第42話 「これから見ると随分とご無沙汰になりますね」
「えらく、通好みの商品を持って来たねぇ。まさか、尻尾の嬢ちゃん試したのかい」
海賊が間違えて渡してくれた、あの例の紳士淑女の夜の営みをおしゃれに演出するえげつないシロモノを商工会の買取に持って行った時、受付のおばさんがリナに放った言葉だった。
「ま、まさか、そんなの使いませんよ」
リナは慌てて手を振って否定した。流石のリナもあんなのは挿らないと思う。絶対にガバガバになるのが目に見えている。商人なら自分の身体で試して、その使用感を確認することもあるらしいけどね。
「そうかい、もし、尻尾の嬢ちゃんが使ったって事実があれば、相場の倍以上の価値が出るんだがねー」
そのおばさんはリナを舐めるように見つめた。確かにリナは毛深いけどナイスバディだし、毛深いけど美人だし(狐をトーテムとする獣人としては)、そんな彼女のが使ったとあったら助平どもが良い金額をつけてくるだろうね。男ならではの業の深さってやつだね。
「相場の倍…」
おばさんの言葉にリナの表情が変わった。ひょっとして目先の金でガバガバになるのを決心したのか。
「それが初めてだったら、どれぐらい? 」
「初めてかい、そりゃ10倍は固いね」
リナの目の色が変わった、まさか、自分でやるのか、ガバガバになってしまうんだぞ。ここは何が何でも止めないと。
「この子たちならどれぐらい? 」
リナの奴、いきなりシュマとコレットの手をつかんでおばさんの前に突き出した。
「あんたと同じだよ」
おばさんはシュマとコレットをちらっと見ると退屈そうに答えた。どちらもそれなりの美人系だけど、毛深いからね。
「何か釈然としませんよー」
「間違ってます」
リナと同じと言われてシュマとコレットがブーブー言い出したが、文句を言うところはそこなのかと、彼女たちに確認したくなった。
「それじゃ、この子は? 」
リナの奴、事もあろうか、ジャグをおばさんの前に連れてきた。これは、洒落にならないぞ。
「あんた、私を真剣に怒らせたいのかい? こんな小さい子を利用してまで設ける気なんざないからね。もし、100倍でも1000倍でも払うなんて奴が来たらぶち殺すよ。アンタもこれが冗談なら笑えないね」
おばさんの言う事は絶対に正しい、もし、リナがそんな暴挙に出たなら、ボクは彼女と二度と顔を合わさないだろうね。
「でも、そこのお嬢さんなら20倍は固いよ」
おばさんの目がしっかりとボクがいる方向を見つめていた。そして、リナがボクをじっと見つめた。その目は金しか見えていない、がめつい商人の目だった。ボクは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「お嬢様、ここは一肌脱いでください」
リナの奴、真剣な目で言ってきやがった。こいつ、ボクがこんな姿になる原因を作った上に、こんなモノをボクに使わそうと言うのか。ここは、身体で分からせてやる。ボクはさっとシュマとコレットを見た。彼女らなら実力をもってこの女狐を黙らせ…ん?
「お嬢様、相場の20倍ですよ。例え中銀貨1枚程度の相場だったとしても大金貨2枚ですよ。暫くお仕事なんてしなくていいですよー」
シュマ、お前、自分が何を口走っているか分かっているんだろうな。こういう時こそ、コレットの出番となる…ん?
「苦痛から快楽へとお嬢様の表情が変わるのを見てみたいですね。きっと、素敵なお姿をお見せくださるんでしょうね。怖い事はありませんよ。女なら誰しもが通る道です」
そんな道通りたくないっ。これは断言できる。絶対に断る。っ、あっ。ボクを猛獣たちが羽交い絞めにしやがった。
「辛いのは最初のうちだけですよー。多分」
「その内、気持ちよくなるはずです。多分」
こいつら、目先の金に目が眩んでやがる。ボクはもう我慢しないぞ。目にモノ見せてやる。
「シュマ、コレット、この時点で暇を申し付ける。どこにでも行け」
ボクの言葉にシュマとコレットの力が抜けた。それを利用して羽交い絞めから逃げ出すとボクはリナを睨みつけた。
「リナ、君との関係もここまでだ。そのブツを売り払ってさっさとボクの視界から消えてくれ」
リナの奴、目を丸くしてフリーズしやがった。
「金の力は怖いもんだよ。肉親ですら金が絡んだら殺しあうぐらいだからねー」
受付のおばさんが呆れたように呟いたけど。もともとの発端はアンタなんだからね。
「お嬢様、どうかお情けを」
「お嬢様、どうか、ご再考を」
シュマとコレットが涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら土下座してボクに許しを請うていた。
「あ、あたし、あたし、これからどうしたらいい? どうしたらいいの? いつもいつも、とんでもない事をやらかしてご迷惑をかけておきながら、こうなれば」
リナの奴、いきなりナイフを取り出して自分の首に押し当てやがった。これは、多分、死ぬ死ぬの演技だろう。リナは案外こういうところはちゃっかりしているから。
「リナ姐ちゃん、お嬢様、早く、早く止めてよ」
ジャグがリナの腕にしがみついている。ナイフの切っ先はリナの毛皮の内側に少し入っているようで血がポタポタと床におちていた。
「リナ、やめろ。お前がいなくなったら誰がジャグに商いを教えるんだ。リナの御用達とはボクの一言でついえる程度のモノなのか。お前の夢は、一度のつまずきで潰えるのか」
こうなったら、止めるしかないだろう。ボクの目の前で自刃されたりしたら、色々とダメージが大きいから。知らない相手ならともかく、良く知った相手がボクの言葉をきっかけとして目の前で死なれたら、ボクの悪評は鰻登りじゃないか。
「お、お嬢様、このルナ、目先の小銭に目が眩み、大事なモノを見失っておりました」
こいつも涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら土下座してきた。普通ならこれで信用できそうなんだけど、こいつは色々とやらかしてくれているからな、素直に受け入れるには少しばかり引っかかるんだけど。
「ボクの信頼を裏切るようなことはしないで欲しい。シュマ、コレット君らもだよ。ボクの事を金にしたいなら、さっさと実家に売ればいいだろ。その時はボクに君らの主として足らなかっただけのことだから」
ボクは土下座しているシュマとコレットを見下ろしながら冷たく言い放った。彼女らには世話になっていて主と使用人の関係と言うより家族のように感じていた。しかし、このおばさんが言うように金は人の目を眩ませてしまった。今後このような事が起きないと断言できないけど、今の所彼女らが居なくなるとボクの生死にかかわってくるのでお灸をすえるだけにしておく。
「ごく普通に取引させてください。こいつらのたわ言は無視してください」
ボクは耳を伏せて落ち込んでいる猛獣どもをしり目にあのどぎついアイテムを何とか売り捌いた。おかげで中銀貨15枚の成果を得ることができた。
「まさか、ボクが身体を壊すようなことをしたらこれ以上の金になったなんて未だに思ってないよね」
ボクは猛獣たちを睨みつけて尋ねた。猛獣たちは「滅相もございません」と俯いていた。
「なんで、あんなにことを口走ったのかしら…」
リナが涙声で呟いていた。確かに、あの言動はどこかおかしかった。リナは常々おかしい奴だけど、おかしいのベクトルが違うように思えた。
「欲望のブースト機能があったんだ。アレはついついノって、次の日に大変なことになっていたりしたんだよね」
ルメラがボクの横をちょこちょこ歩きながら意味深な事を口走った。
「欲望のブースト? それって何? 」
ボクは思わずルメラに尋ねていた。こいつに聞いたら絶対に後悔するような気がしたのは言葉を発した後だった。
「三代前の記憶からするとね。あのタイプのブツには欲望ブーストって機能があって、本人が持っている欲望、あの手のアイテムなら性欲を強化するんだ。だから、リナたちがあんなことを口走ったのも仕方ないことかもしれないね。ルメラが使い方を説明している時もこの3人目つきがね。耐性のない人には逆らえないよ」
ルメラは何気に凄い事を口にした。あのブツにそんな機能があったなんて、じゃ、彼女らが暴走したのもその欲望のブーストのせいなのか。
「リナたちのあの言動は欲望のブーストの影響のためだったのか」
「押し殺している欲望が表に出てくる。そこをブーストさせる」
ルメラはボクの呟きに細かな説明を入れてくれた。
「常々押し殺している様に見えないけど」
「本音はもっと深く、もっと強い」
ルメラの言葉を聞いてボクはシュマたちをちらりと見た。こいつらが欲望を押し殺しているとはにわかに信じ難かった。
「人は心の中に闇を抱えている」
したり顔でルメラがぬかした。確かに、誰しもが暗い面を持っているがどや顔の自称業界最底辺に言われるとむっとしてしまうのはボクがまだまだ修行が足りないという事なのだろう。
「お嬢様、私が信用できなければ、これでバッサリしてください」
「同じく私も」
シュマとコレットがボクの前に跪いて剣を両手で差し出してきた。粗相をしでかした使用人に対して処断するというやつだ。ボクがここで彼女らに対して許しがたいと思えば、シュマの言葉のようにバッサリと斬り捨てればよいだけのことだ。
「リナ、ボクの処断の立会人に命じる。と、言ってももう貴族でも何でもないんだけどね」
と、ボクがリナを見ると彼女も跪き、両手でナイフを捧げていた。
「あたしも処断してください」
彼女は絞りりだすように言うと深く頭を下げ、さらにナイフを高く捧げてきた。
「おいらも、リナ姐ちゃんと同じにしてください」
ジャグも同じようにナイフを捧げている。それをルメラは不思議そうに見ている。元はお前がさっさと欲望のブーストについて話をしなかったからじゃないか。と、むっときた。するとあのルメラが泣いていた。
「ルメラのせいで大変なことになった。皆がいなくなる。ルメラ一人ぼっちになる。でも、これはルメラが悪い」
侍女と雇い主の商人と竜が全部ボクに謝罪してきている。何かボクがとても悪い人のように見えるんじゃないかな。それが証拠に道行く人々が好奇の目でボクらを見物している。
「次からしない事。ルメラ、ヤバい物があればすぐに教えてくれ、これが処断だ。もう終わった。以上だ」
ボクの言葉に彼女らは深々と頭を下げ、黙ってボクの後をついてきた。
「お嬢様、この道でいいんですか? 私もこっちは初めてですから道案内はできませんので」
リナが申し訳なさそうに言ってきた。森の中の一本道だこれをまっすぐ行けば王都につくはず。ただし、この森の大きさがさっぱり分からないけど。
「お嬢様、この先で何者か同士が戦っている音がします」
コレットが耳を曲がりくねった道の先の方に向けて警告を発してきた。
「コレットの言う通りです。激しいようです。迂回しますか。あ、女性の悲鳴も」
リナがボクに逃げるように提案してきたけど、最後の一言が無視できなかった。女性の悲鳴があった。これはノブレス・オブリージュとして助けなくてはならない。例えブッコワース家を捨てたとはいえ、元は貴族の男子である。無視するわけにはいかない。
「助けに行く、シュマ、コレットついて来い。リナたちは荷物を頼む」
ボクはリュックについている紐をひいて身体から切り離すと駆け出した。その後をシュマとコレットがついてくる。
「シュマ、先に行って状況の報告をコレット、シュマの声を聞き逃すな」
ボクらの耳より獣人たちの耳の方がずっと感度が良い。こういう時はこうやって状況が良く見えない場合は彼女らのこの能力は非常に便利だ。
「え、シュマ、それ、マジなの。お嬢様の判断を仰ぐのは良いと思うよ」
コレットがシュマからの言葉を聞いたようで大声で応えていた。しかし、この会話から何が生起しているのかさっぱり分からない。
「シュマからの報告がどうも要領を得なくて、ゴブリンが守っているとか…」
コレットが困った表情でボクに報告してきた。少なくともこの騒ぎにゴブリンが絡んでいることは確かなようだ。ゴブリンと言えば森に棲む生物で野蛮であるとか凶暴であるとか、野蛮で凶暴であるとか言われている連中だ。これはちょっと厄介かもしれない。
「急ぐぞ」
ボクはコレットに告げるとさらに速度を上げた。
「ゑっ? 」
そこには黒い鎧と白い鎧を身につけた騎士らしき連中と、ゴブリンとトロールの集団が豪華な馬車を中心に斬り結んでいた。そして黒い鎧の連中はどうやら押されているようで地面に横たわっている者やら馬車に寄りかかっている者もいる。そして、ゴブリンとトロールが馬車を背に白い鎧の連中と斬りあっている。
「おい、見ているなら逃げるか、手伝えっ」
ゴブリンの一人がボクらを見て声を上げた。黒い鎧の騎士もボクらをちらりと見た。
「姫様を助けてくれ」
護衛としては情けない一言であるが、意地を張って危機に陥るより何倍もマシな判断だ。本当に強い者は、然るべき時に助けを求められる者のことだ。
「義により、助太刀します。シュマ、コレット、全ての牙と爪の使用をこの戦闘が終了するまで無制限で解除する。かかれ」
ボクは叫ぶと弓を構えている白い鎧に斬気を飛ばしてやった。
「うっ」
ボクの斬気は狙った通りにそいつの首、兜と胴のつなぎ目にヒットした。結果は、うん、すごかったと言っておこう。
「とぉっ」
「しゃーっ」
シュマとコレットも順調に暴れている。さっきボクに叱られた腹いせのように見える毛と、あの暴力にさらされなくて良かった、とつくづく思う次第だった。
「なんだ、こいつら」
「助っ人が来るなんて聞いてない」
「危険手当の割り増しを要求するっ」
襲撃者と思しき白い鎧の連中は口々に文句を吐き出しながら剣を振るっていた。どこも労使関係は感情的な部分も含めてややこしい者だと改めて認識した。
「奴らが崩れ出した」
「お前ら、本業だろうが、根性見せろや」
ゴブリンとトロールたちが黒い鎧の騎士に檄を飛ばし出した。
「言われんでも」
「意地を見せるぞ」
何かアツい展開になっているようだけど、確実に白い鎧の連中の勢いがなくなりつつあるし、シュマに殴られたヤツの兜は思いっきり凹んでいるし、コレットに蹴られたヤツの胴は真ん中が気持ち良く窪んでいる。
「備品の破損と治療費でこの仕事の手当から足が出るぞ」
白い鎧の連中の中の一人が悲惨な声を上げた。確かに痛い目に会ってその上赤字なんて働いている意味があるのか、言いたくなるよね。
「危険手当もこの人数相手には安すぎる」
危険にはそれに見合った手当は必要なこと、これが足りないと誰もやりたがらなくなるからね。ここは、人を雇ううえで大切な事だ。
「人は賃金に見合った仕事をするものだよ。仕事しても賃金が見合わないなんて、自分を安く売っているようなものだよ」
ボクは襲撃者たちに大声で話しかけていた。彼らの士気が下がりだしたから、さらに追い打ちをかけるのだ。
「この娘の言う通りだ」
「これは労使の契約に違反していると思われるぞ」
「これより、我々はストライキを決行する。よって、この場から引き揚げ、使用者に対して労働者の権利を行使する。総員、撤収っ」
連中はさっさと撤退して行った。残されたのは傷ついた黒い鎧の騎士と、凹んだり、傷がつきまくった高級な馬車だけだった。この手の高級馬車はちょっとした傷の修理でも恐ろしい金額が飛んでいくので、見たら近づかない事が一番である。馬車自体も面倒ではあるが、中に入っているモノはさらに面倒くさい事が多いので見たら逃げたり、隠れたりすることが好ましいが、それを馬車の一項に見つかるとさらに面倒くさい事になりかねないので、要注意だ。
「お、その荷物、行商人と見た。ちょうど俺たちの集落で売りたい物や欲しい物があるんだ。来てくれないか」
剣を納めたボクたちにゴブリンの一人が話しかけてきた。人と見れば襲い掛かると言われているゴブリンであるが、随分と知的で紳士的であった。身につけている物は腰蓑だけだけど。
「え、それは…」
いきなりの申し出、しかも相手はゴブリン、流石のリナも硬直していた。その時、ルメラがそっとボクの裾を引っ張った。
「悪意は感じない、大丈夫」
ルメラが真剣な表情で訴えてきた。竜の直感てやつかもしれない。
「早く、面倒に巻き込まれるぞ」
トロールが小声で話しかけてきた。そう言えば黒い鎧の連中も落ち着きだしているし、馬車の中からVIPが出てきそうな雰囲気もあるし、ここは彼らの言葉に従う事にしよう。
「皆、彼らについて行くよ。良い商機があるかもしれないよ」
「ブッコワースの人間より文化的な香りがします」
コレットは僕の後ろに付いて来ながら腰の蓑だけの連中をを評価していた。確かに、ブッコワース騎士団なら守ろうとしていた馬車の連中相手に戦いだしているかもしれない。彼らには加勢するとか助太刀に入るなんて高等な理屈は分からないだろう、理解しようともしないだろう。ブッコワース騎士団には目の前にいる者は倒すべきものでしかないのだから。あの連中から比較すると大概の存在は文化的になるんだけどね。
「ゑ? 」
ゴブリンたちに案内されて彼らの集落に辿り着いてボクらは悲鳴に近い驚きの声を上げていた。そこにはこじんまりとしてはいるものの、人の街より清潔かつ発展した集落、これはもう街と言って良いものがそこにあった。
「俺たちの街だ。さっきの商売の話は面倒ごとから遠ざけるために使っちまった。露店の申請ならあそこの商工会に申請してくれ。俺たちは事務所に報告しないとな。最後まで付き合えないですまない 」
ボクたちを案内してくれたゴブリンは周りの建物より少し背の高い盾もを指さすと、すまなそうにボクたちに頭を下げてくれた。良く見ればこの街のゴブリンやトロールたちはきれいな服を着こんでいるし、住まいも人の街のものよりしっかりした造りに見えた。
「ああ、この集落か…、俺はスバーグ、この常緑の森の森林警備員をしているんだ。あの者たちはパトロールのチームなんだ」
スバーグがちょっとうんざりしたように僕らに説明してくれた。どうやら、彼らの生活を見た者は皆同じような反応しているようだ。
「それとな、聞かれる前に言っておくが、この衣装は君らのイメージを崩さないためなんだよ。ゴブリンやトロールは野蛮ってイメージを持っているだろ、だからこの衣装なんだ。イメージが崩れるといろいろと残念な思いをするだろ。ああ、この下はちゃんと穿いているから、見えることはない。安心してくれ」
スバーグはそう言い残すと爽やかな笑顔と共に去って行った。
「こういう業界は昔からある。ここまで立派な街は珍しいけど」
ルメラが街を見渡しながら小声で伝えてきた。どういう業界か分からないけど、ゴブリンたちに対する偏見を拭わないといけないと改めて思った。
「お嬢様、良い匂いがします。これは美味しい物の匂いです」
シュマが鼻をひくつかさせたと思うとはじけたような笑顔になっていた。
「早く、行きましょう。お腹がすいて来てますから」
コレットがボクの腕を引っ張った。どうも鼻の前の餌に心を奪われているようだ。
「待って、食事をするにも何をするにもまずはお金が必要よ。あのゲテモノを売ったお金はあるけど、ここでの相場、そして特産品も分からないんだから、まずは商工会に行ってから。ひょっとすると良い宿もあるかもしれないし、持っている物を売り払って身軽になりたいんだよね。こうも状況が読めないとね」
シュマとコレットをけん制するように冷静にリナが商人らしいことを口にした。しかし、口元から垂れているよだれが全てを台無しにしているけど、ここは突っ込まないでおこう。
「兎に角、リナの言う通り、商工会に行って売れる物は売り払ってしまおう。身軽なのは良いからね」
ボクは食欲に支配されかけている猛獣たちに、スバーグが指さした建物に向けて歩き出した。
「ますますいい匂いがしますよー」
「うずきます。生殺しです」
商工会の建物に向かうには、商店街らしいところを通ったため、人のボクでも食欲のそそる匂いのおかげで空腹を感じたぐらいだから、嗅覚の鋭いシュマとコレットにはが口元を拭っていた。
「理性を保つの。食欲に負けたらもう獣だからね」
リナがよだれを拭きながら、シュマとリナを励ましていた。彼女らにとってこの匂いはとてつもなく魅力的なのだろう。
「早く売ってしまおう。ルメラはもう…」
ボクの裾を引っ張ってきたルメラを見るとその目は悟った者の目のようだった。空腹の猛獣三匹と竜一匹、これを御するのは非常に難しい、そしてボクが制御を失うのは時間の問題かもしれない。内心ハラハラしながら、やっとのことで商工会の事務所に辿り着いた。
「これ、売れるかな? 」
リナはカウンターの受付の小柄な女性に承認組合の組合員証を見せるとリュックの中から見慣れない魚の干物を取り出してカウンターの上に置いた。
「これは? 」
小柄な女性は首をかしげた。ルメラぐらいの子供なみの身長なのに何故か全体的に大人の雰囲気を醸し出している不思議な感じのする女性で、ひょっとすると人とは違う種族の人かもしれない、でも、それを口に出して確かめるのはマナーの面でよろしくない行為とされているので我慢することにした。
「デバガメニギスの干物。深い海に住んでいてなかなか獲れない貴重なお魚。味は保証するよ。これは試食用だから、このままでも焙ってでもいける、酒のお供に最適」
リナは干物をちぎってそっと受付嬢に手渡した。彼女は干物の匂いを嗅ぐと恐る恐る口に入れた。なかなか勇気のある女性だ。ボクなら訳の分からないキツネから訳の分からないものを手渡されたものを口に入れる事なんて到底できないから。
「ゑ? 」
受付嬢の目が見開かれた。そして口元を抑え、じっくり咀嚼すると飲み込んだ。
「こ、これはお酒にうってつけですよ。ど、どれぐらい売っていただけるんですか? 」
「ちょっと待っててね。あたしらは行商人だから持って運べる分しかないけど。これでどうかな」
リナは僕らの背負っていたリュックに入っていた分まで全部取り出してカウンターの上に置いた。カウンターの上にデバガメニギスの干物の山ができていた。
「これだけ買うのに結構な冒険をしたんだ。その辺りも込みで少なくても小金貨5枚の価値はあると思うよ」
リナはいきなり強気に出た。こんな騎士になりたての奴の初任給3カ月分の金額なんてやりすぎだと思う。
「この辺りでは見ないお魚ですね。仕入れた所をお教えいただければこの金額で取引しましょう」
受付嬢はにっこりしながらリナを見つめた。リナはしばらく考えた後、そっと何かを受付嬢の耳元に囁きかけた。
「承知しました。では、お約束の小金貨5枚です。今後とも御贔屓に」
彼女はにこりとリナに頭を下げた。そしてリナを見るとさっきまでの飢餓状態に喘いでいた獣の姿はなく、目の前の大金にニヤッとしている商人の姿になっていた。
「ふふふ、これでお昼が豪勢になります。今夜の宿も楽しみにしていてくださいね」
リナは舌なめずりしながらボクに微笑みかけてきた。でも、その表情は僕をお昼の食事にしそうな雰囲気があってちょっとばかり怖いんだけど。
「オークの調理人ってこの辺りしかいないでしょうね」
昼食に本日の儲けによる特別ボーナスとして豚肉のフルコース堪能したボクたちは久しぶりの美味に満足していた。そんなボクらにコレットが敢えて誰も口にしなかった事を言い放った。
「うーん、オークは豚に似た種族だけど、仲間を食材にしない。だから、コレットが猫を食べるのと同じぐらい自然なこと」
この中で一番魔物に近い存在のルメラが説明してくれた。だけど、ボクは今までコレットが猫を調理したり食べた所を見たことがない、勿論、犬も狐もだけど。
「犬も猫も調理したことあませんねー。狐の毛皮ならお召し物の襟の部分に使われていたことは覚えていますか。あれは良い手触りでした。そこのより良かったかもしれませんねー」
シュマは横目でリナを見ながらニヤッと笑った。一方リナはシュマの言葉に噛みつくこともなく笑みを浮かべていた。
「犬の毛皮なんてゴワゴワで、とてもとてもお召し物に仕えるようなシロモノじゃないですからねー」
リナはむっとしているシュマを見てニコニコしていた。ボクは狐の毛皮を身に纏う権利がある者は狐だけだと思っている。勿論、犬の毛皮纏うのは犬だけだ。
「どちらも獣臭いですけどね」
コレットが溜息交じりに呟いた。確かに猫はお日様匂いがするっていうぐらいだからね。
「お嬢様、暫くこの街で名産品などを仕入れたいと思います。宿はここの商人宿を手配しました。ちゃんとお風呂もあります」
リナを先頭に商人宿に向かう中、彼女はこの街での滞在が少しばかり長引きそうだと伝えてきた。路銀が増えることは良い事だし、王都に近いこの街で王都の情報を集めるのもありだし、それ以前にそろそろ商工会の依頼を受けないとライセンスがはく奪されないからね。ここは彼女の意見に異を唱える理由はない。彼女の言うままにしよう。
「これから見ると随分とご無沙汰になりますね」
商工会の受付のゴブリンのお嬢さんが、ボクらの活動記録を目にしてちょっと皮肉を込めながら、今入っている仕事の台帳を開き、僕らの実績に見合った仕事を探し始めてくれた。
「貴女たち専属護衛以外の仕事ほとんどしてないのね。このままだと信用度が上がらないわよ。…女の子ばかりか…、これがいいかな」
ゴブリンのお嬢さんはボクらの前にファイルをめくると一枚の依頼書を置いてくれた。
「戦闘が主じゃないから。貴女たちでも行けるでしょ」
彼女の目は明らかに素人を見る目だった。確かに、戦闘らしい戦闘もしていないし、悪党は退治した? けど、依頼もなかったし、どこにも報告しなかったからね。
「…行先表示看板設置の護衛? 」
彼女が差し出してくれた用紙に護衛人らしいことが書いてあった。
「森の中にある古くなったり、請われた看板を取り換える際の護衛です。道標がないと迷ったりしますからね。…くれぐれも迷わないでくださいよ。迷われた場合、捜索費用は貰いますからね」
「依頼は明日の朝、場所は中央の広場の噴水前か。今日のうちに準備しておこう」
ボクは猛獣を連れて商工会から出ると、ゴブリンのお嬢さんから教えてもらった武器屋や雑貨屋がズラリと店を構える。その名も「勇者商店街」に出向くことにした。
ゴブリンやトロール、オークが闊歩する街で勇者というネーミングは如何なものかと思ったのはボクだけじゃないと思う。




