他校の陸上部員にも憧れの存在になっていたことだ。
しかし三菜は高校に入って陸上ではなく麻雀部に進んだ。憧れる者は嘆く。彼女を追ってここへ来たならばなおさらであろう。
しかしそれは三菜の罪であろうか? 答えはNOだ。
それでは三菜の不在を優子と四郎が嘆くことは罪か? これもNOだ。
誰も三菜の気持ち、二人の気持ちは否定できない。
だがその気持ちを他人にも強制的に持たせようとすると罪になる。
二人はその点を理解していなかった。
「君たちの言いたいことは分かった。しかし、俺ができることは『分かる』だけだ」
和平が独り言のような小さい声で呟く。
「俺は三菜が麻雀部にいたいのなら部長として彼女を守る」
「部長として」と言うと、「三菜が麻雀部員じゃなければ守らないのか?」と思われそうだが、それ以外の理由で守ると言えるほど彼女と信頼関係がある自信が今の和平にはない。
それに和平は部長として麻雀部を守る使命がある。
「だから三菜が陸上をやっていた証として見守ってくれないか? もちろん彼女の意志次第だけど……」
「勝手に決めるな」三菜や四郎たちに言われるかもしれない。しかし今和平が出せる答えの中で、これがお互いの気持ちを認め、保てる方法だと思う。
四郎はしばらく和平の呼びかけに俯いていたが、ふと目線だけ和平に向けると
「……それは例えば時々麻雀部に来てもいいと?」
「……彼女が嫌がらなければそれは自由なんじゃないのか?」
全ては三菜次第だ。四郎はダメでも優子ならば彼女は許せるかもしれない。
この提案をした和平の心中には優子が麻雀部に興味を持って入ってくれればと淡い期待もある。
「ま、これからの話は部長の提案でいいとして、今の話をしようじゃないか」
直が四郎の肩を叩く。
「授業をサボり、麻雀部を侮辱した『落とし前』をつけてもらうよ」
「先生、校長先生から進路希望調査表をもらったんだけど……」
校長室から杏子が戸惑いの表情を浮かべながら部室に入る。
すでに四郎と優子の姿はそこには無い。いるのは和平と直の二人。
「ああ、来年葵塚大学で麻雀部を作る予定だから、何人高校から来るか改めて確認したい、ってな」
「そういえば前回の調査は私たちが帰宅部の時……」
と、ここで杏子は一香がいないことに気がつく。
「あれ先生、一香は?」
「ああ、腹痛で廊下に倒れていた生徒二人を保健室に連れて行った」
生徒二人が誰であるかは和平と直はもちろん知っている。杏子は首を傾げながら
「保健室ってこの部室棟とは離れていませんか?」
「腹痛は建前で麻雀部に乗り込んで迷惑を掛けるのが本来の彼らの目的だったんだか、とりあえず返り討ちにして、建前どおりにしておいた」
直の回答にて、杏子は誰が来たのかを察した。
「ひょっとしてあのシメジですか!?」
「いやあん子。松岳だから」
「麻雀で負けて今までの無礼を詫びたよ。ま、『落とし前』は今つけているところだけど」
その内容を知っている和平は笑いを堪える。
「はあ……、もう麻雀部にちょっかいを出さないんですね」
「ちょっかいを出さない限りはここにも出入り自由にした。正式には部員の……特に色部の気持ち次第だが、できれば穏便に済ませるためにも和解をしたいんでね」
直は「後で密かに陸上部顧問にも話をする」とタバコを手にした。
「まあ私はみんながいいならいいんですが……、大丈夫かな?」
杏子が不安の表情を和平に向ける。
「このくらい大丈夫にしなければ大学で麻雀部は保てないよ、あん子」
和平は強い意志を杏子に向けた。部活動じゃなくても一つの組織を造り、続けるにはこの程度の困難はしょっちゅうあるだろう。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、真っ先に部室に駆け付けたのは正二だった。
「部長ー、先輩方お帰りなさーい! お土産買ってきましたかー!?」
「おう正二、冷蔵庫に入っているぞ」
和平が冷蔵庫を指差すと
「さて、あたしは陸上部顧問を捕まえに行くか」
と、急ぎ足で直は部室を後にした。
「お土産が楽しみなんて現金な子ねぇ」
「土産話も大歓迎ですよ」
杏子が呆れ声を出すと正二は笑顔で返しながら冷蔵庫の前に立つ。
冷蔵庫を開けた正二の叫びは廊下を歩く直に聞こえたであろうか。
「チョコレート八つ橋だ! 俺大好き!!」




