エピローグ 星導福音書と、終わらないスローライフ(一部完
王城の廊下を、厳かな足取りで進む集団があった。
先頭を歩くのは、豪奢な装丁が施された分厚い書物を、まるで割れ物のように大切に抱え持った赤髪の少年、レオン。
その後ろには、獣人の少女ミーアと、クラーク商会のアイリス会長。さらには、エリアーナ王女とバルド近衛騎士団長の姿もある。
彼らの顔には、一つの偉大な事業を成し遂げた達成感と、神聖な儀式に向かうような極度の緊張感が浮かんでいた。
「……ついに、完成したな」
レオンが、腕の中の重みを感じながら感無量の声で呟いた。
「ええ。先生がこの王城に召し抱えられてから、数々の奇跡を起こされた記録のすべて……。第一章『愛の守護と心理魔術』から、最終章『白き魔王と等圧線の神業』まで。一文字の漏れもなく編纂いたしましたわ」
アイリスが、誇らしげに胸を張る。
彼らが抱えているのは、この数ヶ月間で大賢者(主人公)がもたらした「現代知識という名の奇跡」を、彼らなりの激重な解釈でまとめた聖典……『星導福音書』の完成原稿であった。
「先生は、この国だけでなく、世界そのものを救われた。だが、あの方はあまりにも無欲で偉大すぎる。我々『防衛委員会』が記録を残さねば、ご自身の功績すら歴史の闇に隠してしまわれるだろう」
バルド団長が、エリアーナ王女と見つめ合いながら涙ぐむ。
彼らにとって、先生は命と恋の恩人であり、国を救った絶対神だ。その教えを後世に残すことは、信徒としての最大の義務であった。
彼らは、王城の最上階……大賢者の絶対聖域の前に立ち止まった。
かつては物理で蹴り破っていた重厚な扉を、今は神殿の扉を開くように、静かに、恭しくノックする。
「先生。第七クラスのレオンです。……お入りしても、よろしいでしょうか」
「んー、開いてるぞー」
気の抜けた声に許可をもらい、一行は息を呑んで部屋の中へと足を踏み入れた。
春の暖かな日差しが差し込む部屋の中。
そこには、シルクのパジャマ姿でソファに寝転がり、口元にクッキーの食べカスをつけたままの、この世で最も偉大な大賢者の姿があった。
そしてその隣では、かつて教会の象徴であった純白の聖女が、エプロン姿で大衆向けの恋愛小説を読みながら、優雅に紅茶を啜っている。
(ああ……! なんて気高く、そして俗世の枠にとらわれないお姿なのだ……!)
(神聖なる聖女様すらも、先生の『ちーとでい』の魔術によって、完全に魂を解放されておられる……!)
一行は、そのぐうたらな光景を前にしても、もはや「究極の悟りを開いた者の姿」として解釈する次元に到達していた。
「どうした、お前ら。揃いも揃って深刻そうな顔をして」
俺が欠伸を噛み殺しながら尋ねると、レオンが一歩前に進み出た。
そして、抱えていた分厚い書物を、恭しくテーブルの上に献上した。
「先生。俺たち『星導の大賢者・防衛委員会』の総力を結集し、ついに完成させました。先生の数々の奇跡と、世界の真理をまとめた聖典……『星導福音書』です!」
「……福音書?」
「はい! これを印刷し、我が商会の流通網を使って国中の民に配布いたします! そうすれば、一千年先の未来まで、先生の偉大なる魂と『あじゃいる』の教えが語り継がれることでしょう!」
アイリスが熱弁を振るう。
俺はソファから身を起こし、テーブルに置かれたその本を見下ろした。
金箔が押され、宝石まで埋め込まれた、辞典のように分厚く重たい本。
パラパラとページをめくると、そこには俺が適当に吐いた現代ビジネス用語のハッタリが、神の啓示のような大げさな詩に変換されてびっしりと書き込まれていた。
(うわぁ……。これ、完全に俺を教祖にしたカルト宗教の教典じゃん……。絶対に読みたくない……)
俺は内心でドン引きしながらも、大賢者としての威厳を保つために、ゆっくりと本を閉じた。
「……レオン。アイリス。そして皆も」
俺が静かに口を開くと、全員がビクッと肩を震わせ、直立不動になった。
「真理とは、紙の上に書き残すものではありません。人々の魂の中で、生き続けるもの。私という個人の記録など、星の瞬きの一つに過ぎないのです」
俺がそれっぽい言葉で受け取りを遠回しに辞退しようとすると。
「おおおっ……! やはり先生は、ご自身の栄誉など微塵も求めておられないのだ……!」
「我々の浅ましい自己顕示欲を見透かされた上で、魂に刻めと仰っているのですね!」
「この本は、我々だけで厳重に聖遺物として保管いたします!」
信者たちは勝手に感極まり、ボロボロと涙を流しながら深く平伏した。
「……まあ、せっかく持ってきてくれたんだ。一冊だけ、ここに置いていきなさい」
俺が本の上に手を置くと、レオンたちは「光栄です!!」と叫び、満足げな顔で部屋から退室していった。
扉が閉まり、再び部屋に静寂が戻る。
「先生。その素晴らしい聖典、読まれないのですか?」
聖女が小説から顔を上げて尋ねてくる。
「読むわけないだろ。……ただ、この分厚さと重さ。熱いティーポットを置くための『鍋敷き』にちょうどいい高さなんだよ」
俺がその豪華な聖典の上に、熱々のティーポットをドンッと置くと、聖女は「ふふっ、さすが先生。究極の実用主義ですわね」と笑いながらクッキーを齧った。
「さて。みんなも帰ったし、春の陽気も最高だ。俺は今から、誰にも邪魔されない至高の昼寝タイムに入る」
俺はベッドに向かって歩き出しながら、ふと、棚の奥にしまってあった古い木箱に目を留めた。
それは、俺が占い師としてやってきた初日に使っていた、年季の入ったオリジナルのタロットカードの束だった。
「そういえば、最近まったく占いなんてしてなかったな。(ハッタリばかりで」
「あら。大賢者様の星占い、ぜひ拝見したいですわ。先生のこれからの平穏な日々は、星にどう描かれているのでしょう?」
聖女の言葉に、俺は少しだけ興味が湧いた。
魔王(大寒波)も退け、権力も金も手に入れ、厄介な仕事はすべて他人に丸投げした。
俺の理想とするスローライフは、すでに完璧に完成しているはずだ。
「まあ、春の運試しだ。俺のこれからの『平和な一年』を占ってみるか」
俺はベッドの上に座り、久しぶりにタロットカードをシャッフルした。
そして、未来を暗示する三枚のカードを、裏向きのままシーツの上に並べる。
「一枚目。俺の現在」
めくったカードは『愚者(正位置)』。自由と無限の可能性。
よしよし、完璧だ。完全にしがらみから解放されたニートの俺を表している。
「二枚目。俺の近い未来」
めくったカードは『皇帝(逆位置)』と『戦車(暴走)』の重なり。
……ん?
これは占い師の知識で解釈すると、「海を越えた巨大な帝国が、圧倒的な武力をもって制御不能な侵略を開始する」という、極めて物騒な暗示になるのだが。
いや、待て待て。たまたまだ。
「さ、三枚目。俺の最終的な運命」
少しだけ嫌な予感を抱きながら、最後の一枚をめくる。
そこに描かれていたのは、『塔(崩壊)』と『悪魔(真の邪悪)』、そして『審判(世界規模の試練)』が融合したような、最悪の役満カードだった。
(えーっと。これ、現代語に翻訳すると……『お前が調子に乗って魔王を退けたりしたせいで、海の向こうのガチの軍事帝国が総攻撃を仕掛けてくるし、さらに地下に眠る本物の魔神的な何かが目覚めて、お前が最前線で戦わされるハメになるぞ』って意味だよな……?)
「……先生? どうされました? お顔の色が、先日の猛吹雪の時のように真っ青ですが」
聖女が不思議そうに覗き込んでくる。
俺は。
シーツの上に並べられた、世界の滅亡と俺の過労死を暗示する最悪のカードたちを、無言のままササッと一つにまとめ、裏返して木箱の中に乱暴に放り込んだ。
「……先生?」
「なんでもない。俺の目は何も見ていない。未来なんてものは、人間が勝手に作り出す幻だ」
俺は木箱を棚の奥深くに封印し、毛布を頭からすっぽりと被った。
「星はこう告げている。俺の未来は、ただひたすらに平穏で、誰も俺を戦いに引っ張り出したりしない、最高に怠惰なスローライフだと」
「まあ! やはり先生の奇跡は、これからも永遠に続くのですね!」
聖女の無邪気な感嘆の声を聞きながら、俺はシーツの中で固く、固く目を閉じた。
来るべき次回。
勘違いがインフレしすぎた大賢者の名声が、ついに海を越え、他国の巨大な思惑と本物の脅威を呼び寄せてしまう未来。
そんな面倒くさすぎるフラグが立っていることなど、今の俺は絶対に認めない。
「……おやすみ。誰が来ても、絶対に起こすなよ」
インチキ占い師の終わらないスローライフ(防衛戦)は、まだまだ始まったばかりである。
【第一部・完】
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一部はこれ終わりです。
二部はまだプロットしかありませんので、他作品の状況みながらゆっくり書いていきます。
ありがとうござました。




