第1話 白い朝
カーテンの隙間から朝日。
帝国の片隅にある、ボロい小屋。
僕は身を起こすと、そのまま流しへ向かった。
蛇口を捻る。水をコップに注ぐ。
それをテーブルに置く。
「……おはよう、エル姉」
一切れのパンを二つにカット。
もう一つの席の前に、そっと並べた。
「はい、エル姉の分。……ちょっと硬いけど、我慢してね」
椅子に座り、姉を見つめる。
「あ、ごめん。パン、少し焦がしちゃったかな」
苦笑い。
トーストの端にある茶色い焦げ目を、指でなぞる。
「でも、エル姉はこれくらいカリカリなのが好きだったよね。昔、僕の皿からわざと焦げた部分を奪って食べた時みたいにさ。……あ、そんなに膨れないでよ。食いしん坊なエル姉も可愛いと思うよ」
食事の間も、僕は話し続けた。
独り言。
客観的に見れば、ただの狂人。
「今日、ついにジョブが決まるんだ。……大丈夫、分かってるよ。僕が狙うのは『聖人』。高位の蘇生魔法が使える唯一のジョブ。それ以外に価値はないから」
食事終了。
席を立ち、テーブルの中央に鎮座する姉の前で膝をつく。
白い花に囲まれ、朝日に照らされたそれは、滑らかな曲線を描いていた。
眼窩は空洞。鼻腔は欠けている。
かつての美しい面影なんて、微塵もない。
それは、10年前に僕が戦場から拾い上げ、今日まで片時も離さず磨き続けてきた――姉の頭蓋骨だった。
「……行ってくるよ、エル姉」
愛おしそうに、冷たい額の骨にキス。
小屋を出る。
顔を隠すように、前髪を深く下ろす。
視界が狭まる。それでいい。
10年前。
あの日を境に、僕の時計は止まった。
建国祭の夜
同盟国として招かれたヴォルガルド帝国の皇帝、ゼノス・ヴォル・アバドン。
こいつが「お祝いの品」と称して、巨大な木箱をいくつも運び込ませた。
父上も母上も、それを疑わなかった。
平和ボケ。
蛇を懐に入れていたことに、誰も気づかなかった。
「――殺せ! 一人も生かしておくな!」
ゼノスの号令。
木箱から溢れ出す、大量の兵士。
その後は、一方的な虐殺。
エル姉は、即座に腰の剣を引き抜いた。
「ユリ、私の後ろに隠れていなさい! 誰一人、ユリには触れさせないわ!」
エルミリア・フォン・クリスタリア。
この国の第一王女。僕の姉。そして、世界最強の魔剣士。
押し寄せる帝国兵の波。
だが、エル姉の剣は次元が違った。
「……私の弟に、指一本触れさせはしない!」
「はあああああッ!」
大気を引き裂く閃光。
風を纏った一撃が、帝国兵を鎧ごと両断する。
圧倒的。
まさに、戦乙女。
(大丈夫よ、ユリ。私がついている。たとえ千人の軍勢が来ようとも、この命に代えても、貴方だけは……!)
エル姉が動くたび、敵の血飛沫が舞う。
道が開かれる。
希望が見えた、その時だった。
「……エルミリア様、相変わらずの太刀筋。……実に見事です」
そこに立っていたのは、騎士団長バルガス。
王国の盾。
エル姉は一瞬、安堵の表情を見せた。
「バルガス! 助かったわ、ユリを連れて逃げて――」
「エル姉、後ろ――!!」
僕の叫び。
届かない。
鈍い音。
エル姉の胸から、血に濡れた剣先が突き出した。
「バル……ガス……貴方、何を……」
それでも、エル姉は倒れなかった。
膝をつき、溢れる血をその手で押さえながら、彼女は僕に振り返る。
「ユリ……逃げて……お願い、生きて……っ」
「エル姉! エル姉ぇ……っ!!」
僕は、ただ泣きじゃくることしかできなかった。
無力。
「……ごめんね……。大好きよ、ユリ……」
それが、彼女の最期の言葉。
視界は涙でぐちゃぐちゃ。
どうやって逃げ延びたのか、今となっては記憶にない。
ただ、戦火が収まった後、ボロボロの体で城へと戻った。
そこに転がっていたのは、もはや姉とは呼べない、無残な肉の塊だった。
「……あ、はは。エル姉、こんなに小さくなっちゃって」
僕は泣かなかった。
涙はあの日、全部使い果たした。
感情の神経が焼き切れた僕は、ただ静かに、その肉片を拾い上げた。
温もりを失った、冷たい、重い、愛した人の残骸。
それを抱え、王国の外れにある薄暗い小屋に身を隠した。
復讐?
そんな立派なものじゃない。
ただ、もう一度、彼女の声を聞きたいだけ。
あの優しい手で、僕の頭を撫でてほしいだけ。
「待っててね、エル姉。僕が、生き返らせてあげるから」
そのためだけに、僕は「聖人」のジョブを求めた。
死者を蘇らせる奇跡。
蘇生系のジョブは聖人か聖女。
士官学校
「おい、どけよ。陰気で目障りなんだよっ! 朝から気分が悪くなる」
背後から乱暴に肩を突き飛ばされる。
膝をつく。
手のひらに鋭い痛み。わざと踏まれた。
顔を上げずともわかる。
ヴォルガルド帝国の第一王子、ウード・ヴォル・アバドン。
「……申し訳ありません、ウード殿下」
声を押し殺す。
膝をついたまま、頭を下げる。
「すみません」という顔をしておく。これが一番早い。
ウードは鼻を鳴らし、取り巻きの女子生徒たちと僕を見下ろした。
「相変わらず不気味な面だな。おい、お前ら。こいつ、さっきから何をブツブツ言ってたと思う?」
女子生徒たちが、目を細める。
心底汚いものを見る目。
軽蔑。
「あら、殿下が羨ましくて不平を呟いてたのでは? 平民のくせに殿下と同じ空気を吸うなんて」
「嫌だわ、生理的に無理。平民ってだけで反吐が出るのに」
「見てよ、あのボサボサの前髪。顔を隠してないと生きていけないほど醜いのかしら? 早く消えてしまえばいいのに」
容赦のない言葉。
彼女たちは僕を人間だと思っていない。
道端に転がる石ころか、不潔な害虫。
まあ、間違ってはいない。僕はもう、人間らしい心なんて持ってないから。
「……僕は、騎士として帝国に尽くしたいだけです」
大嘘。
帝国への忠誠心なんて、ミジンコほどもない。
この屈辱に耐え、泥をすすりながら潜り込んだのは、ただ一つ。
国が管理する「ジョブ覚醒のスキルブック」を手に入れるため。
「ふん、殊勝なことだ。だが安心しろ、ユリエル」
ウードが笑う。
「今日の適性儀式で、お前のような無能には相応しい『鑑定士』か『薬草採取』が下るだろう。……いや、せいぜい『荷物持ち』が関の山か。俺のような、神に選ばれし高貴な王族とは、格が……根本的な格が違うのだよ」
「きゃはは! 殿下、素敵! 本当にその通りですわ!」
ウードは高らかに笑いながら、講堂へと歩いていく。
格ねぇ。
そんなもの、10年前に捨てたよ。
講堂のドアを開ける。
クラスメイトがざわついている。
皆、自分の将来に夢中だ。
壇上には、憎き仇敵。
皇帝ゼノスの姿。
その傍らには、帝国大元帥となった裏切り者、バルガス。
心臓の鼓動が早まる。
怒り?
いや、期待だ。
もうすぐ、この悪夢が終わる。
(待ってて、エル姉。絶対に……絶対に聖人になって、生き返らせるから)
僕は、運命の審判を受けるために、一歩を踏み出した。
お読みいただきありがとうございました!
本作は全40話の完結作品となっております。本日16話までアップする予定なので、是非、ブックマークして頂けると嬉しいです。




