第149話 開かれた道
記録の上では、閉ざされているはずの道。
その事実を突きつけられ、しばらく誰も口を開かなかった。
「記録がおかしいのか、それとも……」
セーラの言葉が途切れる。
記録が間違っていただけなら、まだいい。
だが、本当に一度は塞がれていたのなら――誰かが後から、この道を開けたことになる。
「兵を一人、こっちへ」
ラドが短く命じると、少し離れた場所で待機していた獣人兵が駆け寄ってきた。
「この鉄格子の鍵だ。管理記録も一緒に持ってこい」
「はっ」
兵士が居館の方へ走っていく。
「鍵まで記録してるのか?」
俺が尋ねると、ラドは頷いた。
「閉鎖区画の鍵だ。持ち出す時は記録を残す」
「じゃあ、記録がなかったら合鍵か?」
ヒルダが聞く。
「それだけとは限らない」
ラドは錠前へ目を落とした。
「正規の鍵を記録を残さず使ったかもしれない。記録そのものを消した可能性もある。錠を別の方法で開けたかもしれない」
さすがに、そこは決めつけない。
分かっているのは一つだけだ。
セドルの匂いが、閉鎖されているはずの鉄格子の向こうへ続いている。
* * *
しばらくして、兵士が戻ってきた。
手には古びた鉄の鍵と、一冊の帳簿を持っている。
「鍵は保管場所にありました。こちらが、ここ半年の持ち出し記録です」
ラドが帳簿を受け取り、頁をめくる。
数枚確認したところで、その手が止まった。
「……ない」
「何が?」
「ここ半年、この鍵を持ち出した記録は一度もない」
バドが眉を寄せる。
「なのに、セドルの匂いは中へ続いてる」
「ああ」
ラドは鍵を見た。
「鍵がここに残ってるからって、誰も開けてない証拠にはならない。だが少なくとも、正規の手順で使われた記録はない」
「余計に怪しいですね」
ライアンが静かに言った。
ラドは鍵を錠前へ差し込む。
乾いた金属音のあと、錠が外れた。
「中へ入る。だが、足元を踏み荒らすな」
鉄格子の向こうは暗い。
松明だけでは、足元と周囲を同時に確認しながら進むには心許なかった。
「なら、これを使おう」
俺はマリエクを開く。
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アイテムボックスから八つのヘッドライトを取り出した。
「今度は頭につける明かりなのだ?」
ユナがすぐに覗き込んでくる。
「ああ。これなら両手が空く」
俺は一つを額に着けてスイッチを入れた。
白い光が、鉄格子の向こうまで伸びる。
「おお……!」
バドが目を見開いた。
「火も使ってねえのに、明るいな」
「角度も変えられる。足元を見る時はこうだ」
残りを全員へ渡す。
ユナは耳に当たらない位置へ何度かずらしながら装着し、光が自分の視線と一緒に動くのを見て目を丸くした。
「顔を向けた方が光るのだ!」
「便利だろ」
「また変なのを持ってるのだ……」
褒めているのか呆れているのか分からない。
先頭はヒルダとユナ。
その後ろにラド、俺、ライアン、セーラ。
バドとバルクが最後尾で背後を警戒する。
兵士には入口を確保してもらうことになった。
ラドが鉄格子を押し開ける。
ぎ、と錆びた蝶番が鳴った。
湿った空気が流れ出してくる。
「行くぞ」
ヒルダとユナが先に進み、俺たちは二人が踏んだ場所を一列で辿る。泥に残った痕跡へ、新しい足跡を重ねないためだ。
俺たちは一人ずつ、旧排水路へ足を踏み入れた。
* * *
ヘッドライトの光が、湿った石壁を白く照らす。
中は低い。
大柄なバルクとバドは、少し身を屈めて進んでいる。
床には泥と砂が薄く溜まり、石壁から染み出した地下水が端を細く流れていた。
二メートルほど進んだところで、ラドが足を止めた。
「あった」
先ほどファイバースコープ越しに見つけた、骨製の小さな飾りだ。
ラドは直接手で触れず、布越しに拾い上げる。
切れた革紐がぶら下がっていた。
「間違いない。セドルのだ」
飾りを布で包み、ラドは懐へ入れた。
さらに進む。
三メートルほどの場所には、泥を横へ擦ったような跡。
その先には、新旧いくつもの足跡が重なっている。
やがて、ファイバースコープでは届かなかった曲がり角へ辿り着いた。
「記録じゃ、この少し先を石で埋めたことになってる」
ラドが低く言う。
数歩進む。
そして、全員が足を止めた。
壁があるはずの場所に――道があった。
「……開いてる」
セーラが呟く。
通路を塞いでいたらしい石材は、左右の壁際へ積み直されていた。
一つ一つが大きい。
適当に投げ出した様子でもない。
人が通る幅を残し、崩れないように積まれている。
ライアンが石へ顔を近づけた。
「今日動かしたものには見えませんね」
石の隙間には湿った汚れが入り込み、何枚かには黒ずんだ水垢までこびりついている。
床にも、石をどかした直後に残るような新しい泥の乱れや削り粉は見当たらない。
バドも積まれた石を睨む。
「セドルが今日になって慌てて開けた道じゃねえな」
「ああ」
ラドが答えた。
「ただ、いつ開けられたかまでは分からない」
本当に二十年前の閉鎖後に誰かが開けたのか。
そもそも記録どおりに塞がれていたのか。
そこはまだ分からない。
だが、少なくとも――今、この道は人が通れる状態で維持されている。
「一度きりの逃走用じゃなさそうですね」
ライアンが壁際の石を見ながら言う。
「さっき見た古い足跡もある。この状態なら、以前から使われていた可能性が高いです」
ただの抜け穴じゃない。
閉ざされたことになっている道を、誰かが人知れず使い続けていた。
その事実が、じわじわと重くなってくる。
「先へ行くぞ」
ラドの声で、俺たちは再び歩き出した。
* * *
通路は奥へ続いていた。
先頭のヒルダとユナが、時折足を止めて匂いを確かめる。
しばらく進んだところで、ユナの耳がぴくりと動いた。
「……匂いが増えたのだ」
「増えた?」
「ああ」
ヒルダも鼻を鳴らす。
「セドルとは別だ。もう一つ、薄い匂いが混じってる」
「誰か分かるか?」
ラドが尋ねる。
ヒルダは首を横に振った。
「そこまでは無理だ。知ってる匂いでもねえ」
ユナも頷く。
「種族も分かんない。でも、ちょっと変なのだ」
「何が?」
「鉄みたいな匂いが混じってる」
血の生臭さとは違う。
古びた金属を触った時のような、薄い鉄の匂い。
ヒルダも同じものを拾ったらしい。
「確かにするな。こいつを目印にすりゃ、セドルとは分けて追えそうだ」
それなら十分だ。
少し先で、ライアンがしゃがみ込んだ。
「ここを見てください」
泥の上に、新しい足跡が二種類ある。
一方の足跡へ、ヒルダが鼻を近づけた。
「こっちにセドルの匂いが重なってる」
「なら、もう一方が鉄の匂いの奴か?」
バドが聞く。
ユナが慎重に匂いを確かめる。
「たぶん。こっちに、その匂いが強いのだ」
ライアンが二つの跡を目で追った。
「少なくとも、この辺りでは同じ方向へ進んでいます」
二種類の足跡は、しばらく並ぶように奥へ続いている。
途中には、ファイバースコープで見た泥の擦れ跡もあった。
「一緒に歩いてたってこと?」
セーラが尋ねる。
「可能性は高いです。ただし、自分の意思で一緒だったのか、連れられていたのかまでは分かりません」
ライアンの答えに、ラドも頷く。
「決めつけるな。セドルが仲間と逃げたのかもしれない。逆に、こいつに連れ出された可能性もある」
バドが舌打ちする。
「結局、まだどっちもあり得るってことか」
「ああ」
ただ、一つだけ前よりはっきりした。
セドル以外にも、この道を使った誰かがいる。
そして、この道自体も、以前から何者かに利用されていた可能性が高い。
俺たちは足跡を追い、さらに奥へ進んだ。
しばらくすると、通路の幅が少し広くなる。
ライアンが壁を見上げた。
「排水路にしては、ずいぶんしっかり造られていますね」
ラドが答える。
「昔は排水だけじゃなく、緊急時の避難にも使う道だったらしい。今の水路と避難路が整備されて、使われなくなった」
「なら、この先は?」
「本線は外壁側へ続く。ただ、途中に保守用の枝道がいくつかある」
その言葉が終わるより先に、ヒルダとユナが同時に足を止めた。
「どうした?」
ヒルダが前を睨む。
「道が分かれてる」
* * *
進路が左右へ分かれる三叉路だった。
ラドが左右を見比べる。
「右が旧避難路の本線だ。このまま行けば外壁側へ出る。左は保守通路で、居館側の地下へ戻る」
「匂いも分かれてるのだ」
ユナが右へ鼻を向けた。
「セドルはこっち。すごく薄いけど、まだ続いてる」
「じゃあ、もう一人は?」
ヒルダは答えず、左側へ数歩進んだ。
鼻を鳴らす。
「……こっちだ」
「鉄の匂いか?」
「ああ」
セドルと、もう一人。
二人の痕跡は、ここで分かれている。
ライアンが泥へヘッドライトを向けた。
「足跡も見てください」
右へ向かう跡。
左へ折れる跡。
セドルの匂いが重なる足跡は、そのまま右へ続いている。
もう一方は、三叉路の手前まで同じ方向へ進んだあと、ここで向きを変えていた。
泥の上に、足を切り返したような跡が残っている。
「こっちの爪先が左を向いてます」
ライアンが言う。
「左から来た跡じゃありません。少なくとも、この跡はここで左へ曲がっています」
ヒルダが左の通路を睨んだ。
「匂いも同じだ。鉄臭い方は、こっちへ続いてる」
ラドの表情が変わる。
「左はガルムの内側だ」
誰も声を出さなかった。
バドが低く言う。
「じゃあ、セドルを逃がした仲間が戻ったってことか?」
「まだ決めつけるな」
ラドが即座に返す。
「逃がした奴かもしれない。連れ出した奴かもしれない。セドル自身が協力していた可能性も残ってる」
ライアンが三叉路の足跡を見たまま言う。
「ただ、セドル以外の誰かがここまで来て、その人物が内部側へ向かった可能性はかなり高いですね」
「ああ」
ラドが左の暗闇を睨む。
「セドルだけ追ってる場合じゃない」
セドルの匂いは、ガルムの外側へ続いている。
だが、もう一人は違う。
そいつもセドルと同じ区間を通り――この三叉路から、別の方向へ進んでいる。
そして、ガルムの内側へ向かった。
セドルが犯人なのか。
協力者なのか。
それとも、何かを知ったせいで連れ出されたのか。
まだ分からない。
だが、一つだけはっきりした。
この秘密の道を使ったもう一人は、セドルと同じ外側へは向かっていない。
そいつの痕跡は――今も人が暮らす、ガルムの内側へ続いていた。
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