十一話「ハロウィンの笑顔」
今は眠りの時間である深夜1時。
7畳のあなたの部屋は、今や激狭イロモノ動物園。
まずは16匹のオタマジャクシおばけ達。
彼らはぷかぷかと浮かんで眠り、
お腹をかいたり鼻ちょうちんを膨らませたりとユニークです。
次にソファで眠る二柱の天使、トリエルにガブリエルママ。
布団がかけられその中で抱っこしあって寝ています。
部屋の隅では元悪魔バアルゼブルが、
壁に寄りかかる姿勢で寝ている……
いえ、休憩している状態でしょう。
元とはいえ悪魔の習性か、安眠はしないようです。
軽い睡眠を連続で取って、常に警戒しているのでしょう。
そして最後にあなたの、あなただけの守護霊ピピ。
彼女は霊体のために睡眠が不要。
そのためあなたに寄り添う形で宙に浮き、
うっとりしながらその寝顔を見つめています。
「ずっとお傍で眺めていたいです……」
バアルゼブルはさすがに見ないフリをしているのか、
そこは気を使っているようです。
ピピに見守られながら、ちょっと重いものを感じつつも、
あなたは深い眠りにつきます。
…………
時刻は早朝5時。もうすぐ起床の時間です。
あなたが眠りから覚めるパターンは主に3つ。
・6時のアラームで覚醒する(レア)
・ピピの声とタッチで目覚める(ノーマル)
・アンポンタンの体当たりで起きる(ノーマルその2)
今まではこのどれかでした。
しかしここで第四のパターンが生まれました。
…………
ドギューーーン!!!!
「グェェェェッ!!??」
その強烈な痛みで目を覚ますと、
青いユニフォーム姿のアッチが他のおばけと抱き合っております。
♪デーテテレーテ! デーテテレレー!
こんな軽快な音楽まで付けて。
その後ろには笑顔のバアルゼブルが……
あなたは一瞬で状況を把握します。
「あんのドS悪魔執事が……」
「失礼。彼らがどうしても
私のリフティングを見たいというものでしてね」
「嘘つけ!!」
「失敬な。嘘ではありませんよ。ほらこの通り」
するとバアルゼブルは再びアッチで
華麗なリフティングをはじめます。
しかし……バシュッ!! と勢いよく蹴り上げると……!!
それが天井で跳ね返って……
ぐにーーーーーーん………ドギューーーーン!!!
頭にゴーーーール!!!
おばけ達も大喜び!!
♪デーテテレーテ! デーテテレレー!
「失礼。つい興がのってしまい」
「絶対わざとだろ!!!」
「いいえ、わざとではありません。悪気はありましたが」
「それをわざとと言うんじゃい!!!!」
「ククク……遊び心のないお人だ」
「やかましい!!」
ここで数少ないあなたの味方、
ピピがスーッと寄ってきてくれて
「大丈夫ですか……?」と優しい声で頭をよしよし。
彼女の冷たい手が癒しになります。
バアルゼブルに十字架は効くのか……?
ピピの手の冷たさを感じなら、あなたはふと考えますが……
「ちなみに十字架、聖書、
マリア像の類は通用しませんのであしからず」
効かないみたいです。
「…………」
「おふぁよー……」とここでトリエルが目を覚ましますね。
その手には縁日でガブリエルママが
ゲットしたヒヨコのぬいぐるみがあります。
トリエルは右手人差し指で、
赤と茶色のオッドアイをゴシゴシとしています。
「……ん!?」
ここであなたが、トリエルの違和感に気が付いたみたいです。
「お前、いつから目の色が変わったんだ?」
そういってあなたはスマートフォンの鏡アプリを使い、
トリエルに見せると、彼女も興味津々です。
「ホントだー! でもちっちゃい頃はこの色だったよー」
「つまり元に戻ったのか……?」
「わかんなーい」
茶色の目と言えばあなたには心当たりがあります。
恵美です。
お盆においてかの女性…桜井美恵との会話で、
そして力の発現でトリエルの生前は、
桜井恵美という少女だったことが確定しています。
これまでも恵美はトリエルの中で、
あなたの危機に対して魂を燃え上がらせ、
その真の権能「笑顔」を使うことで
あなたを含めた周囲を助けています。
その際のトリエルは生前の恵美の姿をとり、
髪と目の色が茶色になるのです。
「お盆での願い事の影響で変わったのか…?」
あなたはそのようなことを考えていました。
お盆でのあなたの願いは
「桜井美恵という女性の娘の魂を呼んで欲しい」でした。
その娘は恵美、
つまるところトリエルの中で眠る少女なのですから、
呼んで欲しいという願いは叶ったわけですが、
眠っていたそれを「呼んだ」結果、表に出てきたのでは……
あなたはそう考えました。
「小さい頃は今と同じオッドアイだったみたいだしな……」
特に害もないしいいか。
あなたは深く考えるのを止め、
トリエルの中の恵美を見守ることにしました。
――――
昼下がり、あなたの部屋には、かぼちゃの甘い匂いが広がります。
「今日はハロウィンなのでパンプキンパイを作りました」
ピピがそう言ってテーブルに焼きたてのパイを運びます。
これにはおばけ達も興味津々で、それ自体は食べない彼らですが、
美味しそうに香りを嗅いでおります。
なんとも癒される光景です。
「ぱろぴーん?」
「食いながら喋るな!!」
「ハロウィンというのは……ええと」
ピピが説明に困っていると、バアルゼブルが助け舟を出します。
「ハロウィンとは夏の終わりに死者の霊を迎え、
同時に現れる悪霊から身を守るため、
火を焚いたり仮装をしたりして魔除けをするお祭りですね。
もっとも、近年では
ただの仮装大会に成り下がったりしておりますがね……ククク」
「なにそれ面白そー!」
「おのれは仮装の必要はないじゃろがい!!」
「あら、たまには意見が合いますね」
とここでガブリエルママがトリエルを抱っこします。
「トリエルは仮装などしなくても十分愛らしい天使ですからね」
「お、そうだな」
あなたはその会話を流しましたが……
「ハロウィンやりたーい!!」
「ククク……面白そうですし、やりましょうか」
「ピピも……実は少し興味があります」
しかし周りが囲まれました。
「はあ……散歩するだけだぞ」
コンビニ袋が膨らみそうな程のため息を吐きながらも、
あなたは仕方がないので付き合うことに。
一抹の不安を抱えながらも。
――――
昼下がりの近所の住宅街を、あなたはイロモノを連れて歩きます。
天使が二柱、宙に浮くおばけ、美少女の幽霊、元悪魔。
万年ハロウィン状態がデフォルトのあなたは
今だけ町に馴染みます。
「すごー……あの仮装クオリティ高過ぎ」
「まるで本物みたい……」
「あの翼のクオリティ高ーー」
本物なんだよなあ……などとは言えず、
苦笑いをするしかないあなたはそのまま歩みを続けますが、
ある民家の表札でその足が止まります。
――桜井。
生前のトリエル、つまるところ桜井恵美の生家、
そして桜井美恵が今でも暮らす家です。
あなたは直ぐにそれを察し、離れようとしますが、
それを知ってか、バアルゼブルがわざとらしく手を叩き、
トリエルに入れ知恵をします。
「そうそう、トリエル様トリック・オア・トリートという言葉を
ご存知ですか?」
「なにそれー?」
「お菓子をくれないといたずらするぞという意味で、
ハロウィンの日に子供は民家を回ってそういうのですよ」
「イタズラしていいの!?」
「いえ、お菓子が通常は貰えます。試されてはいかがです?」
「うんー!!」
あなたはバアルゼブルを睨みつけますが、
彼は背中で腕を組み、涼しい顔で微笑みます。
ピンポーンとインターホンが鳴らされ、女性が出てきます。
「トリック・オア・トリートー!!」
トリエルはニコニコ笑顔で手を出してお菓子の催促をします。
美恵はトリエルを見ると一瞬寂しげな表情を浮かべますが、
何かを感じたのか、直ぐに笑顔を作り……
「まあ可愛い天使のお嬢さんね。どうぞ」
と室内にあなた達を案内します。
…………
「良かったんですか……俺達まで」
あなたのその問いに美恵は何も答えず、
無言で軽くうなずきます。
「この女性は気付いてるな……」
バアルゼブルの言う通り、あなたは確かに勘に優れている。
美恵はトリエルの正体を知っている、
あるいは確信しているとあなたはそう直感しました。
他人の空似ではない。
実の母だからこそ感じる何かを既に得ているのだと。
バアルゼブルもそれを察したから
トリエルをけしかけたのでしょう。
事実美恵は以前トリエルが
転生天使だということを偶然耳にしています。
その際に、茶髪のトリエルも見ているのです。
それだけならまだ、夢物語で済ませることが出来たでしょう。
しかし、お盆での接触はその夢を打ち破り、
確信という現実を美恵にもたらします。
美恵が案内した先、そこはリビングで
奥には仏壇と遺影がありました。
やっぱり気付いていたか……とあなたは心の中でそう呟きます。
仏壇の遺影、それは生家のトリエル、桜井恵美。
茶色髪の6歳程度の少女でした。
仏壇には恵美が好きだったであろうアニメ
「ハートフル・キュアプリ」の玩具があります。
そして中央にはあの木箱、お手製のびっくり箱もあります。
美恵はキッチンへ消えると、
しばらくしてポテチとコーラを出します。
おそらく仏壇にあげるストックでしょう。
恵美の好物だったお菓子であることがうかがえます。
「お嬢ちゃん、ポテチとコーラは好きでしょう?」
美恵は確信を込めて言います。その声には迷いがありません。
「うん! 大好き!」
「キュアプリも好きよね?」
「うん!」
「一番好きなのは、ハートフル・キュアプリかしら?」
「そうだよー!」
「ゲームステーション3にも興味あったのよね?」
「よく知ってるねー」
「じゃあきっとすき焼きも大好きよね?」
「うん!」
「……恵美」
その声は消え入りそうなほど小さなものでしたが、
あなたにはハッキリと聞こえました。
それはガブリエルママも同じだったようで、
彼女は前に出ますが、あなたがそれを制します。
「聞かせてくれますか? 娘さんのこと」
あなたはそれを聞かねばならないと、そう思いました。
あなたが言わねばバアルゼブルが聞いていたでしょう。
これは清算なのだと、あなたはそう理解します。
トリエルを迎えたあなたと、
恵美の面影に縛られ続ける美恵との過去と現在の清算です。
美恵はおもむろに口を開き、語りだします。
「……娘は最初は1400グラムで産まれたんですよ」
――――
2009年、東京の郊外、
とある若い妊婦が急な破水を起こしました。
名を桜井美恵21歳。彼女はまだ妊娠30週目、
「早すぎる」美恵はそう焦りながらも、
初子のため帰省していた事が幸いし、祖母が直ちに緊急通報。
「絶対に助けますから!」
「大丈夫! 母ちゃんが付いてるから!」
痛いと泣き叫び、早すぎる破水に焦る美恵を
救急隊も祖母も必死に励まします。
病院に到着すると直ぐに手術室へ運ばれ
帝王切開が開始され、女児を出産します。
……が、体重はわずか1400グラム。
超早産のため彼女は無菌の保護室へ運ばれ、
十分な体重になるまで徹底管理される事となりました。
「大丈夫、絶対助かるから」
夫の直人も妻を励まし、
二人は合間を見てはガラス越しに我が子を見守ります。
「今、笑った気がする」
ふと、美恵がそういうと直人も「うん。笑った」
と二人は娘を静かに見守り、微かに笑います。
そこでふと思いついたかのように、美恵が口を開きます。
「名前は……恵美なんてどうかな……」
美恵の娘だから恵美?
いいえ、二人にとってはそこにいるだけで笑みをくれる存在だから
恵美。
その提案に直人も優しく頷き、
彼女の名は桜井恵美に決まりました。
――――
「恵美はよく笑ってくれる子で、そこにいるだけで嬉しくて、
楽しくて仕方がなかった……」
美恵の目からは涙がこぼれます。
――――
ある日の事です。
恵美はいつものように庭で遊んでいる時、
急に足が痛いと言い出しました。
足でもくじいたのかと美恵は小児科に連れていきますが異常なし。
「休ませてあげれば良くなると思います」
医師のその言葉を信じ美恵は恵美を休ませると、
しばらくして恵美は元気になりました。
それもあって美恵はすっかり信じ込みましたが、
そんなことが何度かあったある日――
恵美が「痛い痛い」と泣き叫びます。
「どうしたの!?」
美恵は駆け寄ると、恵美はこれまでよりも激しく痛みを訴えます。
「痛い……!! 痛い……!!」
――ただ事ではない。
美恵は恵美を抱き抱えると小児科へ連れていきますが――
――異常なし!?
「そんなはずない!!」美恵は声を張り上げますが、
診断結果は変わりません。医師は首を横に振ります。
この時はじめて美恵は「なにかの病気なんだ」そう思いました。
――小さなクリニックの小児科じゃダメだ。
すがる思いで美恵は夫と共に大きな総合病院へ連れていくと、
医師は言い辛そうに美恵に告げます。
「小児白血病です」
白血病……その言葉を聞き、
美恵はハンマーで叩かれたような衝撃と痛みを胸に受けます。
「助かるん……ですよね?」
その言葉に期待はなく、助かると言って欲しい……
嘘だと言って欲しいという逃避でした。
「安心してください。白血病はガンと言っても、化学療法で90%以上が助かる病です。
お嬢さんも必ず助かりますよ」
医師のその言葉に、美恵は大粒の涙を流し、
「お願いします……助けてください」と膝から崩れ、医師にすがります。
お願いします……お願いしますと、何度も繰り返して。
直人は美恵を抱き支えると、医師の聞き慣れない言葉に対して質問をします。
「化学療法とはなんです?」
「抗がん剤と言えば分かりますか? それを使います」
「抗がん剤って大丈夫なんですか? 身体への負担は?
骨髄移植ではダメなのですか?」
「骨髄移植は身体へかかる負担が大きく、
お嬢さんの年齢を考えた場合、抗がん剤による治療が適切です。
ステージ的にもそれが一番です」
「再発の可能性は?」
「現在の化学療法であればおよそ20%程度です。
仮に再発したとしても、
5年以内に70%の患者さんが寛解しています。
安心してください。必ず助かります」
医師のその説明に、二人の表情はようやく希望を見出し、
抗がん剤による化学療法を選択します。
…………
「安心して、恵美。恵美の病気はね?
90%以上の人が助かる軽いものだから。
恵美はいい子だから、大丈夫よ」
「うん。恵美、頑張るね」
「助かるから」と美恵は恵美に必死にそう言い聞かせ、
そうすることで自分も安心させようと必死でした。
美恵は心の中で「90%が……ほとんどが助かっている」
と呪文のように何度も繰り返します。
そうしなければ、不安で押しつぶされそうでした。
治療期間はおよそ2~3年。
「小学校に間に合うかな?」
「間に合うよ。大丈夫だから。恵美は強い子だから」
やがて抗がん剤による化学療法が行われ、
恵美は副作用による痛みや脱毛に耐えながら、
両親のお見舞いの際には常に笑顔を作りました。
「すぐ良くなるね」
「大丈夫。みんな助かってるから。恵美だって絶対平気よ」
その想いが通じたのでしょうか。
一年後、恵美は回復し、無事退院出来ました。
直人と美恵はすっかり安心し、
「今日はお祝いですき焼きにしましょう!」
と恵美の好物を用意します。
「恵美、キュアプリみたく強くなったよ!」
「そうね。きっとキュアプリが助けてくれたのね」
しかし、半年後、白血病が再発。
恵美は再入院しますが、短いスパンでの二度目の化学療法は
恵美の体力を大幅に奪っていきます。
「なんでこの子が……恵美が何をしたの!!!
90%が助かるって……そう言ったじゃない!!!」
美恵はただそう叫ぶしかありませんでした。
迫り来る娘の白血病の恐怖から、叫ぶことしかできません。
夫の直人は、そんな妻へのストレスから仕事に逃げるようになり、帰りが遅くなりました。
代われるものなら、自分が代わりたい。
しかし、そんな願いは叶いません。
なんで娘が……悔しくて、涙が止まりません。
…………
「ねえお母さん」
「なあに?」
「天国って……どんなところかな……」
この時、恵美は何気なくそう聞きました。
再発しても助かると聞いていたので、恵美自身はきっと平気だと。
しかし、それでも微かな不安が、
まだ死ということを完全には理解できない少女に、
このような質問をさせました。
ですが、その何気ない質問は美恵の心を大きく抉ります。
「……なんで……なんでそんなこと……聞くの……?
恵美は……恵美は助かるん……だから……助かる……から。
天国なんて……気にする必要……ない……でしょ……?」
美恵は恵美の手を握り、笑顔を作っているつもりでしたが、
目からはポロポロと涙がこぼれます。
母親のその表情を見て、この時恵美は初めて
「自分は思ってるより、ずっと重いんだ」と知ります。
「お母さんは…いつも笑顔だったのに……大丈夫だって……」
お見舞いの場では我慢していましたが、
後で恵美は恐怖でずっと泣き続けました。
「天国になんて……行きたくない……行きたくない……!
お母さんとずっと一緒がいい……!!」
その日以降、美恵がお見舞いに来るたび、
恵美の笑顔は少しずつ小さくなっていきました。
でも美恵はそれに気付かないフリをしていました。
娘は助かるのだからと……
再発しても70%以上が助かっているのだからと。
それから半年ほど経った、ある日のお見舞いの日です。
「お母さん……これ」
恵美はそう言って小さな木箱を差し出します。
「なあにこれ?」
「もうすぐお母さんの誕生日だから……」
だったらその日に……美恵はそう言おうとしましたが、
悟ってしまいました。
恵美は自分が非常に重い状態だと、
もうおそらく長くないと、そう気付いたのだと。
「大丈夫……恵美は助かるよ」
そう嘘をつくことしか出来ず、恵美も
「そうしたら、またすき焼き食べたい」
そう笑顔を見せて、嘘をつきました。
お互いに相手を悲しませたくなくて、
母娘は互いに嘘をつきました。
罪のない、悲しい嘘を。
その翌日でした。状態が急激に悪化し、
桜井恵美は亡くなりました。
「たとえ再発しても、助かる確率は統計上70%を超えている。
白血病は90%助かる病」
そう聞かされていた美恵には、
その言葉がまるでナイフのように突き刺さります。
なら、そこから「溢れてしまった」恵美は
「何かしたのか」と。
恵美のどこが悪かったのかと。
なにか悪い事をしたから、天は見放したのかと。
この世は常に「何を」ではなく、「誰が」が重要となる世界。
その非情な摂理は、一人の少女に、いえ一組の母娘に牙を向きます。
「懸命に戦った」ことは評価されず、「恵美だから」助からなかった。
そんな考えが過ぎります。
美恵は何度も自問自答しますが、その答えは出ませんでした。
享年6歳。
早すぎる死に美恵は泣き崩れ、葬儀にすら出られませんでした。
遺骨は見ることすら出来ず、逃げるように閉じこもりました。
塞ぎ込む美恵と、娘の思い出が詰まった家に直人は耐えられず、
判子が押された離婚届を置いて蒸発。
美恵はますます塞ぎ込むようになりました。
何日か経ったある日、暗くカーテンが閉じられた部屋、
美恵はふとカレンダーを見ます。
「誕生日……」
そう言えば、まだあの木箱を見ていない。
美恵は思い出したかのようにそれを開けると……
ばあーっと紙がバネのように飛び出し、おばけの絵が開かれます。
そしてそこには
「大好きなお母さんへ。いつも笑顔でいてね……えみ」
そう書かれていました。
それを見た美恵は膝から崩れ落ち、木箱を抱きしめると、
ただひたすら泣きました。
やはり恵美は悟っていた。自分の死期を。
そのうえで、なんとか母を元気づけようと
びっくり箱を用意したのです。
寂しくないよと。
それからそのびっくり箱は美恵の宝物になり、
彼女は常に持ち運ぶようになりました。
セロテープで何度も紙を修復しながら、
泣きそうになる度にそれを開けました。
何度も。何度も。
その度に笑顔を作り、生きようと悲しみに抗いました。
それが10年前です。
――――
今桜井恵美が生きていたら16歳になっています。
ちょうどトリエルの外見年齢と同じです。
お盆の日、彼女が見た茶髪の天使は
見ることが出来なかった娘、恵美の成長した姿でした。
「すみません……今日はもう帰ってください」
美恵は消え入る声でそう言います。
目の前にいる少女は娘の生まれ変わりだ。
けど娘 “本人” ではない。
その思いがこの言葉を発せさせました。
去り際、トリエルはその箱を貸してとせがみます。
美恵はしばらく黙りましたが、そっと持たせます。
「ちょっとだけ目を閉じてて」
トリエルがそういうと、美恵は何かを感じたのか、目を閉じます。
トリエルが胸に手を当てると、トリエルの両目が強く光ります。
やがて木箱にその光が移り
「もういいよ」と言ってそれを返します。
返された木箱には妙な温もりがあり、
まるで人肌のように感じました。
「後で開けてね」
トリエルのその言葉が指す意味が、
美恵にはよく分かりませんでしたが、
その夜、美恵はまるで導かれるかのように木箱を開けます。
すると……
ばあーーーー!!
そう言って茶髪の天使の笑顔が木箱から映像として現れました。
天使の映像は部屋に広がり、周囲が虹色に輝きます。
「……いつでもそばにいるからね……お母さん」
それはトリエルがはじめて「自分の意思」で使った
「笑顔の権能」でした。
美恵はまた膝から崩れ落ちて恵美の映像を抱きました。
するとその映像の恵美も、美恵を抱くように消えます。
その日から、トリエルは美恵の家に
よく遊びに行くようになりました。
お互いに正体を知りながらも、二人はお互いを思いやり、
知らないフリを続けました。
それは嘘。
本当なら美恵はトリエルを抱きしめ、
「おかえりなさい」と言いたいはずです。
もうどこにも行かないでと、そう抱きしめたいはずです。
また一緒に住もうと、そう言いたかったはずです。
けれど、恵美は現在トリエルとして、その中に生きており、
トリエルにはトリエルの帰る場所がある。
そしてトリエル自身も、美恵にこれ以上、
悲しみに囚われて欲しくない。自身を責めて欲しくない。
けど、自分はもう恵美としては生きられない。
その想いが、両者に嘘をつかせました。
母は娘の今を尊重し、
その娘は母に前を向いてほしい。泣いて欲しくない。
トリエルとして母のために接する娘と、
娘をトリエルとして受け入れる母。
かつて二人は悲しい嘘を付き合って、永遠の別れを告げました。
けれど、今ついているのは優しい嘘。
真実を話し、お互いを過去に縛り付けるより、
優しい嘘で、前を見ようと決めたからです。
両者はこれから先も、その嘘を続けるでしょう。
けれど、その距離感が丁度いいのだと、
二人はそう思い、優しい嘘の関係を続けました。
…………
「トリエルちゃん。
今度おばさんの家でキュアプリ見ながら、すき焼き食べましょう」
「うん! えへへっ! 楽しみー」
「お肉いっぱい買うから、ゆっくり噛んでね。
“むしゃごく!” はダメだからね?」
「おばさんトリエルのことよく知ってるね」
「なんでも知ってるよ。だってファンだもん」
「えへへっ! トリエルもね、おばさんの大ファンだよ」
「わたしも……ずっと……ずっとずっと……大ファンよ……」
たとえお互いの正体を明かさずとも、
そこには確かに新たな母娘の絆がしっかりとありました。
最愛の娘を失い、時が止まっていた女性、桜井美恵。
彼女の時間の時計は、ようやく新たな針が巻かれるようになりました。
翌日、美恵は長年片付けられなかった恵美の部屋を綺麗に片付け、
その窓を開けます。
新鮮な新たな空気が部屋に満ち、美恵の心にもしっかりと届きました。
「産まれてきてくれて……ありがとう……恵美」
…………
――――
次回最終話。
「全てを笑顔に」




