第十話 余裕は持たないほうがいい
紫峰という別名を持つだけに、近づくほどに五月晴れの青空に紫の世界が広がる。
和平たち麻雀部が合宿の場所として向かう筑波山。
それより西に住む者は毎日東の空に立つ紫の山を眺めている。
「実は私たちが住む葵塚市からも見えないことは無いんだけどね」
一香が広がる紫を見ながら呟く。
「ああ、ひょっとしてファミリーランドの丘から見えるあれですか」
あのファミリーランドには既に二桁は通っているであろう通子が相づちを入れる。
しかし、一香はそこへは行ったことが無いのか、肯定も否定もせず。
「ただ離れすぎているから、小さな紫の塊にしか見えないんだ。ここまで綺麗な紫なんて近くに住む人にちょっと嫉妬するわ」
残念そうに言いながら、窓におでこをつける。
「この辺りに住む親戚が言うには、朝日が昇る時間帯は、濃い紫色になるらしいですよ」
一香の後ろに座る純もおでこを窓につける。
やがて紫の世界は木々が色づく濃い緑色の世界に変わる。
周囲の田畑も登山客目当ての建物へと変わっていく。
登山と言うので歩いて登るのかと思えば、ケーブルカーに乗ってあっと言う間に山の上。
「ここが山頂ではないよな……」
和平が駅から降りて辺りを見回す。駅の前を登山道が横切っており、その両端とも山頂が見える。
「左側の低いほうが男体山右側の高いほうが女体山だそうだ」
直が地図を開いて説明。この駅は二つある筑波山山頂の間にあるようだ。
「じゃあやっぱり登るのは高いほう、女体山ですね!」
通子が右の山頂へ走り出す。
「通子ちゃん、走ったら高山病になっちゃうよ!」
純が早歩きで後を追う。
標高八百五十メートル代では山道を走っても高山病にはならないが、危険なことには変わりは無い。
「筑波山が合宿施設に選ばれたのは、女子高だからかな……」
和平が先を急ぐ二人を見ながら呟くと
「そっかー、女体山つまり女性のほうが高いから女子高ってことね、和君面白いこと言うね」
凛が微笑みながら和平の肩を叩く。
(えっ、俺そんな面白いこと言ったっけ!?)
別に冗談を言ったわけではないのに、凛には冗談に聞こえたらしい。真面目な話がボケに聞こえるほど言った当人にとって悲しいものは無い。
「ほらほら二人とも、山登りなのにここで山頂へ行かずじゃ山登りは終わらないよ」
杏子がいつまでも歩かない和平と凛をせかす。
山道を見れば、すでに一年生二人と正二・直が並んで山頂に向かっており、その手前で一香が立ち止まってこちらを見ている。
「そ、そうだな。ここまで来ててっぺんまでいかないんじゃもったいない」
「そうね、行こうか」
山頂へは十分もせずに着いた。
「綺麗ね、わへい君」
「そうだね、清水さん」
一香の隣に立ち、彼女と同じ方向を見る。
眼下に広がる関東平野。畑や水田を縫うようにして通る道路。その先には春霞にぼやけながらも見える東京のビル。
季節によってはそのビルの先にある富士山も見えるらしいが、この季節では霞の中だ。
「私たちの葵塚学園も見えますかね」
彩が転ばないようにと両手をつきながら葵塚市のある方向を眺める。
「いくら大きい学校だからといってここからは……ないんじゃないかな? 彩ちゃん」
三菜が彩の隣に座る。
「機械の力を使えば出来ないことは無い!」
後ろからの大声に和平ら四人が振り返ると、双眼鏡を手にした直が。
「そ、それで……見えました? 先生」
一香が尋ねると
「見えん! 金返せ!」
と、怒りを振りまきながら(おそらく相手はこれを買った店の人だろう)双眼鏡をしまった。
「みんなー、こっち側は海が見えるよー」
そんな直の怒りを知らない反対側から、杏子の明るい声が聞こえてくる。
ロープウェーで山を降りた後は筑波山の北西にある合宿所へ向かう。
そこで夕食を食べ、食器を片付ける頃にはすっかりと日が落ちていた。
「ここからは自由時間だが、お前らはこんな話を知っているか」
食事後に集まったミーティングルームで直がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
この辺りは戦国時代、とある豪族の土地だった。
当時の当主は槍の名手として知られており、館に道場を建てて弟子たちに槍と剣術を教えた。
道場には教えを請うものだけではなく自分の強さを見せつけたいと挑む者――いわゆる道場破り――もやってくる。
相手をする当主は道場破りに対し容赦なく己の腕と技を奮い、勝った。
敗れた者の何人かは彼の弟子になったが、試合に敗れて命を落とした者も少なくはない。
その死体は道場の裏に埋め、その上に一人一体ずつお地蔵さんを立てたという。
「ま、その道場跡にこの合宿所を建てたんだけど……」
「いやーっ、いやーっ!」
直が言い終える前に彩が悲鳴を上げる。
「いや……、先生それはシャレにならないですよ……」
正二も顔が引きつっている。
「夜中トイレに行けないじゃないですか、責任とって下さいよ!」
通子も苦手のようだ。
和平はその手の話はあまり恐怖を感じない。
(確かに怖いことは怖いけど……、みんなオーバーだなぁ……)
三菜は話をした直を睨み、凛は目は相変わらず目が細いが口元が引きつっている。
純は眼鏡を一生懸命拭いてるし、一香は目を思いっきり瞑っている。四人とも直の話が怖いのだ。
和平の見る限り、怖がっていないのは杏子だけ。
「この合宿所の裏に湧き水が出ているんだが、誰か二人で汲んで来い」
「先生、それって……」
一香が声を上ずらせながら直に聞こうとするが続く言葉が出てこない。いや、出したくないのかもしれない。
「大丈夫だ、清水。お前には行かせない。ちょうど怖がらないやつが二人いるからな」
そう言って直は和平に視線を合わせると、さっきよりさらにいたずらっ子の笑みを見せた。
「森、三石、二人で汲んで来い。怖くないお前らなら『肝試し』じゃないだろ?」




