第32話 聖女の再来と、二大権力の争奪戦
「……ふふっ。これが、これが真の勝利か」
王城の最上階。以前よりもさらに広く、豪華に改装された『星導の大賢者』専用の私室。
俺は、最高級のシルクが敷き詰められた天蓋付きのキングサイズベッドの上で、文字通りゴロゴロと転がっていた。
国王から授かった『星導の大賢者』という称号。
それは「義務は一切なし」「王権と同等の権力」「王室金庫からの無制限の小遣い」という、ニート志望の俺にとってこれ以上ないほど完璧な免罪符だった。
「もう誰にも邪魔されない。働かなくても、星を眺めてマカロンを食べてるだけで、国中の人間が勝手に俺を崇めてくれるんだ。これこそ、現代社会の社畜が夢に見た究極の上がり(ゴール)だよ」
俺は枕元のトレイに乗せられた、帝国直送の希少なフルーツがふんだんに使われたタルトを一口かじり、至福の吐息を漏らした。
第七クラスの生徒たちは、クラーク商会の物流近代化に夢中で、俺の教育なんて必要としていない。
王女とバルド団長は、俺が守った自分たちの恋路に酔いしれて、俺を「愛の守護神」として遠巻きに拝んでいる。
平和だ。あまりにも平和すぎる。
このまま歴史の教科書に「何もしなかったけど凄かった人」として載るだけでいい。
だが、そんな俺のささやかな楽園は、またしても暴力的な音と共に粉砕されることになった。
ドゴォォォォンッ!!
「……っ!? な、なんだ、今度は爆発か!?」
俺はタルトを喉に詰まらせそうになりながら、ベッドから飛び起きた。
部屋の重厚な扉が、物理的な衝撃というよりは、凄まじい神聖魔力の波動によって、内側から溶け落ちるようにして弾け飛んでいた。
「……見つけましたわ。私の、いいえ。我が教会の『魂の導き手』を」
土煙と白い光の中から、凛とした、しかしどこか狂気を孕んだ鈴のような声が響く。
そこには、純白の法衣に身を包み、背後に教会の高位神官たちを引き連れた、この国の信仰の象徴……聖女の姿があった。
「せ、聖女様……? なんでここに」
俺が呆然としていると、聖女は優雅な足取りで俺の元へ歩み寄り、そのままベッドの傍らで優雅にひざまずいた。
そして、俺の右手を両手で包み込み、熱烈な視線を向けてくる。
「先生……。いえ、我が教会の『最高位神聖アドバイザー』であらせられる貴方様。王室から『大賢者』などという世俗の称号を押し付けられ、さぞやお疲れのことでしょう。汚らわしい権力闘争の場から、今すぐ私たちが聖域(教会)へと連れ戻して差し上げますわ」
「は? いや、連れ戻すって……」
「お待ちくださいっ!!」
聖女が俺を連れ去ろうとしたその瞬間、今度は反対側のテラスから、エリアーナ王女がバルド団長を引き連れて飛び込んできた。
彼女たちは、聖女が俺の私室に乗り込んだという報告を聞き、全速力で駆けつけてきたらしい。
「聖女様! 先生……いえ、『星導の大賢者』様は、我が王国の至宝! 国王陛下が直々に王宮での永住を認められたお方です! 勝手に連れ出すなど、教会の横暴ではありませんか!」
「横暴? 笑わせないでください、エリアーナ殿下」
聖女が立ち上がり、王女と真っ向から視線をぶつけ合わせた。
バチバチ、と火花が散るような音が聞こえてきそうなほど、両者の間には凄まじいプレッシャーが渦巻いている。
「先生は王室よりも先に、我が教会の『最高位神聖アドバイザー』として女神の御心を代読してくださっていたのです。先に先生を見出し、その魂の輝きに触れたのは私たち。先生を世俗の政に利用しようとする王室こそ、不敬ではありませんか?」
「利用などしていません! 私たちはただ、先生の平穏な時間を守りたいだけですわ!」
「ならば、聖域こそが最もふさわしい。先生、今すぐ大聖堂へ向かいましょう。貴方様専用の、外界から完全に隔離された『至高の祈祷室』をご用意してありますの。そこなら、うるさい王族に邪魔されることもありませんわ」
(いや、どっちも断る! 俺はここ(このふかふかのベッド)がいいんだよ!)
俺の必死の抗議は、またしても狂信的な二大権力の口論にかき消されてしまった。
王女・バルド団長・アイリスの『王家&商会派』と、聖女率いる『教会派』。
今やこの王国は、俺という一人のニート占い師を「どちらの神」として独占するかという、不毛すぎる宗教戦争の瀬戸際に立たされていた。
「……先生。喧嘩をしに来たのではありません」
不意に、聖女が表情を引き締め、声を一段階低くした。
その瞳には、先ほどの独占欲とは違う、本物の恐怖と焦燥が浮かんでいた。
「最高位神聖アドバイザーとして……貴方様の『星の導き』を仰ぎに来たのです。教会の奥深き預言の書に、恐ろしい記述が浮かび上がりました」
聖女は震える手で、古びた羊皮紙をテーブルの上に広げた。
そこには、禍々しい赤い光を放つ星の絵と、古代文字による不吉な詩が刻まれていた。
『北の果て、白き翼が天を覆う時。古の魔王が冷たき吐息と共に目覚めん。世界は光を失い、万物は永遠の氷の中に沈むであろう』
「……白き魔王の復活。それが、教会の受け取った最新の『神託』です」
聖女の言葉に、部屋の空気が一気に凍りついた。
「魔王……復活だと!? 冗談ではありませんわ! 我が王国はようやく平和を手に入れたというのに!」
エリアーナ王女が青ざめ、バルド団長が剣の柄を強く握りしめる。
「神託によれば、すでに北方の領土では季節外れの雪が降り始め、作物が枯れ果てているとのことです。民は『魔王の呪いだ』とパニックに陥り、食料の買い占めが始まっています。……先生、どうか、貴方様の力で、この絶望の未来を書き換えてはいただけないでしょうか」
聖女が、再び俺の前に跪き、すがるような目で俺を見つめた。
王女も、バルドも、アイリスも。全員が、救世主を仰ぐような瞳で俺の言葉を待っている。
俺は黙って、聖女の持ってきた「預言の書」と、最近の星の配置図、そしてアイリスが持っていた北方の状況報告書を並べて見比べた。
(北の果てで白い翼……。季節外れの降雪……。動物たちの南への大移動……)
占い師としてのハッタリをかまそうとした俺だったが、そのデータを見ていくうちに、ある一つの可能性に突き当たった。
それは魔王の復活なんていうファンタジーな現象よりも、ある意味で恐ろしく、そして「現代の知識」があれば確信できる物理的な現象だった。
(これ……魔王の呪いじゃなくて、数百年周期でやってくる『超巨大な異常寒波』……いや、ミニ氷河期の再来(ラニーニャ現象の極端なやつ)なんじゃないか?)
古代の預言書に書かれた「白き魔王」の描写は、現代の気象学から見れば、急激な大気循環の乱れによって発生する「超低温の巨大気流」の擬人化に他ならない。
そして、聖女が「赤い星の凶兆」と言っているのは、ただの彗星の接近による潮汐力の変化が、海流に影響を与えているだけのことだ。
だが、この世界に「気象学」なんて言葉はない。
彼らにとって、冬が来ないまま世界が凍りつくのは、魔王が目覚めたとしか思えない絶望の事象なのだ。
「先生……。やはり、魔王の力はそれほどまでに強大なのでしょうか?」
バルド団長が、不安そうに尋ねてくる。
俺は、ゆっくりとベッドから立ち上がった。
そして、わざとらしく窓から空を見上げ、深く、深くため息を吐いてみせた。
「……魔王、ですか。教会の神託も、あながち間違いではありませんね」
俺がそう言った瞬間、全員の顔から血の気が引いた。
「ですが、それは剣や魔法で戦う相手ではありません。相手は『天そのもの』です」
「天そのもの……?」
「ええ。今回、星々が告げているのは、個体としての魔王の復活ではなく、世界そのものが『拒絶の冬』に入るという、冷酷な物理法則の巡り合わせです」
俺はテーブルの上の地図をペンでなぞり、不敵な笑みを浮かべた。
「聖女様。そして皆様。魔王を討伐しに行く必要はありません。我々がすべきことは、この国を『魔王が手出しできないほど、完璧に温かい城』へと作り変えることです」
「温かい城、ですか……?」
「そうです。最高位神聖アドバイザーとして、そして星導の大賢者として命じます。これより、王国全土を挙げた『冬季防災スクラム』を開始します」
俺の言葉に、聖女と王女が同時にハッと息を呑んだ。
「アイリス会長。クラーク商会の物流網を使い、国中に薪と石炭、そして保存食を高速で配備しなさい。レオンたちの『アジャイル陣形』を、全輸送ルートに適用するのです」
「は、はい! 即座に手配いたしますわ!」
「聖女様。教会を通じて、全国の教会を『避難所』として開放するよう指示を出しなさい。女神の温もり(炊き出しと魔法による暖房)を、すべての民に平等に分け与えるための、神聖ロジスティクスを構築するのです」
「……神聖、ろじすてぃくす……! なんという慈悲深い、そして論理的な戦術……!」
聖女が感動で頬を染め、俺の言葉を聖典の言葉のように必死にメモし始めた。
魔王(大寒波)との戦い。それは、勇者が剣を振るう戦いではない。
現代日本の防災知識と、物流の最適化、そして組織管理をフル動員した、人類による「冬との総力戦」である。
「私の星の導きに従えば、誰一人として凍え死ぬことはありません。……さあ、世界を驚かせましょう。戦わずして魔王に勝つ、大賢者の盤上遊戯をね」
俺がカッコよくポーズを決めて宣言すると、部屋にいた全員が、もはや神を崇めるような熱狂的な眼差しで一斉に跪いた。
(よし。これで上手くいけば、みんな忙しくなって俺の部屋に来なくなるはずだ。そうすれば、俺は暖房の効いた部屋で、ゆっくりマカロンを食べながら冬眠できる!)
俺のどこまでも自分勝手で怠惰なスローライフ計画は、皮肉にも「世界を救うための巨大な国家プロジェクト」として、凄まじい勢いで動き始めたのである。
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次回お楽しみに。




