第19話 武闘大会開幕と、VIP席の狂信者たち
雲一つない青空の下、王立魔法学園の巨大なコロシアムは、数千人の観客の熱気に包まれていた。
「すげえ人だ……。王都中の貴族が見に来てるんじゃないか?」
控室の窓から闘技場を見下ろし、レオンがゴクリと生唾を飲み込む。
第七クラスの生徒たちは、初めての大舞台にガチガチに緊張していた。
「落ち着け。お前たちがやってきた『暁の儀式』と『易経』のシミュレーションを思い出せ。相手はただの魔法の的だ」
俺が背後から声をかけると、生徒たちは深呼吸をして強く頷いた。
「皆の者、注目せよ! これより、学内武闘大会の開会を宣言する!」
学園長が闘技場の中央で魔法の拡声器を使って声を響かせると、割れんばかりの歓声が上がった。
「さらに本日は、国王陛下の名代として、第一王女エリアーナ殿下、ならびに近衛騎士団長バルド殿がご臨席されている!」
貴賓席(VIPルーム)のバルコニーに、美しいドレス姿の王女と、銀の鎧に身を包んだ巨漢の騎士団長が姿を現した。
観客席からどよめきと拍手が沸き起こる。
だが、俺の顔は青ざめていた。
(頼む、こっちを見ないでくれ……。ただでさえ目立ってるんだから……!)
俺の切実な祈りも虚しく、バルコニーから闘技場を見下ろしていたバルド団長の恐ろしい眼光が、教師席に座る俺を正確に捉えた。
「おおおおっ!! 先生ェェェェーーッ!!」
次の瞬間、二メートル近い顔面凶器の大男が、バルコニーから身を乗り出して千切れんばかりに手を振り始めたのだ。
「私です! バルドです! 本日も先生の偉大なる星の導きに感謝を!!」
さらに、その横に立つ可憐なエリアーナ王女までもが、俺に向かって優雅に微笑み、小さく手を振り返してくれたではないか。
「なっ……! 王女殿下と騎士団長が、第七クラスの担任に手を振っているぞ!?」
「あ、あのお方は、もしや噂に聞く王室直属の宮廷預言者様では……!」
観客席の貴族たちが一斉にざわめき、数千人の視線が俺に集中する。
隣に座っていた学園長が、感動で震えながら俺の手を握ってきた。
「せ、先生……! やはり噂は本当だったのですね! 王室のトップとここまで親密な関係を築いておられるとは!」
「いや、ただの顔見知りで……あの、手離してくれませんか。胃が痛いんで」
俺は引きつった笑顔で学園長の手を振りほどき、深く椅子に沈み込んだ。
目立たず、適当にサボるスローライフ。その夢は、あの狂信的な筋肉ダルマのおかげで完全に絶たれてしまったようだ。
* * *
大会は滞りなく進行し、俺の第七クラスは『アジャイル陣形』による見事な連携で、並み居る上級生や他クラスを次々と無傷で撃破していった。
そして迎えた決勝戦。
闘技場の対角線上に、ユリウス率いるエリート軍団『第一クラス』と、レオンたち『第七クラス』が対峙した。
「野外演習の屈辱、ここで晴らさせてもらうぞ。貴様らの小細工が通用しないということを、圧倒的な力で教えてやる!」
ユリウスが杖を構え、全身から凄まじい魔力のオーラを立ち昇らせる。
彼らはこの数日、血を吐くような特訓で魔力量を底上げしてきたのだろう。第一クラスの五人全員が、尋常ではない火力を秘めていることが遠目にもわかった。
「……来るぞ。全員、先生の指示通りに動け!」
レオンが低く声をかけ、第七クラスの面々は一歩後ろへ下がり、円陣を組むように身を固めた。
「試合、開始!!」
審判の合図と共に、第一クラスが一斉に魔法の詠唱を開始した。
「吹き飛べ、落ちこぼれども! 『爆炎の嵐』!!」
ユリウスの杖から放たれたのは、闘技場の半分を覆い尽くすほどの巨大な炎の渦だった。
他のメンバーも、氷の槍や雷の矢を次々と嵐の中に放り込んでいく。
それはまさに、力と力の暴力。回避不可能な大質量攻撃だった。
「ひぃっ! なんだあの火力は!」
「第七クラスは終わりだ! 炭になっちまうぞ!」
観客席から悲鳴が上がる。
だが、第七クラスは一歩も動かなかった。
「シールド、最大展開! 魔力を一点に集中させろ!」
水魔法の少女を中心に、第七クラスの五人が魔力を完全に同調させ、分厚い水の半球状の結界を作り上げた。
ドゴォォォォンッ!!
爆炎と氷が結界に激突し、凄まじい水蒸気と爆音が闘技場を包み込む。
第一クラスの猛攻は止まらない。彼らは一歩も動かない第七クラスに向かって、次々と大魔法を叩き込み続けた。
「ハハハ! どうした、防戦一方じゃないか! 結界の中で震えていろ!」
ユリウスが勝ち誇ったように笑う。
観客たちも「やっぱり第一クラスの圧勝だ」「第七クラスは手も足も出ないな」と野次を飛ばし始めた。
だが、俺はVIP席からの熱い視線を無視して、ニヤリと口角を上げた。
(かかったな、馬鹿ども)
これこそが、俺が教えた『易経』……行動経済学における『アンカリング効果』の罠だ。
人間は、最初に見た強烈な情報に思考を固定される。
試合開始から数分間、第七クラスが『一歩も動かず防御に全振りしている』という姿を見せ続けたことで、ユリウスたちの脳内には一つの強烈なアンカー(錨)が打ち込まれたのだ。
『こいつらは、防御しかできない弱者だ』と。
「これで終わりにしてやる! 俺の最大魔法で、その薄汚い結界ごと粉砕してやる!」
ユリウスが杖を高く掲げ、長文の詠唱に入った。
彼の周囲に、これまで以上の強大な魔力が集束していく。他の第一クラスのメンバーも、彼を援護するために攻撃の手を緩めない。
彼らの意識は、今や『いかにして目の前の硬い殻をブチ破るか』という一点のみに完全に固定されていた。
防御を破ることに夢中になり、自分たちの足元が完全に無防備になっていることにも気づかずに。
「……今だ!!」
結界の中で、レオンが鋭く叫んだ。
その瞬間。
あれほど分厚かった水の結界が、パチンと弾けるように一瞬で消滅した。
「……えっ?」
ユリウスの詠唱が、ピタリと止まった。
他の第一クラスのメンバーも、魔法を放とうとしていた腕を硬直させた。
防御しかしないはずの相手が、突然、自ら防御を解いて無防備な姿を晒したのだ。
『硬い殻を割る』という思考で満たされていた彼らの脳は、予想外の情報の落差に耐えきれず、完全にフリーズ(思考停止)してしまった。
時間にして、わずか〇・五秒。
だが、歴戦の傭兵でもない学生が、一度フリーズした脳を再起動させるには十分すぎる致命的な隙だった。
「もらったぁぁぁっ!!」
結界が消えた瞬間、中に隠れていた獣人のミーアが、目にも止まらぬ超スピードで飛び出した。
彼女は驚異的な身体能力で第一クラスの陣形に単騎で突っ込み、魔法の詠唱をしていた後衛の二人の足元を蹴り払って転倒させた。
「なっ……! き、貴様ら!」
我に返ったユリウスが、慌てて未完成の大魔法を放とうと杖を振り下ろす。
だが、それより早く。
「遅えよ、エリート様。お前の心は、もう俺たちの盤上の上だ」
ミーアが突撃したことで完全に射線がクリアになった後方から。
魔力を針の穴ほどに極限圧縮したレオンが、右手の指先をユリウスに向けていた。
キィィィンッ!!
空気を切り裂く熱線の矢が放たれた。
それはユリウスの身体を狙ったものではない。
彼が渾身の魔力を込めて振り下ろそうとしていた、高価な『魔法の杖』の先端の魔石を、コンマ数ミリの狂いもなく正確に撃ち抜いたのだ。
パキィィィンッ!!
「あ……」
魔石が砕け散り、ユリウスの集束していた強大な魔力が行き場を失った。
そして、彼自身の魔力が暴発し、小規模な爆発を起こしてユリウス自身を吹き飛ばした。
「ぐあああっ!?」
黒焦げになったユリウスが闘技場の床に転がる。
残された第一クラスのメンバーも、第七クラスの怒涛のカウンター攻撃(スクラムによる波状攻撃)の前に、次々と崩れ落ちていった。
「し、勝負ありっ!! 勝者、第七クラスゥゥゥッ!!」
審判の絶叫がコロシアムに響き渡った。
一瞬の静寂。
直後、観客席から地鳴りのような大歓声と拍手が爆発した。
「す、すげえええええっ!! なんだ今の魔法は!!」
「防御を解いてからのカウンター!? まるで相手の動きが完全に読めていたみたいだ!」
「落ちこぼれが、あの第一クラスを無傷で圧倒したぞ!!」
熱狂する観客席。
闘技場の中央で、第七クラスの生徒たちが抱き合って涙を流している。
そして彼らは、一斉に教師席に座る俺の方を向き、拳を高く突き上げた。
「先生ェェェッ!! 俺たち、やったぞ!! 先生の『易経』のおかげだ!!」
生徒たちの歓声に合わせるように、VIP席のバルド団長と王女殿下もスタンディングオベーションで拍手を送っている。
俺は引きつった笑顔のまま、小さく手を振り返した。
(易経っていうか、ただの心理トリックなんだけどな……)
エリート貴族の鼻を見事にへし折り、学園の頂点に立ってしまった俺の生徒たち。
これにより、俺の『神教師』としての名声は学園内にとどまらず、ついに国中に確固たるものとして知れ渡ることになってしまったのである。




